第一話
「やめなって。そんな計画じゃどうせ一日で飽きて終わりだよ」
「そんなことありません。私の計画通りに行けば楽しい旅行ができます」
はぁ。と深いため息を一つ。
「呆れた。はじめの目的地も決めてないくせに」
「当たり前です。私は、放浪の旅にでるのですから。目的地を決めたら放浪ではなくなってはしまうではないですか」
受験が終わった高校三年生の春の初め。
勉強を乗り切って遊びたいところを、車の免許取得と言うことに使ったのはこのためです。
「だから、決まってないのが不味いんだって……」
「大丈夫ですよ。親もなんとか説得できましたし」
「諦めただけじゃないのか……? お前、かなり頑固なところあるし」
「……いえ、説得です。ええ……」
そう。そのはずです。答えるのに、少し間が空いたのは気にしません。後ろめたいことなど何もないです。
差し詰め、彼は私の親の差し金でしょう。私の幼馴染と言うだけで、気の毒なことです。
――はぁ。と彼はまたため息をつきます。
「そんなのため息ばかりでは、幸せが逃げていきますよ」
「全く、誰のせいだと思ってるんだ……」
「私のせいですか?」
「他に誰がいるんだ」
白々しいな、と言う感じの口調。
「いえ、なんだか、すみません」
――はぁ。とまたため息です。
まあ、しょうがないでしょう。このやり取りをもう何度繰り返したかわかりません。私も、まるでループ物の小説の主人公になったのではないかと思うくらい、このやり取りを繰り返しました。
車の窓を開けて、私は運転席に座って、彼は窓の向こうから話しています。いい加減、彼を見るのに首を九十度回転させるのは疲れてきたところです。
「もういいよ、勝手に何処にでも行けよ。その代わり、怪我とかはするなよな」
「なんやかんやで優しいんですね」
「……そんなんじゃない」
少し照れたような感じ。
「そんな恥ずかしがらなくても。それでは、行ってきます!」
そして、やっと自由の身になれた私はアクセルを踏んで家の車庫から車を出します。
サイドミラーには彼の姿が映っているのが少し見えました。手を少し振ってくれています。
ひどく小さくみえる彼。
なんだか、少し悪いことをしてしまった気分です。
みんな、何も分かってくれません。
――私はただ、自由になりたいだけなのに。
「――うー……帰りたい……」
なにやら、ものすごく怖いところに来てしまいました。
時間は夜。羽虫が私が寝るためにつけた小さい明かりに反応して集まってきていて、飛んでいる音が聞こえてきます。
薄暗い明かりを消すと、私はあまりよく寝付けないのです。
なぜでしょうか、今日の朝にした会話の光景が脳裏に蘇ります。
運転免許を取って、父の車を借りてそのまま一人でキャンピングカーに乗ったつもりで車庫を飛び出したまではよかったのですが、どうもそこから先のことは思い通りに行かないようです。
乗っていたのはキャンピングカーなどではなくただのワゴンで、しかも車の暖房設備が故障。車内は外気と同じくらいの冷たさを保っています。毛布を被っていても少し身震いするくらいの寒さ。
カーナビなんていう便利な機能もついていません。ですから、今ここがどこなのかなんてことは地図が読めない私には皆目検討もつきません。標識に書いてある地名が分からないのです。勿論、地図も持ってきていません。
スマホは、車を走らせている間、ずっと音楽を再生させていたのでもうすでに、ご臨終です。
そういえば、さっき外に出て空を見たら星がたくさん出ていました。私の住んでいる埼玉からは見ることのできない夜景。それが今回の旅の唯一の収穫でしょう。
ですが、その見返りは随分と割に合わないように感じます。この山道のようなでこぼこした道に、もはや始まりも終わりもわからないほど迷い込んでしまいました。日ごろの楽観思考のつけでしょうか。
各地の温泉を巡って、その土地のおいしいものを安く食べて、その土地の名所を観光する。確かに完璧な予定のはずでした。それが今回の目的の約八割を占めています。
