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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
点を支えし者達
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04章 激情の命ずるままに-05

【クレア視点】


一階からわざわざ運んできた椅子も返し、部屋は、元の姿を取り戻していた。

一時間前までは、それはそれは、にぎやかなものだった。

出来上がった料理を全てこの部屋に運び込み、ベッドで寝ているティストを囲む。

アイシス、ユイ、シア、それに、レオンの娘まで晩御飯に参加していた。

この部屋に六人もいるなんて、無理がある。

ユイとアイシスなど、交互にティストが使うベッドの端に腰掛けていたぐらいだ。

食べるだけ食べ、飲むだけ飲み、疲れを癒すために眠りについた。

今、この部屋にいるのは、私とティストだけだ。

「ふぅ…」

眠気覚ましのはずのコーヒーも、まるで役に立たない。

勝手に落ちてくるまぶたを手の甲で擦り、ただ、気力だけで、睡魔にあらがう。

眠るのが惜しい。

いや、正直に言えば、朝が来るのが恐い。

明日になれば、私は城へ帰らねばならない。

これほど疲れた状態で目を閉じれば、本当に一瞬のことだろう。

目覚めたときには、この幸せな時間も夢のように消えてしまう。

だから、少しでも長く、この子を見ていたい。

一秒でも長く、この目に映しておきたい。

レジが作ってくれた、貴重な機会なのだから。

この先に、こんな幸運なんて、二度とないかもしれないのだから。

「…?」

遠くの空で、風が舞いあがり、上空で滞留している。

おそらく、昼間にティストがして見せたものを真似たのだろう。

だが、あのときは一瞬で終わったのに、こちらは、なおも増幅されて、渦を巻いている。

吹き溜まりのように、不規則な軌道で踊る風は、まるで、オルゴールのようだ。

何度確認しても、方角は、ロアイスで間違いない。

ということは、使い手は…。

「リース」

私と同じ結論に至ったのだろう、ティストが掠れた声でつぶやく。

開かれた目には、寝起きでは必ず残ってしまう眠気の色が、まるで見えなかった。

「まだ、起きていたのですか?」

責めるつもりはないのに、どうしても口調が非難めいてしまう。

疲れているのだから、少しでも早く身体を休めるべきだというのに、まったく。

「なんだか寝付けなくて…。師匠は、寝ないのですか?」

「ええ。もう、しばらくは…」

眠気を気取られまいと、気を張って答える。

それだけで、納得したのか、ティストが静かに口を閉ざした。

無言の二人を包むように、風の魔法が、途切れることなく放たれている。

魔法に感情が宿ったとしても、目には見えないだろう。

だが、その風は、たしかに喜びで満ち溢れていた。

おそらく、自室の窓を開けて、寝巻きのままで空に手をかざしているのだろう。

その光景を、容易に想像することができた。

「あいつらしいな」

ベッドの上で笑うティストの表情は、昔に見たものと同じく、幼くて、純粋な笑みだった。

その笑顔に、懐かしさが込み上げ、胸の奥を暖めてくれる。

変わるものがあれば、変わらないものもある…か。

それが、時の流れというものなのかもしれない。

「師匠」

「なんです?」

ティストの真剣な声に、こちらも真面目に返す。

私のことを真っ直ぐに見つめていたティストが、ゆっくりと口を開いた。

「来てくださって、本当にありがとうございました。

 今、こうして生きていられるのも、師匠たちの…みんなのおかげです」

まったく、何を言い出すのかと思えば…。

そんな当然のことなど、言わなくてもいいのに。

「………」

それきり、互いに黙ってしまう。

何を話したものか…と考えたときに、脳裏をよぎるものがあった。

立て続けに色々なことが起きたせいで、すっかり忘れていたこと。

一方的とはいえ、約束までしたというのに…。

本当に、この物忘れの酷さが、老化でないことを祈るばかりだ。

「あなたに、聞くことがありました」

「なんでしょうか?」

「あなたが欲しいもの…です」

「…!」

不意打ちを食らったというように、息を詰まらせる。

こんな話が出てくるとは、予想外だったのだろう。

「私は、まだあなたに闘技祭の賞品を渡していませんから。

 今度こそ、本音を聞かせてもらいますよ」

困り具合を存分に表情へと出して、ティストが目をそらす。

それでいい。少しはあんなことを言った自分を、反省するべきだ。

「いえ、あれが俺の…」

「あなたの嘘が見抜けぬほどに、私は愚かに見えますか?」

畳みかけるように重ねた言葉に、言い訳の途中で、ティストが口を閉ざす。

我ながら、よく言うものだ。

私ほどの愚か者など、稀だろう。

だけど、この子の前では、賢しきものでいたい。

それは、全てを教え込んだ師としての見栄であり、意地でもある。

そして、何より…。

この子に気遣われ、あんな嘘を吐きあう関係など、我慢ならない。

私がやることは許せても、ティストがやることは絶対に許せない。

そんな、子供じみたわがままが、一番強いかもしれない。

そんな思考を一巡りさせても、ティストは、まだ口を開こうとしない。

