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黒い孤独

 しかし、恵美は口を閉じたままだ。何も喋ろうとはしない。黙ったまま勇次を睨んでいる。その瞳からは憎しみの他に、深い闇が感じられた。単に勇次だけに対する憎しみではない。全人類を憎んでいる瞳だ。勇次は目の前の女は自分と同類なのではないか、と思い始めていた。成長が止まってしまったがゆえに気持ち悪がられ、他人から避けられてきた人生。妖怪に寄って来られるがゆえに気持ち悪がられ、避けられてきた自分と似ている……少なくとも、勇次はそう感じた。もしかしたら、世の中の人間全てに抱いている憎しみ……それがゆえに異邦人に協力したのか。人間を種の肥料に変えるような連中に……。

 勇次はここに来た当時の自分を思い出した。いつでも出て行ってやる……そう思っていたのに、いつの間にか離れがたい場所になっていた三日月村。カンタがいて、ミーコがいて、カラタロウがいて、ソーニャがいて、そして弓子がいた。彼らがいなかったら、自分は今頃どうしていただろう……。


「勇次……こいつどうするんだ?」

 カンタが尋ねる。カンタの表情には怒りも憎しみもない。ただ、憐れな女を見つめているだけだ。勇次は恵美を睨み返す。この場で殴り倒してでも吐かせようかと襟首を掴んだが、その時に思いついたことがあった。先ほど戦ったロボットのような者……あいつの強さは別格だ。あんなのが店を襲っていたら……店はどうなる? いくらミーコでも、苦戦は避けられないだろう。

「とりあえず、みんなで店に戻ろう」


 勇次は店の前に来た。とりあえずは無事なようだ。しかし、店のそばには死体が多数転がっており、ミーコの呼び寄せた野良猫が、死体から流れる血をなめている。陰惨な光景だ。カンタも縛られた恵美を担いだ状態で立ち尽くしている。やはり、思うところがあるのだろう。

「カンタ……俺はここを片付けるよ。お前は先に入っていてくれ」

「いいよ……お前はどうせ、とことんまでやるつもりなんだろ。だったら……その体力は戦うために温存しとけよ。後片付けは……後から来る人間にやらせりゃいいよ」


 カンタはそう言った後、店の中に入って行く。勇次は何も言わず、しばらくの間その光景を眺めた。一体、なぜこんなことになってしまったのだろう。死んだ村人たち一人一人にも、生きてきた時間があったはずだ。その間、怒ったり泣いたり笑ったりして、一生懸命に生きてきたはず。それが今では、ただの肉の塊になってしまっているのだ。それも、本人がその理由すらも知らない間に。

 勇次はふと、子供がハエの羽をむしって遊ぶように神は人生をもて遊び、気まぐれに人を殺す、という誰かの言葉を思い出した。個人の意思や願望など、強大な力や集団の前では、何と脆いものなのか。狼が言ったように、これは天災と捉えるべきなのか……。

 いや、三島は死ぬ直前に言っていた。奴を殺せ、と……奴というのが誰のことかはっきりしないが、恐らくは志賀のことだろう。もしかしたら、他にもリーダー的な役割の何者かがいるかもしれないが……ただ、一つだけはっきりしていることがある。少なくとも、これは天災とは違う。異邦人と名乗る、意思のある者の仕業だ。

「おい勇次……何やってんだ。早く来いよ」

 カンタが出てきて、勇次の横に立つ。カンタは勇次よりは冷静に、この惨状を見ている。この精神的な強さも妖怪であるがゆえか。

「ああ……今行く」

 そう答え、歩きかけた勇次の腕をカンタが掴む。そして、耳元に顔を寄せた。

「黙ってろって言われたんだがな……カラタロウは一族を追放された。お前を助けるためだけに、一族を抜けたんだ。あの額の傷痕はそのために付けられた。一応、知っておいてくれ」

「え……」

 勇次の表情は凍りつく。確かに、カラタロウは別れ際に言っていたのだ。お前を手伝えば俺は天狗の一族を追放される、と……だが、今までは色んな事がありすぎて、深く考える暇がなかった。

 だが、自分を助けるためだけに一族を抜けたと言うのか……。


 カラタロウ……お前、何考えてるんだ? 

 俺なんかのために、何でそこまでした?

