黒い脅迫
勇次はミーコの用意した食事で、どうにか空腹を満たした。それにしても、ミーコはどこで米の炊き方などを覚えたのだろう。やはり二百年以上生きてきた中で得た知識はかなりのものなようだ。人間と暮らしている間に、さまざまな知識や技術を会得したのだろう。ミーコについては、まだまだ知らないことが多いようだ。
「ところでカラタロウ、さっきの続きだがな……奴らはいつ頃、村を出て行くんだ?」
「大天狗様の話では、大体一週間くらい、とのことだが……今回は早く引き上げるかもしれん。前にも一度……どこかの村で地元の妖怪たちを怒らせ、戦いになったことがあったらしい。その時はわずか二日で帰ったようだぞ。三十人以上の村人が巻き添えになり、死人となったとのことだ。しかし人間は……一人生き残った者に全ての罪を着せ、その男をその場で処刑したらしいが」
カラタロウはここにいる者の中でも、異邦人に対する知識は一番豊富である。今はカラタロウの知識に頼るしかないのだ。濡れ衣を着せられ、処刑された男の話も興味深かったが、今は片付けなければならない問題があるのだ。勇次はさらに質問を続ける。
「あの……鎧みたいなの着た奴は何なんだ?」
「俺もよくはわからないが……奴らはあの鎧を着込む事により、異常な腕力と妖術のような能力を得るらしい。あの鎧を着た者が、村に十人近く待機しているようだ」
「あれが十人かよ……きついな」
勇次は考えた。一人が相手でもキツかったのだ。カンタが川に落とさなければ確実に負けていただろう。それが十人……どう戦えばいいのか。
「勇次……もっと食べるニャ」
考え込む勇次の前に、ミーコがご飯をよそって持ってくる。勇次はいらないと言おうとして、ふと気づいた。ミーコにとって、ご飯を作ることは獲物を捕えて来ることと同じなのではないのか。どちらも食料である。ミーコの猫の本能が、子供のような存在である勇次にご飯を差し出させているのかもしれない。産んだ子猫を捨てられ続けてきた人生……いや猫生の悲しさは、自分にはわかるまい。わかる必要もない。ただ、自分にできることをするだけだ。
「ああ、ミーコありがとうな。ミーコのご飯、凄くうまいよ」
笑顔で食べ始める勇次。ミーコはその姿を見て、嬉しそうに目を細めている。その横で、カンタとカラタロウはテレビを見ながら、ああでもないこうでもないと話していた。この二人は、さっき戦った鉄巨人のことをあまり気にしていないようだ。だが、今はそこが頼もしい。
「ミーコありがとうな。おかげで、もう大丈夫だ」
食べ終えた勇次は、ミーコに感謝の笑顔を見せる。ミーコは嬉しそうにうなずいた。勇次は心の中で苦笑する。ソーニャや春樹の世話をしているうちに、ミーコの眠っていたはずの母性本能が呼び覚まされてしまったのは間違いない。この先ミーコはどうなっていくのだろう。いずれ託児所でも開業し、ミーコをそこで働かせてみるか……などとバカなことを考える。ミーコの働く姿は是非とも見てみたいものだ。しかし、そのためには……今のこの状況を何とかしなくてはならない。
「ミーコ……野良猫は全部で何匹いる?」
「よくわからんニャ。うーん……三匹よりは多かったニャ。たくさんいると思うニャ」
ミーコは数字が絡むと、とたんに頼りなくなる。三つより上は数える必要がない。一、二、三、たくさん……これがミーコの算術である。確かに彼女が生きていく上では、それで充分なのかもしれないが。
「そうか……そいつらに餌は――」
「もうあげたニャ。放っておいたら……奴ら人間の死体を食べそうだったニャ。人間の死体を食べるのは良くないニャ。それがきっかけで、妖怪になることもあるニャ」
テレビを見ながら、突拍子もないことを言い出したミーコ。
「お、おい……本当かよ……人間を食べると妖怪になるのか……」
「なるかもしれないニャ。ならないかもしれないけどニャ」
