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黒い種子

 ソーニャはこの時、勇次が何をしたのかわからなかった。覚えているのは、勇次が怪物と化した祖母を撃退して見せたことだった。


 怪物のような恐ろしい形相で突進し、勇次とソーニャに襲いかかる弓子。とても六十歳には思えない、獣じみた動き……だが勇次の動きは、それ以上に速かった。

 勇次の体が沈みこみ、同時に左拳が弾丸のような速さで放たれる。腰の回転を利かせ、体重を乗せた左拳は凶器と化し、鋭い音と共に弓子の腹に炸裂した。

 何かを吐き出すような声を上げ、腹を押さえてうずくまる弓子。

 次の瞬間、ソーニャを担ぎ上げ、勇次は走り出した。凄まじい勢いで、通い慣れた道を走る。

 その最中、何とも形容しがたい不気味な叫び声が、後ろから聞こえてきた。振り向かなくてもわかる。間違いなく、弓子の振りをしている何かが発している声だ。人間の出せる声ではない。かと言って獣の声でもない。悪夢の中でしか聞けないような声……いや、音だ。

 だが、勇次は走った。振り返る暇があったら走る。振り返れば、わずかでも速度が落ちるのだ。彼は凄まじいスピードで、ソーニャを担ぎ走り続けた。

 だが走っている時、勇次はもう一つの異変に気づいて足を止めた。肩に担ぎ上げたソーニャをゆっくりと降ろし、地面に座らせる。

 ソーニャの顔色は、死人のようだった。目はうつろ、唇は青く震えている。いや、唇だけではない。体全体が小刻みに震えているのだ。息は弱々しく、普段の大人びた落ち着きも、子供らしい活発さも、まったく感じられない。

「ソーニャ、大丈夫か?」

 勇次は声をかける。だが、ソーニャは答えない。体を震わせながら、うつろな目でじっと前を見ている。放っておいたら、ショック症状を起こしかねない。

 勇次は顔を上げ、辺りを見渡す。道は広く、周りは田畑に囲まれている。身を隠すような遮蔽物がないのが痛い。ここでじっとしていたら、この村に潜む何者かに捕まる。とにかく、今は店に戻る。恐らく、カンタかミーコが居てくれるだろう。

 そうだ! ミーコはどうしたんだ?!

「おいミーコ! どこに居る――」

「ここに居るニャ」

 言葉と同時に、道端の草むらからのっそりと姿を現したミーコ。そして彼女は飛び上がり――

 人間の姿になった。

 呆然とした顔で、ミーコを見ているソーニャ。まだ状況が飲み込めていないのだ。夢か何かの出来事かと思っているのか、あるいは外の情報を全て遮断してしまうような精神状態に陥っているのか。

「ミーコ、すまねえがソーニャを連れて店に行ってくれ。お前の方が足は速い。ソーニャを――」

「待つニャ。来やがったニャ」

 ミーコの声に反応し、勇次は顔を上げた。すると、道の前方から二人の男が歩いてくる。そして後方からは――

「婆さん、しつけえな」

 勇次は思わず呟いた。弓子が片手に錆びた包丁を持ち、昔話のヤマンバのような形相でこちらに歩いてきているのだ。

「ミーコ……ソーニャを連れて店に行け。店もヤバかったら……とりあえず山だな。カラタロウと二人で、山に潜んでソーニャを守ってくれ」

「お前はどうするニャ?」

「俺が……奴らの注意を逸らす」

「わかったニャ!」

 ミーコはソーニャを担ぎ上げ、凄まじいスピードで走りだす。田畑を突っ切り、人間には到底不可能な速さで走り去って行った。

 男たちは追いかけようとするが――

「おいお前ら! 俺と遊ぼうぜ!」


 勇次は前方の二人めがけ突進した。

 まず片方の男に向かい、目突きを喰らわす。四本の指がムチのようにしなやかに、かつ弾丸のような速度で男の目を襲う――

 緑色の目を勇次の指がかすめ、男は反射的に目を押さえる。

 その時、もう一人の男が勇次に殴りかかるが――

 勇次はそのパンチを額で受ける。いや、拳に頭突きをぶち当てていった、という方が正しい。硬く重い頭の骨による一撃はカウンター攻撃となって拳を襲い、手の甲の骨を破壊した。

