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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER 有色の戦人
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17章 気まぐれな復讐-5

【ティスト視点】


意識を失ったレイナとサリを地面に横たえ、背に庇うようにして、二人の前へと立つ。

どうやら、二人にかけられた魔法は、完全に解除されたらしいな。

「くっ…」

目の前でぶつかりあう二つの魔法が、目のくらむような光と、耳をつんざく轟音へと姿を変えて、この世から消えていく。

それが、ただでさえ弱っている視覚と聴覚をさらに鈍らせ、時間の感覚までも狂わせてくれる。

十分な距離があるのに、これほど強烈な反動があるとはな。

向かい合い、互いを殺すために魔法を放っている術者への負担は、計り知れない。

「くっ」

腕で顔の半分を覆い隠し、襲い来る光と爆風から、少しでも己を守る。

上着へと絡みついた爆風が、俺を後ろへと引きずり倒そうと、すさまじい力をかけてくる。

立っているだけでも精一杯なんだ。

一度でも倒れてしまったら、もう、自力じゃ立ち上がれない。

誘惑を振り払うように、ふらつく足を叱咤して、気力を振り絞る。

「ぐうぅっ…」

眼前で生まれたより大きな爆発に、姿勢が崩れる。

無様に倒れるその寸前に、背中を優しく支えられた。

「大丈夫ですか? お兄ちゃん」

「悪い」

ったく、自分だってボロボロなのに、本当によくできた妹だ。

アイシスに半身を預け、寄り添うように立って、視線を前へと向ける。

目映い光を放ち続ける空間の中心へと目を凝らし、その趨勢を確かめた。

「セレノアさん、勝てますよね?」

「だといいが…な」

攻めているセレノアが圧倒的に優勢なように見えるが、あと少しのところで、最後まで押し切れない。

亀の甲羅のように外壁を作り上げ、防御に徹している奴の魔法を、打ち破れない。

セレノアは、さっきから全開で魔法を放出し続けている。

そんな全力攻撃が、いつまでも維持できるわけがない。

「…ぐっ、ごほっ、ごほっ」

咳き込み、たまらず、口の中のものを吐き出す。

ったく、呼吸を整えようとしただけで、このありさまか。

視界が白く染まるほどの強烈なめまいと、吐き気も、さっきから断続的に襲ってくる。

意識を保っていられるのも、長くはないだろうな。

「はぁ…はぁ…」

限界なんて、とっくに過ぎている。

全身に刻まれた傷は、気が狂いそうなほどの激痛となって、もう動くな…と俺に訴えかけてくる。

これ以上の無理をすれば、今までのような昏睡では済まない。

今度こそ、間違いなく、死ぬだろう。

だが、それは、奴に攻撃されても同じことだ。

抵抗して死ぬか、無抵抗で殺されるか。

それは、迷うほどの選択肢じゃない。

「アイシス」

掠れた声で、妹の名前を呼ぶ。

口を開くだけでも辛いが、これだけは、言っておかなければならない。

俺の意思を、そして、俺の想いを。

「俺は…何があっても、最後まで、戦う。だから…最後まで、付き合ってくれ」

せめて、アイシスだけでも無事に…と、思わなかったわけじゃない。

でも、そうして大事にされることが、本人にとって必ずしも幸せじゃないことを、俺は、学んだ。

だから、アイシスには、一緒にいてほしかった。

兄妹で、出来ることを全て実行し、死力の限りを尽くす。

その果てに生まれた結末ならば、どんなものであっても、それ以外を選んだときよりは、受け入れやすいだろうから。

「もちろんです。私は、どんなときもお兄ちゃんと一緒ですから」

満面の笑みで、俺の決断を後押ししてくれる。

本当に、出来すぎた妹だな。

「まだ、動けるんだろうな?」

「当たり前です。お兄ちゃんより私のほうが動けますよ?」

「言ってくれるな」

軽口を叩いて笑いあい、覚悟を決める。

考えたくもないことだが、もし、セレノアが負けたら、残りの全てを燃やして奴へと仕掛ける。

そう決意し、勝負の行く末を見守りながら、身体を休めた。

気の遠くなるような時間をかけて、最初は大きかった互いの魔法が、次第にその勢いを減らしていく。

そして、奴の魔法よりわずかに早く、桃炎が途絶えた。



【セレノア視点】


自分の身体が、地面へと吸い寄せられる。

たしかに音がしたのに、身体には、何の衝撃も感じられない。

感覚が、完全に消え失せていた。

なんて、奴だ。

アタシが、本当に全てを使い尽くしたというのに、仕留められなかった。

「ははっ、耐えきった…耐えきったぞ。

 どうだ? いかにワシの力が強大か、分かっただろう?