こんなこおになるならば、おとなしく幼馴染の忠告を聞いておくべきだったと、いまさら猛省しています。後悔先にたたずとはよく言ったものです。
「寝れない……」
――と、その時です。
――コツコツ。――コツコツ。と車をたたく音が聞こえます。
日付がちょうどさっき変わったばかりと言う時間。辺りは真っ暗で、一寸先は闇、と言った状況です。車の外も、私の未来も……。
「はーい。今あけますから、待っててくださいね」
毛布の外に出るととても寒いので、毛布を被ったまま、のそのそと起き上がり、ドアを開けます。
「すみません、よかったら。泊めてもらえませんか?」
ドアを開けると、そこには男の人が立っていました。顔ははっきりとみえませんでしたが、声からして男性の声です。
「ええっと……」
言葉が詰まります。
状況がよく飲み込めません。
「一晩だけでいいんで、なんとかお願いします!」
土下座です。初めて見ました。
「顔を上げてください、これではまるで私が悪人みたいになってしまうので」
「嫌です! 返事を聞くまで、ここから動きません!」
どうしましょうか。かなり強引な人のようです。
私はこうして放浪の旅をしていますが、一応年頃の女性なわけで……。
「お願いします! 一晩だけ、この通りです!」
「今日泊まるあては……ないですよね……」
はぁ、とため息。
「……分かりましたよ、一晩だけですよ」
旅は道連れ世は情け、と言う言葉を昔の人も言っていましたし、これも何かの縁でしょう。
私が許可を出すと、男の人は顔を上げて。
「ありがとうございます!」
なんと。
かなりの美形です。
「モデルさんか、何かですか?」
「はい、まあそんな感じの仕事をやらせてもらってます。そんなにじっと見ないでください、少し恥ずかしいです」
「あっ、すみません」
どうやら無意識のうちに、見つめていたそうです。
――それが、この旅最初のお客さんでした。
「ええっと……それじゃあ少し話を聞きましょうか」
私の車に入ってきた彼は、私と背中と背中をくっつけるようにして横になっています。
一人の時よりかは、人の温もりで若干暖かく感じました。
毛布の半分ほどを彼に取られているのですが……。
「まず、名前を教えてください」
「名前……ですか……」
困ったような口調。
「なにかまずいことでもあるんですか?」
「そういうわけじゃないんですけど……」
やはり、困っています。
困りました。これでは尋問のような形になってしまうではありませんか。
「それじゃあ、いつもなんて呼ばれてるかだけ教えてもらえませんか?」
「カオル、です」
「そうですか。それではよろしくお願いします。カオル……さん? 今日は、もう遅いですし寝ましょうか。これからのことは明日になってからでも決めましょう」
カオル。中性的な名前のように感じます。
彼の顔を見たときも、美少年。そう形容するのが一番しっくり来るような、そんな顔つきでした。
彼を車に迎え入れて、随分と緊張していたのだな、と思います。
震えていたのは、寒さと寂しさのせい。
そして、どっと睡魔が押し寄せます。
きっと、今ここに幼馴染の彼がいたら口うるさく注意されます。
「知らない男を車に上げて!」だとか。「だから、こんな旅は無謀だったんだ!」 とか。
まあ、彼は極度の心配性ですから。しょうがないですか……。
どうやら、今日の私の活動限界のようです。
――意識は、闇の中に落ちていきます……。
「はぁぁぁ……」
眩しい。起きてすぐに、目を細めます。
車の中では、思うように寝られず、体の節々が少し痛みます。
隣を見ると、男の人が寝ていました。
「……ああ、夢じゃなかったんですか……」
ほっぺたを引っ張ってみようかとも思いましたが、やめました。
彼……カオルさんは私の毛布を半分被って気持ちよさそうに寝ています。
「やれやれ……起きてください! カオルさん、もう出発しますよ!」
