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白い狼

 人はそれを、三日月村事件と呼んだ。日本の犯罪史上最悪……いや、世界的な規模で考えても類を見ないほどの大量殺人事件だったのだ。三日間で三日月村の半数以上の人間が死亡……しかもその犯人は、まだ二十歳の青年だった。

 しかし奇妙なことに、現場は厳重に封鎖され、地元の警察官たちは一切捜査に加われなかったのだ。主に動いていたのは公安の人間だった。そしてなぜか度々目撃されたのが、二人組の黒いスーツを着た、黒人と白人のコンビである。その二人は平然とした顔で、一般の警察官でも入れない現場に出入りしていたのだ。そのため、一時期は様々な憶測が乱れ飛んだ。テロリストの犯行説、外国の陰謀説、果ては宇宙人の侵略説まで……。


 しかし警察は、市松勇次という二十歳の青年による犯行であると発表した。

 市松は十代の頃は筋金入りの不良であった。また、村人からの評判も最悪であり、完全な村八分の状態だったと言われている。さらに夜中に家の前を通ると、一人で誰かと話しているような声が聞こえたこともあったらしい。しかも、現場で二挺の拳銃が発見されたが、その両方から市松の指紋が検出されたのだ。

 その結果……裁判は異例とも言えるスピードで進み、あっと言う間に死刑が執行されてしまった。

 こうして三日月村事件は幕を降ろした、かに見えたのだが……。

 十年が経過した今も、なぜか現場に入ることはできない。異常とも言える警戒態勢が敷かれており、マスコミも完全にシャットアウトされている。理由は不明だ。確かなのは、国が周辺の土地を全て買い取り、国有地にしてしまったことである。今や、三日月村は巨大な塀に囲まれており、外からの侵入は不可能に見えた。そして、中にいる者が外に出るのも不可能に見える……。

 中には何もいない、はずなのだが。


 ・・・


 ソーニャは今、刃舞伎町に住んでいる。魔歩呂市でも最大の歓楽街だ。ヤクザ、外国人マフィア、チンピラ、そしてバカガキなどが密集して生活している場所である。治安は悪い。しかも……三日月村での事件の影響なのか、得体の知れない連中も多く住み着いている。

 そんな街で、ソーニャは一人孤独に生きている。中学を卒業すると同時に家を飛び出し、出来る仕事は何でもやった。今では朝と夜、二つの仕事を掛け持ちしている。辛い生活ではあった。だが、そうやって余計なことを考える時間を無くしたかった。さらに、くたくたになって眠れば、悪夢を見なくて済むだろうとも……十年前の悪夢。絶対に見たくなかった。

 だが、それでもたびたび悪夢に襲われたのだ……。




 十年前、ソーニャは外へ飛び出して行った。交番に向かうために。そして、警察官に村での出来事を全て話すために……。

 だが、いきなり黒いものに襲われた。鴉である。巨大な鴉が襲いかかって来たのだ。鴉はソーニャの事を執拗に攻撃してきた。ソーニャは頭をつつかれ、痛さと恐怖のあまり家に逃げ帰る。

 そして思い出した。狼――勇次の父と名乗った者――との約束を。

(村での出来事は、誰にも言ってはならん)


 様々な人間に色々な事を聞かれたが、全て知らぬ存ぜぬで通した。自分と春樹は家出をして、ずっと魔歩呂町にいたと答える。すると相手は興味をなくし、質問を止めた

 しかしテレビで連日のように報道される、勇次の過去の悪行。心理学者や精神科医などがしたり顔でコメントする姿。さらに、ありもしなかった事件が事実として発表されていき……時おり、自分は夢を見ていたのではないか、とすら思ってしまうこともあった。

 秘密を共有していたはずの春樹は、すぐさま田舎の親戚に引き取られ、さよならを言う間もなくソーニャの前から姿を消してしまった。ソーニャは一人で、あの悪夢の記憶を背負うことになったのである。

 そして実母の京子は、ソーニャに冷たかった。家にいる時はほとんど話もせず……言ったことに逆らうと、平気で殴りつけた。顔を蹴飛ばされ、意識を失ったこともある。ソーニャはただひたすら耐えるしかなかったのだ。

 そして……ソーニャは中学卒業と同時に家を出た。勇次が渡してくれたバッグ……その中に入っていた金を使い、怪しげな人間が大勢暮らしている刃舞伎町で住む場所を得たのである。




 その日、ソーニャは職場に行くため歩いていた。刃舞伎町の朝は場所によっては、人通りがほとんどない所もある。特に風俗店が立ち並ぶ一角などは、朝から昼にかけて人通りが全くない。人通りを嫌うソーニャにはうってつけだった。彼女はその一角の裏通りを歩いていた。

 虚ろな表情で職場に向かっていたソーニャだったが――

 ふと、不思議な違和感を覚えた。

 さらに、奇妙な胸騒ぎも感じる……彼女は立ち止まり、辺りを見渡した。

 その時――

 目の前に出現したもの、それは白い犬……いや、狼だった。記憶にあるよりも、遥かに小さい――それでも大型犬と同じくらいのサイズではある――が、汚れた裏通りの中でも輝きを失わない美しい毛並み、どこか気品の漂う立ち振舞い、野性と知性を感じさせる瞳……だが何よりも大きな特徴は、手で触れることができそうなくらい、濃い妖気を身にまとっていることである……。