 有色など、恐れるに足らぬわ」

遥か彼方から、かすかに聞こえる声。

眼前にいるはずなのに、今のアタシには、どこか遠いところの出来事のように感じた。

表面に残っていた魔法の余波が消えたのか、暖かな地面から、急速に熱が失われていく。

まるで、今のアタシみたいだ。

ここまで使い果たしたのは、生まれて初めてだ。

この身体には、もう何も残っていない。

聞こえるのは、自分の心臓の音だけ。

それも、徐々に小さくなっている。

すぐそばに、自分の死があるのが分かる。

思考がぼんやりとしてきて、意識が戦闘から離れていく。

目を開けているのさえも辛くて、瞳を閉じる。

まぶたの裏に映るのは、たくさんの思い出たち。

ティストとアイシス、二人が来てからは、本当に退屈しなかった。

狭くて小さなアタシの世界を押し広げ、知識を、考え方を、驚きを、幸せを、本当にたくさんのものをくれた。

作業に過ぎなかった食事が、あんなにも、美味しくて、楽しくて、嬉しいことになった。

人間の領地に行き、いろんな人たちと顔を合わせ、言葉を交わした。

そして、どうしようもないと思っていた、母上たちとの仲まで取り持ってくれた。

魔族のために、人間の領地から食糧を運び、精霊族に頭を下げてくれた。

あの二人が来なければ、こんなに幸せには、なれなかっただろう。

すべては、二人のおかげだ。

だから、きっと、これ以上を望むなんて、欲張りすぎだ。

「セレノア」

呼ばれたのは、アタシの名前。

大きなわけでもないのに、その声は、耳にすんなりと入ってきた。

「まだ眠るには、早いだろう?」

アタシの中へと入り込んできたティストの声が、奥底で不思議なほどに響きわたる。

聞いているだけで心地よくなってくる、暖かな声音。

それは、消えかけているアタシの命の炎へと吹き込んでくる、優しい風だ。

「そんなんじゃ、一番いいところを見逃すぞ?」

本当なら、そのまま火を消してしまうはずの風が…。

もう一度、アタシに燃え上がる力をくれる。

「………」

地に伏せた顔を無理やりに倒して、重いまぶたをこじ開ける。

すぐ前に、アタシを庇うように立つ、ティストの背中が見えた。

ったく、自分だって限界のはずなのに。

あんなに重症のくせに、立ち上がって見せるなんて…。

「そうだ、まだ眠ってもらっては困るな。これからが、最高の舞台なのだから。

 血と殺戮が、全てを彩る。貴様の近しいものたちが死ぬ様を、たっぷりと見届けるがいい」

ふざけるな。

誰一人、殺させやしない。

殺させて、たまるものか。

「………」

どれだけ力を込めようとも、身体の自由が、まるできかない。

それでも、残されたありったけの力を唇へと注いだ。

「逃げ…な…さい。その…く…らいなら、でき…るでしょ?」

発したはずの声は、自分の耳にさえ届かない。

自分の唇が本当に動いてくれたのか、自信が持てなかった。

「冗談じゃない。せっかく、セレノアが作ってくれた好機を、無駄にするわけないだろっ!!」

言い置いたときには、もう、ティストが飛び出していた。

「私も、行ってきますね」

一瞬だけタイミングをずらして、アイシスもティストの後ろへと続く。

ったく、もう…。

どっちもアタシと同じくらい重症だっていうのに…。

二人とも、人の話なんて、聞きやしないんだから。

「はぁっ!」

「やぁっ!」

緩急をつけ、虚実を織り交ぜ、二人の波状攻撃は途切れない。

二対の刃が、確実に奴を追いつめていく。

「くっ…おのれ…」

息が上がった状態では、あの連携は、防ぎきれないだろう。

二人の後ろ姿を、そして、奴の苦痛に満ちた顔を、この目に焼き付ける。

一瞬だって、見逃してたまるか。

「ッ!!」

ティストの一撃を防ぎ損ねた奴が、大きく体勢を崩す。

あれでは、次の一撃は、防げない。

「やあぁぁっ!!」

相手の胸元めがけた、アイシスのダガーによる刺突。

当たれば、致命傷は避けられない。

「させるかっ!」

「くぅっ…」

あと一歩というところで、アイシスが魔法で迎撃され、大きく吹き飛ばされる。

「そんなに死に急ぐのなら、墓を用意してくれるわ」

直撃を食らったアイシスがアタシの近くに倒れるのと同時に、奴が必死の形相で腕を振るった。

「…!?」

感覚が鈍くなっているアタシにでも分かる、大きな地響き。

この期に及んで、いったい、何を…?

