行き倒れは森の中で
ちょっとした血&怪我の描写あり
これは半年ほど前、私が実際に体験した話である。
私こと山中 菫子 ぴっちぴちの高校3年生は、放課後何もない道のど真ん中ですっ転び、恥ずかしくて5秒ほど転んだ体勢のまま静止し、ゆっくりと顔を上げると異世界にいた。
もう、紛れもない異世界。見たこともないようなカラフルな葉っぱに日本ではありえないジャングルっぽい景色。わかりやすくて助かる。いや助かってないけど。
呆然と辺りを見回し、とりあえず周囲に同じような風景しか見えないので歩き始めた。
まったく人の気配がない。木が生い茂って狭い空に太陽が浮かんでいるうちにとりあえず第一村人と遭遇したい。
そう思って歩き始めてから3日目。軟弱な帰宅部女子高生にしては健闘した方だと思う。カバンの中に入っていた菓子パンとおやつとペットボトルの水(友達の分を合わせて2本買ったばかりだった)だけで、見知らぬ世界をあてもなく歩いた。もうフラフラである。
日中はとりあえず日が昇る東の方を目指してとぼとぼ歩き、日が暮れた夜も眠気に負けようとするといきなり見知らぬ植物に絶叫されたり、明らかに人がいない位置にぼんやりと光が動いていたりと怖いので月明かりを頼りに恐る恐る歩いた。それももう限界に近付いている。
いや、もう、いいよね?
行き倒れても、大丈夫だよね?
異世界小説ものって、大体主人公が行き倒れたりすると、後々仲間になってくれそうなキラキラな王子様とか意外と良いやつな山賊とかが運良く助けてくれたりするじゃない? そういうの、期待してもいいかな? いいよね?
疲れからの逃避という甘い期待半分、あともう体力の限界が半分で、目の前に広がる木が少ない場所を目指して最後の力を振り絞っていた。そこが芝生であろうと泉であろうと絶叫する植物の群生地であろうと、私は行き倒れてやる。そんな決意を持って。
そこで行き倒れたと普通思うじゃん?
出来なかった。
先客がいたから。
まさに行き倒れにピッタリな柔らかい普通の草むらに、もうまさに行き倒れポイントといえるその自然が作った広場の真ん中に、誰かが倒れていた。
俯せ、血だらけ、身動きなし。
それまでもうエネルギーとか1カロリーも残ってないと思っていたのに、びっくりしすぎると悲鳴どころか疲れまで吹き飛んでいくというのを実感しました。
「……え、し、しんで……る?」
体の大きさからして男であろうその行き倒れ体を中心にして、じりじりと広場を回り込んで顔の方に近付く。男は生成り色の長袖とズボンを身に纏っていて、それはほとんど血で汚れていた。頭や手先もほとんどが赤い。腰元にはベルトをしていて、その近くに剣の鞘が落ちていたけれど、剣本体はない。よく見ると血の汚れは割と鮮やかで、フレッシュな行き倒れだということがわかった。
いくらフレッシュといっても、この横で行き倒れる勇気はない。死んでいたら怖いし。
指先がピクリとも動かない男をしっかりと凝視しながら近付く。
そっと、そーっと近付いて、だいぶ迷ってから、左手でピースを作り、人差し指と中指をくっつけて、俯せで僅かに横を向いている男の首筋にあてた。
「ひぃぃいいいきてるぅうう!!」
血まみれだったので無意識にもう死んでると思い込んでいたのか、触れた肌が温かいのにびっくりして尻餅をつく。もう一度触れてもやっぱり温かい。指が血でぬるっとしたけど脈も感じられた。
生きてるなら、助けねば。
ガクガク震える手で相手を仰向けにしてみても、反応はなかった。乙女心をかなぐり捨てて相手の服をめくり上げ、ハンカチをペットボトルの水で濡らして拭いてみると、髪の毛は虹色に反射する不思議な銀色で、顔はなかなかのイケメンである。ゲンキンにも心配度が上がったのは許して欲しい。
顔色は悪いものの頭に大きな傷はなく、身体も見た目ほどはひどくなかった。広範囲で擦りむいていたり見ていたらイタタタと声に出してしまいそうな痛ましい状態だったけれど、これで死ぬことはないだろうな、と素人でもわかるくらいの軽傷だった。むしろこの服のほうが大惨事である。