 凄まじい痛みを感じ、手の甲を押さえてうずくまる男――

 そして次の瞬間、ボールを蹴るかのような勇次の蹴りをまともに喰らい、血と砕けた歯を吹き出しながら倒れる。

 さらに勇次は、先ほど目突きを喰らわした男に接近する。男の首に腕を回し、そして相手の体を腰に乗せると――

 凄まじい勢いで、地面に叩きつける。

 勇次の投げで地面に叩きつけられ、男は口から奇妙な声を洩らす。意識を失ったようだ。


 ここまではいい。問題は次だ。

 勇次はこちらに近づいて来る弓子との間合いをはかった。弓子は鬼のような形相で、錆びた包丁をぶんぶん振り回している。

 もし正気に戻す方法があるなら……助けたい。いや、助けなくてはならないのだ。弓子は自分に優しく接してきた、数少ない村人の一人だからだ。さっき腹を殴った時も、加減はした。結果として、戦意を失わせることはできなかったのだが。

 ならば、まずは絞め落として気絶させるか……と思った次の瞬間、弓子の後ろから、新手の男が数人歩いてくるのが見えた。よくはわからないが、全員緑の目の持ち主のようだ。

 勇次は背後をみる。そちらからは誰も来ていない。

 次の瞬間、勇次は凄まじい勢いで走り出す。

 だが、相手は追って来なかった。




 細心の注意を払いながら、勇次は店に戻った。とりあえず、外から見た限りでは無事なようだ。

 裏口の扉を開け、中に入ると、ミーコが袋入りの細かく刻まれた鰹節を、スナック菓子か何かのような勢いで食べながら、テレビを見ている。

「ミーコ、助かったぜ……にしても、ありゃあ何だ? 村人全員、何かに憑かれたとしか思えない……おい、ソーニャはどうした?」

「寝てるニャ」

 ミーコは隣の部屋を指差す。

 勇次は隣の部屋に行ってみると、布団が敷かれ、その上でソーニャはぐっすり眠っていた。どうやら、心配したような症状はないようだ。

 勇次が居間に戻ると、ミーコは鰹節を食べ終え、ニュースを見ながら、つまらなそうな顔であくびをしていた。どうやら、彼女はチャンネルを変えることを知らないようだ。

 いや、それ以前に――

「ミーコ……あいつら何だと思う?」

「間違いなく妖怪じゃないニャ。でもまあ、何でもいいニャ。あたしには関係ないニャ」

「おい! 関係ないってどういう意味――」

 言いかけて、勇次は言葉を飲み込んだ。そう、ミーコには関係ないのだ。もともと人間とは関わらないように生きてきたミーコにとって、村人が皆殺しになったとしても、彼女の生活には何の影響もない。仮に今、村に潜む何者かが村を支配することになったとしても、ミーコの生活は変わらない。

 そう、人間のために力を貸す義理は、ミーコにはない。カンタにしてもカラタロウにしても、その点は同じである。ならば、自分で真相を探るしかない。

「ミーコ……頼みがある。しばらくこの家にいて、ソーニャを守ってくれ」

「えー……めんどくさいニャ」

「店にある『ごっちゃんイカ』、全部食べていいからさ」

「まあ、そこまで言うなら……でも、お前はどうするニャ」

「村で何が起きているのか……真相を探る。夜になったら戻るから。あと、カンタとカラタロウにも頼んでくれ」




 しかし、今はまだ昼間である。昼間の隠密行動というものは難しい。まして、三日月村は広い田畑があちこちにある。姿を隠しながらの移動は難しい。

 そして、昼間だというのに農作業をしている人間が一人もいない。となると、ほぼ全員が敵ということなのだろうか。さすがに予想はしていたものの、ここまで悪い方向に転ぶとなると、正直どうすればいいのかわからない。

 勇次は草むらに隠れ、ほふく前進で移動する。

 妙に静かだ。人の生活に伴うであろう音がしないのだ。出歩いている人もいない。確か、ソーニャの家に行く時は二人くらいの人間とスレ違ったが、あの二人は……いや、今から考えたら妙だった。

 となると……どう動けばいいんだ?


 その時、大声で話す声が聞こえてきた。

「おい! 駄菓子屋の野郎はどこ行ったんだよ! 全く……さっさとブッ殺してやろうぜ!」

「いや、駄菓子屋はほっとけって話だ。とにかく、土砂崩れで道路が封鎖されてるからな……道路さえ通れるようになれば、こっちのもんだ」

 勇次は草むらから、様子をうかがう。

 片方の若い男には見覚えがある。確か……北条とかいう小学校の教師だ。教師がここにいるとなると……学校も機能していないのだろうか。村の主要な施設は、全て奴らに押さえられていると思って間違いないのだろう。

 だが、それに関しては後で考える。それよりも今は情報収集が先だ。あの二人のどちらかを連れ帰り、そして情報を聞き出そう。


 二人は、何やら大声で喋りながら歩いている。他愛のない話だ。昨日の嵐は凄かったとか、今日の仕事は大変だとか、そういったことである。こんな奇怪な状況であるにも関わらず、普段と変わらぬ会話……そこが逆に不気味さを際立たせている。