「…!」

目の前にある信じられない光景に、思わず息を飲む。

眼前にそびえるのは、ロアイスで見た城壁に劣らぬほどの巨大な岩塊だ。

実際にどれほどの高さなのか、地面に倒れたこの体勢では、その天辺を見ることができない。

「まずいっ!!」

「ふん、気づいたようじゃな。さあ、さっさと戻って守るがいい。

 さもなくば、大事な大事な命が、全て潰れるぞ?」

「チィッ!!」

ティストが、アタシとアイシスの元へと駆け戻ってくる。

それを見計らったように、圧倒的な重量の岩壁が、こちらへとゆっくり倒れてきた。




「風よっ!!」

ティストの声に応えるように、周囲の風が荒れ狂う。

魔法に共鳴するように渦を巻き、大きな竜巻となって、アタシたちを守護するように取り囲んだ。

でも、威力が足りない。

迫り来る土壁は、勢いを弱めこそしても、その動きを止めない。

せめぎあい、風に削られ、それでも、蝕むように確実に迫ってくる。

質量がそのまま威力になるんだから、岩を投げつけるよりも、たしかに強力だ。

けれど、これほど大味な魔法なんて、普通なら絶対に当たらない。

だっていうのに…。

「こんなに遅い魔法を、避けられないなんて…」

いくらかマシになったとはいえ、ゆっくりとしか動いてくれない。

これじゃあ、アタシが立ち上がる前に、全員が潰される。

「アイシスッ!! 目を覚ませっ!!」

ティストの声に、アイシスは答えない。

ダメだ、さっきの攻撃を受けて、意識が飛んでしまっている。

アイシスに、母上たちに、アタシまで動けないのでは、どう考えても、ティストの手に余る。

「くそっ…」

石柱と呼ぶには分厚すぎるそれは、風の魔法で相手をするには、大きすぎるし、重すぎる。

内部まで炎を打ち込んで、中から爆発…それでも、壊せるかどうか、微妙なところだ。

でも、迷ってる暇はないわね。

「くっ…」

やっとの思いで膝を立て、その上に左手を乗せて、狙いを定める。

身体は、もう、ほとんど動かない。

でも、魔法なら、まだ使えるはずだ。

残りかすとなった自分の中から、使える力を探し当てる。

息をするための、血を巡らせるための、ほんの小さなひとかけら。

これを使ったら、今度こそ間違いなく死ぬわね。

でも、いい。

それで、この二人が助かるなら、十分だ。

今なら、母上たちの気持ちが分かる気がする。

この二人を、絶対に死なせたくない。

たとえ、自分の命と引き換えにしても…。

「ティスト、アタシが撃ったら、走りなさい」

精一杯、声に力を込める。

虚勢でもいい。

無様な姿だけは、絶対に見せたくなかった。

「必ず、壊すから」

奴への道は、アタシが切り開く。

アタシには、そこまでしか、できないけれど…。

きっと、ティストなら、やってくれるはずだ。

「………」

死を覚悟して、指先に力をこめる。


「待て」


低くて、小さな声。

それは、吹き荒ぶ風にも、ぶつかり合う魔法にも消されずに、アタシの元へ届いた。

「その力は、取っておけ。最後に奴に叩き込むまで…な」

静かな命令口調に、なぜか逆らえない。

そういえば、アイシスが自慢げに話してたっけ。

お兄ちゃんの声は、まるで、魔法みたいだ…って。

たしかに聞いていたとおり、なぜか、信じてみたくなるような、不思議な力強さを持っている。

「分かったわよ」

開いていた手を握りこみ、拳を作る。

集めようとしていた力を元へ戻し、そっと息をついた。

「なんとかなるんでしょうね?」

「してみせるさ」

放っていた魔法を止め、右手で、ダガーを音高く抜刀する。

続いて、ティストの足が、しっかりと大地を噛んだ。

「…!」

あの構えは、たしか、ジャネスを相手にしたときに使っていた、全力攻撃の技だ。

まさか、あの分厚い岩を叩き切るつもりなの!?

支えを失った巨岩が、ゆっくりと、確実に、こちらへと向けて落ちてくる。

なのに、ティストは、そちらを見据えて、微動だにしない。

体中の力を練り上げているんだ。

「ふん。あれほど、魔法の前では、武器が無力であることを教えてやったのに…。

 何一つ理解しないまま、この世を去るか」

「ああぁあぁあぁぁぁあああああっ!!」

天まで轟くほどの大音声と共に、鮮烈な緑色が、右手ごとダガーを包み込む。

収束の効率がいいわけでもないし、切れ味が良くなるわけでもないのに、なんで、ダガーへ魔法を?