答えた後、ミーコはくるりと一回転して猫の姿になった。そして丸くなり、手足を引っ込める。完全に睡眠の態勢に入ってしまった。考えてみれば、ミーコは普段は十二時間ほど寝ている。なのに今日はほとんど寝ていないはず。しかも、凄まじい戦いぶりも見せてくれた。いくら妖怪と言えど、疲れてしまったのだろう。
しかし、ミーコは最後に恐ろしいことを言っていた……人肉を食べれば妖怪になるかもしれない、と。考えてみれば、かつては日本でも、街中で行き倒れる人が大勢いたはず。もっと遡れば、戦争などで命を落とした者の死体が転がっていた時代もある。その屍を食べた動物も数多くいたことだろう。それらが妖怪と化したのだとしたら……そう考えると、今の時代に妖怪が少なくなってきたのもうなずける。
しかし、そうなるとミーコは……。
「な、なあミーコ……」
「何だニャ。あたしは眠いんだニャ」
ミーコは目をつむったまま答える。こちらを見ようともしない。
「お前……いや、何でもない。そのまま寝てくれ」
勇次は言いかけた言葉を止める。実のところ、ミーコに聞きたかったのだ。お前も人肉を食べて妖怪に変わったのか、と。だが仮にそうであったとしても、今の自分には関係ない。例え人食いであろうが、ミーコはミーコだ。自分の仲間であることに変わりはない。
まあ、そんなことはどうでもいいのだ。それよりも次の手を考えなくてはならない。勇次はカンタの方を見た。
「ところでカンタ……あのさっきの鉄巨人な――」
「鉄巨人?」
カンタはこちらを向き、訝しげな顔をする。完全にくつろいでいる雰囲気だ。さすがである。
「お前が川に放り込んで倒した奴だよ。名前がわからんから鉄巨人にしとこうと思って……いや、それよりあの鉄巨人だが、川の中なら十人いても倒せるか?」
「ああ。十人くらいなら……水の中に落とせば勝てるよ」
うなずくカンタ。確かに、あの川での戦いは凄まじいものがあった。勇次の腰くらいまでの水かさしかない上、幅も狭く小さな川……それがあっという間に魔物と化して襲いかかったのだ。カンタの水を操る力は本当に恐ろしいものだった。川の中なら、カンタに勝てる奴はいないだろう。川の近くに誘き寄せれば……全滅させられるのではないか。ようやく、勝てる可能性が出てきたわけだ。
そうなると、次は子供たちを逃がす手段である。勇次とミーコが敵の注意を引き付け、川の近くに誘い込む。その後はカンタが一気に全滅させる。その間に、カラタロウが町に二人を運ぶ――
そこまで考えた時、いきなりカンタが立ち上がる。いやカンタだけではない。カラタロウも続いて立ち上がる。眠っていたはずのミーコも目を覚まし、唸り声を上げた。
勇次は即座に反応する。
「お前らどうした!」
「勇次……奴らだ。囲まれてるぜ」
勇次の問いに、カンタが答える。カンタの声はうつろなものだった。陸の上では苦戦は免れない。しかもカンタは囲まれていると言ったのだ。となると……少なくとも四、五人は来ているということか。どう戦えばいい……。
その時、勇次のスマホが鳴り始めた。店のレジのそばに置きっぱなしにしていたのだ。こんな時に電話を掛けてくる知り合いはいないはずだ。
普段なら無視していただろう。いや、こんな状況なら無視するのが普通だ。しかし、勇次は妙な胸騒ぎを覚えた。レジのそばのパイプ椅子に座り、スマホの画面を見る。見知らぬ番号だ。勇次はスマホを耳に当てる。
(お久しぶり、志賀です。勇次くん……君らはやり過ぎた。君たちを殺せという声も出ている。しかし……私は君たちを殺したくないんだ。だから……チャンスをやろう。子供たちを引き渡してくれ。明日の正午、新田小学校に子供たちを連れて来てくれ。でないと……そちらに戦力を集中させ、一気に潰す)
「なあ、あんたらエイリアンなんだってな……子供たちをどうする気だ?」
(君が知る必要はない。君はただ、子供たちを連れて来てくれればいいんだ……もう一度言う。明日の正午に子供二人を連れて、新田小学校に来るんだ。でないと店ごと、君ら全員を消し去る。あと、既に気づいていると思うが、君らは見張られている。逃げ出すのは勝手だが、その場合は子供たちを置いていってくれ。もっとも、新田小学校に連れて来てくれた方が我々としては手間が省けるんだが……では失礼)
