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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER 有色の戦人
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10章 気まぐれな想い-2


【ティスト視点】


後ろ手にふすまを閉めて、ゆっくりと息をつく。

そのうち、この部屋に入ったときに、帰ってきたと思えるようになるのかな。

そんなことを考えながら、部屋の隅に自分の荷物を下ろした。

「すぐに布団を敷きますから、お兄ちゃんは、座っててくださいね」

「ああ、頼む。だが、その前に来客みたいだな」

俺の言葉が終わる前に二つの足音が近づき、音を立ててふすまが開け放たれる。

その勢いの良さは、おそらく、そのまま、胸中に渦巻く怒りの度合いを表しているのだろう。

「どんな手を使って、セレノア様をたぶらかしたの?」

「何の話だ?」

思わず、たぶらかすという言葉の意味を、心の中で再確認してしまう。

たしか、惑わすとか、だますとか、そういった意味だったはずだが…。

少なくとも、俺はセレノアに対して、そんなことをした覚えはない。

「セレノア様が、あんなに心を許しているなんて…何かしたとしか、考えられないわ」

思いもよらない話題に、返事を考えてしまう。

たしかに、多少は気楽に話せるような間柄になれたとは思うが…。

「勘ぐりすぎじゃないか?」

「いいえ、間違いない。ジャネス様とは、旧来、遠慮のない間柄だった。だけど、あなたは違う」

目に見えず、量れない相手との距離だからこそ、他と比較する。

その気持ちは分かるが、物差しとしては、あまりにも乱暴すぎる。

「お兄ちゃんは、別に何も…」

「あなたも同じよ。アイシス・リンダント。いえ、もしかしたら…

 あなたのほうが、ティスト・レイアよりも、セレノア様に気に入られているかもしれない」

俺を弁護しようとしたアイシスにも、同じく鋭い矛先が向けられる。

もう二人の中では、俺たちをどう処分するべきなのか、結論が出ているのだろう。

ただ、それを行動に移しても問題ないだけの、材料が欲しいだけだ。

「答えなさい。何をしたの?」

到底、対等な会話とは呼べそうにない。

これは、詰問…いや、尋問の類だ。

「何もしていない」

「じゃあ、質問を変えるわ。あなたの目的は何?」

凄味のある低い声には、吹き荒れるほどの強大な殺意が宿っていた。

「セレノア様とレオン様の命? グレイスという国そのもの?

