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DAGGER 戦場の最前点  作者: BLACKGAMER
DAGGER -戦場の最前点-
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01章 孤独な少女-1

【ティスト視点】


「よし、買出し終了」

コーヒー豆も買い足したし、これで全部そろった。

買い忘れると半日を潰してここまで来るか、我慢するかの二択になるからな。

念のため、買い物袋の中身を確認しながら、のんびりと歩く。

「おっと」

「あ、すみません」

お喋りに熱中していた女とぶつかりかけ、慌てて避ける。

夕暮れの喧騒と行き交う人の多さには、いつも居心地の悪さを感じてしまう。

人の波を避けるように、店のない路地裏へと道を変えた。


長い塀にそって、人気のない道をゆっくりと歩いていく。

たまに目つきの悪い人間とすれ違うが、互いに相手のことなど気にも留めない。

居心地がいいとは言えないが、こっちのほうが気を使わなくて済むだけ、楽でいい。

どこまでも伸びている頑丈な塀の中は、クリアデルという兵士や傭兵を育成するための機関。

強さを求める者たちが集う場所…といえば、聞こえはいいかもしれないが…。

持て余した力を誇示する者や戦うことに魅入られた…つまりは、戦うことしか能のない人間が集う場所だ。


「…?」

ようやく見えた角を曲がったところで、奇妙な光景に足を止める。

クリアデルの塀に背をつけ、女の子が膝を抱え込んでいた。

地べたに座り込んで、何をしているんだ?

「…ッ」

その顔を見て、思わず息を飲む。

瞳は虚ろで、焦点が定まっていない。

土気色の顔には、生気がまるで感じられない。

自分を抱え込むその姿は、全てを拒絶しているようだ。

医者じゃないから詳しいことは分からないが、素人目にも分かるほど、女の子は憔悴しょうすいしていた。

俺が近づいても、何の反応も見せない。

ただ、ぼんやりとした表情で座っているだけだ。

知覚していても無反応なのか? それとも、知覚すらできていないのか?

どちらにせよ、こんな場所に座らせておいていいほど、軽い症状じゃないはずだ。

安っぽい胸当てとグローブは、戦闘をするには心許ない装備だが…。

この格好からすると、クリアデルの人間…か?

「そこで、何をしている?」

横柄な声に振り返れば、人相の悪い男が腕を組んで立っていた。

見るからに、あくどい商売が似合う面だ。

「ウチの商品に何のようだ?」

「べつに」

商品…ね。

人の売買を生業とする奴らは、人間を平然と物扱いする。

このご時世だし、当たり前だという奴も多いが、こいつらの考え方には正直ついていけない。

俺は、人を買おうと思ったことも、売ろうと思ったこともない。

「女が欲しいなら、世話してやってもいいぜ。

 その娘は売約済みだから、別の女になるがな」

「売約済み?」

「ああ。あと一時間もしないで、こいつを買いに客が来るのさ」

だから…か。

これからの人生は、買った人間の奴隷として、媚びへつらいながら生きていくだけ。

その運命から解放される選択肢は、捨てられるか、死ぬか、そのどちらか。

おそらく、それを理解して、この子はたぶん…諦めたんだろう。

そう、暗く淀んだ瞳が告げている。

この子の人生は、あと一時間ほどで決定し、おそらくそのまま終わる。

こうして、俺がこの子を見下ろしているのは、たぶん、人の最後を看取るのと同じようなものだ。

その事実に、激しい嫌悪感を覚える。

このまま見過ごせば、人殺しと変わらない。

「この子の家族は?」

「は?」

「親はどうしたんだ? 両親がいるだろう?」

「その親からのお達しだよ」

半ば予想していた返事なのに、息が詰まりそうになる。

親でさえ、平気で子を見捨てる…あいも変わらず、腐った世の中だ。

「まったく、金があるってのは羨ましいねえ、なんでも思い通りになる」

言葉と裏腹に、この男の目は、金持ちを羨むのではなく、金を持っていないこの少女を蔑んでいた。

ただ光るだけのものにそれほどの価値を見出すなんて、なんとも不思議な話だ。

金は、飢えも渇きも癒してくれないのに…こんなもので、人の命すら買えるんだから。

「………」

腰から下げていた皮袋に、手を伸ばす。

そこには、たしかな重みがあった。

財布の中身には、執着も、使う予定もない。

足りなくなったら、また稼げばいい。

これを使い果たして、この子を今の状況から逃がせるなら…。

悪くないかもしれない。

「俺が、この子を買うといったら?」

「はぁ? なんだって?」

「俺が、この子を買うといったら?」

言葉に迷いを乗せないように、もう一度繰り返す。

くだらない意地を張ることが正しいのかなんて、分からない。

ただ、家に帰ってコーヒーを飲むときに、こんなことを思い出したら、まずくて飲めたものじゃなくなる。

「どれだけ持ってるんだよ?」

「お前が首を縦に振るぐらいだ」

大き目の皮袋の中から硬貨がぶつかり合う音を聞いて、男の目の色が変わる。

金と騒ぐだけのことはあるな、その反応は分かりやすくて話が早い。

「見せてみな」

金の入った皮袋を、無造作に投げつける。

「おっと」

両手で袋を受け止めた男は、口紐を緩めて中身を覗きこみ、ジャラジャラと音をさせて上機嫌で数えている。

あの姿には、醜さしか感じない。

「こいつはすげえや。これを使って、横取りする…ってわけか?」

「文句あるのか?」

「へぇ、よっぽどこいつが気に入ったらしいな。

 そんなに幼子がいいなら、別口で2、3人用意するから、ぜひとも買ってくれよ」

叩き売りの口上を聞くだけで、苛立ちが募る。

この男さえ消せば…そう思う気持ちを、なんとか抑え付けた。

「それで…できるのか?」

「その前に、俺の質問に答えてくれよ。

 どうやってこんなに大金を稼いだんだ? 人に言えないことをしてきたんだろう?

