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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER -戦場の最前点-
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03章 鍛える少女-3

【アイシス視点】


少し離れたところで、パチパチと何かが弾ける音がする。

どこだろう? 何してたんだっけ?

なんにも覚えてない。

ただ…あったかくて、すごく気持ちいい。

私を包み込んでいる何かが、まるで、私を守ってくれているようで…。

こんなこと、初めてかもしれない。

誰もいない、何にもない、真っ暗な世界。

だから、何も恐くない。

だって、周りに誰もいなければ、私は何もされないから。

私は、こんな場所がいい…戻りたい場所なんてないから。

今までに私の居場所なんてものは、存在しなかった。

誰かのいる場所に私がいて、だから、私の場所じゃなくて、邪魔者で…。

どこにも居場所がないなら、私がどこにもいなければいいんだ。

この場所みたいに、何にもなくて、誰もいない場所が、きっと、私の場所なんだ。


「アイシス」


静かで優しい声が、私の名前を呼ぶ。

こんな声で私の名前を読んでくれる人なんて、今までに誰もいなかったのに…。

だれ?

だれなんだろう?

重いまぶたをゆっくりと開く。

私を包み込むように毛布が二重にかけてあった。

「どうだ? 特等席の寝心地は?」

暖炉の前に作られた椅子と毛布のベッド。

あの人が運んでくれたみたい。

身体の芯まで冷えていたはずなのに、今は汗が浮かぶくらいに暑い。

「寝るんだったら、外でじゃなく自分のベッドで寝てくれ。

 外で寝られる体力より、自分の場所まで帰れる体力のほうが重要だからな」

皮肉の中にいやしさがない…素直に言わないけど、私のことを心配してくれているみたい。

「熱は…ないみたいだな。

 病にかかっても薬師の知り合いはいないから、まがい物の薬しか手に入れられないぞ。

 ユイも薬の調合は専門外らしいからな」

私の額に手を当てて話す先生は、気遣いにあふれていて…。

だから、私は…どうしていいのか、分からなくなる。

「どうして、そんなに優しくするんですか?」

「冷たくしてほしいのか?」

「…いえ、そういうわけじゃ…」

「なら、どうされたいんだ?」

何にも言葉がでない。

先生の対応に不満があるわけでもないのに、私は何をしたいんだろう。

もっと突き放してほしい? もっとぞんざいに扱ってほしい?

あの人たちのように? あのときのように?

もう、あれほどに止めてほしいと願ったのに、なぜ終わったことを受け入れられないんだろう。

「そんなに、相手に過敏になる必要はないだろう?

