付喪に教わる恋心
今回は小悪魔×小傘のお話です。
パチュリーと喧嘩して、紅魔館を飛び出した小悪魔。偶然に辿り着いた命蓮寺にて、初めてあう小傘と話すこととは……
びしょ濡れだった。
最近出来た寺院の軒下。勢いで飛び出してきた私には、傘というものはない。ただただ、急に降り出した雨に濡れ、軒から垂れてくる水滴が髪を濡らし、衣服をひたすらに重くする。下着は肌に張り付き気持ちが悪いし、そもそも文化圏が違う宗教の建物は、気持ちが良いものではない。それに天候は最悪だし日も暮れかけて薄暗くなっている今、私の気持ちはどん底だった。
雷が鳴る。その音にびくっと身体が震え、空を割る稲妻に恐怖を覚えた。
濡れてでも帰るべきなのだろうか。パチュリー様は心配されているだろうか。喧嘩別れしてきたというのに、頭の隅にはパチュリー様がいる。それは冷静さを取り戻した時から感じていることだった。
たかだか、些細なことである。喧嘩なんて、大半がそんな事だ。ただ、私も折れることが出来なかった。パチュリー様を思えばこそ、そして私の信念を思えばこそ、喧嘩をせざるしかなかったのだ。
……喧嘩といえど、実際には私が喚き散らして勝手に出て行っただけなのかもしれない。パチュリー様も声を荒げてはいたが、それでも私の思い違いという可能性も残っている。しかし、パチュリー様もあれ程否定されなくても良かっただろうに。……真相は、帰って直接聞いてみるしかないだろう。ただ、そんな勇気は私はなかった。
きっと、怒っているだろう。私を招き入れてはくれないだろう。それは私に取ってとても辛いこと。今の私には、とてもではないが受け入れる事は出来ないことである。だからこそ、ここで濡れることしか出来ないでいる。
「あんた、こんな所でどうしたんだい?」
いつの間にか、紫色の番傘が開いた状態で目の前にあった。それは紙の部分が紫色で口と一つ目が付いており、持ち手が下駄の付いた足という、明らかに妖怪――それも付喪神の類と解る物だった。そしてその番傘を持つ青い髪の少女は、私にその奇妙な傘を差してくれていた。近くでよく見ると少女はオッドアイで、紅と蒼の瞳にショートカットの髪がよく似合う。とても、整った容姿をした妖怪だった。
「あ、ありがとう」
「……傘に入ってくれるの?」
「逆に聞くけど、貴方自身に入っても良いのかしら?」
「うん、問題ないよ。むしろ嬉しいくらいさ。あたいの傘、人気がなかったからさ」
にっこりと微笑んだ少女はおもむろに私に近付いて、お互いが傘に入れるようにしてくれた。軒から落ちる大きな水滴が傘に当たり、ぱつりぱつりと音を立てる。西洋の布生地の傘とは違う音に、何故か安心感を覚えた。
「貴女の名前は?」
「多々良小傘。あんたは?」
「私は……私は悪魔だから、召喚された契約上、名前を教えることは出来ないの。だけれど、みんなは小悪魔とか呼んでるから、そう呼んで貰えると有り難いかな」
「小悪魔かぁ。そうさねぇ、小悪魔は何でこんな所にいるんだい?」
「ちょっと……喧嘩して館を出てきちゃってね。雨が降って、雨宿りに辿り着いたのがここだったの。邪魔だったかしら」
「いいや、ここは全ての物を受け入れるお寺。あんたが何人だろうと受け入れてくれるさ。もしも良ければ、白蓮に言ったらお寺に泊めて貰えるだろうけど、言ってみようか?」
有り難い言葉だった。今の私は雨をしのぐことさえ出来ないのだ。寺院は、無料で泊めてくれる所もあるという。この寺もそうなのだとしたら、今の私はとても恵まれているといえる。
しかし、私には一応、召還主であるパチュリー様と、そのパチュリー様が住まう紅魔館という宿がある。それも地下にある図書館の司書を任されていることを鑑みれば、やはり帰るべきなのではないのだろうか。もしかしたら、パチュリー様がとてもお困りになっているかもしれない。