カオルを起こしていると、今の自分の姿と、小学生の頃毎日私を起こしてくれていたお母さんの姿が重なって少し羽津かしくなります。
車のドアを開けて、冷たくて新鮮な空気を取り入れます。
「ほら、カオル!」
「…………っ……おはようございます……」
まだ少し眠そうですが、起きてくれました。
ちなみに布団は全部取り上げました。
「今日の予定を決めますから、作戦会議です」
「今日の、予定?」
「そうですよ、私はこの車一台で放浪の旅をしてるんですから。そうだ、カオルさん。ここって何処だか分かりませんか?」
「うーん……昨日は……確か電車に適当に乗って……それから……気がついたらここだったので……」
寝ぼけた顔をしています。
どうも、先が思いやられそうです。
「本当ですか……?」
気がついたらこんな、交通機関もろくに整備されていないような場所に来るなんて信じられません。
私の場合は、車で来たのでここまでこれましたが、さて、徒歩でここまでこれるのかどうか……。
「本当ですって、本当に気づいたらここにいたんですよ」
彼の顔を見る限り、嘘をついているような顔ではなさそうです。根拠はありませんが。
「分かりましたよ。さて、じゃあここからどうしましょうか……。とりあえず温泉があったら入りたいですけど」
昨日は道に迷って迷って、そこから出ようとしてさらに迷って、結局温泉どころかお風呂にも入る暇なんてありませんでした。
夕飯も偶然にも見つけたコンビニで買ったくらいです。
「とりあえず、この山でも越えてみますか。何かあるかもしれませんし」
「そうですね、何処までつづいてるのかは分かりませんけど……」
前方を見る限り、しばらくは山が続きそうです。
ここで引き返すという選択肢もあることにはあるのですが、放浪の旅に出て二日で帰宅ではどうも、私の面目が立ちません。きっと幼馴染と両親に口すっぱくいろいろなことを言われるに違いありません。
それに、一度通ったあの薄暗い山道をまた通るのは、なんだかまた道に迷ってしまうように思えて仕方ないのです。
「まあ、大丈夫ですよ。道があるっていうことは人が通るって事でしょうから。この先が行き止まりなんて事はないはずです」
「そうですよね!」
彼とそんな話をして、車の中を少し片付けて、車を走らせました。
「カオルさんって運転免許持ってたりするんですか?」
「運転免許ですか……いえ、そういうのは持ってないですね。高校卒業してからは結構バタバタしててなかなかとる時間がなくて」
「高校卒業ってことは……今は、大学生?」
「そうですね、大学二年です」
「なんだか、少し意外です」
「もう少し若いと思ってました?」
「はい、高校生くらいかなぁ……と」
「よく言われます」
不思議と嫌味に聞こえない。ははは、と爽やかな余裕の笑みを浮かべているように見えます。
朝に立ち込めていた霧が晴れてくると、だんだんと周りの情景が見えてきます。
青く色づいてきている木に、澄んだ空気。野鳥のさえずり。ここで窓を開けたら、きっとおいしい空気が車内に入ってくることでしょう。まあ、窓を開けると寒いのでそんなことはしませんが。標高が高いのでしょうか、陽が照っているのですが、気温が上がっている気がしませんでした。
視界は、木の緑と道路の灰色。それと、常に横に設置されている白い色のガードレール。
テレビでしか見たことのないような風景があたり一面を覆っていて、放浪の旅をしていると言う実感がわいてきます。
ワクワクします。ドキドキします。
そういえば、私が今回の旅をしたいと思ったのもテレビの影響が少なからずあります。
テレビで放浪の旅をしている人を追ってみた、見たいな番組をやっていて、それがとても楽しそうで。
「なんだか、うれしそうですね」
「それはそうですよ、初めて自由になれたんですから」
「そう、ですか……」
「そういうカオルさんは随分と暗いように見えますけど……ラジオでもかけます? 少しは気分がまぎれるかも」
「い、いえ、大丈夫です。本当に……」