 別に優しくしているつもりはない。

 ただ…」

小さく言葉を区切って、先生は正面から私の目を見る。

「やられてイヤなことは、自分でもやらないようにしてる。

 同じことを返されたくないからな」

繕った笑顔は、感情が交じり合ってよく分からない。

だけど、決してそれが幸せから出る笑顔じゃないことは、私もよく知っている。

「やられて、イヤなこと…ですか?」

「顔をあわせる度に舌打ちされ、侮蔑の眼差しと罵倒をもらうとか…な」

暗い部屋のせいで表情はよく見えないけど、さっきと声が違うことは分かる。

私の他にも、こんな声が出せる人がいるなんて思わなかった。

痛くて、辛くて、耐えられなくて…無理して出した自分の声を聞いて、初めて聞いたときは涙が止まらなかった。

「悪い、余計な愚痴だ…忘れてくれ。

 起きたなら、飯にしようか」

何もなかったように台所へ向かう先生の背中に、私と似たような過去が見えた気がした。



「待たせたな」

先生が運んできてくれたのは、湯気の立つ出来立てのシチューだった。

疲れていて何も食べたくないはずなのに、ミルクの優しい匂いが胃を刺激する。

「疲れてるときには、悪くない料理のはずだ」

いただきますといって、先生は、私のより少し大きめのスプーンで食事を始める。

ふるふると首を横にふり、頭を起こしてスプーンを手に取った。

「あったかい」

口に入れただけで、暖炉や毛布のあたたかさとは違う、体の芯が温まっていくのが分かる。

ふわりと口の中で広がる優しい味は、胃の中にも抵抗なく滑り込んでいく。

「…美味しい」

こんなに美味しいシチューは、初めて食べた。

「そういってもらえると、料理したかいがあるな」

一口食べるごとに、気持ちが良くなっていく。

まるで、私の体を癒してくれるようなシチューを、夢中で食べた。



「少しは、落ち着いたみたいだな」

私が食べ終えると、正面から目を見据えられる。

敵意も侮蔑もない、ただの優しい眼差しと目をあわせていると、なんだか居心地が悪い。

「説教なんて、柄じゃないが…。

 生き急ぐことは、結果として死に急ぐことになることが多い。

 命の危険がないなら、もう少し手を抜いてやったらどうだ?

 今のままだと、自分で自分を殺しかねない」

自分で、自分を…。

さっきの訓練は、本当にそんな気分だった。

「それとも、切羽詰った事情があるのか?」

「殺されないなら、切羽詰った事情にはならないですよね」

どんなことをされても、命を取られないなら、切実な事情とは言わない。

生きていることを…殺されないことをありがたがるなんて、馬鹿げてる。

生かされてることに、どれだけの意味があるかなんて知らない。


『殺されないだけ、ありがたいと思え』

『本気だったら、とっくに死んでるぜ』


余計な言葉と思考が蘇らせた、私の傷口。

耳にこびり付いたあの声は、私の頭の中を揺らす。

あの人たちは、本気で私を殺そうとはしなかった。

執拗に痛めつけて、私が苦しむのを見て、楽しんでいただけ。

玩具は壊さない、少なくとも次が見つかるまでは。


「すまない。俺のほうが間違ってた」


今まで聴いたことないような、すごく優しい声に心臓がトクンと音を立てる。

先生は、言葉と一緒にゆっくりと頭を下げていた。

私のことなんか他人事と流せる立場にいるのに…先生は、真摯に頭を下げてくれた。

「理由をつけながら話すと、どうも本筋から外れるから言いたいことだけ言わせてもらう。

 アイシスがやりたくないことは、やらなくていい。

 ここにいるために何かを強要しないし、アイシスが強くなくても、俺は何もしない」

そこまで言い切ると、何かを考え込むように見える表情で、先生が止まる。

そして、数秒だけ硬直した後に、ふっとため息をついた。

「俺からお願いするのは、一つだけ。

 できることなら、飯のときに向かいに座っていてくれ。

 それだけでいい」

「…はい」

驚くほどささやかな先生の願いに、何かを考える前に返事をしていた。

こんなに寂しそうな顔をするのに、どうして人里離れたこんな場所に住んでいるんだろう?

