2.星の降る部屋
夜空と出会った夜は、星が燦々と降り注いでいた。
そんな星空を背に、俺たちは裏山を出た。
隣を歩く彼女は、本当に今まで見ていた夜空を人間に貼り付けたようで、
思わずチラチラと見てしまう。彼女はこちらに気づいていない。
人間の姿をして自分が星だというこの少女、「夜空(命名:俺)」は、
どのように生活していくのだろうか。お腹は空くのか、寝たりするのか、
いろいろな疑問が浮かんだ。ふと、こんなことを聞いてみる。
「夜空、君には、行くところ、ないよな?」
「はい、どうしたらいいんでしょう...」
少し迷って、考えていたことを話す。
「...俺の家、来る?」
なるべく爽やかに、健全な笑顔で。
「ええ!?!その...えーと...」
彼女は頬を赤らめた。少し幼く見えた。
「自分で言うのもだけど、俺は安全な類の男子だから、多分。
それに、ずっと俺は好きな女の子がいるんだ。だから、大丈夫。
君が思っているようなことにはならないよ」
自分で自分のことを「安全だ」なんて言うことは胡散臭いな、と自嘲気味に思う。
隣を歩く夜の空は、
「...そう、ですか。ならお言葉に甘えてもいいですか」
心なしか、少し悲しそうに言った。
こく、と頷く俺の隣で、彼女は淡々と歩を進める。
家に着き、右ポケットから十字架のストラップのついた鍵を取り出すと、部屋を開けた。
女性を部屋にあげたことはない。強いて言うなら、女の人と話すことすら久しかった。
少し強張る体を悟られないように、朗らかな顔で「どうぞ」と言う。
彼女は俺の部屋を不思議そうに見ていた。
「ご家族の方、いらっしゃらないんですか?」
時計の針はは午前1時を指している。この時間に誰もいないのは、確かに不思議だろうな。
「いないよ。事情があってさ、一人で暮らしてるんだよね」
あまり突っ込まれたくはない。楽しい話ではないのだ。
曇った表情をしていたのだろうか、こちらを見て、
「なんか、その、すみません」
「いや、いいよ。気にしないで。悪いね」
少しの間があった。
「まあ、だから、来てくれて嬉しいよ。一人でいるよりは全然いい」
微かに彼女の口元が緩むのが見えた。
俺は毛布と座布団を押入れから取り出して、ふわっとした絨毯の上に置いた。
「すこし、きみと話がしたいな。座ってよ」
そう言って、俺は所定の位置に腰掛け、座布団を指さした。
「では」軽くお辞儀をするように、夜空はすら、っとした立ち振る舞いで座った。
綺麗だった。動作の一挙一動と、その容姿が重なって、食い入るように見てしまう。
目が合って、反射的にふい、と顔を逸らした俺に、彼女はこう言った。
「ちょっと、緊張しちゃいますね。」
この雰囲気を変えるために、気になっていた事を聞くことにした。
「あのさ、教えて欲しいんだ」
何をだろう、といいたげな彼女が正面にいる。
「きみは、人間、ではないよね」
「星、ですよ。星。英語で言うとスターです。わかります?」
いやいや、分かるから。苦笑いした。
「うん。ご飯とか、学校とか、って、どうなってるの?」
「お腹は空きませんし、学校とかはないです」
彼女は、付け加えるようにこう言う。
「それに私、きっとあなた以外の人には見えないと思うので」
え?と声にならない声が出た。
「普通なら私は人間には見えないし、触ることもできないはずなんですよ」
そりゃそうだ、と頭の中で相槌を打つ。ならなぜ。
「あなたは、私に触れることができていました。
星、っていうものは、人間からしたらこういって話して、触れたりできないはずなんですよね。」
彼女は俺の手を握って、ブンブン、と揺さぶった。
「こうしてあなたと私は、お互いに干渉しています。何の因果かわかりませんけど。
それに、人って、心のどこかで信じてないんですよ、宇宙という漠然としたものの中の私たちを」
「なら、どうして、俺が?俺だって、君が落ちてくるまでは、
星が人のようだなんて言われて、信じていた自信はまったくない」
「細かいことは気にしないでいきましょう。わからないんですよ、私には。」
「私、星の中では落ちこぼれです。6等星なんです。私たちの世界では、明るさによって階級があります」自嘲気味に言う。
等星、聞いたことがある。理科の授業でも習ったことがあったな、と懐かしさを感じた。
「もっと明るい星であれば、いろいろなことを知っているのでしょうが、私にはわかりません」
悲しげな顔をしていた。悲しい夜の空のようだった。どのような過去があったのだろう。
「ここは宇宙じゃない。地球だ。少なくとも、俺からしたら落ちて来る時の君はきれいだったし、
今こうして話している君も綺麗だ。俺の好きな風景そのものだ。だから、その、なんだ」
「気にするなよ」
思わず歯の浮くような言葉が出た。この子といるとなんだか、言葉が勝手に紡がれるようだ。
思考が止まってしまったような彼女がようやく動き出し、
とても嬉しそうに、ありがとうございます、と笑った。
「今日はもう疲れたし、寝るよ」
そう言って、取り出してきた毛布をとって、横になろうとする。
私が床で寝ますよ、と彼女は言うが、流石に一日目だ。客人にベッドを譲るのが定石だろう。
「いいよ、ベッドで寝て。大丈夫だから」
「ええ、でも」
「いいから」
数回このようなやりとりを繰り返したあと、彼女がようやく折れた。
ベッドに入り、彼女が寝たのを確認して、「おやすみ」とつぶやき、俺は床に横になった。
朝日が刺すような朝だった。
目が覚めたら俺はベッドにいた。おかしい。床で寝ていた、のに、なぜ?
先に起きていた彼女は、自分の居場所に驚く俺に、「勝った」とでも言うような笑みを浮かべて。
「騙されましたね。入れ替えたんですよ。あなたが寝たあと、私と」
してやられた。匠の粋な計らいが通用しないなんて。
起きてから少し経って、頭も少し動くようになってきた頃、
「今日は、学校もないからさ。図書館にでも行って、ちょっとヒントを探したいな」
「私も、行きたいです。申し訳ないですし」
「でも、ほかの人から見えないから、本だけ浮いていることにならないか」
彼女は誇らしげにしている。
「大丈夫ですよ。私が非現実的で、他人からは有り得ないものである以上、
私が触れたことも、動かしたことも、非現実的で、ここでは有り得ないことなのです」
えっへん、と言わんばかりのふんぞり返りだ。
「つまり?」よくわからなかったので素で聞いてしまった。
「動いていても「動いていない」ことと一緒です」ますますわからない。
「まあ要は、問題ない、ってことですよ」
「そうか、ならいいか、行こう。」
一緒に出かけることに嬉しそうな姿を見て、よくわかんないけど、いいか、と思った。