黒い学校
「ミーコ、ソーニャを頼んだぞ。じゃあ行ってくる」
「どこ行くニャ」
「もう少し探ってみる。場合によっては一人くらい捕まえて、締め上げて色々聞き出してやる。二人とも気をつけて、おとなしく待っててくれ」
勇次は二人の顔を交互に見る。
「わかったニャ。小娘、一緒にテレビ見るニャ」
「あーい」
午後三時を過ぎた。
外には、相変わらず人がいない。勇次はとりあえず草むらに隠れて移動している。こういう隠密行動にはミーコの方が向いているのだが、ミーコの今の役目はソーニャの心を癒すことである。
勇次は少しずつ移動し、時おり止まっては頭を上げる。こんな時、特殊部隊だったらどう動くのだろう、などというバカなことをふと考える。しかし、彼は特殊部隊ではないのだ。ただ今思いつくこと、そしてできることをやるしかない。
静かである。虫の声はかすかに聞こえるが、人の声は全く聞こえない。さらに妙なことがある。さっきから蛇も蛙も見当たらないのだ。普段だったら一匹は出会うはずなのに……そう言えば、さっきからスマホが圏外になっている。何らかの電磁波が出ているのだろうか。小動物たちはその電磁波を感じとり、近づかないようにしているのかもしれない。
勇次は亀のように遅いスピードで、少しずつ動く。まず、人が多く集まるような施設に行き、どういう状況かを偵察する。場合によっては、そこで何人か始末するつもりだ。
そして、ここから一番近くにある、人が集まる施設と言えば『新田小学校』である。祝日だから誰も来ていないかもしれない。しかし、行ってみて損は無いだろう。状況……いや、戦況次第では小学校に立てこもる。あそこには非常食も備蓄されている。ソーニャの話によると、兎や鶏も飼われているとのことだ。これも食料になる。レスラーのタックルで壊れてしまいそうな駄菓子屋よりははるかにマシだろう。
だが、小学校は授業中だった。少なくとも、外からはそう見える。祝日、しかも午後三時を過ぎているというのに……あり得ない話だ。もっとも、昨日から今までの出来事が全部あり得ない話なのだが。
勇次はとりあえず、観察してみることにしたが――
待てよ……。
あの志賀とかいう奴は、さっき見た限りでは日本人に見えた。人間ではないのかもしれないが、流暢な日本語を話し、完璧に日本人と同化している。となると、祝祭日というシステムは知っているはずだ。祝祭日がどういう日かも知っているはず。
なのに、なぜ授業をやらせている?
いや、それ以前に奴らは何だ?
妖怪ではない、とミーコは言った。人間ではない、とも言った。では何だ? 化学兵器か何かの実験で誕生した人間以外の何かなのか?
それに、いずれは道路も復旧し通れるようになる。外部の人間が村に来たら――
その時、勇次の背筋は凍りつきそうになった。
もしそいつに種を植え付けたら? 植え付けられた奴が都会に行き、ホラー映画のゾンビみたいに次々と他の人間にも植え付けていったら? 人口千人に満たないとはいえ、村一つを一夜にして支配下に置く連中である。一月もあれば、日本を支配できるのではないか……。
いや、そんな事は知らない。勝手にやらせておけばいいのだ。
だが、婆ちゃんの仇だけは討たせてもらう。
勇次は学校に潜入する。木造の校舎は古く、あちこちガタがきている。見た感じでは、一つの教室に数人の生徒が集められ、授業らしきものをしているようである。彼は校舎の中に侵入し、音を立てずに歩いた。チンピラ時代、あちこちに侵入し寝泊まりしていた経験が、こんな時に役立つとは。思わず苦笑してしまった。
教室に近づき、声を聞いてみる。どうやら、昼間にに気絶させた北条という男が授業をしているらしい。
「先生……いつまでここにいなきゃならないの? だいたい、今日は休みのはずだよ!」
不満そうな少年の声が聞こえてきた。聞き覚えがある。ソーニャの次に店に現れる頻度が高い村田春樹という六年生の少年だ。ソーニャの話では、ガキ大将のような存在らしい。もしかすると、春樹は種を植え付けられていないのかもしれない。
確かめてみる値打ちはある。
勇次は一瞬、迷ったが――
やるなら今だ。教室の扉を勢いよく開け、まず北条に襲いかかった。
呆気にとられている北条に、凄まじいスピードで組み付く。そして彼の右腕を引き寄せると同時に、左脇に右腕を差し入れ――
一気に投げを打った。
