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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER -戦場の最前点-
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05章 驚く少女-2

【アイシス視点】


街中と変わらないように平然と、あの人が前を歩く。

誰かに見咎められたら、それだけでも罪に問われそうなこの廊下は、居るだけで気持ち悪くなる。

胃が切り裂かれているような感覚に、今すぐにでも逃げ出したかった。

「勝手に歩いて、大丈夫なんですか?」

「うん、大丈夫。ここは、あたしの仕事場でもあるからね」

「城で仕事をしてるんですか?」

「たまに…ね」

「毎日じゃないんですか?」

「そのほうが、待遇はいいのかもしれないけど、あたしは違うの。

 城に入れることは大事だけど、城に住むことは大事じゃないの。

 あたしが給仕として仕える人間は、一人だけでいいから」

聞こえないくらい小さく呟いて、嬉しそうに頬を赤くしている。

私は、落ち着かない気分のまま、その背中を追いかけた。



ようやく目的地についたのか、扉の前で足を止めてくれた。

どこをどう歩いたのかも、どれぐらい歩いたのかも分からない。

緊張しっぱなしで、そんなことを気にしている余裕なんて、ちっともなかった。

少しの間を空けて、小さく息をついてからドアノブに手が添えられた。

「え?」

小さな声のほうに顔を向けると、ベッドに腰掛けた女の人と視線がぶつかる。

誰? この部屋の主?

その人は立ち上がって微笑むと、こちらへと歩いてくる。

視線は私の目から外れず、でも、見下すようなイヤな雰囲気は感じられない。

数歩の距離で立ち止まると、そこで貴族らしく丁寧にお辞儀した。

「はじめまして、リース・ランドバルドと申します」

耳に響く声は柔らかで、とても綺麗。

背中まで届く桃色の髪。

普段着なのか知らないけど、ところどころに見える装飾は目にまぶしい。

外見が、そのまま身分の高さを示していた。

自分も頭を下げなければいけないのに、見とれているうちに礼が終わった。

「あの、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「…あ、の」

ただ自分の名前を言えばいいだけのことさえ、できない。

私なんかが貴族と口を利くなんて、それだけで、とても無礼なことをしている気がする。

「アイシス・リンダントさん。初めて城の中に入ったから、ちょっと緊張しているの」

「そう。どうぞ気を楽にして、くつろいでいってくださいね」

上品な笑顔で無理を言ってくれるこの人に、首を縦に動かして返す。

好意はありがたいけど、話しかけられるだけでもすごく緊張する。

それが分かったのか、話し相手を私から変えてくれた。

「今日は、どうしてここに? この部屋の掃除は、明日のはずですが…」

「それはあたしの台詞。やっぱり、自室じゃなくてここにいたのね」

「今は休憩中ですので、城内ならどこにいても私の自由です。

 自由に好きなところへ行けるわけでない私の、小さな特権ですから」

「その特権、せっかくだし、もっと使わないとね。

 ティストが、レジ様たちの部屋にいるの」

「…本当に?」

しばらく言葉を失っていたリースさんが、ようやく口を開く。

その表情は、まだ呆然としていた。

「嘘じゃないよ、だから、あたしがお茶の用意にここまで来たの。

 やっぱり、使うなら愛用のカップじゃないとね」

「そう、ティストが…ここに…」

つぶやいた声が震え、瞳がじわりと涙で濡れる。

笑みを深めて、この人は笑顔で泣いていた。

「準備、手伝ってくれる?」

「ええ、もちろん」

袖口で涙を拭ったときには、もう晴れやかな笑顔に変わっていた。



二人が楽しそうに準備をしているのを、少し離れたところから見る。

こうして相手にされていないほうが、むしろホッとする。

「…ふぅ」

疲れて、ため息しかでない。

座ってていいと言われても、自分より高価な椅子に腰掛ける気になんて、絶対ならない。

用途も価値もよく分からない芸術品を壊すのが恐くて、ただその場で周りを見た。

こんなものに囲まれて過ごすことが、快適?

それとも、これがこの人たちにとっての自然?

