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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER -戦場の最前点-
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07章 受け入れる少女-3

【アイシス視点】


「お疲れさま、緊張したでしょ?」

「はい」

自分の声や足音が響く城内の廊下では、ユイさんの質問に答える声も自然に小さくなる。

遠くに見える人影が大きくなり、すれ違うときには、心臓が潰れそうになる。

幅は広いのに横道も死角もなくて、逃げも隠れもできないこの不便な廊下は、すごく居心地が悪い。

「もう少しだけ、我慢してね」

「どこに向かってるんですか?」

「なるべく人がいない場所」

これ以上ないありがたい条件に、私は黙ってついていった。



建物から出て日の光を浴びることが、こんなにいいものだなんて思わなかった。

外の冷たい空気を吸い込んで、少しだけ気分が落ち着いた。

「綺麗でしょ? せっかくだし、見てまわる?」

「いえ、いいです」

庭を彩る名前も知らない花を見ている余裕もない。

どんなにわずかでも、目立つことはしたくなかった。

「なら、もう少し離れよっか」

後ろをついていくと、それだけ人の気配が遠のく。

風の音が耳に心地良かった。

連れてこられた庭の片隅は、なんの飾り気もない。

ただ、建物の影と固い地面があるだけ。

しかも、地面にはところどころに傷がある。

「…はぁ」

こういう手入れの行き届いていないところのほうが、落ち着く。

たしかに、こんな場所には、人は近づかないだろう。

「気に入った?」

「はい」

「ここね、ティストの訓練場所だったの」

「…そうなんですか」

王宮の庭園に、訓練の場所が特別に用意されて。

ロアイス最強と呼ばれた二人に指導を受けて。

私があの監獄のような場所にいるときに、先生はここにいて。

「ふぅ…」

知らず、ため息が出ていた。

比較することさえ馬鹿らしい。

先生のいる場所は、おちこぼれの私なんかが届く場所じゃない。

「心配しないで、ここなら誰も来ないから大丈夫」

「何がどう大丈夫なのか、説明してもらおうではないか」

振り返れば、険しい顔をした老人がこちらを睨みつけていた。

「人目を避けてこんな場所まで来て、何を企んでいる!?」

「何も企んでなどいません」

返事もできない私の代わりに、庇うように前に出て返事をしてくれる。

この威圧的な老人の声は、前に城に来たときに聞いた。

部屋の中に隠れていたから見えなかったけど、きっとこの人で間違いない。

名前は、たしか、イスク…だったはず。

「小娘どもが身勝手なことをしているとは聞いたが、ここまでとはな」

眉間にしわを寄せて、老人があたりを睥睨する。

私に一瞬だけ視線が絡みついたけど、すぐに他へと移った。

「奴はどこだ!?」

怒号が自分の胸を叩き潰した気がして、呼吸が止まる。

痺れるような余韻が消えた後に、もう一度あの人が口を開いた。

「お前と一緒に来た、あの薄汚い野良犬はどこだと聞いているのだ」

吠える前にうなりを上げる獣のような、低い声。

一緒に来た? それって…。

「ティスト・レイアはどこだと聞いているっ!!」

大音声が庭いっぱいに響き渡る。

反響が周りに消え、気まずい沈黙が残った。

「ふん、あくまでも黙りこくるなら、いいだろう。

 後ろにいる貴様は何者だ?」

「この子は、私の…」

「今更口を開くなっ!! 黙っていろっ!!」

ユイさんを押し退けて、私の前へと立つ。

神経質な顔で、耳が痛くなるほどに、私のことを怒鳴りつける。

「娘、答えろ! 何者だ!? ここで何をしている?!」

矢継ぎ早に繰り出される質問に、私の思考が停止しかける。

何者? 私は、何者と名乗っていいの?

