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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER 有色の戦人
118/129

14章 気まぐれな休息-1


【ティスト視点】



いくつもの書類を同時に広げられるために作られた、大きめの執務机。

それが全て埋め尽くされてしまうほどの量の本が、机上に整然と並べられていた。

表紙全てに、『森の礎』の文字と共に巻数と思われる数値が刻まれ、左上から右下へと順番に増えている。

紙の大きさは同一だが、本の厚さは様々で、冊数は十を超えていた。

「まさに圧巻ね。立案した者が言うべきことじゃないのでしょうけれど、

 本当に精霊族が貸してくれるとは思ってもみなかったわ」

「まあ、向こうが相当に無理をしてくれたんだろうな」

セレノアの気迫のこもった懇願は、たしかにすごかった。

しかし、それ以上に、キシスとマナが奮闘してくれたのだろう。

そうでなければ、絶対に精霊族の長が首を縦に振ることは、なかっただろうから。

「もう目を通したのか?」

「いいえ。あなたが借り受けたのだから、これは、あなたが一番に手に取るべきでしょう?

 だから、我慢したわ」

真顔で、我慢した…なんて言ってくれるから、思わず、笑い出しそうになる。

森の礎の話を最初にしたときも、ずいぶんとご執心だったようだからな。

きっと、どんなことが書いてあるのか、気になって仕方ないのだろう。

「さあ、あなたの手で封印を解いて。

 おそらく、前大戦の後、あなたが一番最初の読者になるはずよ」

大仰な言葉と熱っぽい口調で、ファーナがどれだけ夢中なのかが分かる。

それほどに、この『森の礎』という本は、特別な存在なのだろう。

だったら、そんな大役は、俺なんかよりも適任者に任せたほうがいい。

「この本の一番乗りは、ファーナに譲らせてもらうよ。

 俺の知識じゃ、おそらく読み解けないだろうし、俺は読むのも遅いしな」

「しかし…」

「いつも、迷惑をかけてばかりなんだ。

 こんなときぐらいは、役得を味わってもらわないと、申し訳なくなる」

「本当に、いいの?」

「ああ」

うかがうように上目づかいになるファーナへと、頷き返す。

それを見て、ようやく決心がついたようだ。

「じゃあ、失礼するわね」

口元を綻ばせて、古ぼけた表紙に指先で触れる。

壊れ物に触るように優しくめくり、最初の一ページに目を落とした。

「さすがに、精霊族の厳重管理ね。

 執筆されてから、かなり経つはずなのに、ほとんど汚損もないなんて…」

ぱらぱらとページを繰り、最後に裏表紙や背表紙まで確認したファーナがそう評する。

たしかに、その外見と比べると、中の文字は読みやすいようだな。

「で、どうしたらいい? ファーナが読み終わったら、また連絡をくれるのでいいか?」

「そうね。明日まで待ってもらえるかしら?」

「明日…って、一日で読破するつもりか?」

「読むついでに、複写するわ。だから、持って行くのは、それで我慢してもらえないかしら?」

「これほど手厚く保護された本を何度も運ぶなんて、気が引けるもの」

「複写って、この量を…か?」

数十冊の本は、真っ直ぐに積み上げたら、たぶん、俺のダガーの刃渡りにも勝る厚さだ。

それを、たった一晩で、読むだけじゃなく、複写まで?