ティストの狙いが、分からない。

「あああああああああぁあぁあぁぁぁあああああっ!!」

器から零れ落ちるように、行き場を失った風たちが、次々に周囲へと四散する。

それでも、ティストは、ただひたすらに魔法を収束させていた。

「やはり、愚か者よな。魔法の収束には、個人によって限界がある。

 貴様のちっぽけな器では、扱いきれぬ。そんなことも分からぬか」

たしかに、奴の言うとおり、無理して掻き集めたとしても、その力を留めることはできない。

だけど、常識を全て超えた先でしか、手にできない力があることを、アタシは、知っている。

本当の上限は、限界を超えているときでなければ、分からない。

「あああぁぁぁぁあぁああああぁぁぁあぁぁああっ!!」

ティストの苦しげな絶叫は、まだ続いている。

手に余る力を使うのなら、まずは、その重みに耐えなければならない。

どれだけ持てるのかは、本人にしか分からない。

でも、ティストなら…。

ティストなら、たぶん、持てるはずだ。

アタシと同じくらいに、もしかしたら、それ以上に。

「そのまま、潰れるがいい」

目前に迫る岩壁は、もうすぐ間合いに入る。

「風よっ!!」

鋭い命令に、ダガーの柄につけられた宝石たちが、まばゆいほどに光を放って答える。

続いて、魔法を集めていたダガーの刀身が、目が痛くなるほどに輝いた。

ティストが全てを捧げ、確実に魔法がその濃度を増していく。

「あああぁぁぁぁあぁああああぁぁぁあぁぁああっ!!」

両手の筋肉を酷使して、ティストが、ダガーを真っ直ぐに振り下ろす。

ぞくりと不思議な快感が、背筋から全身へと広がっていく。

力の高まりに、自分の身体が引きずられ、血が熱くたぎるのを抑えられない。

この感覚には、覚えがある。

何か、途方もない力が…来る。

アタシが、感覚だけで、そう確信したその瞬間に…。


アタシの目の前で、新たな力が産声を上げた。


「なぁ!?」

奴が間抜けな声をあげたくなる気持ちも分かる。

斬線が描いたとおりに生み出された、目の前にそびえたつ岩壁に引けを取らないほど巨大な風の刃。

それは、実態のない闇夜でさえも切り裂いてしまうくらいの、強烈な存在感を持っていた。

なのに、この世の者とは思えないほどに美しく、どこか優しいとも思わせる、不思議な銀光。

アタシが見てきた中でも、間違いなく、一番に綺麗な色だ。

「白銀の風…か。悪くないじゃない」

唇を動かすのも辛いのに、気づけば、自然と口が動いていた。

本心とはまるで違う自分の声に、思わず苦笑いしたくなる。

でも、しょうがない。

どうせ、今の気持ちなんて、完全に言葉にできやしないんだから。

「…? わぁ…」

目映い光に目を覚ましたアイシスが、目を輝かせて、歓声をあげた。

そんな場合でないことは分かっているのに、アイシスと一緒に、目の前の光景に見入ってしまう。

硬質な岩壁に風の刃が食い込み、耳が痛いほどの音を立ててぶつかり合う。

相殺しているはずなのに、風は、わずかにも弱まる気配を見せない。

あまりにも大きすぎる一撃が、迫り来る岩に刻まれた。

そこから、さらに亀裂が派生し、見る間に数条の線が、壁に走っていく。

「くっ…くうううっ…」

歯を食いしばり、動揺を顔いっぱいに浮かべて、奴が手のひらに力を込める。

どうやら、取り繕うのも忘れるくらいに、慌てているらしいわね。

「ああぁぁぁあぁぁあぁぁぁっっ!!」

体勢を立て直すと、手を休めることなく、今度はダガーを大きく横へと薙ぐ。

前の一撃と見事に重なって、風の刃が大きな十字を描いた。

「この…」

吸い込まれるように、二つの風が、分厚い壁の中へと姿を消す。

次の瞬間には、微細なヒビまでもはっきりと浮かび上がるくらいに、岩の中心から鮮やかな銀色の光が溢れ出した。

見上げるほどに大きな岩壁が、大きく震える。

音を立てて、見る間に崩れ去った。

「…はぁ…はぁ…はぁ」

息を荒げながらも、ティストの手の輝きは、増す一方だ。

溢れ出る力は、手のひらから立ち上り、全身を照らしている。

ぼんやりと輝くティストの全身には、神々しささえ感じさせられる。

「馬鹿な…ありえんっ!! 有色だとっ!? そんな…そんな、馬鹿なっ!?

