12章 嘆(なげ)く少女-4
【ティスト視点】
わざわざ休業にしてもらったライズの中で、奴らが来るのを待ち構えてから、もう三時間以上だ。
話題も途切れがちになってきて、ラインさんもシアさんも黙って座っている。
重苦しい空気を紛らわすためなのか、ユイはグラスの水で、アイシスに魔法を教えている…が。
どちらも集中しきれていないのが、見ていて分かる。
いつ来るか分からないのは、嫌な緊張感だな。
疲労も溜まるし、何より気分が悪い。
わざわざ大通りを突っ切って、ライズまで戻ってきたんだ。
俺たちがいることは、奴らも把握しているだろう。
来るならさっさと来い。
ため息をこらえて、入り口を睨み続けた。
品のない足音が複数、店の前で止まる。
ラインさんとシアさんも、冷徹な視線へと変わっていた。
「ようやく、おでましか」
椅子から立ち上がるのと同時に、数人の男たちが、足音荒く店内に踏み入ってくる。
一番目に付くのは、中心にいるあの男。
指に輝く豪奢な宝石が、趣味と性格の悪さを象徴しているようだ。
立ち位置と服装からして、周りにいるのはあの男の護衛だろうな。
「いました! アイシス・リンダントです!
いかが致しますか? リンダント卿」
「拘束しろ」
「!?」
あまりにふざけた命令に、声も出せない。
自分の子供を前にして、なぜあんな無機質な声が出せる?
再会の言葉、親子の会話、そんなことを想像していた自分の甘さが嫌になる。
そんな感情がひとかけらでもあるのなら、アイシスは不幸にならなかったはずだ。
「………」
近寄る奴らとの間に、身体を割り込ませる。
これ以上、こいつらをアイシスに近寄らせたくない。
「どうしますか?」
「殺れ」
不快感に顔をしかめた奴の言葉には、殺意が込められている。
それを理解したのか、忠実な下僕たちは、主の前に出て帯剣に手をかけた。
取り巻きの数は、五人。
護衛として一人を残し、こちらに四人が向かってきた。
「チィッ」
正面にいる男の肩に、怒りで硬くなった拳を叩き込む。
骨の折れる音を聞いて、何とか腕を振りぬかずに引き戻した。
ふざけやがって…。
感情が抑え付けられない。
今すぐにでも、あの鼻っ面に拳をぶち込んでやりたい。
「勝てぬなら、男は無視しろっ!!」
怒号を混じらせての指示に従って、俊敏に横を抜けようとする。
俺の目の前でアイシスを連れ去って、逃げる?
「甘く見られたものだな」
軸足を滑らせて、すぐ隣の男の肩にカカトを突き刺す。
致命傷にしないことだけが、せめてもの譲歩だ。
「ぐぁっ…!?」
「残りは、二人…か」
「ひっ…」
俺のつぶやきに身を硬くし、残った二人が距離を取ろうと下がり…。
がら空きな背中を、俺以外に晒すことになった。
「これで…」
「ゼロね」
ラインさんとシアさん、二人とも同じように間接を極めて、身動きを完全に封じている。
力任せに殴りつけた俺なんかより、ずっと大人の対応だな。
「くっ…はな…せ」
「ほらよ」
「はい」
興味ないといったように、二人を解放する。
実力差を理解したのか、その目には恐怖が宿っていた。
「アイシスを買った男というのは、お前か? 小僧」
「………」
言葉ではなく、ただ首を動かすだけで、答えを返す。
声を出せば、何を口走ってしまうか、分からなかった。
「倍額くれてやる。それで好きなだけ他の女を囲え」
まるで、市場にいる傲慢な商人のような台詞。
どうしてだ?
なぜ、自分の娘に、そこまで非情になれる?
「まだ足りんというのか?」
「いくら積まれても、受けるつもりはない」
俺の返事に、奴が鼻をならして睨みつけてくる。
見下す奴の目には、自分の思い通りにならない怒りが見て取れた。
「そんなことをして何になる? 小僧、何が望みだ?」
「二度と、その薄汚い面を見せるな」
怒りに声が震え、喉が焼けるように熱い。
少しでも心が揺れれば、このまま足を踏み出してしまいそうになる。
「交渉決裂か、ならば、話は終わりだな」
「どうして…」
掠れた小さな声。
だけど、騒然としている中で、何よりもはっきりと俺の耳に届いた。
「どうして…こんなことを?」
「来い、アイシス」
絞り出したアイシスの問いを、歯牙にも掛けない。
ただ、見下した目で、淡々とアイシスに命令している。
「抵抗するな。無駄だということは、忘れておらんだろう?
