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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER 有色の戦人
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02章 気まぐれな稽古-3

【セレノア視点】


「ったく、もうっ!!」

乱暴にふすまを閉めて、盛大に息を吐く。

膝をつくどころか、地面へ押し倒されるなんて、あんな屈辱は、初めてだ。

しかも、あんな場所まで触られて…。

「…ったく」

砂を払い落とすように、何度も手のひらで乱暴に払う。

こうしていると、こびりついた変な感触が、少しずつ剥がれ落ちて、消えていくような気がした。

「あーもう、ったくっ!!」

今の気分をどう言い表していいのか、分からない。

うまく言葉にできなくて、それが余計にイライラする。

それ以前に、何に対してこんなに怒っているのか、自分でもよく分からなかった。

髪解き組手で、勝てなかったから?

ティストに、身体を触られたから?

あれだけ全力で魔法を撃ったのに、一発もティストに当てられなかったから?

そのどれもが理由である気もするし、どれも正解じゃない気もする。

「はぁ…」

考えるのを放棄して、部屋の中央にある炬燵コタツに足をいれる。

火をいれなくても、火照った身体には、十分な暖かさだ。

「さすがに、疲れたわね」

ゆっくりと足首を回して、疲労でだるくなった脚をならす。

こんなにも足に無理をさせたのは、本当に久しぶりだ。

最初は、軽いお遊びのつもりだったのに、いつの間にか、全力になっていた。

「………」

上半身を倒して畳の上に寝転がり、頭の後ろで手を組む。

アタシの目に映っているのは、見慣れた天井ではなく、さっきまでのティストの動きだった。

身軽というわけではないけれど、しなやかで力強く、そして、確かに速かった。

ガイ・ブラスタとの戦いを見ていたから、当然あの動きも知っていたし、対処できるつもりでいた。

実際、最高速度のままで勝負をしていたら、たぶん、対応できていた。

でも、それは、意味のない仮定。

最速の走法という切り札さえも平気で捨てて、急制動からの不意打ちへと切り替えてきた。

全力を出してくるものだと思い込んでいたし、そんな選択肢があるなんて、考えもしなかった。

「やられたわね」

相手の出方を楽しんでいたから、先手を譲ったのはたしかだけど、べつに油断はなかった。

何があっても、避けられるようにはしていたし、負けるつもりなんて微塵もなかった。

なのに、反応できなかった。

後の騒ぎは、決着をうやむやにしただけで、髪解き組手の結果は変わらない。

引き分けとも言えない、あれは、完全にアタシの負けだ。

「それに…その後も、その後よね」

一発ぐらい当てたら、それで許してあげるつもりだったけど…。

あれだけ本気で魔法を使ったのに、直撃できたものは、一つもなかった。

頭に血が上って、たしかに、単調だったり、直線的だったかもしれない。

でも、灸を据えるつもりで本気で打ったし、軌道はまだしも、速さは申し分ないはずだ。

殺すつもりこそなかったけど、手加減をしたつもりも全くない…なのに、当てられなかった。

「これが、父上の言っていた、実践経験の違い…って奴なのかしら」

父上を相手にした幾多の稽古の中で、いつしか、慣れと飽きが来ていたらしい。

こうなったら、こうすればいい。

そんなくだらない型に自分を当てはめて、臨機応変を気取っていたみたいだ。

「アタシも、鍛えなおさないとダメね」

じゃないと、たぶん、あの戦いを最後まで味わえない。

ティストの全てを余すことなく使い切らせるには、今のアタシじゃ、きっと足りない。

今日のは、単なるつまみぐいに過ぎないのに、こんなに味わい深いとは、思わなかった。

「………」

自然と、口元が緩んでしまう。

なぜだろう? もしかしたら、戦っても負けるかもしれないって言うのに。

嫌な気持ちにならないし、むしろ、考えただけでも楽しみでたまらない。

全身がうずき、次の戦いに向けて、気分が際限なく昂揚していく。

今までに一度も感じたことがないものだけれど、悪くない。



アタシを包んでいた不思議な感覚は、ふすまが開く音で途絶えてしまった。

起き上がってみれば、おばさんたちが、目つきを鋭くして部屋の中へと入ってきた。

「大丈夫ですか? セレノア様」

「お怪我は、ありませんでしたか?」

投げかけられた、気遣いの言葉。

それだけで、堪能していた後味が、戦いの余韻が、全てぶち壊しになる。

あの場からいなくなったのに、やっぱり、覗き見ていたんだ。

「あの人間、まったく、なんという無礼な真似を…」

「到底、許せるものではありません。即刻、追放しましょうっ!!