 それとも、私の頭などでは及びもつかない、壮大な企みでもあるっていうの?」

その剣幕を前にして口を閉ざし、反論を考えるのをやめる。

早口に大声でまくし立てるレイナは、猜疑心の塊だ。

どんな言葉であろうとも、どうせ、届きはしないだろう。

「答えなさい。いったい、何を企んでいるの?」

熱を帯びた声を受け止め、その怒りの深さを知る。

だが、不思議なことに、不快感は、それほどなかった。

この感情の根底にあるのは、俺への悪意ある攻撃ではなく、慈愛による防御だ。

セレノアを、レオンを、何としてでも護りたい。

その意志の強さが、こういう形で発露しているに過ぎない。

だったら、別に腹を立てる必要もない。

誤解は解けないだろうが、向こうに何の不利益もなければ、そのうち俺たちの存在も許容してくれるだろう。

胸中で、そう結論づけるのと、ほぼ同時。

「何をしているの?」

ふすまが横滑りする音、次いで、聞く者を戦慄させるほどに殺気を孕んだ声が、室内に響いた。

「セレノア様!?」

「なぜ、こちらへ?」

動揺しているレイナとサリを、眉間にしわを寄せたセレノアが見据える。

単なる怒りだけとは思えないほどの感情の渦が、その瞳には映し出されていた。

「質問をしてるのは、アタシよ。答えて。ここで何をしているのかを…ね」

言い訳があるのなら、聞かせてみろ。

そう思えるほどに、鋭利な語気と、全身を打ち抜くような威圧感だった。

まったく、こうも間が悪いとは…な。

口を挟めるような立場じゃないことは、理解しているが…。

放っておけば、互いにとって、いい結果にはならないだろう。

「二人は、寝具の用意をしてくれようとしただけだ」

「………」

俺の言葉の真偽を問うように、セレノアがきつく二人を睨みつける。

数秒の間、反応を示さなかった二人が、やがて、諦めたように首を縦に振った。

「なら、いいわ。後はアタシがやるから、出て行って」

「しかし…」

「出ていきなさい」

言い募ろうとするレイナを相手に、セレノアが一言の元に切って捨てる。

反論など聞く耳持たない、容赦のない命令だった。

小さく溜息をつき、目を伏せた二人が一切の音を立てずに出て行く。

後に残ったのは、気が重くなるほどの沈黙だった。





「ごめん」

布団を敷くのに忙しいといった様子で、こちらを見ずにセレノアがつぶやく。

突然の謝罪にどう返事したものか迷い、結局、とぼける以外に思いつかなかった。

「何の話だ? べつに、セレノアに謝ってもらうようなことは、何もなかったと思うが…」

「おばさんたちの態度よ。こっちが助けてもらっている立場だっていうのに…」

「別に、気にしてもらうほどのことじゃない」

異種族の、しかも不穏分子が城内に残ることを考えれば、あれは、至極当然の反応だ。

例え、どんなに借りがあろうとも、俺たちが招かれざる客であることに変わりないのだから、しょうがない。

「俺たちのことは気にしなくていいから、家族で仲良くやってくれ。

 俺たちが原因で不仲に…なんて話は、勘弁してほしいからな」

「べつに、ティストたちのせいになんか、しないわよ」

冗談交じりに投げかけた俺への返事は、つぶやくように小さな声だった。

布団を敷いていくその手際も、さっきまでと違って、どこかぎこちない。

「………」

余計なことを言ってしまったという自覚は、十分にある。

だけど、あんな声を聞いて、何事もなかったと見過ごすことは、できなかった。

「どうして、あの二人を相手にするときだけは、普段と違うんだ?」

セレノアは、べつに口下手ではないし、相手にあわせて、きちんと言葉を選ぶこともできる。

だからこそ、なぜ、あの二人にだけ、あんな突き放すような態度を取るのか、分からなかった。

「ったく、本当におせっかいね」

布団を敷き終わったセレノアが、苦りきった声で、そう吐き捨てる。

全ての息を吐き出すように、深いため息をついてから、観念したように顔を上げた。

「おばさんたちが、アタシに敬語を使ってるのは、知ってるわよね?」

二人とセレノアのやりとりを思い出してから、黙ってうなずく。

セレノアを様づけで呼んでいたし、考えてみれば、二人の態度も肉親のそれではない。

「アタシは王族として、おばさんたちは従者として、お互いに接する。

 それが、アタシとおばさんたちの距離なの。いまさら、もう変えられないわ」

何かに耐えるようなセレノアの硬質な声は、聞いているだけでも辛くなる。

今の言葉が本心でないこと、無理をしていることも、はっきりと伝わってきた。

「それは、最初からなのか?」

もし、それが魔族の風習だというのなら、俺が口を挟んだところで、覆すのは難しいだろう。

結果的に引っ掻き回すだけで、誰もが迷惑を被ることになる。

だけど、もし、そうでないのなら…。

「………」

俺の問いに、しばしの迷いを見せた後、力なく首を横に振る。

普段のセレノアからは、想像もつかないほどに弱弱しい姿だった。

「違うわ。全ては、母上が亡くなってから…よ。いえ、母上のせいにするべきじゃないわね。

 本当の原因は、アタシなんだから…ね」

含みを持たせたセレノアの言葉に、その真意を考えてしまう。

その横で、俺が行動に移すよりも早く、アイシスが動いていた。

「聞かせてもらっても、いいですか?」

座布団を差し出して、アイシスが上目づかいにセレノアを見る。

返事の代わりに、座布団を受け取って床に敷くと、セレノアは、静かにそこへと腰を下ろした。

俺たちが向かいに座ったのを見届けると、セレノアが、ためらいがちに、ゆっくりと口を開いた。

「母上が亡くなったとき、アタシは、そのことを、すぐには理解できなかった。

 そんなはずない、って、何度も繰り返して、現実を受け入れることから、ただ逃げてた。