 いい口があるなら、俺にも紹介してくれよ」

商売根性を丸出しにして、大声でまくし立てる。

こんな耳障りな声を、これ以上聞いていたくない。

「金を払って欲しいなら、余計なことは喋らないことだ」

俺の敵意にようやく気づいたのか、相手も表情を引き締める。

とがるんじゃねえよ。俺と揉めたら、どうなるか分かってんのか?」

ドスを利かせた声を出し、俺を睨みつける。

だが、それも形だけだ。

丸腰で、この状況で身構えないのだから、戦闘になれていないことは明白。

こいつはあくまでも商売人であって、戦士じゃない。

どうせ、金で他人をいいように使って、それを自分の力と勘違いしているんだろう。

「前金は、もらってるのか?」

「なにぃ?」

「儲けがなくなるのは、さすがに気の毒かと思っただけだ」

鞘に収めたダガーの柄に手をかけ、相手の目を射抜くように睨みつける。

どんなに頭の悪い奴でも、ここまですれば、無駄口はなくなるだろう。

これ以上、くだらないおしゃべりに興じるつもりはない。

「ま、待てって! 悪かったって。

 この額なら俺も文句ねえよ。この女はあんたのもんだ」

慌てた男が、下手な愛想笑いを浮かべる。

これで、交渉成立…か。



「…立てるか?」

座り込んだままの女の子を刺激しないように、ゆっくりと左手を差し出す。

この後どうするのかなんて考えていないが、とりあえず、ここからは早く離れたい。

「………」

少女は、わずかに視線を上げて、俺の手のひらを見つめる。

だけど、動かない。

その瞳に俺の手のひらを映して、じっとしていた。

「立てないか?」

俺の問いに、唇が動く気配はない。

心を閉ざしてしまっているのか?

「まどろっこしいな、蹴り飛ばしてでも立たせりゃいいだろ?」

俺のやり方に苛立った男が、後ろでぼやく。

そんなことを繰り返して、こうなったわけか。

黙れ…そう言ってやろうと振り返ると、少女の方から物音がする。

そちらを見れば、女の子は目を閉じて横に倒れていた。

「!? 大丈夫か?」

何度か肩をゆすってみるが、目は閉じられたままだ。

これは…?

「どーせ、栄養失調かなんかだろうぜ。

 ここ2、3日、食事にも手を着けていないって話だからな」

金に見合うだけの情報を提供くらいしてやる、という顔で、男が少女を指差す。

身体は悲鳴をあげているのに、心が生きることを拒絶して、食事をしない…か。

それが、この子をこんなにも追い詰めてしまったんだろう。

「好都合じゃねえか、家につくまで抵抗されねえ。

 しかも、人間ってのは案外しぶといからな。この程度じゃ、くたばらねえだろ」

「………」

俺が拳を握りこむ音が、あいつにまで聞こえたらしい。

音に反応して交叉した視線を、奴が慌てて逸らした。

「分かった分かった。失せればいいんだろ?」

男は静かに塀の中へと入っていった。

奴もクリアデルの人間か。

噂に違わず、中は腐りきっているようだな。



「さて…と」

ここに残っていたら、契約者が現れるかもしれない。

さっさと離れたほうがいいな。

二の腕に荷物を引っ掛けて、両手を自由にしてから、少女の隣に膝をつく。

背中と膝の下に腕を入れ、それでも反応がないことを確認して、少女を横抱きにして立ち上がる。

両腕の中におさまる小さな身体は、驚くほどに軽かった。

「………」

自分の胸の前辺りから聞こえる、規則的な呼吸。

意識の喪失から睡眠に変わったのか、さっきと比べて、表情が穏やかになっている気がする

恐怖に攻め立てられて、眠ることさえ、できなかったのかもしれないな。

医者に連れて行くことも考えたが、結局、我が家に向けて歩き出す。

本人に助かる意志がないのなら、どんな医者であろうと助けることなんて、できやしない。




街を出ると、草原の果てに見えるのは、沈み行く太陽。

その夕焼けを楽しみながら、少女をなるべく揺らさないようにのんびりと歩く。

家につく頃には、真っ暗だろうな。

街の賑わいに背を向けて、ひたすら街道を進む。

草原を吹き抜ける夜風が、肌に心地よかった。


街の灯から遠ざかり、喧騒も聞こえない。

静かな夜道を、月明かりを頼りにして進む。

見慣れた森へと差し掛かって、ようやく街道から外れた。


少女の足や頭をぶつけないように気をつけながら、木々の間を抜ける。

木の根が絡まり、足場が悪くなっている場所を過ぎて、さらに奥へ。

数分をかけて森を抜けると、ようやく我が家が見えてきた。


なんとか片手で扉を開け、すぐ近くにある蝋燭に火をつける。

炎が部屋の中を照らして、冷えていた部屋がほんのりと暖まっていく。

ようやく帰りついた我が家は、いつもと同じで出迎えてくれる人間なんていなかった。

『この女はあんたのもんだ』

思い出した馬鹿な言葉を、頭の中で打ち消す。

この子が目を覚ましたら、少しだけ話をして、それで終わりだ。

ここは、俺一人の家。

いつもと変わらない。

少女を空き部屋に寝かしつけて、自分もベッドに潜り込む。

夕飯どころか、コーヒーを飲む気にもならなかった。

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