蠢く悪魔の像《ガーゴイル》
『人間』の集う都・ジェミニアン。
総人口の七割以上が『ただの人間』によって構成された、近未来的な印象を受ける建造物が多く見られる巨大な都。世界でも有数の科学技術が利用される地であり、その『都』と区切られた土地に限り先端技術が実用されているために、殆どが改築されて先人が夢見た『未来都市』に似た状態となっている。むしろ古惚けて改築の行き届いていない場所を探す方が難しく、『人間の基準』において無駄と言える物の殆どを取り払った――正しく理想郷だった。
ジェミニアンには幾つかの居住区域を含め、役割に応じた様々な区域が存在しており、そこには個人個人の住まいとなる住居が幾つも佇んでいる。視界を少し左右に向けるだけで家やビルなどの大きな建物が幾つも見え隠れしているのが見えて、自然に身を置く種族が見れば息の詰まること間違い無しな風景だった。
ちなみに少女――アルト・トラウムが暮らしていた『家』も、数多く有るマンションの中の一室に過ぎない。
内部は広いというわけでは無いが、少なくとも一家が住まうのに不自由を与えてしまうレベルの狭さというわけでも無く、内装の機能も充実している。
尤も、家族がいない少女一人が住むのには、どうしても広いとしか言えないわけだが。
ガソリンを燃焼させるのではなく、電気の力によって動く電磁式車両に乗って向かった先は、研究区域と呼ばれる巨大な研究機関――もとい、食料や科学技術も含めた生産工場。
外壁はあらゆる衝撃や熱を『特殊な工程』によって遮断出来るらしく、戦車の砲弾を直撃させようが隕石クラスの質量がぶつかってこようが殆ど傷付く事が無いらしい――トラウムを含めた殆どの市民がその実態を知っているわけでは無いが。
ともかく、生体反応によって自動で開閉する(らしいが原理も子供にはよく分からない)ドアを抜けると、やけに清潔な白い床と冷房の効いたロビーとカウンターにて受付員がお出迎え。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「条件を満たしているので『召喚獣』の獲得に来ました。名前はアルト・トラウムで、実績は書庫にも登録されていると思います」
「アルト・トラウムさんですね。少々、お待ちください」
そう言いながら、白いナース風の衣装に身を固めた受付員の女性は手元の端末を操作していく。
少々、と言っただけはあったのか、応対の続きは五秒後に再起した。
「……『召喚獣所得試験』での実績及び、生年月日の確認は完了。所属する『ユニオン』を今一度確認させてもらってもよろしいですか?」
「『インライン』で」
「了解しました。それではトラウム様に譲渡される『召喚獣』の選別と案内のために、研究員の方が来られますので、あちらの腰掛けの方でもう少しお待ちください」
事務的な会話の後、受付員は手元に置いてあるらしい機械で誰かに指示を仰いでいた。
自由に待っていいと言われているので、とりあえず言われた通り腰掛ける事にした。
(……どんな『召喚獣』なのかな。ドラゴンとかそういうのも良いけど、あんまり凶暴じゃない方がいいなぁ)
召喚獣と一括りに言っても、実際には様々な種類が存在する。
どれも事典として過去の人物が残した情報等を原型としているが、研究機関の中でどういった研究が成されていて、どういった形で誕生しているのか――そこまでは大半が機密事項となっている。
有名所を述べていけば飛竜や土人形などが浮かぶが、それすらも特徴などから『大きな差別点』を挙げていけば『別種』として扱われる。
知性の有無や発達具合に関しても種によって差異はあるが、この辺りに関しては低くても『主人の命令には従う』という固定された習性が付いているので、問題無いらしい。
と、そこまで考えていると、自分で思っていたよりも待ち時間が経過していたのか、横合いから見知らぬ声の持ち主が話し掛けて来ていた。
「君がトラウム君かな?」
「はい。貴方は?」
言いながら顔を上げると、白衣に身を包み眼鏡を掛けた老人が自分を見下ろしている事に気が付く。
どうやらこの老人こそが、トラウムの求める『召喚獣』の紹介・選別を案内してくれる人物らしい。