 だって、あんなに元気だった母上が、突然に病で死んだ…なんて言われても、納得できなかったの」

思わず声を出してしまいそうになり、慌てて口をつぐむ。

シーナ・グレイスの死因を、セレノアは、本気で病死だと思っている。

本当に、レオンは、セレノアに秘密裏に事を運ぶつもりらしいな。

「それでも…。アタシがどれだけ否定しても、母上が死んだっていう事実は、変わらなくて…。

 母上の死を受け止められなくて、アタシは、全てを拒絶した。

 何日も部屋に閉じこもって、ただ、膝を抱いて座っていた」

声が掠れて、渇いたものに変わる。

心の奥底を撫でていくその声は、聞いているだけで気持ちがざらつき、喉が熱くなった。

「あのときは、悲しくて、どうしていいかわからなくて、どうしようもなくて…。

 父上、おばさんたち、近づいてくる者は、誰でもかまわず、当り散らしていた。

 必死に声をかけてくれた二人にも、きついことばっかり言ったわ」

 母上の代わりになるって言ってくれたあの二人に、そんなの必要ないって、言い張って。

 アタシの母上は、シーナ・グレイス一人だって、言って…」

俯いたセレノアが、細く長く、悲しみに濡れた息をつく。

それでも、口から吐き出されるのは吐息だけで、セレノアの中に蓄積された、後悔までは消えてくれない。

「あの二人を母上と呼んだら、認めてしまったら、母上がもう二度と帰ってきてくれないと思っていた。

 アタシの中での母上が、薄れて、消えてしまうような気がしたの。

 今考えれば、馬鹿なことだって、すぐに分かるんだけどね…。

 そのときは、それしか頭になくて、くだらない意地を張っちゃったのよ」

己へと向けられた嘲るような笑みは、痛々しくて見るに堪えない。

どれだけ深い自責なのか、そして、セレノアは今までに、何度、こんな笑顔を浮かべたのか。

それを考えるだけでも、息がつまりそうになる。

「だから、敬語で話しかけられたり、セレノア様なんて呼ばれて、どうしていいか、今でも分からないけど…。

 アタシが文句を言うのは、筋違いなのよ。

 だって、これは、馬鹿だったアタシが、自分で選んだ道だから。

 おばさんたちにアタシが押し付けた、アタシの希望なんだから」

自虐の色に染まった瞳で虚空を見つめ、セレノアがぽつりとつぶやく。

そこに座っているのは、いつもの覇気を根こそぎ奪われてしまったような、ただの女の子だった。

「だから、必要以上に近づかないの。これ以上に、お互いが嫌な思いをしないために」

その対処法は、もっとも単純で、もっとも合理的で、もっとも悲しい。

どんなに時間をかけたとしても、その場しのぎでは、根本的な問題は、解決しない。

つまりは、ずっとこのままの関係が続くということだ。

「いいのか、それで?」

折れた骨が綺麗に治らなかったときには、後遺症が出るという話だ。

酷い物になると、満足に動かすこともできくなったりと、取り返しのつかない事もあるという。

今のセレノアとレイナ、サリの関係が、まさにその状態のように見えた。

「本当に、このままでいいのか?」

返事の遅いセレノアに向けて、もう一度、問いかける。

できることならば、首を横に振ってほしいという希望が、俺の声には混じっていたかもしれない。

「そうね」

「良くなかった…が、たぶん、一番正しい表現ね。

 昔は、おばさんたちと顔を合わせたり、言葉を交わすたびに、逃げ出したくなるくらいに嫌だったけど…。

 今は、あの頃に比べると、そこまで気にならなくなったもの」

どんなに辛いことでも、ずっとそれが続くと、いつかは、慣れてしまう。

それは、たしかに、生きていく上では、とても大事なことかもしれない。

だが、感覚が麻痺しなければならないような環境に居続けることが、すでに間違いなんだ。

「だから、このままでいい…っていうのか?」

なるべく、非難するような口調にならないように抑えて、セレノアへと問う。

こんなもの、本当なら、聞くまでもない。

さっきまでのセレノアの態度が、もう答えのようなものだったから。

「ようやく時間をかけて落ち着いたっていうのに、わざわざ、それを壊す必要はないわ。

 アタシの勝手で、これ以上、おばさんたちに迷惑をかけるわけにはいかないの。

 だから、この話は、これでおしまい」

とてもそんな話じゃないのに、セレノアは、無理に笑顔で締めくくる。

言いたいことなんて山ほどあるし、放っておく気にもなれなかったが、そんな顔をされたら何も言えなかった。

最愛の妻を殺さただけではなく、家族の仲まで引き裂かれた…か。

こうして話を聞いただけの俺でも、不愉快な想いが、爆発寸前まで膨れ上がっている。

復讐に燃えるレオンの怒りの深さは、想像もつかないな。

「悪いけど、ティストとアイシスも、おばさんたちとは距離を取ってくれる?」

 そうすれば、何もしてこないと思うし…。

 もし、何かあったら、アタシと父上に教えてくれたら、すぐに何とかするから」

「分かった」

素直にうなずいてから、セレノアの顔を正面から見つめる。

いつもと変わらぬ、すました笑顔の下には、どれだけの悲しみが隠れているのか、想像もつかなかった。

「セレノアは、本当に、今のままでいいんだな? この関係が続くことが、本当に…」

「いいの」

俺の言葉を遮って、セレノアが首を横に振る。

その先を言うな…というその仕草に従って、おとなしく言葉を切った。

「おばさんは、おばさんよ。それ以上でも、以下でもないわ」

俺に告げるというよりは、まるで、自分に言い聞かせるように、セレノアがつぶやく。

それは、今の状態が最適だと思い込むための、呪いの言葉のようだった。

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