「そうまで驚いてくれると、こっちとしても嬉しくなるわね。

 文字を書き写すだけの単純作業よ。ちょっと時間はかかるけれど、たいした労力じゃないわ」

不敵な笑みを浮かべて、事も無げに、ファーナが請け負ってくれる。

俺なら一晩で読み切れと言われただけでも絶望するのに、まったく、頼もしいことだ。

「ついでだから、要約したものも用意しておくわね。

 その反応だと、これを読破するだけでも、数日かかりそうだもの」

これだけの量を読破し、意味を理解するなら一ヶ月は覚悟していたなんて、口が裂けても言えないな。

ここは、好意に甘えさせてもらおう。

「よろしく頼む」

「ええ。では、明日の朝に」

嬉々として一冊目を手前に引き寄せ、その隣に白紙の山を用意する。

お楽しみの邪魔にならないように、早々に部屋を退室した。







コタツの上に、出来上がった料理を並べていく。

使い慣れない台所のおかげで、上出来とは呼びにくいが、まあ、及第点だろう。

ユイ特選の素材は鮮度も味も抜群だし、調味料もばっちり揃えてくれた。

俺の腕が悪くても、多少は誤魔化してくれるはずだ。

「………」

アイシスたちは、まだ風呂から戻ってこない。

ちょっとばかり、早く作りすぎたかもしれないな。

湯気に乗って部屋中に広がった香りが、俺を誘惑する。

こうにも魅力的だと、味見と称して、つまみぐいでもしたくなる。

「…!」

抗うために視線を逸らすと、今度は、部屋の隅に置いてある、衣装棚らしきものに目が止まる。

セレノアの部屋なのだから、当然、中にはセレノアの服がしまってあるのだろう。

不意に、セレノアの凄味のある笑顔が脳裏に浮かぶ。

「あの中身を見たら、俺の命がないわけか」

女が男のを見るのはよくて、その逆がダメとは、理不尽なもんだな。

そんなくだらない考え事を、近づいてくる足音が消してくれる。

かすかに聞こえてくる華やかな話し声に耳を傾けながら、一足先にコタツに足をいれた。





「すみません、お待たせしました」

「ふぅん、いい匂いね」

「あの短時間で、ここまで用意できるなんて、見事な手際ね」

「本当に、私たちでは、とてもこうは出来ないわ」

大きめのタオルを肩にかけて、濡れた髪の四人が、仲良く部屋に入ってくる。

ここのところは、風呂と食事をはじめとして、何かと一緒にいることが多い。

それでも、会話が途切れてないところを見ると、それなりに打ち解けてきたのだろう。

「驚いてくれるのは嬉しいが、ぜひとも、冷めないうちに食べてくれ」

胡坐で座りなおした俺の左隣で、正座をしたアイシスが背筋を伸ばす。

すっかり、俺たちも地べたでの生活に順応しているな。

向かいには、レイナとサリに挟まれてセレノアが、それぞれ腰掛ける。

ここ最近の、食事をするときの定位置だ。

「いただきます」

声をそろえて、目の前の料理に対して頭を下げる。

こうして、グレイスで初めての晩御飯が始まった。



「…ふぅん、やるじゃない」

「味付けも好みだわ」

「そうね。これなら、いくらでも箸が進む」

「とっても美味しいです」

誰もが笑顔で、舌鼓を打ってくれる。

振る舞った料理を喜んで食べてもらえるのは、何とも言えない充足感がある。

ユイの気持ちが、分かる気がするな。

「たしかに、美味しいんだけどさ…なんで、最初から一人ずつに取り分けてあるの?」

一人前に仕切る台(膳というらしい)を見て、セレノアが不満顔でぼやく。

やっぱり、セレノアにはお気に召さない…か。

「これが、本来の魔族の方式なんだろう?」

建前の返事をしてから、アイシス、レイナ、サリとそろって苦笑いする。

セレノアは、一度気に入ると、同じ物だけを食べ続けたくなる性質みたいだからな。

こうでもしないと、周りが食べられない料理が出来てしまう。

別に他のものが食べられないとか、嫌いなわけじゃないみたいだから…。

セレノアの場合、好き嫌いが激しいというよりは、好きなものが特別過ぎるのだろう。

だが、それは、身体にあんまりよろしくない。

「アイシス、これとそれ、交換しない?」

セレノアが炙り焼きの肉を差し出して、アイシスのパスタを指差す。

主食さえあれば、他には何もいらない…か。

その気持ちは、分からなくはないが…な。

「え、いえ…あの…」

セレノアに差し出されたの皿を見て、アイシスが困った顔で周りに助けを求める。

まったく、意地っ張りなくせして、変なときだけ素直になるんだから、困ったもんだ。

「ダメよ。ちゃんと食べなさい。それは、セレノアの分なんだから」