 私でさえ到達しえなかった高みに、こんな小僧がっ…」

「おそらく、あんたが馬鹿にしてきた肉体の力こそが、必要だったんだろうな。

 そうでなければ、この反動を身体に受けきれるはずがない」

「認めん、認めんぞおぉっ!!」

ティストの反論を振り払うように、奴が必死で首を振る。

そこには、余裕も威厳も、何も残っていなかった。

「一撃を凌いだぐらいで、浮かれおって」

「今度は、俺のを凌いでもらおうかっ!」

全身を縮めて溜めを作り、繰り出されたのは、渾身の刺突。

その間合いが伸びたように、白銀の風が切っ先から放たれた。

「…!」

アタシの目でも、まるで追いきれない。

銀色の軌跡だけを残して、あっという間に空を翔け抜けてしまった。

その目にも止まらぬ魔法の速さは、疾風と呼ぶにふさわしい。

「がぁっ…」

辛うじて展開が間に合った奴の魔法は、直撃とともに粉砕される。

威力を失わなかったその魔法は、そのまま、奴の左肩に大きな風穴を開けた。

さっきは、壁を壊すために、広範囲に斬りつけていたから、威力も拡散していた。

でも、今度は、違う。

その莫大な力が、あんな小さな一点に絞られたんだ。

「がっ…あっ…あぁあぁぁぁぁああああぁああああああっ!!」

左肩を抑え、脂汗を浮かべて、奴が力の限りに叫ぶ。

痛みに苦しみ、無様にのたうつ姿には、さっきまでの威厳も貫禄も、残っていなかった。

「セレノア、どうするんだ? そのまま座ってるか?」

刃へと風を集めだしたティストが、アタシを挑発するように、そう問いかけてくる。

こいつと戦うかどうか、その選択を、アタシに任せるつもりなんだ。

それは、きっとアタシが悔いを残さないための、ティストなりの気遣いだろう。

「そんなの、決まってるじゃない」

握っていた拳を開いて、奴へと狙いを定める。

さっきから、胸が、腕が、足が、腹が、身体のいたるところが熱くてたまらない。

使い果たしたと思っていた力が、身体の奥から溢れ出してくる。

その熱を逃がさないように組み上げ、残らず、手のひらへとかき集めた。

白銀の風の横に灯る、桃色の炎。

反発しあうかと思ったのに、吹き散らされるどころか、風を吸い込んで、より強く燃え盛った。

不思議だ。

攻撃に使うだけの風の魔法が、こんなにも力をくれるなんて…。

「打たせるかぁっ!!」

「…!」

槍のような岩が、アタシたちに向かって正面から飛んでくる。

ったく、往生際が悪いのはどっちの方よ。

「させません」

アタシが対処するよりも早く、何層にも張り巡らせた水に絡め捕られる。

抗うこともできずに、アタシたちの遥か手前で、力なく地面へと墜落した。

「この程度なら、私の魔法でも十分です」

「くそっ…くそぉっ…」

アイシスがくれた時間が、致命的な差を生む。

収束を終えたアタシたちの魔法を、これから収束を始める奴が止められるわけがない。

「さあ、存分に受け取れ」

「あまりの強さに色が変わったと呼ばれる、有色の魔法をね」

風が炎を育て、炎が風を生み出す。

互いが互いに干渉することで、より大きな力へと成長する。

二色の有色が、混じりあい、大きな渦となって奴へと向かった。




ようやく砂煙が収まって、視界が回復する。

端から切り裂かれ、無残に焼け焦げ、奴の黒衣は、ほとんど原型をとどめていなかった。

それは、奴の魔法が、アタシたちよりも劣ったという、確かな証拠だ。

「がはっ…ぐふっ…」

仰向けに倒れた奴の口から、盛大に血が吐き出される。

それでも、致命的に見えるほどの吐血に混じって、奴は、呼吸を繰り返していた。

「まだ息があるの!?」

「なんて、しぶとい」

嫌悪のこもった母上たちの声に、思わず安心してしまう。

二人とも、無事に正気を取り戻したみたいね。

「…ふん、ワシを…見くびるな。貴様ら…ごときに、殺されて、やる…ものかよ」

奴が、血まみれの手のひらを、自分の胸へと当てる。

そこから、白く小さな淡い光が漏れ出した。

まずい…せっかくここまで痛めつけたのに、回復されたら、手の打ちようがなくなる。

「まだ、癒しの魔法が使えたのか」

落ち着き払った、ティストの声。

横目で見たティストは、奴の動きを見ても、欠片も同様していなかった。

まだ、余力を残しているっていうの?

