クッキー
今回は幽々子とアリスの物語です。ジャンルはコメディ……かな?
あらすじ
何ら変わりない晴れた日の昼下がり。アリス邸に突如強い妖気が襲い、それに対応するアリスに災難が襲いかかる。
凄まじい妖気を表から感じた。全身が凍るような、他を圧巻する妖気。しかしそれはどこか暖かみのあるような霊気の様にも感じ、とはいえ触れれば切れてしまう様な殺気にも似たものだと思う。全体を鑑みて、曖昧模糊な気であることには間違いはない。
人形を定位置にセットする。私も一応魔法使いの端くれ。我が城において負ける気は更々ない。だが、あまりに表から感じる妖気が強大の為、この段階から気押されているのも事実である。誰だろう。スペルカードといえどあまり交戦はしたくないのだが。
こんこんと、玄関を叩く音がする。私はこの音が基本的に好きではない。外に誰が立っているか解らないのに戸を開けるなんて、狂気の沙汰ではない。しかし、これ程の妖気を持つ者を放っておいても、家を破壊される恐れすらある為に得策ではない。仕方なく、対応する為に席を立った。
ノブを握る。金属特有の冷たさが、手から脳へと信号を送る。それを我慢しながら、扉を開く。
……開かない。鍵はかかっていない。戸は押せば開くはずだが、そんな事は自宅である扉で間違えるはずもない。疑問に思い、もう一度今度は思い切り押してみることにした。
「きゃあっ!」
「ふふふ、可愛らしい反応ね」
なるほど、扉を反対側から押さえられていたのか。それで、思い切り押した瞬間を見計らって手を離したと。その反動で私は前のめりに倒れ込み、それを見る輩は扇子で口元を隠しながら、目で笑っていた。
「あいたー……。全く、可愛らしいも何もないわよ。それで、冥界のお姫様がこんな薄暗い森の中に何のご用かしら?」
「そうねぇ。リンゴを貰えるかしら。それには毒が塗ってあって、眠っているお姫様を王子様が助けに来るの。素敵だと思わない?」
「はぁ……」
和服を着た白雪姫なんて、冗談にも程がある。そもそも王子様とはどんな人を想像しているのだろうか。魔法の森にいる奴なんて、魔理沙くらいしかいないのに。……いや、魔理沙は魔理沙で王子様になり得るかもしれないが、幽々子のいう王子様とはまた違うだろうし。
それにしても、本当に何の用なのだろうか。幽々子とは宴会で何度も顔を合わせたことがあるが、話しても暖簾に腕押し糠に釘、何とも当たり障りがない会話をしたことしか覚えていない。私がコミュニケーションが苦手だと言うこともあるのだろうが、それにしても付き合い辛い亡霊であることに変わりはない。
「そうそう、ここに来たら自家製の紅茶が味わえるって噂を聞いたことがあるのだけど」
「残念。今は品切れよ。お手製の紅茶が飲みたかったら、紅魔館に行けば良いじゃない。瀟洒なメイドが素敵なおもてなしをしてくれるわよ」
「ならお手製のクッキーで良いわ。それじゃ、お邪魔します」
「勝手に入るな!」
これだから力を持つ存在は困る。自分勝手に好き勝手に、異変を起こしてみたり不法侵入したりする。全く困ったものだ。
仕方なく、勝手に上がり込んだ幽々子の後を追って、部屋へと入った。
紅茶(自家製ではなく里に流通している物)を出し、偶然にも作っていたクッキーを皿に並べる。幽々子はさくさくと美味しそうにクッキーを平らげた後、紅茶を啜った。
「お口には合ったかしら」
「えぇ、結構なお点前で。美味しかったわ。今度妖夢にも教えておいてね。習いに来るように言っておくから」
「それも迷惑。それにクッキーならあのメイドの方が上手に作るわよ。まぁ、ちょっと食感とかの差があるから、好みとも言えるけど」
そこで会話が途切れて、どうしようもなくなって紅茶を啜った。
どうやら、敵意はないらしい。それならば普通のお客様通りにもてなして、さっさと帰ってもらえば良いだけのこと。人形の配備だけは厳重にしながら、もう一口紅茶を啜った。
「もうクッキーはないのかしら」
「ないわ」
「……」
「……」
「実は戸棚の中とかに」
「入ってません」
「それじゃ、私の人形を作って貰えるかしら」
「……は?」
唐突な依頼に驚く。と言うより、このタイミングでそれを言うかという思いの方が強いかもしれない。何にせよ、幽々子はどうかしていると思う。