「ほら、言ってごらんなさい」

「俺の願いは、あれで叶えてもらいました。本当に、もう充分です」

吐き捨てるように、ティストが言い切る。

まったく、素直に甘えればいいのに、どうしてこんなに意地を張っているのだろう。

嘘が苦手、甘え下手、ティストを通じて見える己の欠点に、辟易する。

こんなところばかり、私の欠点を継がなくてもいいだろうに。

だけど、この程度で引き下がるつもりはない。

強情には、強情で返すまでだ。

「答えない限り、ここに居座りますよ」

私の言葉に、ティストが目を見開く。

数秒の硬直から立ち直ると、取り繕うように表情を戻し、きつく口を結んだ。

今の反応…まさか、ティストの願いは…。

「私が、ここに…いる…こと?」

私の声に合わせて揺れた肩が、肯定を示している。

「そう…なのですか?」

私の問いに、ティストは壁へと視線を向けて、答えを拒む。

その態度が、もう答えのようなものだった。

まったく、本当に変わらない。

私を困らせたくない一心で、この子は嘘をつくのだ。

自分の気持ちを押し隠し、ただ、ひたすらに我慢するのだ。

いい子に育ってくれたと思う。

でも、それは、都合のいい子という意味ではない。

相手を思いやる優しさがあるならば、その思いやりを汲み取ってあげなければならない。

それに、そんな小難しいことよりも…傍に居てほしいと求められたことが、ただ、嬉しかった。

「ティスト」

名を呼びかけ、あの子の手を取る。

あんなに小さかった手のひらが、今では私よりも大きい。

老いた私とは違う、未来のある力強い手。

なのに、そこに刻まれた無数の傷は、年齢に相応しくない…私と並ぶほどの数だった。

この子が、どれだけ激しい戦いをくぐり抜けたのかを、雄弁に物語っている。

手を重ね合わせ、そっと自分の両手で包み込む。

何者からも守れるように、願いをこめて…。


「今すぐには、残念ながら不可能です。

 しかし、いつの日か…必ずその約束を果たします。

 だから、それまで…絶対に生き抜くのですよ」


この先にも、この手を傷つける者たちが、数多く待ち受けるだろう。

だけど、どうか、どんな困難にも、負けないでいてほしい。

そうすれば、いつの日か…きっと、そのときが来るから。

「はい、必ず」

「いい返事です。約束ですよ」

固く手を握り締め、二人で結んだ約束を、自分の中で、絶対に果たすべき誓いへと変える。

どんなに時間をかけようと、どんなに困難だろうと、必ず叶えてみせる。

「今日は、眠りなさい」

「はい」

数分も経たずに、寝息が聞こえ始める。

おかげで、なんとか情けない泣き顔を見られずにすんだ。

「それは、お互い様…ですね」

ティストの頬に残った涙の後を見ると、口元が緩んでしまう。

この目に映るものを、今の想いを、時間と共に、全て心に刻み込んだ。




締め切ったカーテンを貫いて、わずかな光が差し込む。

「夜明けか」

恨みがましい自分の声に、思わず苦笑いをしてしまう。

どうせ、どんなに時間があったとしても、足りないのだ。

「………」

あのときから離せないでいた手を、名残を惜しみながら、ゆっくりと離す。

椅子から立ち上がり、眠っているあの子の顔を覗き込んだ。

間近で見つめた寝顔は、昔と変わらずに安らかで、あどけないものだった。

「本当に、よく眠っていますね」

つぶやいた声にも、反応はない。

これならば、気取られることもないだろう。

足音を忍ばせ、部屋を後にする。

私の役目は、もう終わりだ。



これでいいと何度も自分に言い聞かせ、無理矢理に足を動かす。

あの子と別れの言葉など、絶対に交わしたくもなかった。

静まり返った森を抜け、もう一度だけと言い訳をしながら、背後を振り返る。

もう、何度振り向いたかさえ、分からない。

少しでも意志が揺らげば、駆け戻ってしまいそうだった。

広がる草原を前に立ち尽くし、結わえていた髪を解く。

澄んだ風が髪をなでつけ、体温を奪って吹き抜けていった。

朝日に照らし出されたロアイス城は、あまりにも遠い。

疲れきった身体では、この程度の距離にさえ辟易してしまう。

足は鉛のように重く、道のりは果てしなく長い。

まるで、これからの行く末を暗示しているかのようだ。

「これが、どうにかしなければいけない距離…か」

来るときにも感じていたものを、口に出して再認識する。

今は、どうにも出来ない。

しかし、いつの日か、きっと…。

「…!」

雲間から覗く、わずかな光。

それが、まるで、私に残された小さな希望のように見えてしまう。

「馬鹿馬鹿しい」

私の進む道など、どうでもいい。

もし、そんなものがあるのだとしたら、私などよりも必要な人間がいる。

「どうか、あの子に希望と祝福を」

誰とも知れぬものに、願いを掛ける。

あの子に幸福をもたらしてくれるのであれば、相手が何者でもかまわなかった。

祈りを唱え終えて、ゆっくりと街道を歩き出す。

立ち止まってなど、いられない。

あの約束がある限り、私は、歩みを止めるわけには、いかないのだから。

進む先には、きっと、新たな戦いが待ち受けているだろう。

だけど、私は前を見て歩く。

全ては、あの子のために。

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