「もう、分かったわよ。口うるさいんだから」

そうやってむくれてみせるが、険悪な雰囲気は、微塵もない。

どちらも、ようやく覚えてきた加減の範囲で、じゃれあっているだけだ。

こうやって、遠慮なく言い合えるようになったのだから、上等だろう。

「別に、食べなくてもいいけれど、後悔するのは、あなたよ。

 シーナも偏食のおかげで、成長不良で後悔してたもの」

冷ややかなサリの指摘に負けて、苦い顔で、セレノアが自分の口へと箸を運ぶ。

その情けない姿を見て、誰もが楽しそうに笑った。

セレノアも恥ずかしそうにしながら、それでも、ちゃんと笑っている。

家族…か、微笑ましいことだな。

「それに、いろいろ食べないと疲れも取れませんよ」

「このところ、重労働ですから」

器用に箸を使いこなしながら、アイシスが話題を継ぐ。

俺よりも上手に扱っているんだから、本当に吸収力が高いな。

「そうね。最近、妙に身体が重いときがあるし…ね」

両腕を上へと伸ばしてから、セレノアが首を振る。

そのたびに、ばきぼきと骨が軋む音が響いた。

「日が出る前に起きて、たいして休みもせずに、日が暮れるまでやってるんだから、無理もないわ。

 むしろ、平然とこんなことを毎日続けている、人間が異常…というか、すごいのよ」

俺たちがいるのを気にしてなのか、レイナが言葉を選びなおす。

こうして気を使ってくれるようになったのだから、本当に大した変化だ。

「人間は、時計を手放せない種族なんでしょう?」

 目を覚ますのも、眠るのも、食事をするのも、稽古をする時間さえも、自分の身体ではなく、時計にうかがいをたてる。

 信じるべきも、守るべきも、全ては時間であって、時計に支配されているといっても過言ではない。

 だから、あんなに長時間の仕事にも耐えられるのよ」

「否定できないところもあるが、それが全てだとは言えないな」

異種族からは、そんな風に見られていたとは、想像もしなかったな。

時計に支配される…か、ロアイスに住む人たちを見ていたら、たしかにそう思えるかもしれないな。

それほどに、仕事というのは過酷だし、力を注がなければ、立ち行かない。

「ある程度は、慣れの問題もあると思う。

 なんたって、働いている人間のほとんどより、ここにいる魔族のほうが体力あるんだからな」

そう言ってやると、魔族の三人が渋い顔で黙り込む。

人間を特別視する必要はない…っていう意味だったんだが、どうやら、言い方が悪かったらしいな。

「働いた時間の長さなんて、誰かと比べてもしょうがないだろう?

 手を抜けば、いくらでも伸ばせるけれど、そんなものに意味はない」

目的を達成するために時間が掛かるのは、仕方のないことだ。

しかし、時間を掛けることを目的にしてしまったら、目標にたどり着くまでの道が歪んでしまう。

「お兄ちゃんの言うとおりですよ。

 私だって、お兄ちゃんに会うまで、朝から晩まで訓練してましたけど、全然効果ありませんでしたし…。

 大事なのは、時間じゃなくて、何をしたか…だと思います」

「そうね。大事なのは、結果なのよね」

噛みしめるように、セレノアがつぶやく。

植物の種類は、もちろん重要だろうし、種や苗木などの差でも変わってくるらしい。

それに加えて、日当たり、地質、与える水の量。

組み合わせを変えれば無限にあるというのに、今試している結果は、二日や三日で分かるものじゃない。

セレノアたち魔族からすれば、歯がゆいだろう。

もしかしたら、自分たちの作業が全て徒労に終わるかもしれないのだから。

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよっ! べつに文句言ったわけじゃないんだからねっ!!」

俺たちの顔を見て、セレノアが盛大に慌てる。

自覚はなかったが、どうやら、それほど酷い顔になっていたらしいな。

「ったく、勝手に勘違いしないでよね」

「じゃあ、どういう意味だったんだ?」

俺の質問に対して、セレノアが珍しく自分の髪の毛に手をやる。

毛先を指で撫で、俺には視線を向けようともしない。

これほどセレノアが戸惑う仕草なんて、今までに見たこともなかった。

「…ティストも、アイシスも、大事なのは、結果だ…って言ったじゃない?

 アタシは、あんまり、そんな風に思ってない」

「どうして、ですか?」

気遣うような優しい口調で問いかけるアイシスに、セレノアが言葉を詰まらせる。

うぅーと小さく唸って額に手をやり、それから、ゆっくりと上目づかいに顔を上げた。

「別に、失敗したいわけじゃないわよ?