北条の体は、教室の床に勢いよく叩きつけられる。口からは、不気味な声が洩れ、倒れたまま痙攣を始めた。だが、その目は緑色に変わっている。
静まり返る教室。だが次の瞬間、子供たちが一斉に立ち上がる。その瞳は緑色に変わり――
いや、立ち上がっていない者が二人。その二人は椅子に座ったまま、周りの様子を唖然として見ている。片方は村田春樹。もう一人は……見覚えのない女の子だ。
だが、そんなことを考えている暇はなかった。
緑の目をした子供たちは、一斉に声を上げ始めた。あの時――弓子の家から逃げ出した時――に聞こえてきた悪夢のごとき叫び声……いや、悪夢の中でも聞いた事がない、奇怪な音。
勇次は一気に動いた。
教室の机を蹴飛ばし、叫び声を上げている子供たちをなぎ倒す。そして座ったままの二人を担ぎ上げ、教室から走り去って行った。
だがそれでも、不気味な声は止まない。勇次の背後から、ずっと聞こえてきていた。
「駄菓子屋! 離せよ! 降ろせよ!」
春樹のわめく声を聞き、勇次は足を止めた。正直、疲れている。小学生とはいえ、二人合わせれば六十キロを超える。そんな二人を担いで走り続けるのは限界があった。
二人を降ろし、ついでに自分も腰を降ろす。周囲を見渡すが、まだ追っ手は来ていないようだ。しかし、この村の見晴らしの良さには呆れてしまう。隠れられる場所が全くない。三人の位置、及び体勢は丸見えである。
「駄菓子屋……みんなどうしちまったんだよ」
春樹は怯えた表情で尋ねてくる。
「わからねえ……ただ、もう今までの三日月村とは違う。おかしな奴らに支配されてる。とりあえず店に来い。そこなら安全だ。ところで、お前の名は?」
勇次は女の子の方を向いた。
「や、山川恵美……」
「わかった。春樹、そして恵美……今から俺の店に移動する。あそこはとりあえず安全だ。店に行って、それから……なんだと! クソ! もう来やがった!」
毒づいた勇次。道の前方から三人、そして学校の方向から五人。全員、棒やキラキラ光る金属のような物を携え、こっちに向かって走ってきている。
迷っている暇はない。しかし、子供二人を連れていては戦えない――
その瞬間、前方にいた三人の間に割って入る緑色の小さな影。
「カンタ!」
勇次は叫ぶ。カンタは飛び上がり、一人の男に頭突きを見舞う。そして他の二人にも、飛び上がりざまの頭突きを見舞っていった。
次の瞬間、ドミノのようなタイミングで、次々と倒れていく三人。
「勇次! ここは俺に任せな!」
カンタはそう叫ぶと、追ってくる五人に突進していった。
「行くぞ、お前ら!」
勇次は叫ぶと同時に、二人の手を引いて走り出す。後を振り返る必要はなかった。カンタは、あんな連中に殺られるほどヤワじゃない。
カンタは突進し、棒を振り上げた男の腹に頭からぶち当たっていく。
カンタの凄まじい体当たり……硬い皿を乗せた頭が腹にめり込み、男は一瞬にして崩れ落ちる。恐らく、内臓は破裂しているであろう。当然、意識はない。
他の男たちは動きを止めた。呆然としている。種に支配されているとはいえ、判断力らしきものは残っているらしい。いきなり目の前に河童が出現したのだ。しかもその河童は、一瞬のうちに四人を倒して見せるという離れ業をやってのけている。
カンタは全員の顔を見渡した。
「お前ら全員、人間じゃないな……だったら手加減しねえ」
勇次は二人の手を引き、店に入った。
すると――
「小娘、チャンネルを変えるニャ。それと……スルメを持って来るニャ」
「ミーコ……食べ過ぎなんだけど……」
ミーコとソーニャの声が聞こえる。お守りを頼んだはずなのに、ミーコはソーニャをアゴで使っているようだ。むしろ、ミーコのお守りをソーニャがしているような雰囲気である。
「お前……ソーニャか?」
裏口から店に入った春樹は、ソーニャを見て驚きの表情を浮かべる。さらにミーコの姿を見て、驚きから混乱と困惑に変わる。当然だろう。猫の耳と長いふさふさした尻尾が二本生えた女が、テレビを見ながら裂きイカを食べているのだ。
その隣では恵美が、怯えた表情でミーコを見ている。
そしてソーニャは――
「あ! はるちん! 恵美ちゃん!」
言ったきり、動きが止まる。
次の瞬間、涙がこぼれ落ち、そして崩れ落ちる。
「無事だったんだね……よかった……本当に……よかった……」