 勇次は立ち上がり、そして――

 二人に襲いかかった。


 いきなりの後頭部への不意打ち。

 片方の、名も知らぬ中年男は勢いよく倒れる。手応えは充分すぎるほどだ。確実に意識を飛ばせたであろう。死んだとしても不思議ではない。

 横にいた人間が突然倒れる……その光景に北条は驚き、そして振り返る。しかし、何が起きたのか把握できていない様子だ。怒りも恐怖も感じられない。ただポカンとしている。

 だが勇次は容赦しない。北条の髪を掴み、思い切り頭を下げながら、こちらに引き寄せる。そして頭を脇に挟み、頸動脈と気道を一気に絞め上げる。

 抵抗する間もなく、北条の意識は途切れた。

 気絶した北条の体を担ぎ上げ、勇次は店に戻ろうとするが――

「おいおい、痛いだろうが……駄菓子屋さん」

 意識が飛んだはずの男……なのに、平気で立ち上がってきたのだ。


 後頭部への不意の一撃、これは非常に強力である。映画やドラマなどでは意識を失わさせるための攻撃としてよく使われているが、実際にやると、かなりの確率で殺したり半身不随にしたりできる、非常に恐ろしい一撃なのだ。

 無論、勇次もそのことは承知している。殺す覚悟を持って、その一撃を放ったのだ。さっき、弓子は包丁を振り回して追いかけて来た。明らかに殺意を持っていたのだ。ならば、他の連中も殺意を持っていると考えていいだろう。殺意には殺意で答える。そうでないと生き延びられない。

 しかし、その殺すことも覚悟して放った一撃を受けたはずなのに、立ち上がってきた。しかも、大したダメージは受けていないようなのだ。

 勇次は北条の体を投げ捨て、男と向き合う。誰なのか、全く見覚えがない。

「あんた、誰だっけ」

 低い姿勢で構えながら、勇次は尋ねる。尋ねると同時に、ジリジリと下がっている。

 街のチンピラだった頃のセオリーの一つとして「ケンカは手早く終わらせる。手早く終わらなかったら、勝ち負け関係なく、さっさとその場を離れる」というものがある。一匹狼だった勇次にとって、長期戦は敗北を意味する。長引けば、敵の仲間や警察が来るかもしれない。だからこそ、できるだけ早く仕留める。それができないなら逃げる、といったセオリーが体に染み付いていたのだ。

 今も勇次は、逃げることを最優先に考えている。しかし、できるだけ情報を引き出したいとも考えているのだ。


「駄菓子屋……いや、市松勇次さんとか言ったな、あんたは。私は……志賀とでもしておこう。よろしく」

 志賀と名乗った目の前の男は、北条よりもはるかに歳上だ。さらに、体も北条より小さい。全体的に細目で、特にアゴから首、そして肩――正確には僧帽筋だが――にかけてのラインは、まるでロケットのようになだらかである。こういう人間は打たれ弱いはずなのだ。なのに、今の一撃を喰らって平然と立ち上がる……あり得ない。

「なあ、あんたら何者だ? 村の人間はどうなったんだ?」

「その質問に答えるのは難しいな。時間がかかる。物凄く簡単に言うと、我々は……ここの客人だ。村人からは、客人として当然のもてなしを受けている。ただ、それだけだ」

 志賀は淡々と答える。この男の目は緑色ではない。となると、志賀は村人を操る側の人間なのか。とにかく、志賀の言っていることは全く理解できない。だが、今の勇次には、確実に理解できていることが一つある。

「他の村人はどうでもいいよ。ソーニャの婆ちゃんを元に戻せ。そうしたら、俺はソーニャと婆ちゃん連れて、この村から出て行く。あとは好きにしろ。お前らがこの村で何しようが構わない。さあ、婆ちゃんを正気に戻してくれ」

「それは無理だ。すまないが、村人全員の体には、既に種が寄生している」

「寄生だと……てめえ……何しやがった!」

 勇次は凄みの利いた声を出した。だが、背筋は寒くなっていく。寄生などという言葉が出てくる……そんな得体の知れない連中を相手に、どう戦えばいいというのか。

「種……正確には種子とは違うものだが、まあ分かりやすく言うと種だよ。この種は体に入ると……脳や脊髄、神経といった部分に根を張り、我々の指示通りに動くようにするんだ。そして……一度根を張ってしまうと、もう元の体には戻らない」

「何だと……てめえ……じゃあ婆ちゃんはこの先どうなるんだ……」

「そうだな、あと三日もすると、成長した根が延髄を突き刺すんじゃないかな。ま、もって一週間だろうね……おっと忘れてた。その後に、体が変化するんだけどね。色々と」





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