「あーっと、色々あるみたいだね。もしかして、帰るところがない、とか?」
「そんな事はありません。私には紅魔館という場所が」
「だったらそこに帰ると良いよ。それがあなたにとっての幸せだもん」
きっぱりと言い切った小傘は、屈託のない笑みを私に向ける。それは私が久しく忘れていたもののようで、少し羨ましくもあった。
「あたいはさ、ずっとずっと家の前の傘立てに置いてあったんだ。使われることもなく、売られることもなく。ずっと、傘立ての壷の中に立ててあったんだ。挙げ句、柄は腐り紙は油虫や鼠にかじられ、最早使い物にならなくなった。そして、捨てられたんだ。だから、あたいには帰る所はないんだ」
「そう、なんだ。それは……」
言葉に困った。可哀想だねなんて言ってしまうとそれはただの安っぽい同情であるだけだし、それで妖怪になれたんだからなんて言っても当てつけに過ぎない。ただ、彼女の誕生はとても悲しいものなのだと言うことは、ひしひしと伝わってきた。
「同情なんて、してくれなくて良いよ。あたいはあたいで今が幸せだしね。それに、あんたがこうしてあたいの傘に入ってくれているだけで、あたいの役目が果たせたようで、嬉しいんだ」
やはり屈託のない笑顔は、それだけ彼女の強さを表しているようでもあった。
……私も強くならなければならないんだ。例え私が間違っていたとしても、パチュリー様に思いが届くまで、諦めてはならないんだ。彼女の強さに、私は感動すらしていた。
「さぁ、それじゃ帰るかい? その紅魔館とやらへ」
「……はい!」
それから紅魔館に着く間、小傘は私に様々な話をしてくれた。人間(紅白と言っていたから間違いなく博麗霊夢)に退治されたとか、人間(白黒と言っていたから間違いなく霧雨魔理沙)に慰められたとか、人間に恋をしている、とか。
特に、恋話には花が咲いた。小傘は初めて傘に入ってくれた緑髪の人間に恋をしているらしい。緑髪は私は思い当たる節がないが、妖怪の山にいるという彼女の話からすれば、本当に人間なのかどうかすら怪しい。しかし、最近は幻想郷に入る妖怪や人間が増えているというし、そういった境遇の人なのかもしれない。とにもかくにも、その緑髪の人間が傘に入ってくれて、とても優しくしてくれたと言うことが、とても嬉しかったらしい。……確かに、付喪神にはもっとも嬉しい瞬間を与えてくれた人間なのだから、恋をしてもおかしくはないのかもしれない。
その話のお返しとばかりに、私もパチュリー様に対する思いを小傘に話してみた。最初は様子を見ながら怖々と語っていたが、その内に勝手に口が言葉を紡ぎ出し、終いには思いの丈をパチュリー様ではなく小傘にぶつけている程だった。それにもかかわらず彼女は笑みを絶やさず、親身になって話を聞いてくれた。時には同意し、時には助言をくれながら、話し込む内にいつの間にやら紅魔館に着いていた。
「ここかい? 大きい建物だね。それに紅色とは中々変わっているし」
「そう、だから紅魔館って言うの。吸血鬼が治める館よ」
「へぇ、そうなんだ。……また今度、遊びに来ても良いかな?」
「良いですよ。その時は、最高の紅茶とお菓子でおもてなししますね。それと、私もまた遊びに行かせて下さいね」
「命蓮寺はいつでも開かれたお寺だから、いつでも来ると良いよ。また今度は住職さんを紹介してあげる」
「ふふっ。じゃあね」
「うん。またね」
そう言って、いつの間にか取り戻した笑顔で小傘と別れた。今からとても苦労するかもしれないけれど、それでも挫けずにパチュリー様に接してみようと、そう思った。
……いつまでも、彼女のような笑みを浮かべられる様に。
了
……了って言ったのにこんな所まできてしまうなんて、あなたも物好きですね。これは先程のお話の、こんな展開もあるかもしれないという、一つの可能性のサイドストーリー。
