黒い贈り物
その時――
「ん……この匂い! カラタロウだニャ! 勇次! カラタロウがこっちに近づいて来てるニャ!」
不意にミーコが声を上げる。
「何! わかった!」
叫ぶと同時に、勇次は表に飛び出す。
外はまだ明るい。こんな時間にカラタロウがやって来るのは珍しいが、この状況ではありがたい話ではある。運ばなければならない子供は三人に増えたが、カラタロウならば訳ないだろう。
そして目の前に、カラタロウが降り立った。
しかし――
「勇次……すまないが、俺はここを離れる。ここで何が起きているのか、俺は知らない。だが、大天狗様の命令により、俺たち天狗はここを離れなくてはならないんだ。さらに、お前に手を貸すことも禁じられた。本当にすまない……」
カラタロウは蚊の鳴くような声で言うと、深々と頭を下げた。
「何……じゃ、じゃあ、頼みがある。子供が三人いるんだ。せめて、その三人を連れていってくれ……魔歩呂町まで、空から運んであげてくれ」
「すまない、それも無理だ……大天狗様の命令なんだよ。人間に一切、手は貸すなと……もし命令に逆らったら、俺は一族追放だ。本当にすまないと思っている……」
勇次は愕然とした。カラタロウさえ来てくれれば……そう思っていたのだ。今まで、目の前にいる鴉天狗を友だちだと信じていたのに……物心ついてから、これほどまでに他人に頼ったことはなかった。なのに……勇次は一瞬、目の前のカラタロウに殴りかかりそうになった。
だが、目の前で頭を下げ続けているカラタロウを見ているうちに、怒りが消えていく。カラタロウはプライドの高い妖怪である。そのカラタロウが頭を下げているのだ。それに、これは人間の……いや、勇次の問題だ。鴉天狗のカラタロウは巻き込めない。
「わかった……お前にもお前の事情がある。この件が片付いたら……また遊ぼうぜ」
勇次は無理して笑顔を作り、頭を上げさせようとする。だが、カラタロウは頭を上げない。無理やり頭を上げさせた時、カラタロウの目から涙が出ていることに気づいた。
「カラタロウ、お前――」
「勇次、こいつは山で見つけた物だ。俺には使い方はわからんが……お前なら使い方はわかるだろう。持っていけ」
カラタロウはどこで拾ったのか、頑丈そうなリュックサックを差し出す。勇次が受け取ると、カラタロウは向きを変え、走り出す。そして巨大な翼を広げて飛び上がり、山に向かい飛び去って行った。
勇次は飛び去っていくカラタロウの姿を、見えなくなるまで見送った。その後、リュックを開け、中を見る。
キノコや山菜が大量に入っている。だが、それにしては重い。底の部分に金属製の何かが入っている。
妙な予感。カラタロウは山で拾ったと言っていた。使い方はわからないとも。ということは……。
リュックの底に手を入れて探る。硬く、ずしりと重い感触。間違いなく拳銃である。リュックから手を引き抜き、じっくり眺めた。黒光りしていて、映画やドラマなどで見る物よりは小さく見える。しかし、手から伝わる重さや感触は、紛れもなく本物であることを訴えかけてきた。
だが、実のところ勇次は拳銃を撃ったことがない。拳銃に関する知識も皆無に等しい。せいぜい、今持っている拳銃はリボルバーであるということを知っているくらいだ。あとは、安全装置が作動していると引き金が引けない、という程度の知識である。そんな人間では、使いこなすのは不可能だろう。
結局、今まで通りの戦闘方法でいくしかないのだ。
「勇次……大丈夫か」
ふと気づくと、カンタが後ろに立っていた。いつの間にか背後に立っていたのだ。カンタは勇次を気づかってくれている、そんな表情をしていた。少なくとも勇次にはそう見えた。
「いや……大丈夫じゃないな。正直痛いが、何とかなるだろう。それに、カラタロウは責められない。これは人間の問題だ。カンタ……お前もだよ。河童の王様みたいなのから怒られたりしないのか?」
「いや、河童の王様はけっこう適当だからな。それに……河童は人間と違って、義理堅いんだよ。カラタロウとは逆に、ここでお前を助けなかったら……俺は河童の仲間から追放されちまう」
そう言いながら、勇次を見つめるカンタ。その顔は暖かい何かに満ちている。勇次はふと、もしこの戦いで死んだら、河童に生まれ変わるのも悪くないかもしれない、などとバカな事を真剣に考えていた。
家に戻ると、春樹は別の部屋で、恵美と一緒に寝かされていた。小学生とは言え六年生の男女である。同じ布団で寝かせていいのだろうかという思いが頭をかすめたが、今はそれどころではない。それに、あの二人には眠っていてもらった方がいいのだ。