「敗北を素直に認めろ。傷を癒したら、真っ先に貴様を殺してやる」

「癒したら…ね。そんな暇が、あると思っているのか?」

「ふん、強がりをほざくな。今の貴様たちに、何ができるというのじゃ?

 半死半生どころか、全員が満足に身動きもできぬではないか」

「ははっ、まだ分かってないのか」

奴の反論を楽しむように、ティストが嘲笑う。

攻撃的で、高圧的なそれは、戦闘で何度か見せてきた好戦的な笑みとも違う。

今までに一度も見せたことのない、残酷で酷薄な笑みだ。

「勘違いするな。お前を殺すのは、俺じゃない。

 俺では、ふさわしくない」

「なにぃ?」

耄碌もうろくした目と耳でも、感じられるだろう? 近づいてくる、確実な死が」

「な…」

首を回すことも満足にできなくて、仕方なく耳を澄ませる。

これは、足音?

一つは、地を揺るがすほどに重く、もう一つは、アタシの耳でもはっきり聞こえないほど小さく、軽やかだ。

そのどちらにも、アタシは、聞き覚えがあった。

座ったままで動けないアタシの横を過ぎて、二つの影がアタシの前へと出る。

レオン・グレイスと、ガイ・ブラスタ。

その後ろ姿は、見ているだけで戦慄するほどの迫力があった。

「なぜ…だ、なぜ、貴様らがここに…」

問いには答えず、全身に闇色の魔法を纏い、二人が悠然と歩く。

奴の人を操る魔法のときと同じ…いや、それ以上の不快感だ。

ここに、居たくない。

本能が、恐怖に悲鳴を上げている。

「まっ…て…、俺…も…」

「?」

後ろから聞こえてきた苦しげな声に振り向き、ふっと息をつく。

そこには、血みどろになって転がり、それでも立ち上がろうとしているジャネスの姿があった。

ったく、あの馬鹿、無事だったのね。

いらない心配させて、まったく。

「くっ…そっ…」

癒しの魔法を止めた奴が、わずかに身じろぎする。

「………」

その瞬間に、黒い炎が渦を巻き、奴を取り囲んだ。

「………」

続いて、格子状の黒い何かが、空を覆い尽くす。

火傷しそうな熱と空気が焦げる嫌な臭いが、この距離でもアタシにまで届く。

あれは、奴を逃がさないための、炎の檻だ。

「こんなものっ!!」

黒き炎へ触れた瞬間には、土の魔法が消し炭となって、空へと吹き散らされる。

何度もアタシたちのことを阻んだあの土壁が、数秒さえも持続できないなんて…。

「くっ…」

「どいつもこいつも、有色の魔法だと…」

男の身体を支えるように、地面から土の椅子が生える。

さっきまでのような大きさもなければ、豪奢な意匠もすっかりなくなっていた。

あれじゃあ、椅子とさえ呼べない、ただの無骨な土の塊だ。

「まったく、ふざけおってえ!!」

絶叫した男の身体を覆い隠すように、椅子が球体へ変化する。

あれで、全身を守りながら、強引に突破するつもりなんだ。

黒き炎が収束して、奴の行く手を阻む。

それでも、おかまいなしに、奴は高速で突っ込んでいった。

「………」

思わず、自分があの炎に触れたところを想像して、身震いしてしまう。

どんなに相殺したとしても、生きていられる気がしなかった。

「チッ」

舌打ちが聞こえたのと、ほぼ同時。

黒煙を上げ、異様な臭気をまき散らして、炎の檻から岩塊が飛び出した。

突然に、椅子を支えていた足の部分が折れ、上の球体が地面に投げ出される。

ごろごろと地面を転がる度に土が削りとられ、ついに、中身が飛び出した。

「くっ…そっ…」

仰向けになった奴は、息も絶え絶えに手を伸ばす。

地面から盛り上がった岩が、形を成す前に崩れ落ちた。

「くっ、馬鹿な…。こんな、こんな馬鹿なことが…。

 あっていいわけが…ないっ!!」

何度も手を動かし、それでも、何の変化も生まれない。

ついに、魔法が尽きたんだ。

「ひっ…」

父上たちの接近を恐れ、無様にのた打つ。

だけど、どれだけもがいても、数歩の距離も稼げていなかった。

見る間に、父上たちとの距離が縮まる。

「足がどれだけ大事なものか、分かっただろう?