ソーニャは泣き出していた。涙を流し、嗚咽を洩らしながら二人を見つめる。すると、さっきまで傲慢な態度だったミーコがソーニャのそばに寄り添い、優しい笑みを浮かべながら、そっと抱き寄せた。
「駄菓子屋……どうなっているんだよ」
春樹は呆然としている。
「今から説明する……わかっていることはほとんどないけどな」
「じゃあ……ウチの父ちゃんも母ちゃんも、化け物になっちまったって言うのかよ……」
春樹は言葉を発した後、暗い表情で下を向く。
恵美は既に泣き出している。ソーニャは、そんな恵美のそばに寄り添い、慰めている。ソーニャ本人も泣きたい気分なのだろうが、気丈にふるまっている。さっきミーコにしてもらったように。
そのミーコは、我関せずといった様子でスルメを食べている。さっきはソーニャを慰めていたというのに、こんな状況でも気まぐれなようだ。
勇次は説明が終わった後、しばらく何も言わずに二人が落ち着くのを待つ。そして、頃合いを見計らって口を開く。
「お前ら二人に聞きたいんだが……なぜ無事だったんだ?」
「うん……実はさ、二人で足鞍山に入ってたんだ。前にあの辺で、デカい鴉が飛んでるの見たって恵美が言ってさ……それで山に入ってたら、急に雨が降ってきたんだ。で、洞穴で雨宿りしてたら朝になっちまったんだよ。で……二人で家に帰ろうと歩いてたら、いきなり北条先生に見つかって、そのまま学校に連れていかれたんだ」
「なるほど……じゃ、お前ら二人は家に帰ってないんだな」
勇次は改めて二人の顔を見る。さっきまでは気づかなかったが、疲労の色は濃い。夕べから大した物は食べていないのだろう。さらに嵐の中で野宿である。ウチで一泊しているソーニャに比べると、相当疲れているはずだ。
「とにかく……お前らは隣の部屋で休め。布団が敷いてあるから」
「いや大丈夫だ――」
言いかけた春樹は、隣の恵美がソーニャに寄りかかり、眠っていることに気づく。ソーニャは小さな体でどうにか六年生の恵美を運ぼうとしたが、その瞬間に恵美は目覚めた。
「あ……ソーニャごめん」
「ううん、いいんだけど……」
ソーニャが答える。するとミーコが立ち上がり、恵美をひょいと持ち上げた。
「え?! な、何?!」
「疲れた時は寝るのが一番ニャ。年長者の言うことは聞くもんだニャ」
ミーコは恵美にそう言うと、隣の部屋に運ぶ。ミーコは気まぐれな奴だと思っていたが、こんなに面倒見が良いとは思わなかった。案外、子守りに向いているのかもしれない。
「おーい勇次、入れてくれよ。俺だ俺」
裏口の扉を叩く音。聞き覚えのある声。カンタである。勇次はホッとした。カンタはあの程度の連中に殺られるほどヤワではない。しかし不安があったのも確かだ。あと一時間しても現れなかったら、探しに行こうと思っていた。
扉を開けると、カンタが入って来る。いつもと違い体は濡れていない。今まで陸をうろついていたせいであろう。そして、戦ってくれたせいでもあろう。
俺のために……。
勇次は形容のできない熱い何かを感じ、思わず目を逸らした。
「しかし勇次、あいつら何なんだよ。村はもう、怪物の巣窟だよ」
カンタは部屋に入り込み、居間に座り込んだ。妖怪の口から怪物という単語が出るのもおかしな話ではあるが。
その横で唖然……いや、それを通り越して硬直しているソーニャと春樹。
「おう。悪いけどな、今は河童も人間も関係ない状況だ。俺は河童のカンタ。よろしくな」
二人にそう言うと、カンタはテレビを見始めた。先ほど見せた凄まじい戦いっぷりが嘘のように、無邪気な雰囲気をかもし出していた。夢中になってテレビを見ているその姿を見て、好奇心旺盛なソーニャは瞳を輝かせている。
「おいカンタ……村はどうなってる?」
勇次の言葉に、カンタは顔をしかめる。
「うーん……ヤバいな。俺も村に行ってみたんだが、妙な匂いがプンプンしてるんだよ……あんな匂い、初めてだ。怪物としか言いようがない」
「そうだニャ。あんな気色悪い匂い、初めてだニャ。あれは妖怪じゃないニャ。あれはわからんニャ」
隣の部屋から、ミーコが入って来る。恵美を寝かしつけたようだ。ミーコのベビーシッターの腕は大したものである。ミーコの意外な才能を発見したが、しかし今はそれどころではないのだ。
「そうか……お前らでも嗅いだことがない匂いかよ。何なんだ、まったく……頼みの綱のカラタロウは行方不明だし。どうしたもんかな」