「さて、これで作戦の練り直しだよ。カンタ……とりあえずは、この三人のガキ共を魔歩呂町まで連れて行きたいんだ。良い方法ないかね?」
「うーん……川を泳ぐ」
「却下だ。子供が泳げるわけないだろ」
勇次は苦笑する。だが、その時――
「いや、待てよ。カンタ……川を下ればどこに着くんだ?」
「え……魔歩呂町だよ」
「そうか。だったら……船で行けばいいのか」
勇次は考えてみた。まずは船を探す。なければ急ごしらえの物でも構わない。とにかく、魔歩呂町の近くまで浮いていられればいいのだ。さらに、水棲妖怪のカンタがフォローしてくれれば完璧のはずだ。
「カンタ、それにミーコ……村の中に船はあるか?」
「見たことないニャ」
「見たことないな」
テレビをみながら、答える二人。見事なまでに緊張感がない。その横で瞳を輝かせながら、食い入るようにカンタを見つめるソーニャ。どうやら、カンタのことも気に入ってくれたらしい。こちらも、今一つ緊張感に欠ける気はする。
しかし、ずっとピーピー泣かれているよりはマシなのだ。何より、ソーニャが笑顔でいることの方を弓子は望むだろう。
「カンタ、紹介するよ。この娘はソーニャだ。ソーニャ、挨拶くらいしろ」
勇次がそう言った途端、待ってました、とばかりに口を開くソーニャ。
「カンタ……河童なの……凄い! カッコいい!」
「おいおい、今時の女の子は妖怪を見て怖がらないのかよ……」
困惑したような声を出すカンタ。
「こいつが変わり者なだけだニャ。この小娘はあほだニャ」
呆れたような表情になるミーコ。もともと、妖怪トリオは村人とは一切関わらないようにして生活していた。勇次が村に越して来るはるか前から、妖怪トリオは村の近くの川や山に住んでいたらしいのだ。しかし、村人とは話したことがないと言っていた。となると、勇次以外の人間と話すのは久しぶりだろう。
その時、勇次の頭に一つの疑問が浮かぶ。妖怪トリオは何十年も前から、村人とは一切関わらないようにして生活していたという。なのになぜ、自分に接触してきたのだろう? カンタは「あんたみたいな人間は近頃少ないからな……」と言っていた。どういう意味なのだろう?
「ねえねえ、いつもはどこに住んでるの?」
「え……川だよ」
目を輝かせながら、カンタに話しかけるソーニャ。勇次は初めて妖怪を見た時、あまりの恐怖に気絶したというのに、度胸のあると言うかバカと言うか……。もっとも勇次が初めて見たのは、カンタのような可愛げのある奴ではなかった。今でもはっきりと覚えている。あれは犬……いや狼の形をした何かだった……。
そう、狼のような何かが喋ったのだ。巨大な体と凶悪な表情をしていた。しかし、ただ脅しに来たのではない。あいつは確実に何かを訴えていたのだ。それが何だったのかはわからないが。人通りのない袋小路でいきなり現れ、勇次は壁際に追い詰められた。そして彼は恐怖のあまり気絶してしまった。意識を失う寸前、何かを言っていたのを覚えている。でも、何を言っていたのかはわからない。
勇次がそんなことを考えている横で、カンタに話しかけているソーニャ。どうやらソーニャにとって、妖怪とは怖がるものでなく、好奇心を刺激するものであるらしい。昨今の子供を怖がらせるには、もっと別の何かが必要なのだろう。
「ねえねえカンタ、胡瓜好き?」
「好きだ……くれるのか? 胡瓜くれるのか?」
「うん! 冷蔵庫に入ってた! 勇次……カンタと一緒に胡瓜食べたい!」
ソーニャは楽しそうな顔で立ち上がり、勇次に返答する間を与えず冷蔵庫を開ける。そして胡瓜を二本取り出し、一本をカンタに差し出す。
「お、おいソーニャ……勇次に無断で出しちゃダメだろ……な、なあ勇次……」
言葉ではそう言っているが、カンタのクチバシは半開きである。食べたくて仕方ないのだろう。勇次は前から疑問に思っていたが、胡瓜の何がカンタを惹き付けるのだろうか。まあ、人間と河童の違いと言ってしまえばそれまでだが。
「いいよ。カンタにはさっき助けてもらったしな」
テレビを見ながら胡瓜をかじるカンタとソーニャ。その横で、猫の姿になり丸くなって寝ているミーコ。みんな、今一つ緊張感がない。もっとも、全員ガチガチに緊張されていても困りものだが。
ひとまず、カンタとミーコに子供たちを任せる。そして勇次が村を探索し、船もしくはその代わりになる物を見つける。それでいこう……と勇次は一人納得する。