怒声に身体が竦み、口を開けても声が出ない。

名前を言ってもどうせ意味がないし、立場も何も…。

「どうした!? さっさと答えんかっ!!」

「私の弟子に何かようですか? イスク卿」

振り返れば、足音も立てずにこちらへと歩くクレア様の姿が見えた。

「また、そのような戯れをしているのか、貴女は」

「次代を担う若者を教育することは、私の責務ですから。

 それで、私の弟子に何か御用でも?」

「部外者を入れることは関心しませんな。城内の治安が乱れる」

「ご心配なく。何も起きませんし、仮に何が起ころうと全責任は私が負いますので」

「口で言うのは容易いことだが…もしものことがあれば、セイルスの首だけでは済まされぬぞ。それを…」

「ご心配なく、と申し上げたはずですが?」

相手の言葉を潰して、上書きする。

それだけで、次の言葉が出せなくなったように、老人は唇を震わせていた。

「二度とこんな勝手な真似が出来ると思わんことだ」

捨て台詞を残し、苛立ちを足取りにして去っていく。

その背中が見えなくなって、私はようやく息をついた。

「ごめんね、アイシスちゃん。もう少し回りを見ておくべきだった」

「あ、いえ…」

頭を下げられても、どうしていいか分からない。

連れてこられたとはいえ、私がここにいること自体が場違いで、責められてもおかしくない。

「不快な思いをさせて、すみません。

 二人とも、この中庭で起きたことは他言無用でお願いします」

「はい」

「分かりました」

それきり会話が途切れ、無言の時間が続く。

聞いてみたいことはいくつもあるけど、話を聞けるような雰囲気じゃない。

私は、ただ黙ってあたりの景色を眺めてるふりをして、時間が流れるのを待った。



「ここにいたのか」

待ちに待ったその声を聞いて、安心のあまり倒れたくなる。

先生が戻ってきた、これで、ようやくこの城から出られるんだ。

「待たせたな、二人とも」

「いえ」

「ううん、ティストこそお疲れさま」

挨拶もそこそこに、先生が姿勢を正してクレア様に歩み寄る。

丁寧な礼をし、頭を下げたままで口を開いた。

「報告が遅くなり、すみません。

 ティスト・レイア、ただいま戻りました」

「堅苦しい挨拶など必要ありません、あなたが無事に帰ってくればそれで十分です」

頬を緩めている笑顔からは、さっきまでの威厳が消えていた。

「面倒な仕事を任せてすみませんでした」

「いえ。力になれることがあったら、いつでも言って下さい」

「ありがとう。その言葉に甘えさせてもらいますよ」

「はい」

もう一度深く礼をし、先生が顔をあげる。

「師匠は、どうしてここに?」

「散歩のとき、つい足を運ぶのが日課になっているだけですよ」

何かを思い出すように遠い目をして、返事というには小さな声でつぶやいた。

「本当は、一緒に報告を聞きたかったのですが、ファーナの仕事に口を挟むのも失礼ですから」

「彼女は、何者なのですか?」

「ティルナスの一族と言えば、覚えはありませんか?」

「では、彼女が…」

先生がそこで言葉を区切る。

家名だけで会話が進むあたり、本当に自分とは遠い世界だ。

私が分からない顔をしていたのに気づいたのか、クレア様が微笑む。

「今の会話では、アイシスが分からないですね。

 彼女は、ロアイスの軍師を務めるものです」

帽子を被ったあの人が、軍師。

元騎士団長であるレジ様とも、その妻のクレア様とも話したことがあるのだから、今更そんなことで驚いたりしない。

それに驚くには、知識が足りない。

軍師が具体的にどんなことをするのかも、騎士団長とどっちが偉いのかも、無知な私には分からないんだから。

「ファーナを若輩者だと蔑む者もいますが、役職に恥じぬほど思慮深く聡明ですよ。

 父親の仕事を継ぎ、見事にこなしています」

「ええ、彼女の能力には驚かされてばかりでした」

たしかに、あの人は、馬鹿な私でも分かるぐらいな頭の力を持っていた。

ああやって頭を使うのも、きっと私には無理だ。

「ファーナちゃんは?」

「部屋を出るまで一緒だったんだが、急用を思い出したって、どこかに…」

「そっか」

「お茶でも振る舞いたいところですが、これから、仕事がありますので。

 せめて、城門まで見送らせてください」

先生の背中を見て歩き始めて、やっと気分が落ち着いてきた。

あの城門をくぐれば、ようやく解放される。

「まだ帰るには速いよ」

歩き出してすぐ、柔らかな声に呼び止められる。

この城に来てから、後ろから声をかけられることばかりで、もう本当にイヤ。

なんで、誰も前から普通に来れないんだろう?