でも、先生の顔を見ていたら、そんなことを質問する気にはなれなかった。

「立てるか?」

「はい、なんとか…」

今の気分は、午後に訓練に出たときと同じくらい。

普通なら、きっと立ち上がれないぐらいはずなのに。

これが、先生の言ってた休息の取り方の違い…なのかもしれない。

部屋に戻るくらいの体力なら、残っている。

「もし、アイシスが大丈夫なら…今日一日の訓練の成果を試してみないか?」

馬鹿げてる。

体力があった午前中でさえ無理だったのに、こんなにボロボロな状態で先生が捕まるわけがない。

それに…。

「たった一日ぐらいで、何が…」

「変わる」

一言に全てが遮られ、私の耳の中で力強く繰り返される。

まるで、直接頭の中に語りかけてくるような、先生の声。

「俺が教え、アイシスがそれに応えたんだ。変わらないわけがない」

「………」

先生の言葉に押し切られ、何も反論できなくなる。

何度やってもできない人間と蔑まれ続けた私に、こんなことを言ってくれた人は…本当に、生まれて初めてで…。

先生の言葉のせいで、本当に私が変われているような気持ちになる。

「試してみないか?」

強制されているわけでもないのに、断る気がまったくおきないのは、この優しい声のせいかもしれない。

イヤじゃない…少し、試してみたい気持ちもある。

「はい」

熱を纏った自分の体を確かめるように動かしながら、先生と外へ向かった。



【ティスト視点】



足を引きずるアイシスを連れて、小屋の前までやってくる。

わずかに小屋からの灯りがある限りで、後は、わずかな月明かりだけだ。

「始めようか」

「はい」

向かい合うアイシスからは、俺に対する緊張や萎縮が感じられない。

そんなことを気にかける体力も残ってないのは、いい傾向だ。

「………」

不用意に走り出さずに、じっくりと俺の立ち方を見て、次の動作を考えている。

そう、持て余すものでないからこそ、丁寧に扱い、無駄な消耗は抑えなければならない。

残りの体力が少なくなればより強く実感するが、普段から気を使わなければいけないことだ。

こういうことは、説明よりも前に実感し、それでも必要なら説明したほうが分かりやすいはずだ。

「………」

小さく小さく、アイシスが自分の間合いまで距離を詰めてくる。

アイシスが全速力を出せるのは、一瞬がいいところ…さて、どう来るか。

「ッ!!」

低姿勢から一気に走り出すアイシスの手には、既に石が握られている。

俺が下がろうと体重を移動させる瞬間に、アイシスは俊敏に反応する。

俺の移動方向まで予測に織り込まれ、顔面に目掛けて石が飛んできていた。

昼間のは見て分かる牽制…だが、こいつは本当の波状『攻撃』だ。

足が動かない分だけ、投げることへの意識が強まったんだろう。

「…ッ!」

頬を掠めて過ぎた石が、遠くで木にぶつかったとき。

俺の足は動いておらず、アイシスの手が俺の上着を掴んでいた。

「え? なんで…どうして下がらなっ…」

俺の顔を見上げたアイシスが、息を呑む。

「ッ! 血が…」

「いつものことだ、気にしなくていい」

頬を拭おうと手をあげると、アイシスはびくっと体を縮める。

恐怖に身体をふるわせて、ぎゅっと目をつむっていた。

攻撃された俺が、苛立ちでアイシスに手を上げると思ったわけ…か。

これが、アイシスが相手のことを攻撃できない原因で、まず間違いないな。

攻撃を掠らせただけで執拗な報復が待っているなら、形だけでも戦っているふりをすればいいわけだ。

遅く、単調で、相手に届かないという意味不明な反撃も、これで、ようやく納得できた。

「…ふぅ」

なんとか心を抑えて、怒りを自分の中からかき消す。

苛立ちをアイシスにぶつけるのは間違っている。

アイシスは被害者で、原因もアイシスじゃない。

「アイシス」

ゆっくりと、できる限り落ち着いて名前を呼ぶ。

さっきまでの警戒を少しだけ緩めて、アイシスは俺の目を見てくれた。

「いい一撃だったぞ」

ぽんぽんと頭に手を置き、ゆっくりと髪を撫でてやる。

アイシスは恥ずかしそうに、くすぐったそうに、撫でられるままになっている。

師匠に教わったこと…してくれたことを、俺もこうしてアイシスにしている。

アイシスは、あのときの俺と同じような気持ちになれただろうか?

「先生、なぜ足を止めたんですか?」

「アイシスの成長を見たら…つい、な」

自分でも意識をしていない、避けることを忘れていた。

「…成長?」

「俺を捕まえるのが無理だと分かった、と言ったが…。

 無理を無理で済ませられないときが来るかもしれない。

 そんなときに、どうすべきか…アイシスは見事に答えを出して見せた」

「…でも」

「今日は、そのきっかけに触れただけでも、十分すぎるだろう。

 ゆっくり休むんだな」

アイシスの不安げな表情を抑えるように、俺は言葉を選んだ。

偶然や運などではなく、これはアイシスが出した結果なのだから。

「…はい」

恥ずかしそうに…でも、少しだけ嬉しそうに微笑むアイシスと一緒に家へと引き返す。

本格的な訓練は、これから始まる。

何にもやることがなかった俺の生活にも、目的ができた。

この少女が強くなるための手伝いをするという、目的が。

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