だが、その前に腹ごしらえだ。とりあえず、店にあった売れ残りの駄菓子を口の中に放り込み、ジュースで流し込む。もともと店とともにわずかな額の遺産をも受け取っていたのだが、それらは店の維持費に消えていた。しかし、大赤字になりながらも菓子を仕入れ続けていたことが、こんな形で幸いするとは。とりあえず、子供三人と大人一人くらいなら、しばらく駄菓子を食べていればしのげるだろう。
「おいカンタ、しばらくこの家にいてくれないか。ソーニャたちの話相手になってくれ。ミーコが起きるまでの間でいい」
勇次はそう言いながら、ミーコの寝姿を見る。ミーコはいつものように手足を引っ込め、丸くなって寝ている。ひょっとすると、人間の子供の相手をして疲れたのかもしれない。
「いや、俺はいいけど……お前はどうするんだ?」
「村をもう少し調べてみるよ。これでは情報が少なすぎるからな。せめて奴らが何者かわかればいいんだがな……」
勇次は答えた後、隣の部屋に行き、寝ている二人の様子を見た。二人ともよほど疲れていたのであろう、緊張感の欠片もない顔で眠っている。隣の部屋ではソーニャの質問攻めが始まった。標的は言うまでもなくカンタだ。二人の声がこちらにも聞こえてくるが、目を覚ます気配はない。
勇次は部屋を出て、裏口に向かおうとすると、
「勇次……気をつけろ。さっきの奴らはザコだったけどな、もっと強いのがいるはずだ。俺より強い奴もいるかもしれない……俺も一緒に行こうか?」
カンタが心配そうに声をかけてきた。その横では、ソーニャも不安そうな顔でこちらを見ている。
「大丈夫……とは言えないが、戦いはお前らの方が強い。強い方が子供たちを守るのは当然だろ。俺は敵陣の様子を探る。状況次第では……敵陣に斬り込む」
外に出る。既に暗くなりかけていた。勇次は辺りの様子をうかがいながら、ゆっくりと進もうとしたが、足を止めた。
前方から誰か来る。髪の毛は白く、背は低い。見覚えのある服装と体型だ。ヨロヨロとした足取りで、こちらに歩いて来ている。近づいてくる者は――
よりによって、中島弓子だ。運命の神はどこまで悪趣味なのだろうか。ここで弓子と戦ったら、中にいるソーニャが騒動に気付き出てくるかもしれない。しかも、勇次の手で止めを刺さなくてはならないとは。
あれは一年以上前、勇次が店の中でパイプ椅子に座り、仏頂面でテレビを見ていた時のことだった。
「あんたが新しい駄菓子屋さん? ずいぶんと怖い顔してるわね」
声とともに現れたのは、背が低く小太りの中年女性だった。小さい女の子を連れている。いかにも豪快で威勢が良さそうなおばさんだ。しかし村育ちらしからぬ品の良さも、そこはかとなく漂っている。
一方、連れている娘は勇次の顔をじっと見つめていた。白人とのハーフらしく、人形のような可愛らしい顔をしている。二人の顔立ちに共通点は見られない。
「そうです。怖い顔の駄菓子屋ですが、何か」
勇次はめんどくさそうに答える。店の売り上げは非常に悪い。もっとも妖怪トリオがいろいろ持って来てくれるため、生活には困らないが。しかし菓子は売れない。仕入れるのも面倒だ。いっそ、店を潰そうかと思っていたところだった。
そんな勇次の思惑を知ってか知らずか、目の前の女はやけに親しげに話しかけてくる。
「あんた……名前は?」
「え……市松勇次ですが、何か」
「ちょっと! 何言ってんの! 客商売でそんな応対しちゃダメでしょ!」
「そうすか……」
勇次は困惑した。ここに越して来た日、いきなり駐在所の警官が店に来て――
「お前が札付きの不良だということはわかっている。もし何か問題を起こしたら、すぐに逮捕してやる。わかったな」
その翌日より、勇次は村人たちからの敵意ある視線を受けることとなった。村人たちは、ほぼ全員が敵になったらしい。もっとも、すぐに妖怪トリオと仲良くなれたので問題はなかったが。
そんな自分に、こんなに親しげに話しかけてくる村人がいたとは……正直、どう接していいのかわからない。勇次はあやふやな笑顔で応対していた。
すると――
「おばば、これ欲しいんだけど」
少女が中年女性の服のすそを引っ張り、菓子を指差す。そこにはチョコレートとせんべいを足したような、得体の知れない和洋折衷の菓子があった。中年女性はそれを一つ手に取り、勇次に見せる。
「おいくら?」
「はあ、三十円です」
「そこは三十万円て言うのよ! そうしたら、お客さんは笑ってくれるから! そうやってお客さんの心を掴んでいくの!」
それが中島弓子……そして中島ソーニャとの出会いだった。それ以来、ソーニャは毎日のように店を訪れるようになった。勇次が駄菓子屋を続けていたのも、二人の存在があったからである。
その弓子が……人間ではない何かに変わってしまった。
そして今、勇次の前に出現したのだ。