あくまでもifと言うことをお忘れなく。
図書館の重い扉を開け、私はパチュリー様のいるであろう図書館の中央にある卓を目指した。するとそこには予想通り、そしていつも通り本に目を落としているパチュリー様の姿がある。それに安心と不安を同時に感じながら、私はピンクのリボンの付いた箱を握り直して歩き続けた。
机に辿り着くすんでの所で、不意にパチュリー様から声が発せられる。
「こあ。帰ってきてくれたのは嬉しいけど、その箱は受け取れないわ」
「どうしてです! これは私の気持ちだと。そして今日がバレンタインデーだから用意した本命チョコだとまで言っているのに、何故受け取ってはくれないのですか!」
「本命チョコだからよ。さっきから、ごめんなさいって何度も言っているでしょ? ……貴方の気持ちは、ちょっと重たすぎるのよ」
パチュリー様はパタンと本を閉じた。そして立ち上がると私と向かい合う。
「知っているのよ。貴女が私の服をくんかくんかしたりお風呂の残り汁を飲んだり私のティーカップを舐め回したり図書館の結界を垣間見て盗撮しようとしたり私のベッドでいかがわしいことをしたりしていることを」
「……………………」
「何か言ったらどうなのよ」
「……なぁーんだ。全部知ってたんだ。なら話は早いじゃないですか。ならこのチョコをさっさと食べたら良いんですよ。そしたら私の気持ちが絶対にわかるはずだから」
「そんな魔界の媚薬やら惚れ薬が入ったチョコなんて食べたくないわよ。それに私はカカオにアレルギーがある可能性があるんだから、そんなもの、魔理沙に渡されてもまっぴらごめんよ」
「その魔理沙さんに貰った義理チョコを、蕁麻疹出しながら完食したのはどこのどなたでしょうか? まさか二度目に食べたらアナフィラキシーショックを起こすとでも?」
「くっ……」
「良いんですよ。逆転しても私は魔理沙さんには勝てないですからね。でも、私も喧嘩をすることで吹っ切れることがありました。……そうですよ。無理にチョコを食べさせなくても良いんです。そんな必要はなかったんです」
「ど、どうしたの小悪魔。その見事なまでに清々しい笑顔は、逆に気味が悪いわ」
「この笑顔、先程教えて頂いたんです。きっと、強い存在は辛い時でも笑顔を絶やさないんだって。だから、それを実践しているだけですよ」
「な、ならその手に持っている包丁は何をする為にあるのかしら?」
「だって、私の可愛いパチュリー様を、あんな憎たらしい魔理沙なんかに盗られたくはないんですよ。だから、私はパチュリー様と一つになれるように努力をしようと思って」
「そ、そうね。一つにね。そもそも貴女とは、契約を結んでいる以上二人で一つのような関係ではないかしら?」
「もっとです。もっと近くに、この手で、パチュリー様を感じたい……」
「近い近い小悪魔、その包丁を止めて! もう唇がすぐそばに――」
「そうですね。なら私と主従を逆転する契約を結ぶか、仲良く一つになるか、どちらか選んで頂けますか? 私はどちらでも構いませんよ?」
「こっ、小悪魔! 服、服が切れてる!」
「どうしますか? 3。2。1」
「なります、なりますーっ! 私は貴女の忠実な僕になりますっ!」
「んー? 忠実を誓うのに、そんな言葉遣いでいいんですかぁ?」
「ぐっ……。わ、私めは、小悪魔様の忠実なる僕として、永遠にお側に仕えさせて頂きます!」
「ふふふっ。ふふふふふっ! これでやっと対等な立場になりましたね、パチュリー様。私は今、とっても幸せですよ……? これからも、これからも。ずっと、楽しく生きていきましょうね? パチュリー様……」
……………………
………………
…………
……
あくまでifの、そんなお話。