 死ぬ前に一つ賢くなって、良かったじゃないか」

ティストの皮肉に返事をする余裕もなく、奴が後ずさる。

それでも、すぐに岩へと背をつけて、身動きが取れなくなった。

「………」

もう虫の息だというのに、父上たちには、ほんのわずかな油断もない。

あの二人からは、逃げられない。

絶対に。

「ようやく…だな」

一言だけ、父上がつぶやく。

返事の代わりなのか、ガイ・ブラスタが拳を握り締めた。

ぎちぎちと骨が軋む不快な音が鳴り、硬度が増していく。

全身の中で、一番硬い場所を作り出したんだ。

「さて…」

父上を取り巻く魔法の色が、宵闇よりも暗く、重々しいものへと移り変わる。

有色の魔法が、さらに変色した?

見たこともない変化に、身体が勝手に戦慄する。

アタシの魔法では、決して太刀打ちなど出来やしないだろう。

格が…次元が違う。

手をついている地面が、消えそうなほどに、もろく感じてしまう。

世界が、黒に塗りつぶされていく。

「この身が、万全であれば…。

 最初から戦っていれば、貴様等など…」

父上が、左腕を踏み砕き、ガイ・ブラスタが、右腕に巨大な拳を突き立てる。

怨嗟の声と両腕を無残に潰され、奴の顔がさらに歪んだ。

足で、拳で、末端から骨を一つずつ砕き、徐々に中心へと向かっていく。

一撃が振り下ろされる度に、奴の身体が跳ね、口から血と叫びが漏れた。

殺気を生み出し、怒気で膨れ上がらせ、狂気で彩る。

数秒刻みで、相手の全身に、死が塗りたくられていく。

赤黒い血が砂の上に撒き散らされ、それが繰り返されて大地が朱に染まった。

拷問と呼ぶのも手緩い、痛みを与えるためだけに作り出された、苦痛の極致だ。

「ふ…ん。無駄な…ことだ。ワシを…殺し…ても、死者…は…蘇らん。

 貴様…らの、して…いるのは…何の…意味もない」

「たしかにそうだ。だが…。

 それは、妻を殺した貴様が、まだ生きている理由にはならない」

聞いたこともないような、殺意に満ちた冷酷な声で言い放つ。

そして、父上とガイ・ブラスタが同時に天高く飛び上がった。

二人の全身から、黒き魔法が吹き荒れる。

溜め込まれ、凝縮され、解き放たれるのを待っていた、途方もない力。

瀕死の奴を殺すのにこれほどの力は必要ない。

それに、あれだけの力を振るえば、身体への反動だって、尋常じゃないはずだ。

後先など、考えていない。

あの一撃だけ、他には何もないのだろう。

目で、耳で、肌で、全身で、その全てを理解する。

これが、父上たちの本当の全力なんだ。

同じ有色だというのに、二人の魔法はまるで傾向が違う。

父上は、限界まで振り絞った力を完璧に制御し、一撃の威力を極限まで高めている。

ガイ・ブラスタは、さっきのティストと同じように、零れ落ちる魔法を気にも止めずに、己の全力を使い尽くしていた。


「消え失せろっ!!」


「くたばれえっ!!」


急降下とともに、父上の爪とガイ・ブラスタの拳が、奴へ深く深く突き立てられる。

絶大な力が大地を揺るがし、地面を大きく陥没させた。

二人の手で、地形が新しく書き換えられる。

「がぁあぁぁあぁぁぁぁっ」

わずかに聞こえた断末魔さえも、爆炎の前に、完全にかき消された。

もう、終わった。

それでも、勢いは衰えるどころか、増している。

ただ、全てを出し尽くすまで、二人とも止まらなかった。




ほとんど穴になってしまったそのくぼみの最奥は、覗き込むほどに深い。

そこに、拳を握った二人だけが、ただ静かに立っていた。

「これで、終わった…な」

穏やかなその声に、どうにか頷いて返す。

ティストが口に出してくれたことで、ようやく、本当に全てが終わったことを実感できた。

色んな思いが自分の中を駆け巡っていて、何を考えればいいのかも、分からない。

「あぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁああぁあぁぁ」

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおぉおぉおぉぉおぉ」

二人が、天に向けて咆哮をあげる。

響き渡る慟哭どうこくに、心が震えた。

視界が揺れ、泣いている自分にようやく気付いた。

止まらない涙を拭うのをあきらめて、空を見上げる。

「母上、見ていてくれましたか?」

問いかけて、愚問だったことを悟る。

だって、母上たちが、見ていないわけがないから。





翌朝。

アイシスの提案で、母上の元を訪れた。