電話が切れる。その直後に、またしても圏外……勇次は座ったまま虚空を見つめた。奴らは、ついに本気で自分たちを潰す気になったらしい。あの鉄巨人が四、五人いれば、こんな店は一瞬で潰せる。どういう理由で今まで店に手を出さなかったのかは不明だが。
子供たちを渡せ、だと……。
お前ら何なんだよ。
いきなりどっかからやって来て……。
村の平和を滅茶苦茶にして……。
婆ちゃんを俺に殺させて……。
挙げ句に……子供たちを渡せ、だと……。
「クソがぁ! ふざけんじゃねえぞ!」
勇次はわめいた。腹立ちまぎれに、手近なレジをぶん殴る。レジはびくともせず、逆に手を痛めただけだった。その痛みが勇次の怒りに油を注ぐ。勇次はレジを持ち上げ、床に思い切り叩きつけた。だが、レジは壊れない。なんと頑丈なのか――
「……!」
次の瞬間、勇次の頭に衝撃が走る。痛みとは微妙に違う、奇妙な感覚。例えて言うなら、頭の中を質量のない何か……幽霊のようなものが通り抜けていったような……そんな感覚だ。
何だ……今のは……。
いや……待て。
何かが変だ。
俺は何かを忘れている。
だが、何を? 何を忘れているんだ?
わかったぞ。
小さい頃の……非常に……重要な記憶を……忘れているんだ……。
このレジが関係あるというのか?
「勇次! お前何やってんだ! 大丈夫か?!」
カンタの声で、勇次ははっと我に返った。横を見ると、カンタがすぐそばで、心配そうにこちらを見ている。ミーコもカラタロウもこちらを見ている。心配してくれている表情だ……猫と鴉天狗の表情から相手の感情を読み取れてしまう自分。こんな状況にも関わらず苦笑してしまう。いや、苦笑してしまう理由はそれだけではない。あまりに状況が絶望的なせいでもあるが。
「勇次……何笑ってんだよ……ついに頭おかしくなったか?」
カンタに頭を小突かれ、勇次は口を閉じた。笑っている場合ではない。そう、子供たちを守らなければならないのだ。それが弓子と交わした約束である。そしてもう一つの約束……仇を討つ。奴らの犯した罪に対する罰を与える。その約束を果たすまでは、死ぬわけにはいかない。失われた記憶のことも気になるが、そんなものは後回しでいい。今は……この戦争に勝つことだけを考える。
勇次は妖怪トリオの顔を見渡した。
「みんな聞いてくれ。実は……」
「なるほど……厄介な話だな。勇次、お前はどうする気だ?」
カラタロウの落ち着いた声。自分に全ての決定権を与えてくれているのだ。
「まず……カラタロウ、二人を抱えて飛べるか?」
「それは無理だ。いや、飛べないことはないが……速度が遅くなる。奴らのいい的だろう」
「そうか……運ぶのは一人が限界なんだな。わかったよ」
カラタロウにそう言うと、勇次は居間に戻る。妖怪トリオは全員、真剣な表情で勇次の次の言葉を待っていた。全員、さっきまでとは違い緊張感がある。しかし怯えてはいない。何があろうとも、最後まで戦い抜くつもりなのだ。特に、カンタとミーコは子供たちと接している。子供たちを渡すことは絶対にしないだろう。
勇次はふと、新田小学校に侵入した時のことを思い出した。一階建ての古い木造で、火を点ければすぐに燃えてしまいそうだった。立て籠ったりするのにはキツいが……いや、そもそも火を点ければ不利になるのはこちらだ。あの鉄巨人には、火も効果があるかどうかわからない。いっそのこと、落とし穴でも掘るか。そう、落とし穴を掘り……いや、待てよ。ソーニャがこの前、妙なことを言ってたな。
「ミーコ……お前、学校に入ったことはあるか?」
「あるニャ。小屋から逃げた鶏を食ったこともあったニャ」
「お前なあ……いや、それはいい。ソーニャから聞いたが、学校の近くに防空壕跡があるらしいんだよ。見たことあるか?」
「ぼうくうごう? ああ、でっかい穴だニャ。あるニャあるニャ」
「そうか……それはどこに通じてる?」