 やはり、人間風情が魔族の領地に来るべきではなかったのです」

おばさんたちが、口々にティストを責める。

あの勝負を台無しにされたような気がして、それが、アタシの苛立ちをさらに加速させる。

「アタシは、大丈夫だから、出て行って」

「セレノア様っ!? それでは、あの者を許すというのですか!?」

「捨て置けば、図に乗るだけです。きっちりと、けじめをつけるべきです」

二人が激昂すればするほどに、自分が冷めていくのが分かる。

口を挟まれるのが、こんなにも不愉快だなんて思わなかった。

「いいから、出て行って。アタシなら、大丈夫だから」

どうにか、取り繕ってそこまで言い終える。

荒くなりそうな語気を抑えるだけでも、精一杯だ。

「かしこまりました」

丁寧に頭を下げて、おばさんたちが退室する。

ったく、余計なお世話よ。

アタシは、アタシのことぐらい、自分で出来る。

誰かに口を出してもらったり、面倒を見てもらう必要はない。

そんなことで迷惑をかけなきゃいけないほど、アタシは子供じゃない。

「はぁ…」

自己嫌悪を込めて息をつくと、さっきの数倍とも言える疲労感が、まとめて押し寄せてきた。

どうして、こうなるんだろう?

やっぱり、おばさんたちには、近づかないようにしよう。

そう心に決め、今度は、両手両足を投げ出して寝転がる。

身体の熱は、いつの間にか、完全に抜け落ちてしまっていた。

背中にあたる畳の感触は身を切るほどに冷たいのに、しばらくの間、動く気にさえならなかった。



【ティスト視点】


やっとの思いで部屋まで戻り、冷たい水で喉を潤す。

強烈な日差し、極限までの疾走、それに、セレノアの炎のおかげで、渇ききっていた。

干乾びていた全身を癒すように、水分が身体を駆け巡る。

鈍っていた四肢の感覚が、ようやく戻ってきた。

「ふぅ…」

表現ではなく、本当に生き返ったような気分だ。

さっきまで、生きた心地がしなかったから、余計にそう思えるのかもしれない。

「次は、気をつけてくださいね」

「ああ、そうするよ」

ため息をつくアイシスに、素直に頷いて返す。

アイシスとの訓練でも、こんなことになったことはないから、完全に油断してたな。

セレノアも女なんだから、異性に触られるのは、嫌だろうに…悪いことをした。

「晩御飯、食べられますか?」

「軽いものなら、おそらく…」

結局、朝昼と食わずにもう夕方だから、胃の中は完全に空っぽだ。

なのに、極度の疲労のおかげで、欠片も食欲がわかない。

「じゃあ、これを食べて、ちょっと待っててくださいね」

小さな布袋を俺に差し出して、アイシスが立ち上がる。

中に入ってるのは、たしか、ユイ特製の干し果物ドライフルーツのはずだ。

「夕飯の用意なら、手伝うぞ?」

「料理もしないし、私だけで大丈夫ですよ。お兄ちゃんは、座っててください」

返事をしながらも持って来た荷物を広げて、手早く準備をしてくれる。

なら、お言葉に甘えさせてもらうかな。

乾燥させた果物をいくつかまとめて口に放り込み、しっかりと噛み締めて味を楽しむ。

疲れた身体に染み渡る甘さが、実に心地いい。

持って来た食糧の中でも、たぶん、一番食べやすいだろうな。

アイシスの気遣いに感謝して、飲み込んだ余韻を楽しみながら、最後に水を流し込む。

まるで、果実酒を飲んでいるような気分だ。

「はぁ…」

「ふふっ」

笑い声に振り返ると、アイシスがこっちを向いて微笑んでいた。

どうやら、ばっちりと間抜け面を見られたみたいだな。

「はい、お待たせしました。前にしてもらったのとは、逆ですね。

 あのときは、私が訓練のしすぎで、動けなくなってました」

穏やかな声でそう言って、懐かしそうにアイシスが目を細める。

俺のうぬぼれかもしれないが、その顔は、とても幸せそうに見えた。

「覚えてますか?」

「ああ。はっきりと…な」

もうずいぶん前のことのように思えるが、あれから…。

何の前触れもなしに、考え事を遮るように、勢いよく戸が開け放たれた。

「っ!?」

息をのみ、アイシスと共に、即座に立ち上がる。

廊下から部屋に入ってきたレイナとサリは、こちらに負けないほどの臨戦態勢だった。

「何の用だ?」

「………」

質問には答えず、威嚇いかくするように殺気を撒き散らしながら、こちらへと歩み寄ってくる。

一度として口を開くことなく、ただ目を鋭く尖らせて、俺の目の前でぴたりと立ち止まった。

「………」

至近距離で睨みつけられ、仕方ないから、その目を正面から見返す。

完全に間合いの中、こう近くては、満足に防御や回避もできないだろう。

だが、詰め寄られている理由が分からない以上、攻撃はもちろん、不用意に距離を取ることさえできない。

「………」

攻撃を受けるときに生まれる、特有の感覚を顔面に感じる。

それと、視界の端で何かが揺れたのは、ほぼ同時だった。

「チッ」

本能に従って上半身を後ろへ反らし、ついで、出来る限りの速さで小さく後ろへと飛んだ。

空気を切り裂き、音を上げて目の前を通過する手のひらを、じっと見つめる。