 ソーニャはその姿を見たとたん、体が硬直し動けなくなった。あまりの衝撃に思考が停止し、ただただ呆然としていることしかできなかった。状況を把握できなかったのだ。

 そして狼は、目の前で姿を変える。

 かつて三日月村の駄菓子屋にいた、目つきの悪い青年の姿へと……。

「ソーニャ……久し振りだな……しかし、お前も大きくな――」

「うるさい!」

 ソーニャの罵声。彼女は体を震わせている。震えながら、勇次を睨みつけていた。

「ソーニャ、お前――」

「うるさい! 今まで何してたんだよ!」

 凄まじい形相で怒鳴りつけるソーニャ。さっきまでの虚ろな表情が嘘のようだ……体を震わせ、拳を握りしめ、今にも殴りかかっていきそうな雰囲気である。

「仕方ねえだろ……あんな事になった以上、誰かがスケープゴートにならなきゃいけなかったんだ。お前は怪しげな連中に見張られてたし……だから俺は今まで顔を出せなかった――」

「うるざい!」

 ソーニャは突進し、勇次を殴りつけた。勇次は黙って、そのパンチを顔で受け止める。だが拳が命中したにも関わらず、勇次は表情一つ変えない。その余裕がソーニャの怒りの炎に油を注ぐことになった。彼女はさらに殴りつけるが――

 不意に顔を歪め、しゃがみこんだ。そして右手をさすり始める。

「いだい……ぢぐじょう……ばがやろお……お前なんがじんじゃえ……」

 ソーニャは泣きながら右手をさすっている。時おり、嗚咽混じりの罵声を勇次に浴びせた。

「……お前、すっかり不良娘になっちまったな。今のお前を見たら、婆ちゃんが悲しむぞ」

「……」

 ソーニャは勇次を見上げる。勇次の顔は駄菓子屋にいた時と同じだった。あれから十年が経過しているはずなのに。

 いや、それ以前に――

「なんで……いぎでんだよ……じげいになっだっで……じんだっで……」

「俺は……妖怪だからな。人間としての俺は、絞首刑台の上で死んだ。後は……妖怪として生きる」

「みんな……勇次を悪者だっで……びどいごどをいっでだ……何もじらないぐぜに……ずごぐぐやじがっだ……ぐやじぐで……がなじぐで……」

 ソーニャは感極まったのか、今度は大声で泣き出した。大粒の涙をこぼしながら、嗚咽混じりの声で訴え続ける。

「ずごぐぐやじがっだ……勇次は……だだがっだのに……あだじだぢをまもっだのに……みんなが……勇次をびどごろじだっで……勇次は……あだじだぢのだめに……」

「俺はんな事、気にしてねえ……誰かに褒められたくてやったわけじゃねえよ。俺はお前と春樹を助けられたし、婆ちゃんの仇も討てた。自分で自分を褒めてやれる……それで充分だよ。それに、お前が俺のために泣いてくれてる……俺はそれだけで――」

「あだじはあんだのだめにないでんじゃない! ぐやじいんだ!」

 ソーニャは持っていたハンドバッグを投げつける。だが、勇次はそれをキャッチした。そして返そうとするが……。

 よく見ると、昔カラタロウが拾ってきた物だった。カラタロウが山で見つけて勇次に渡し、さらにそれをソーニャに渡したのだ。

 勇次の顔に、笑みが浮かぶ。ソーニャは持っていてくれたのだ。自分が渡したバッグを……そして使っていてくれたのだ。

「なに笑っで――」

「小娘、いつまで泣いてるニャ。図体ばっかり大きくなって……いつまでたってもガキだニャ」

 背後から聞こえてきた声……ソーニャが振り返ると、そこには美しい黒猫がいた。三つ指を着くような姿勢で、こちらをじっと見つめている。二本の尻尾を軽やかに動かしながら、大きな瞳で、ソーニャの顔をじっと見つめていた。

「ミ、ミーゴ……ミーゴなの……あいだがっだ……」

 ソーニャはミーコに近づくと――

 いきなり持ち上げ、抱き締めた。

 ミーコは若干迷惑そうな顔をしているが、黙ってされるがままになっている。

「おいおい、俺の時とはえらい違いだな」

 言いながら、勇次は微笑む。

 その時、どこからともなく鴉が飛んで来た。よく見ると、その鴉は両足の爪で小さな亀をしっかり掴んでいる。そして鴉は亀を地面に降ろし、自身も地上に降り立った状態で勇次の顔を見上げる。亀は勇次の足元まで歩き、おとなしく手足を引っ込めた。

 だが、ソーニャはその二匹には気づかず、ミーコを抱き締めたまま泣き続けていた。


 ・・・


 それから一月後、とある山の中。 勇次は人の姿で、山奥を歩いていた。既に日は沈み、辺りは暗闇に支配されている。普通の人間なら、ライトなしでは一メートルも進めないだろう。しかし、勇次は平然とした顔で進んで行く。