 成功しなくていいなんて、思ってるわけでもないのよ?

 アタシたちがやったことが無駄になるなんて、絶対に嫌なのよ?」

焦っているセレノアの口から出てくるのは、何に対してなのかもよく分からない言い訳。

それが、次に続く言葉で、ようやくつながった。

「でもね、アタシは、こうやって、いろいろやって疲れてるのが続くのも…

 悪くないかな…って思ってる」

まるで、悪いことでもしたかのように、気まり悪そうにセレノアがつぶやく。

えらく遠回しで、素直じゃないところは、まったくもってセレノアらしいな。

今のままが、続けばいい。

それはつまり、不変を願うほどに、今が幸せだということだ。

「私も同じ気持ちよ」

「もちろん、私もね」

幸せを声に乗せたレイナとサリがそう言って、セレノアを抱きしめる。

それは、まさに、我が子を愛する母の姿だった。

「な、なにしてるのよ!? やめてよねっ! 恥ずかしいじゃないっ!!」

「別に、恥ずかしがる必要ないわ」

「そうよ。子供が可愛いと思ったから抱きしめるなんて、当然のことよ?」

二人の腕にしっかりと掴まれて、照れくさそうに、それでも、幸せそうに笑っている。

たしかに、結果だけをがむしゃらに追い求めて、今を楽しまないのは、もったいないな。

それに、今は、焦るべきじゃない。

どんなものであろうとも、基礎をおろそかにしたら、全てが台無しになってしまう。

確実な結果が出るように、どんなことでも揺らがない、礎を作り出すべきだ。



【ティスト視点】


明くる日の朝。

アイシスと二人で朝食を終え、その余韻を楽しむ。

部屋でくつろいでいた俺とアイシスは、訪れたセレノアの言葉に驚かされた。

「ティストとアイシスに、お客よ」

「客?」

思い当たる節がなくて、思わず、セレノアの言い間違いではないかと聞き返してしまう。

自宅ですら来客なんてほとんどないというのに、ここは、魔族の領地だ。

友人どころか、知人もいない俺たちに、いったい誰が?

「ほら、待たせてるんだから、早くしてよね」

「ああ。アイシス、行けるか?」

「はい、大丈夫です」

二人で首を傾げながら立ち上がって、セレノアの後を追いかける。

考えられるのは、ロアイスからの使者くらいなものか。

師匠たちはないだろうから、ファーナか、もしくは、カルナス一家か?

連れられるままに玄関までたどり着き、靴を履き、表へと出る。

そこまできて、ようやく、異変に気が付いた。

いつもは静かな城の周囲が、異様に騒がしい。

何十、何百という数の声や息遣いが聞こえてくる。

なんだ? 誰かが集まっているのか? 

「待ってくれ、セレノア」

「なによ?」

「俺たちの客って、いったい誰なんだ?」

「見れば分かるわよ。ほら、さっさと来なさい」

あくまでも、答えるつもりはないらしいな。

俺たちには言えない相手…か? それとも…。

考えれば考えるほどに、不安が大きくなっていく。

「アイシスも、急ぎなさい」

「で、でも…」

俺と同じことに当然アイシスも気が付いているようで、その表情は硬い。

むしろ、何かと察知能力に優れているアイシスのほうが、俺よりも先に気づいていたかもしれないな。

「いいから、来なさいってばっ!」

強引に袖を引っ張られて、無理矢理に連行される。

いったい、誰が待っているっていうんだ?





「!?」

セレノアが城門を開け放ち、視界を埋め尽くす人の群れに、思わず息を飲む。

どこもかしこも、艶やかな黒髪をした魔族たちで、埋め尽くされていた。

俺とアイシスが表に出た途端に、ざわめきが波のように広がっていく。

肌で感じられるほどの視線が、俺たちに向けて一斉に放たれた。

なんだ? これは? いったいどうなっている!?