「う……」
とりあえずホッとしていると、男が呻いた。身体が痛いのか顔を顰めて、震える右手を動かして何かを探していたが、やがてその手も力尽きる。そのまま動かなくなってしまったので、恐る恐る声を掛ける。
「あの、大丈夫ですか?」
その声にピクリと瞼が震えて、きらきら光る銀色の睫毛が持ち上がる。隙間から細く見えたのは紺色の瞳で、明かりに照らされて鮮やかに美しいその色はしみじみと異世界を感じさせた。
ぼんやりと空を見上げた瞳はゆっくりと左右へ向けられて、頭の近くにいる私を見つけ出した。しばしの沈黙。男は唇を動かそうとして、痛みを堪えるように顔を顰めた。呻き声と息だけが吐き出される。
「えっと……この近くに住んでいる人ですか? 私、なんかすごく迷っちゃったみたいで……あなた怪我してますし……あの……」
大丈夫ですか? いやどうみても大丈夫じゃない。
助けてくれませんか? どっちかというとそっちのセリフですよね。
衝撃の初対面を迎えた相手に対して何を告げるべきなのかまごついている間も、男は静かに私を見上げていた。さらにしばしの沈黙。
「とりあえず……一緒に誰かを探しませんか?」
非常に緩慢な動作でこっくりと男が頷いたのを見て、ようやくひと心地付いた気持ちになった。
男が起き上がるのを手伝って、血まみれの長袖を脱いでもらって、水をチョロチョロと傷にかける。しっかりと筋肉がついていることが判明した男は無表情で、むしろ私のほうが痛そうな顔をしていたと思う。どす黒くなってしまった服は再び着るにはどう考えても不衛生なので、とりあえずブレザーを差し出してみた。肩に羽織るのも窮屈そうである。袖を前で結んではみたものの、ほぼ着ていないと変わらない。
「あの、どっちの方向に村があるとか、何か危ない動物がいるとか、川がある方向とか、食べられる草とか、わかりますか?」
ほんとは小一時間ほど質問攻めにしたいほどの疑問を抱え込んでいたが、相手が怪我人のため厳選して訊いてみる。男はぼんやりと正面を見つめていた視線を隣で肩を貸している私に向けて、わずかに首を捻った。鳥みたいでちょっと可愛いが、事態が一向に進まない。
どうすべきか糖分の足りてない頭で考えていると、男がフラフラと片手を上げ、まっすぐ前を指差した。
「え、あっち行くんですか?」
それは私が歩いてきた場所とそう離れていない場所なので、やや戻るような道のりになるのではないだろうかと若干不安になる。ここに来る前に人の気配がない100%のジャングルだったのは自分の目で確かめている。そもそも指した先はひときわ葉っぱが生い茂っていて先が見えない。かといって、指した先に食べられる何かが落ちているわけでもない。とりあえず立ち上がるか、と考えたところで、前方の大きな茂みがガサガサと小さく揺れた。思わず動きを止めて凝視する。
え? 何? 行き先を示してくれたんじゃなくて?
何か来るよって?
ばっと男を見上げてみても、相変わらず起きてるのかどうか怪しいほどぼんやりしている。もう一度茂みに視線を戻すと、さっきよりもガサガサが大きくなっていた。どう考えても何かが近付いている。太くて背の高い木が生い茂ってその間にツタだの何だのが這い回っているせいで、ガサガサの正体は見当すらつかなかった。混乱している間にもガサガサはどんどん大きくなっていく。その勢いは少なくとも新しい行き倒れ候補が現れたようには思えなかった。
人間ならまだいい。相手が話も出来ないようなイノシシとかクマとかだったらどうしよう。ほぼ体力ゼロ同士、美味しく頂かれる未来しか見えない。ちょうどよく血の匂いも漂っているだろうし。
走る元気もなく、まるで車の前に飛び出してしまった野良猫のように私達は固まっていよいよ激しくガサガサする茂みを眺めていた。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/08/02)