見れば見るほどに身分の違いを見せ付けられ、私の存在がここに相応しくないと教えてくれる。

だけど、うらやましいとも、この部屋で過ごしてみたいとも思わない。

こんな場所で生きることに、きっと、私は耐えられない。

「お待たせ、行こっ」

「はい」

両手でシルバートレイを持つ二人のために、ドアを開けた。



部屋を出ると、さっきまで感じていた圧迫感がもう一度全身を包んでいく。

できることなら、お茶なんて飲まないで、すぐにでも帰りたかった。

だけど、こんなに嬉しそうな顔をしてる人たちを見てると、そんなことは言い出せそうもない。

あと少し、あと少しだけの我慢。

コツコツコツコツ。

響いてくる足音に、膝が震えそうになる。

「二人とも、部屋の中に入って」

「だけど…」

「いいから早く」

ユイさんに背中を押され、さっきの部屋の中に入る。

音を立てないように、わずかな隙間を残してドアが閉められた。

それは、指が一本入るかどうかぐらいで、でも、覗き見るには十分な幅だ。

リースさんが、少しだけ迷ってから扉へと近づく。

それに釣られるように、私も息を殺して、ドアへと張り付いた。

何をやってるんだろう? 私は…。

どうせ、見たことがある人間なんて来るわけがないし、見ても何にもならないのに…。

後悔しても、もう遅い。

身動きしたら音で気づかれる。

それほどに、足音の主は近づいてきていた。



「………」

ユイさんの前で、ぴたりと足を止めたのは、眉間にしわを寄せた神経質そうな男だった。

二人とも視線を交わしているのに、どうして黙っているの?

「またその部屋…か?」

重々しく響く声に、息が詰まりそうになる。

老いた男の声に、思い出したくもない過去が浮かんでくる。

目の前に集中して、頭の中から必死にそれを追い出す。

でないと、声を出してしまいそうだった。

「まだその部屋にこだわり続けるのかと聞いている。

 答えよ、ユイ・カルナスッ!!」

部屋の中にまで、まるで衰えない怒鳴り声が響く。

恐怖に縮み上がる自分の身体を、必死に誤魔化した。

「………」

どれだけ相手が返事を待っても、ユイさんは答えない。

平然と、そこに立っていた。

「大方、その部屋にもり、自慰にでも耽っていたのだろう?」

卑猥な言葉にも、何の反応もない。

置物のように、まるで動かず、わずかな変化もない。

それなのに、周りの温度が冷えていくような気がした。

「メイド風情が、私に逆らうつもりか?」

「………」

それでも、あの人は答えない。

ただ、じっとしている。

言い訳もせず、反論もせず、謝りもしない。

あれだけ一方的に言われても、何もしない。

「その部屋に入るなと命令しておいたはずだ! 忘れたとは言わさんぞっ!」

「その命令なら私が解除しておいたよ。部屋が痛んでは困ってしまうからね」

別の声が割り込んできて、思わず息を飲んでしまう。

振り返れば、そこには赤いマントを羽織った青年が立っていた。

「これはこれは、ライナス様。こんなところにいらっしゃるとは…」

「この部屋の管理を彼女に一任したのは、私だ。

 問題があるなら、私に聞かせてもらえるかな? イスク卿」

咳払いを一つ…その後に、イスクと呼ばれた男が大きく息を吸い込む。

「そもそも、二度と帰らぬ者の部屋などを残しておくから、このようなことになるのです。

 不要なものなど、処分してしまえばいい」

「この部屋の権限は、私にある。

 つまり、卿は人の管理下にあるものに口を挟むと、そういうことだね?」

「いえ、失礼いたしました」

さっきまで偉そうにしていた老人が、人に頭を下げているなんて…。

これが、噂に聞いていた貴族の位の違いなのかな。

きっと、逆だったら、さっきのユイさんみたいに一方的に言い切られて終わるだけだ。

「そうそう、本題を忘れるところでした。

 ライナス様、リース様を見かけませんでしたかな?」

「さあ、見ていないな」

「では、お会いになられたら、イスクが探していたとお伝えくださいませ」

「分かった。伝えておこう」

静かな廊下に足音を響かせて、老人が去っていく。

足音が聞こえなくなると、外にいた二人が一斉に溜息をついた。

「ありがとう、ライナス」

「こちらこそ、迷惑をかけてすまないね」

「いいの。あたしが好きでやってるだけだから」

それ以上、二人は何も言わない。

ただ、近づいてきて、私たちがいる部屋の扉をゆっくりと開いた。

「すべきことは、分かるね?」

「はい」

あれだけ楽しそうだったのに、今は見る影もない。

必死に繕われた笑顔が、痛々しかった。

「アイシスさん、すみませんがお願いできますか?」

シルバートレイを差し出され、両手で受け取る。

とてつもなく、重い。

高価なものを持つ緊張もあるのかもしれないけど、それだけじゃない気もした。

「二人とも、ティストには、このことを伝えないでもらえますか?」

「うん、分かった」

「…分かりました」

「では、失礼します」

「二人とも、気分を害してすまなかった。

 茶を飲んで、楽しい一時を過ごしてくれ」

同じような微笑を貼り付けて、あの二人は廊下を反対方向に歩き出す。

何事もなく歩く二人を見て、私は初めて貴族の大変そうなところを見た気がした。

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