口に出すことも出来ずに、胸中で叫ぶ。

逃げ道のない、完全なまでの方位だ。

ここで、魔法でも集中砲火されたら、俺たち二人など、たちどころに消し飛ぶだろう。

「………」

思わずダガーを抜き放ちそうになり、そこで、また違和感に気づく。

戦場では絶え間なく降り注いでくる、あの肌を刺すような殺気が微塵も感じられない。

そして、屈強な戦士だけではなく、華奢な女や小さな子供、腰の曲がった年寄りまでいた。

戦いに、来たわけじゃないのか?

セレノアに問いただそうとしたところで、こちらへと近づいてくる足音が二つ。

これだけの人数がいるのに、その力強い音は、決して弱まることなく、しっかりと俺の耳まで届いた。

「なっ!?」

まるで予想外な人物の登場に、しかし、どこかで納得してしまう。

セレノアは、俺とアイシスに客が来たと言っていた。

だったら、奴らが来ても、まったくおかしくはない。

「………」

隻眼で、俺とアイシスを交互に見るガイ・ブラスタ。

その横には、珍しく真剣な顔をした、ジャネスが控えていた。

互いの間合いまでは、残り数歩。

いや、魔法を使うなら、もう射程圏内だ。

「静まれいっ!!」

野太い声の一喝で、そこかしこから聞こえていた私語が全て中断される。

その様子を確認した後に、ガイとジャネスは、俊敏な動作で膝をつき、深く頭を垂れた。

「ティスト・レイア、アイシス・リンダント。

 此度の食糧の供給、ブラスタは、貴殿等の働きに感謝する」

「感謝致します」

まるで、らしくない堅苦しい口調の二人に、面食らってしまう。

まさか、あれだけ激しくぶつかりあった、ガイとジャネスから、こんな台詞を頂けるとはな。

「まったく、礼を言うのは我々のほうが先だと、あれほど念を押しておいたというのに…」

レオンを先頭に据えて、セレノア、レイナ、サリが後ろへと控える。

そして、ガイたちとまったく同じ動作でひざまずいた。

「我々ももちろんだが、民たちも感謝をしたいと言うのだ。

 どうか、聞き届けてほしい。本当に、ありがとう」

「ありがとうっ!!」

「ありがとうございます」

「感謝いたします」

一人、また一人と、感謝の言葉を述べてから、膝を折り、地に伏していく。

気が付けば、自分よりも目線が高い者など、一人もいなくなっていた。

『ありがとうございます』

繰り返される、数え切れないほどの謝意が、大気を揺るがす。

その迫力に圧倒されそうになりながら、どうにか、正面から受け止めた。

もしかして、魔族が、総出で…?

そんな馬鹿なと思いながら、その可能性を否定できない。

目の前に溢れる人の数は、それほどに膨大だった。

これだけの人数では、運んできた食糧じゃ、まるで足りない。

当然、行き渡らない者も出て来るだろう。

だというのに、誰もが等しく頭を下げていた。

俺たちのしたことに対して、心から喜んでくれた。

「客…か。光栄なことだな」

つまりは、ここにいる魔族の全員が、俺たちに礼を言うためにわざわざ訪れてくれたのだろう。

俺たちの反応を楽しんで悪戯な笑みを浮かべるセレノアを睨み返してから、視線を来客たちへと向ける。

この光景を、少しでも多く目に焼き付けておきたい。

それが、きっと、自分自身を動かす、大きな理由になるだろうから。

「いいな、こういうの」

「はい」

べつに、今回のことは、感謝されたくて、やったわけじゃない。

そう思っていたはずなのに、それは、やっぱり強がりだったみたいだ。

誰かに喜んで欲しい、必要とされたい、自分の行動に対して、感謝してほしい。

そんな、奥底に隠したはずの願望が、魔族の人々によって満たされていく。

胸の奥が熱くなるほどに、この感謝の言葉は、耳に心地よかった。

応えたい、その気持ちだけで、大きく息を吸い込む。

少しでも遠くまで、少しでも多くの人に、この声が届くように。

そんな願いをかけて、力の限りに声を振り絞る。

「また、ここに食糧を運んでくる。だから、待っててくれ」

俺の言葉に呼応するように、また歓声が返ってくる。

こうして喜んでくれる人がいるのだから、自分がやれるだけのことを、全てやりつくそう。

その決意とともに、目の前の光景を胸の奥に刻み込んだ。

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