「最近は既に『召喚獣』を持っている子が多い所為か、新種を受け取ってくれる事も中々無くてね……君のような新鮮味のある子が来るだけでも嬉しいよ」
「新鮮味って……というか、新種? 今も新しい『召喚獣』を生み出せているんですか?」
「当然だよ。人間の知的好奇心という物は、いかなる時間でも衰えを知らないからねぇ」
互いに言い合いながらも移動を開始し、ロビーから研究機関の内部へと入り込んで行く。
途中途中で他の研究員の姿や、透明な(多分防弾仕様の)ガラスの窓越しからフラスコや研究に使う器具らしき物が多数見えたが、トラウムにはよく分からない物だらけだった。
エレベーターを介して地下のフロアへと到達すると、そこは壁に無数のパイプが張り巡らされていて、いかにも『科学的な雰囲気』を醸し出している空間となっていた。
それだけで、これから対面する事になるのであろう『召喚獣』の存在が、ファンタジー物の本で魔法陣と共に出てくるような者では無いのだと実感させられる。
「君にはせっかくだし、割と新顔な『召喚獣』を与えようか。僕等としても、出来る限りああいう存在は世に放ちたいものだからねぇ」
「……その、質問なんですが……その新しい『召喚獣』って、何か種族名みたいな物はあるんですか?」
「それは見せてから教える事にしよう。楽しみという物は、後に取っておくのが最良だからね」
とは言う物の、余程広大な研究を行っているからなのか、あるいは地下空間に施設を建築しているからなのか、大規模な病院よりも通路が長い気がする。
ここまで広大な施設を毎日歩いていて疲れないのだろうか? とトラウムは素朴な疑問を浮かべたが、多分自分の好きな事をしていると疲れを意識しなくなるタイプの人種なのだろう、と結論付けた。
管理している『召喚獣』の種類分けも兼ねてなのか、途中途中の部屋の看板には研究中と思われる架空の生物の名前が表記されている物もあった。
そうこう見学気分で左右の風景を眺めながら歩いていると、ようやく目的の部屋に辿り着いたのか研究者の老人は踵を真横に向けていた。
「着いたよ。ここに僕等の研究成果の一つたる『召喚獣』が居る」
歯医者にも似た、清潔感が漂い過ぎていて良い気分があまりしない部屋へと入る。
そこには、まだ『召喚師』が存在しないからか機能を停止している『創られた生き物』が、確かに居た。
「………………」
体長はおよそ3メートル程の、人間と比較すれば巨体と言えるもの。
外見事態は最初、ファンタジー物に登場する曲がった角と翼を持った『悪魔』に似ているように見えたが、よくよく尻尾の方を見てみればそちらは少し太長く、同時に『ドラゴン』に似た特徴もあったのだ。
しかし、そういった特徴の全てを無視して注目するべき部分が存在していた。
それは、全身が像のような――と言うより像そのものとも言えそうな黒金色で、生き物のような印象を全くもって受けられず、無機物――生き物ではなく置物のような、そこに確かに在るはずなのに生きてはいないような奇妙な感覚だった。
人外で『悪魔』や『ドラゴン』の特徴を持ち、それでいて生き物と言うよりは置物としか言えない存在。
そこまで考え付いた所で、言葉を出す前に老人がその名を告げた。
「『ガーゴイル』。生物と無機物の両方の性質を持った……原典では悪霊払いの像だったかな? その後の解釈で『動く怪物の像』だったり『鳥類の特徴を伴った悪魔』だったりしたらしいから、一応モンスターの枠には収まっている存在だね」
「……え、やっぱりこれ生きてるんですか? こう見てもただの像にしか見えませんけど」
「そりゃあ現在は機能を停止……というか休眠状態のような物だからね。『起こせば』直ぐにでも変わると思うけど」
「起こす……?」
「手で触れれば『反応』するはずだよ。やってみるといい」
休眠状態と言っている辺り、どうやらこの像としか思えない物体は『眠っている』らしいが、どうにもトラウムには実感が湧かなかった。
ガーゴイル、という怪物の事については事典で読んだ中の情報に有りはしたが、そもそも『金属と生物の両立』などという生物の論理自体を塗り替えかねない能力の付加など、現実の論理で可能なのかどうかさえ想像出来ない。
「土人形と似たような物なんですか……?」
「あちらは肉体の殆どが機械で構成されているから、少し違うかな。こちらは少し特殊な性質を持っているんだよ」