「……で、何で自分の人形なんか」
「欲しいのよ。私の人形が」
「だから、何で」
「妖夢の抱き枕」
「はぁぁあああ?」
妖夢に抱き枕? 抱き枕に人形? 一体何をするつもりなのか、予測がつくようなつかないような。いや、つきたくもないと言う方が正しいか。何にせよ、幽々子はどうかしていると思う。
「いや、妖夢は半霊でも抱き枕にして寝ていれば良いじゃない」
「そうはいかないのよ。何でも、『幽々子様と一緒のお布団じゃなきゃようむ寝れないみょん』なんて言うもんだから」
「いや、それはない」
煙に巻くにももう少しましな巻き方はないのだろうか。いや、むしろこんな馬鹿らしい巻き方だからこそ、幽々子らしくもあり、本心も悟られないのだと思うが。それにしても、その為に犠牲になっている妖夢が何だか可哀想になってきた。だが、それと同時に次を言ったらどうなるのだろうという期待も新たに生まれてくる。その興味に、素直に従ってみることにした。
「えぇ、仮に妖夢がみょんみょん言っていたとしましょう。なら、貴女が一緒に寝てあげれば良い問題じゃない」
「貴女、解ってないわね。実物を目の前にしたら出来るプレイなんて限られているでしょう。それが人形だったら、可能性は無限」
「はいはいはいはい解ったわよ作れば良いんでしょ」
「流石はアリスさん、話が解る人で良かったわー」
「ここまで紆余曲折あって話が解る人で落ち着くなんて、いまいち腑に落ちないけど」
「それで、要望なんだけど、大きさは等身大にしてね。それと使う素材は自由で構わないけど、なるべくそっくりに作って欲しいな。着せる衣服は白玉楼から提供するから、後で妖夢に届けさせるわね。その時にクッキーの作り方も教えといて頂戴。それと」
「まだあるの?」
「そう、これがとても大事。これだけ守ってくれたら後はどうでも良いわ」
「どうでも良いなら言わないで貰えるかしら」
「心臓は、作らないこと」
どきり、とした。
私が人形を作る際、魔力の核となる魔法石を心臓部分に埋める。それは人形の大きさによるが、まさか心臓とはそれを言っているのだろうか。そしてその核を埋めると言うことを、私は誰にも言ったことはない。種がばれた魔法程、ちゃちな物はない。どうしても、動揺を隠すことは出来なかった。
それに追い打ちをかけるように、幽々子は殺気を放った。先程表から感じた殺気とはまるで桁が違う。がたがたと震える足を、止めることすら出来ない。脂汗がにじみ、流れる。
ぽたり、と汗が落ちる音と共に、殺気は解けた。その間、幽々子は変わらぬ笑みを浮かべたまま、何一つとして動かしてはいない。
化け物だ。そう心から感じた。
「それじゃ、よろしくね。納期は適当で良いから。報酬はその時にそれ相応に払わせて頂くわ」
『それじゃあね』と声を掛けられても、幽々子が家から出て行っても、私は動くことが出来ずにいた。否、動けるような状況ではなかった。足の震えは止まらず、悪寒まで走る始末。自分の弱さを……いや、相手の強大さを、改めて知らされてしまった。
仕方なく。それでいて最優先に、幽々子の人形作りに着手した。二度とあんな殺気は受けたくないと言う思いと、どこからか浮かんでくるやらねばならないという使命感に追われ、人形作りは滞りなく進む。
果たして、幽々子はこの人形を何に使うのだろうか。絶対に妖夢の抱き枕ではないことは解るが、それ以外には何も解らない。
……いや、何も解らない方が良いのかもしれない。強い妖怪が何を考えているかなんて、考える方が無駄なのだ。彼らの頭の中は、単純なようでいて、複雑に絡まり合っている。それは暗号の様なもので、他人が解くには本人から何かヒントを貰わなければ解くことは出来ない。本人が触れられたくないと思っているのなら、尚更だ。
時間が経つのも忘れてしまった。ふと辺りが暗くなっていることに気付いて、ランプを点けようと立ち上がる。背骨や腰がこきこきと悲鳴を上げた。
……明日辺りには、おおよそ完成するだろうか。となれば、生地を白玉楼に取りに行って、服を作らなければ……という心配はないようだった。窓から見える庭に、妖夢がこちらに歩いてくるのが映っている。きっと、生地を届けてくれたついでに、クッキーの作り方を習いに来たのだろう。
私は心臓のない人形をソファに置いて、接客の為に玄関へと向かった。