細くて綺麗な白い指先には、死を感じさせるほどの力が込められていた。

さっきまで、俺を追いかけていたセレノアの攻撃だって、たいした威力だった。

当たらなくても体力は削られたし、もし直撃していれば、治るのにどれだけの時間が掛かるか分かったものじゃない。

だが、あれには、ここまで明確な殺意がなかった。

「何の真似だ?」

「何の真似…ですって!? どの口がそんな言葉をほざくの? それは、こっちの台詞よ!!」

レイナの声は、怒鳴り声というよりも、絶叫に近かった。

「? 何の話だ?」

「とぼけるつもり!? あの子に、不埒ふらちな真似をしたでしょう?」

その言葉を聞いて、ようやく合点がいく。

こんなにもこの二人が怒っているのは、セレノアのため…か。

「あれは…」

「たしかに、レオン様は、あなたたちを客人として招いたわ。

 だからといって、何をしても許されるなんて、思わないことね!!」

物凄い剣幕で怒鳴られ、いくつか考えていた返答が、全て吹き散らされる。

これだけ頭に血が昇っていたら、何を言っても逆効果だろうな。

それに、こう言われるだけのことをしたし、怒り心頭するのも、もっともだ。

目の前の小さな口から出ているとは思えない大音声を聞きながら、自分のすべきことを考える。

どんなに誠意を込めようとも、ただ頭を下げたところで、取り合ってくれるとは思えない。

「女の肌っていうのはね、男が気安く触れていいものじゃないのよ!!

 それを、あんたはっ!!」

もう一度、手のひらがひらめき、俺の顔面へと迫る。

今度は、その場から動かずに、その手が来るのを待った。

「…ッ」

渇いた音が響いて、口の中に血の味が広がる。

表情に出さないように注意して、その血を喉の奥へと追いやった。

「何のつもり? まさか、反応できなかった…なんてわけじゃないんでしょう?」

「俺は、殴られるだけのことをしたからな」

犯した罪が消えないと分かってるから、それを償うために罰を受ける。

それは、当然のことだ。

本来なら、さっきのセレノアからも逃げるべきじゃなかったのだろう。

「すまなかった」

「ふんっ、格好だけなら、どうとでも取り繕えるわ。

 詫びを入れれば、許されるなんて思わないことね。

 これ以上の無礼を働いたら、生きて魔族の領地を出られないと思いなさい」

吸い込んだ空気を一息で使い切ると、俺の反応や返答も待たずに、レイナが背を向ける。

不機嫌さを足音に滲ませて、レイナが部屋を去っていった。

続いて出て行くのかと思えば、サリはまだ、その場に立ち止まっている。

そして、小さくため息を着いたあとに、こちらと目が合うと静かに頭を下げた。

「姉さんが感情的になった点は、謝るわ。

 そして、今日の一件が、偶然の事故だと理解もしている。

 だけど、次は、事故でも許さない」

冷ややかな声と目が、次はないと釘を刺してくる。

ここでのセレノアに対する立ち居振る舞いには、細心の注意を払う必要がありそうだ。

にしても、想像以上に過保護に育てられているんだな、セレノアは。

いや、それでも王族という身分で比べれば、このぐらいは当然か。

同じことをリースにやって、周囲の人間にそれを見られでもしたら、極刑も有り得るだろうからな。

「理解を示さないのは勝手だけれど、私は、口に出したことを必ずやり遂げるわ。

 出来ないなんて思わないことね。

 必要になれば、刺し違えてでも、あなたを殺すわ」

返事をしない俺の心情をどう解釈したのか、声音が一段と冷たいものに変わる。

言いたいことだけを言い、一方的に話を終わらせる姉と違って、妹の方は、対話を求めるらしいな。

「同じ失敗を繰り返さないように、十分に気をつけるよ」

真偽を問うように、俺の目を睨みつけてくる。

その瞳には、何もかもを凍てつかせるような寒さがあった。

「私は、あなたを好きではない。姉さんは、もっとだと思うわ」

「だろうな」

否定する材料も見つからず、素直にうなずく。

この二人、嫌いな相手へ接するときに、そのことをまるで隠さないし、取り繕おうともしない。

もしかしたら、魔族という種族の性質なのかもしれないが、嫌いだという感情に嘘がないというのは、分かりやすくていい。

「あなたには、ここにいてほしくない。用事を済ませたら、速やかに自分の家へと帰って」

魔族の領地に呼んでおいて、ずいぶんな言い草だが、仕方の無いことだろうな。

俺を呼びつけたのは、レオン・グレイスで、あくまでも魔族の総意ではないのだから。

「分かった、約束しよう」

俺の返事に満足したのか、音もなく部屋を出て行く。

声の調子から態度まで、対照的な二人だが、根底は変わらないらしいな。

ふすまが閉ざされ、ようやくアイシスとそろって息をつく。

「食事にしようか」

「はい」

腰を下ろし、アイシスが並べてくれたものに、端から手をつける。

まるで、砂を噛むような気分だった。

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