「そうですか? なにかあったら遠慮せずに言ってくださいよ。私にできることならやりますから」
「はい。ありがとうございます」
何故か、つかれたように。彼は笑いました。
「カオルさんは、なにか目的とかあって旅に出たんですか?」
ガタン、ガタン、ゴトン。
車が揺れます。
どうやらあまり整備されていない場所に来てしまったようです。
また迷ったのか……と思うとなんだか気が滅入ってきます。しかも、結構急な坂道になってきています。
「いえ、そんな目的なんてないですよ。ぼくはただぼくを知らない人がいるところまで、行きたかっただけです」
「なんだか、よく分からないです」
「そうですよね……」
すごく落ち込んでしまいました。後ろを振り返らずともそれが分かります。
ちなみに、隣の助手席は私の荷物であふれかえっていて、とてもじゃないですが彼を乗せられるだけのスペースはなかったのです。
「ああ、いえ、そんな攻めるように言ったつもりじゃないんですよ。元気出してください」
「……そう、ですよね。なんだか、ぼく全て悪い方向にとらえちゃう癖があって……」
「そう、ですね」
こんな短い間のやり取りだけでも、それは十分に伝わってきます。
「……あっ、見てください。なんだか少し変わってきた感じがしませんか? なんだか、人の手が加わってるところがさっきよりも多くなってきたような」
具体的には、車道の両脇に生えている木の枝の整備され具合だったり、さっきまでは見かけたり見かけなかったりだった電柱が周期的に見えるようになってきたりだったり、道路のジャリがいくらか整備されているような気がしたり、と些細なものですが。
「確かに、そうですね……」
「なんだか、少し安心しますね」
「お腹も減ってきましたし、車のガソリンもそんなに残ってないみたいですし」
言われてみて、車のガソリンを見ると結構危ない残量でした。
この先にもし小さな集落のようなものがなかったとしたらそこでゲームオーバーです。
「……なんとかなります! 大丈夫ですよ! ……きっと」
「そんな弱気にならないでくださいよ……」
「……あっ、見えてきましたよ。なにか建物みたいな……」
ザザッ、と最後に車道をふさぐように生えている木を突っ切ると、そこにはまるで旅館のような建物が建っていました。
「こんなところに旅館があるものなんですね」
「初めて見ました……こんなところにたってる旅館」
そこは山のてっぺんのような場所。開けていて、今まで私たちが上ってきた長い道のりをそこからは一望することができました。
「きれい……」
口を開いくと出てきたのはそんな誰でもいえるような台詞。
何処までも続く青空。遥か遠くに見える町並み。太陽は輝いていて、その町並みと、山の木々を照らしています。
思えば、地平線と言うものを見たのはこれが初めてです。私の地元、埼玉にいるときは目に着いたのはビルや住宅街。いつも私の視線は人口の障害物に阻まれていました。
「なんだか、不思議な気持ちです」
私は、こういう風景を見たかったのです。幼馴染の彼も、そして両親もおそらくあそこに縮こまっていたら見ることのできないこういう景色を。
スマホの充電は切れていました。写真を撮ることはできませんが、かまわないと思いました。そんなものに収めるより、この瞳でこの景色を見たい。少しでも長く。画面を介してではなく。
高揚感を胸にしまって、私は聳え立つ旅館のほうへ振り返ります。
昔に建てられた、まるで平屋を思い出させるようなたたずまい。今の周りをサイディングに囲まれた造りではなく、木造で作られています。屋根には瓦が乗っていて民宿のようなそんな風貌。
ですが、ちゃんと看板がかけられていました。『有月壮』それがこの旅館の名前。
「お待ちしておりました。ようこそおいでくださいました」
その外では、この旅館の女将さんに見える女性が凛とした姿勢で立っていました。
なんだか、何かが始まった気がする。そんな瞬間でした。