 やがて、勇次は立ち止まった。木の生い茂る、山の山頂にほど近い場所。勇次は天を仰いだ。

 そして声を出す。いや、声ではない。その口から聞こえてきたもの、それは紛れもなく狼の遠吠えであった。恐ろしくも悲しい声が山の中に響き渡る。

 やがて、白い狼が姿を現した。白く美しい毛並みは相変わらずだ。しかし、勇次は異変に気付いた。わずかではあるが、身にまとう妖気が薄くなったような気がするのだ。

「久しぶりだな」

 言いながら、勇次は狼を睨む。その瞳には、志賀と相対した時よりも激しい憎しみがあった。

 狼は勇次の視線を避け、下を向く。

「一つだけ言わせてくれ。お前には人間として生きて欲しかったのだ。人間として――」

「無理に決まってるだろうが。そもそも寿命が違うしな……まあ、いい。俺は今日、あんたに礼を言いに来たんだ」

「礼だと?」

 狼の声は、驚きのあまり震えていた。

「ああ。ソーニャと春樹を街に運んでくれたんだろ……妖力を使ってな。あんたの寿命を縮めてまで……ありがとう……あとな、もう一つある」

 勇次はそう言うと、狼の前で片膝をつく。その瞳には依然、憎しみの色が浮かんでいる。だが、別の感情も宿っていた。

「あんたの妖怪の力……それを受け継いだからこそ、俺は奴らを殺せた。ソーニャと春樹を守れた。俺がただの人間だったら……奴らに怪物にされ、ソーニャと春樹は奴らの道具にされていたはずだ。あんたが親父で……本当に良かった」

「勇次……」

 狼は感極まったような声を出す。しかし、勇次はその声を無視して立ち上がった。

「じゃあな。もう二度と会うこともないだろうが……元気でな」

 勇次は背を向け、去っていく。狼の姿になれば一瞬で下山できたが、なぜか、その気にはなれなかったのだ。

 そして狼は、勇次の後ろ姿をじっと見つめていた。その瞳には、長年の苦悩から解放された安堵感がある……。


 ・・・


 その頃、刃舞伎町の高級マンションの一室では――

「ねえ……勇次、大丈夫かなあ……」

 ソーニャは横にいるミーコに尋ねる。二人はリビングでソファーに座り、テレビを見ていた。

「勇次は強いから大丈夫だニャ。それより小娘、あの女はあの男が嫌いなのかニャ? 説明しろニャ」

 そう言いながら、ミーコは画面を指差す。そこには男を罵る女の姿が映っていた。

「しようがないなあ、ミーコは……あれはツンデレっていうの」

「つんでれ? ふーん……ワケわからんニャ」

 さらにその横では、カンタとカラタロウが雑誌を広げ、ああでもないこうでもないと話している。

「なあカラタロウ、お前の好みはどっちだ?」

「俺は……こっちだな」

 二人の会話だけを聞けば、雑誌に載っている女の品定めをしているように思えるが……カラタロウが指差しているのは、大木の写真であった。

「この木はいい……このような木に止まってみたいものだ……」


 このマンションはヤクザや外国人マフィアの大物が多く住んでいる。だが、恐らく一番奇妙なのはソーニャたちだろう。普段、カンタは亀、ミーコは黒猫、カラタロウは鴉に化けて生活している。そして勇次は……得体の知れない仕事をしているのだ。

 本人いわく、妖怪たちのトラブルシューターらしいが実際のところは不明だ。ただ、その仕事のおかげでマンションのオーナーから、家賃はゼロにしてもらっているらしい。

 だが、ソーニャにとってそんなことはどうでも良かった。

 この四人と暮らしている今……ソーニャは最高に幸せだった。みんなと暮らし始めてから、彼女は悪夢を見ていない。仕事に追われて一日が終わることもなくなった。何より、家に帰れば笑顔で迎えてくれる人……いや妖怪がいる。こんな日々が自分に訪れようとは……ついこの間まで、想像もしていなかった。

 ふと、涙が溢れる。

 嬉しさゆえの涙だ。

「小娘……どうしたニャ」

 不意にミーコの手が、ソーニャの頭に置かれる。ミーコはそのまま、ソーニャを抱き寄せた。

「何でもない……ねえミーコ……もう、どこにも行っちゃ嫌だよ……みんなでずっと一緒に居たい……」

「全く……小娘は図体ばかり大きくなって……仕方ないから、ずっと一緒に居てやるニャ……」






 どうにか終わらせられました。これ以上続けるとタイトルを変えないといけなくなりそうなので……気が向いたら続編書くかもしれません。私にとって、これが初の公募(?)作品ですが、大変でした。最後まで読んで下さった皆さん、本当にありがとうございます。また、感想をくれた皆さん、評価してくれた皆さん、お気に入り登録してくれた皆さん、ありがとうございました。そして……素敵なレビューを書いて下さったエイノさん、立花黒さん、空飛ぶひよこさん、本当にありがとうございました……こんな言葉しか書けない自分がもどかしいです。


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