何の価値もなかったお前に、ようやく意味が生まれるのだ。黙って私に従え。
アイシスッ!!!」
グラスの水を揺らすほどの怒号に、アイシスの身体が殴られたように跳ねる。
「………」
顔面は蒼白になり、目の輝きが急速に失われる。
恐怖に身をすくませ、膝はガクガクと震えて、今にも崩れ落ちそうだ。
アイシスの心の傷口が、広がっていく。
まさか、声だけで、ここまで症状が出るなんて…。
アイシスの過去を考えるだけで、苛立ちが止まらない。
「私の言うことが聞けんのかぁぁっ!!!」
大喝におびえるように、アイシスが一歩、前に出る。
一歩、また一歩と虚ろな目のままで、アイシスが進む。
ふざけるな。
なんなんだ、これは…。
「それでいい、さっさと来いっ!!」
「待って」
「…?」
吸い寄せられるようだったアイシスの歩みが、止まる。
アイシスの手を、ユイがきつく握り締めていた。
「何のつもりだ? 女」
奴の問いかけに、ユイは答えない。
ただ、じっとアイシスだけを見つめている。
「ねえ、アイシスちゃん。
本当に行きたいなら、あたしの手を払いのけて」
「振り払え、アイシスっ!!」
「黙りなさい」
背筋が凍りつくような怒気を孕んだ声に、リンダント卿が気圧される。
こんなに怒ってるユイを見るのは、初めてかもしれない。
リンダント卿から視線を外し、ユイが真摯な瞳でアイシスを見る。
「アイシスちゃんが決めて。あたしたちは、それに従うから」
「………」
アイシスの瞳が、涙に濡れる。
奴を見て、それから、ユイの顔を見上げて…。
ユイに、しがみついた。
「うん」
それに応えるように、ユイがアイシスを強く抱きしめる。
頭をなで、子供を安心させるように、優しい抱擁。
それは、自分で結論を出したアイシスを褒めるようにも、ねぎらうようにも見えた。
「さてと…」
一言で、気持ちを切り替える。
あの二人が、こうして結論を出してくれたんだ。
なら、俺はそれを守り通す。
「話は決まったな。さっさと失せろ」
「あくまでも、逆らうつもりか。ならば、後悔するんだな」
目に焼きつくような凶悪な笑みを浮かべる。
なんだ? まだ何かあるのか?
「呼べ」
「はっ」
鋭い声で返事をして、最後の一人だった護衛が外へと走る。
呼ぶ? 増援か?
「戦場の最前点…だったか。
貴様のような化け物に、何の対策しないと思うか?」
その言葉で、おおよその予測はついた。
貴族が泣きつく武力と言えば、ほとんど答えは決まっている。
整った足音がこちらへと次第に近づき、ドアが乱暴に開け放たれた。
「全員動くなっ!!」
部屋になだれ込んでくると、次々に武器を構え始める。
「ロアイス騎士団のご登場…か」
ヴォルグを中心に、数秒の間に陣形が組まれる。
騎士団長の両翼に五人ずつで十一人、さっきの倍か。
普通に考えれば、十分な人数だろう。
もし、ここにいるのが全員普通なら…だがな。
「抵抗すれば、斬り伏せる」
抜き身の双剣を手に、高圧的な態度。
普通なら萎縮するところだろうが、逆効果だな。
刃に脅えてくれるほど楽な相手は、ここにいない。
「ここでの階級は、拳で決まるんだよ。
この店で俺に意見してえなら、勝ってからにしやがれ」
「そういうこと。周りの皆さんもそのつもりでね」
臨戦態勢の二人を前に、騎士団の連中が息を飲む。
向かい合ってない俺でさえ、その圧力には背筋が寒くなるほどだ。
「そうねえ。右の五人、私が相手してあげるわ」
近くにいたその五人を撫でるように指先で滑らせ、艶やかに笑う。
色っぽいはずのその仕草も、普段と同じ笑顔も、この重圧の前ではかえって不気味だ。
「で、どっちにするよ?」
左に展開している五人とヴォルグを、親指で示しながら聞いてくる。
俺に選ばせてくれるあたり、実にラインさんらしい優しさだな。
「なら、騎士団長は、俺に任せてもらえますか?」
「よっしゃ、左の五人は片付けとくぜ」
「お願いします」
「話はついたようだな」
待ちきれぬと言わんばかりに、ヴォルグから刃が向けられる。
挑発的な動作に、鞘に収めたダガーの柄に手をかけた。
『剣を抜くときには、時と場所を選べ』
この前に戦ったときに、レジ師匠から授けられた言葉が脳裏をよぎる。
あのときは、たしかに軽率だったかもしれないが、今は違う。
今ほどダガーが必要なときなど、他にない。
「今日ばかりは、お前に付き合うつもりはない。
死にたくなければ、さっさと帰れ」
迷いは、一片もない。
ためらいなく、ダガーを引き抜いた。