誰一人として満足に歩けなかったのに、それでも、誰も城に残るとは言わなかった。

みんな、気持ちは一緒だったのかもしれない。

アタシたち家族が、それぞれに報告した後。

母上の墓前で、最後にティストとアイシスが手を合わせ、深々と頭を垂れる。

アタシたちの真似をしているだけなのに、その姿は、なかなか様になっていた。

もう一度、墓碑へと向けて丁寧な礼をしてから、二人が顔を上げる。

それから、目を交し合って、誰からともなく笑い出した。

心から穏やかになれる、あたたかな笑顔。

こんな風に笑いあえる日が来るなんて、思ってもいなかった。

「こうしてシーナに吉報を届けられるのも、君たちのおかげだ。本当に、ありがとう」

「ありがとうございました」

父上にあわせて、身体の痛みを必死に堪え、全員が最上級の礼をする。

これほどの恩人に礼儀を尽くさないなんて、無礼の極みだ。

「今後、困ったことがあったら、必ずアタシを頼りなさい。絶対に、二人の力になるわ」

この想いだけは、口にせずには、いられなかった。

たとえ、どんな危険な敵が出ようと、どんな厄介事に巻き込まれようと、アタシは絶対に二人の味方をする。

それだけは、この先に何が待ち受けていようと、絶対に変わらない。

「ありがとうございます」

「ああ。そのときは、よろしく頼む」

死の瀬戸際まで追い詰められたというのに、二人は、こうして笑ってくれる。

ったく、本当に、お人好しなんだから。

「それで、魔族になるという話は、考えてくれたかい? 君のためになら、すぐにでも玉座を明け渡そう」

「そうまで言ってくれる気持ちは嬉しいが…なぁ」

ティストに言葉を向けられて、アイシスが笑顔を返す。

その笑顔は、困っているティストのことを見て、楽しんでいるようだ。

「君が折れてくれるまで、何度だって頼むつもりだ。

 なにせ、君ほど次の王にふさわしい者など、いないからね」

父上の言葉に、ティストが心底嫌そうな顔で肩をすくめてみせる。

それだけじゃ足りないとでも思ったのか、ゆっくりと首を横に振ってから口を開いた。

「勘弁してくれ。どうあがいても、王なんて、俺に勤まるわけがない。

 それに、魔族の民が、俺のことを認めると思うか?」

ったく、下手な言い訳ね。

そんなことを言われたら、あの二人が、黙っているわけがないじゃない。

「認めるわね。なんて言ったって、この私たちでさえ認めたのよ」

「そうね、私たち以上の難敵なんて、魔族中探してもいないでしょうね。

 それに、強さに魅せられるのが魔族よ。有色にまで上り詰めた男を認めないわけがないでしょう」

「既にあなたへ心酔する者たちも大勢いるし、あの白銀の風を見たら、これからも増え続けるでしょうね。

 他で冷遇されてるぐらいなら、さっさと見切りをつけて、グレイスに来なさい。

 なんなら、私たちがあなたに仕えてあげるわよ?」

怒涛の勢いでまくし立てる二人に、ティストが苦笑を深める。

この二人にかかれば、どんな反論だって、たちどころに飲み込まれてしまうだろう。

本当に、心からティストを気に入ったみたいね。

母上だったら、ティストのことをどう思うだろう?

聞いてみたいのに、それは、絶対に叶わない。

それを思うと、少しだけ、悲しくなる。

風がそよぎ、アタシの髪を優しく撫でて、通り過ぎていく。

不意に、母上の声が聞こえた。


『セレノア、よく聞きなさい。

 戦場の最前点に会いなさい。そして、気に入ったなら…』


「添い遂げなさい…か」

ずっと奥底へと封じ込めていた言葉を、口に出してつぶやく。

母上の言いつけをしっかり守るほど、子供じゃない。

だからって、それにただ逆らうだけの、馬鹿じゃない。

ここから先は、アタシが決めることだ。

まずは、作りかけの羽織を完成させよう。

もちろん、誰にも知られないように…だ。



お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

これにて、セレノア編、有色の戦人 完結となります。


ストックが溜まった頃に連載予定ですので、しばらくお待ちください。


本日の夏コミ最終日、東S32-a The sense of sightで

第二章 有色の戦人の裏側にあたるサイドストーリー

有色の姫巫女を発売します。


レオンの妻、シーナ・グレイスとガイの妻、ユミル・ブラスタ

二人の物語になりますので

お楽しみ頂けた方は、ぜひともお求めください。

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