「特殊な性質……?」
ともあれ、触れてみなければこの状態から何の変化も生まれなさそうだったので、研究者の言う通りにトラウムは『ガーゴイル』に手を触れた。
すると、明確な変化があった。
黒金色の像と化していた『ガーゴイル』の色彩が、触れた部分を起点に徐々に金属らしい光沢を放たなくなり、代わりにその質感が生物らしい肉の弾力性を伴い始め、やがてそれが全身に行き渡るとそれまで光を宿さなかった瞳が意思が宿ったかのように少女を見据えるようになったのだ。
休眠状態が解かれたからなのか、気配もしっかり感じられるようになっている。
「わ……!!」
その変化っぷりにトラウムは思わず手を放したが、起きた出来事にそれ以上の変化は無い。
黒金色の像から黒色の肉体を持った怪物へと変じた『ガーゴイル』は、自身の身体の調子を確かめるように翼や尻尾を蠢かせている。
明らかに、自我と言えるようなものを持っていた。
その口から、声が漏れる。
『――回答を求めます。貴方が私の召喚師ですか?』
「…………」
その問いに対する答えは既に持っている。
後は、それに答えれば済む話。
己を見下ろし問いを出す怪物に対し、トラウムは恐れる心を押さえ付けて返答する。
「……ええ、私がお前のマスター。名前は、アルト・トラウムよ」
『…………』
返答を受けた『ガーゴイル』の視線が、一度近くにいる老人の研究者の方へと向けられる。
自身の創造者とも言える相手に対し、確認を仰いでいるのだろうか。
それを事前に理解していたのか、老人は首を縦に振る。
「彼女が『君』のマスターとなる人間だ。よしなに頼むよ」
『……了解』
ほんの少しだけ思考したような素振りを見せると、ガーゴイルはトラウムの手が届く距離まで頭を下げ出した。
服従の姿勢というよりは、何かを求めているような素振りに見えた。
トラウムが疑問を覚えていると、捕捉するように老人の方から説明があった。
「彼は『名前』を求めているんだよ。全ての『召喚獣』に共通している事だが、この世に生まれて以来、自身を使役する主が現れるまでは赤ん坊と同じで自分自身が何者なのかさえも分かる事が出来ないからね。事前情報は知識として色々と入力してあるけど、これだけは別なんだよ」
「……何でも良いんですか?」
「好きにするといい。尤も、私としては我が子も同然なのだから、愛着の付きそうな名前を与えてほしいがね」
そんなに大事なら自分で付けてあげればいいじゃん、とトラウムは率直な意見を浮かべたが、恐らく『名前』を与えた人物を自身の主と認識するようになっているのだろう。
人間の赤ん坊の場合も、生まれて初めて目にしただけでなく名前を与えてくれた人間を親として認識するケースが多い。
尤も、赤ん坊にしてはあまりにも大きすぎるが。
(……名前、かぁ)
自分に与えられた名前も、今はいない両親から与えられた物だったとトラウムは思い返す。
名前とは他者から与えられる事で初めて付けられ、個としての存在を確立させるために必要なもの。
それを付ける立場に居るという事実に、何故か自分が母親代わりになっているような不思議な感覚が生じた。
まず外見を見て、どういった意味を伴った名前にするかを考える。
色々な候補が頭の中に生まれ、その中から一つを選ぶのに少し時間を掛けた。
そして、トラウムは目の前に頭を垂らすガーゴイルに対して、こう告げた。
「……サルビア。今日からお前の名前はサルビアよ」
『……サルビア……』
告げられた言葉を『自分の名前』として学習するのに難しい要素が絡んだのか、またも黙り込むガーゴイル。
自分自身に向けて暗示でも掛けるかのように復唱している様子を見ても、この『召喚獣』の知性が高い方である事は理解出来た。
そして、およそ二十秒ほどの時間が経ってようやく、ガーゴイルは復唱を止め、明確にこう告げた。
『……私の名前はサルビア。トラウム様、貴方を私の主として承認致します』
「……ええ、これからよろしくね」
こうして、この日。
過去から続く理に導かれるように。
一人と一匹――人間とガーゴイルのコンビが誕生した。
(……この子と一緒なら、寂しくなんてない)
互いの体も、互いの心も、全く異なるままに。
そうして、彼等の物語はこの日より静かに始動する。