【ティスト視点】



「?」

聞き覚えのある声に、振り返る。

そこには、微笑を浮かべた青年が立っていた。

「報酬を渡さずに帰られてしまうなんて、我が名を汚すことになる。

 といっても、ファーナに言われなければ、私も失念していたけれどもね」

品のある笑顔と、軽妙な軽口。

色あせていた記憶が、少しずつ歩み寄ってくる。

「ライナス…か?」

「私の顔を忘れるとは…薄情だね、ティストは」

「忘れてはいない、見違えただけだ」

「褒め言葉として取っておくよ」

そこに立つライナスが、昔の記憶とうまく重ならない。

師匠が自分のことを見違えたと言ってくれたときは、世辞にしか聞こえなかった。

だけど、こうしてみると体躯も顔つきも違うし、声もわずかに違和感がある。

「これが、時間の流れの重さ…か」

一度見逃した成長の軌跡は、二度と見ることが叶わない。

どんなことをしても、絶対に。

「私よりも、妹のほうが時間の魔力は強大だよ」

その言葉にライナスの後ろで、桃色の髪が揺れるのが見えた。

ライナスが静かに横へとずれ、おずおずと前に出てくる。

目の前に広がる桃色の髪に、俺は息を飲んでいた。

「リース」

「………」

俺の声に返事はなく、目の前でお辞儀をされる。

数ある作法の中でも一番難しく、対人関係が重要な王族では最も必要な技法。

あれだけ礼儀作法が苦手だったリースが、こんな見事な礼をするなんて。

言葉がない。

リースの表情を見て、俺は愕然としていた。

俺の知っている、無邪気で天真爛漫な笑顔は、跡形もなく消えていた。

そこにあるのは、多くの人間に贈られるための、品のある王族の笑顔。

姫としてのリース・ランドバルドの笑顔だった。

まるで、悪い夢でも見ているような気分だ。

あまりに、俺の記憶と掛け離れていて、その現実が受け入れられない。

あの、リースが…。

いつも騒いで、わがままを言っては、師匠たちを困らせていた。

廊下を走り回り、授業を投げ出し、お説教なんて聞きやしない。

でも、誰にも真似できないくらいに、楽しそうに笑っていて。

見ているこっちも、それだけで楽しくなって…。

自分の中で抱いていたものが、勝手にあふれ出してくる。

時の流れの重さを、俺は受け入れることができなかった。



【アイシス視点】



やっぱり、この二人は先生と知り合いだったんだ。

先生と話していた二人が、突然こっちを向く。

「またお会いしましたね、アイシスさん。その節は、すみませんでした」

「あ…いえ」

なんて答えていいのか分からなくて、返事につまる。

そんな私の反応にも、この人は笑顔で返してくれた。

「王子、これを」

大きめの袋を持っていたレジ様が、ライナスさんにそっと手渡して、また後ろに控える。

王子? ライナスさんが?

じゃあ、妹だって言ってたリースさんは…王女?

うそ…でしょ? 私と話している人が、王族?

話が突飛過ぎて、ついていけない。

「で、どうすればいいかな?」

「アイシスに渡してくれ」

うなずくと、大きな袋を両手に持った王子様が、背筋を伸ばして私の前に立つ。

「ありがとうございました。これを、お納めください」

絵になるほどの素敵な笑顔で頭を下げ、袋が渡される。

お礼を言われるなんて予想もしていなかったから、震える手で受けとるのが精一杯だった。

「失礼ですが、ここで中身を確認してもらえるようにお願い致します。

 足りないのなら、貴女の言い値を聞かせていただきたい」

「はい」

重さに驚きながら、渡された袋の口紐を緩める。

中には、クリアデルでの私の稼ぎを軽く超えた枚数が入っていた。

数えるのもためらってしまう…今までの私が、何人も買えてしまうようなお金。

「いいか?」

この額でいいかどうかを決めるのは先生のはずなのに、どうして私にも聞くんだろう?

「え、あ…はい」

「それはよかった」

どう答えていいのか分からなくて曖昧あいまいに頷くと、王子様が優しい笑顔を返してくれた。

慌てて頭を下げたけど、礼儀も何もできてない自分が情けない。

「荷物として運ぶなら手伝うが、アイシスの物だからな。

 自分で管理して、好きに使ってくれ」

先生の気軽な口調に、理解する時間が数秒かかった。

先生の荷物持ちとして渡されたのは思い違いで、これは、私のための報酬らしい。

「せ、先生の分はどうなるんですか?」

実質的に働いたのは先生だけで、私はおまけだ。

もしかしたら、これがわずかな額で、先生はもっと巨額を?

「俺の報酬は、別に用意されているから問題ない。

 それは、アイシスの分だ」

念を押すように、先生が袋を指差して断言する。

こんなにたくさんの報酬が、私の…。

「よかったね、アイシスちゃん」

「はい」

返事に力が入らない。

さっき見た袋の中身が、現実味を消していた。

袋を引きずらないように気をつけ、先生と一緒に城門を出る。

見送っているのが、この国の重鎮たちなんて、冗談にしても不出来だった。

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