 俺のために……。


「いいか。奴の前では、その話はするなよ。行くぞ」

 カンタはそう言って、勇次の腕を掴むと店に入って行った。


 店に入ると、カラタロウとミーコがテレビを見ている。ミーコはお笑い芸人が熱湯らしきものの入った水槽に入り熱がっている様を見て、楽しそうに笑っている。大した神経だ。これもまた、妖怪であるがゆえか……そしてカラタロウは腕を組み、テレビの画面を眺めている。ソーニャと春樹の姿は見えない。恵美は縛られ、台所に転がされていた。猿ぐつわをされ、おとなしくはしているが。

「勇次、これからどうするつもりだ?」

 カラタロウは、視線をテレビの画面に向けたまま尋ねる。相変わらず、発音は微妙ではあるが落ち着いた口調だ。一族を追放された苦悩など、欠片も感じられない。いつも通りのカラタロウだ。

「その前に……子供たちは寝てるのか?」

「ああ、寝ている」

「カラタロウ、お前に頼みがある。子供たちが起きたら、空を飛んで魔歩呂町まで運んでほしいんだ」

「……それは難しいな」

 言いながら、カラタロウは視線をこちらに向ける。額に付けられた傷が痛々しい。追放の印……何と原始的かつ残酷な連中なのか。勇次は思わず目を逸らしながら尋ねる。

「難しいって……どういうこと……」

「さっきの奴を見たろう。あんなのが村の中にまだ何人かいる。この姿で飛んでいたら、撃ち落とされるかもしれん」

「……おい、あんな奴が他にまだいるのか?!」

 勇次は愕然となった。銃弾でも傷があたえられず、しかも掌から火の玉みたいなものを放つ巨人。もしカンタが川に落とさなかったら、自分たちは殺されていただろう。

「ああ。しかも、村の中はとんでもないことになってる。化け物に変わった村人が、そうでない村人を襲い餌にしている。地獄絵図だよ」

 カラタロウは重々しい口調で、とんでもないことを言い出した。そう言えば、カマキリになった奴は他の村人を捕食していたのだ。どうやら、化け物に変化した者は理性が乏しく、本能のままに手近な者を食らうらしい。となると、共食いが起きても不思議ではないのだ。しかし、そんな事態を志賀は黙って見ているのだろうか。

「クソ……何だよそりゃあ……」

 勇次は小さな声で毒づいた。空がダメとなると……陸か川しかない。しかし、川は無理だろう。とすると陸路しかない。だが、陸路を行くとしても、あんな連中がウロウロしているのでは……。

「勇次……どうする?」

 カンタが心配そうに尋ねた。カンタはあのエイリアンの強さを身をもって知っている。あんな連中が大勢いるのでは勝ち目がない。

「ああ……どうするかな……あのロボットみたいな奴は手強い――」

「違う、恵美のことだよ。どうするんだ」

 カンタは恵美を指差す。恵美は観念したのか、もがくこともせずにおとなしくうずくまっている。勇次は黙って見つめた。恵美をどうするか。殺すわけにはいかなかった。恵美は人間である。それに、恵美は昔の自分と同じ目をしていた。この村に来る前の、この世の全てを憎んでいる目を。さっきまでの勇次は、指を一本ずつへし折って情報を聞き出そうと考えていた。しかし……今はもう、そんな気にはなれない。

「こいつは……そうだな……」

 勇次は台所に行き、恵美の手足を縛っている紐をほどいた。そして表に連れ出し、猿ぐつわを外す。

「めんどくさくなった。好きにしろ。どこにでも行けよ。もうここには来るな」

 そう言うと、勇次は乱暴に突き飛ばした。恵美はよろけて、尻もちをつく。だが、目線は外さない。黙ったまま勇次を睨みつけている。勇次はその目を見つめ返した。とても二十八歳には見えない。二十八歳ということは、自分より八歳上である。その自分より八年長く生きた年月、彼女の心には何が積もっていったのか。間違いなく憎しみだ。彼女はその外見ゆえ、恋もできなかっただろう。恵美の心を覆っている闇は勇次よりも深く、暗い。だが、その闇を理解できる勇次は、彼女をこれ以上傷つけたくなかった。

 そして、彼女の顔をこれ以上見たくなかった。憎しみに染まった彼女の顔は、とても醜く見えた。同時に、自分がこの村に来なかった場合……こんな目で他人を睨む者になっていたはずだった。

 勇次は恵美の視線を受け止め、しばらく見つめ合っていたが……振り向き、扉を閉める。これ以上、この女と関わりたくなかったのだ。

 扉の隙間から、恵美の走り去って行く足音が聞こえる……すぐに小さくなり、やがて足音は聞こえなくなったが。


 勇次は店に戻る。妖怪トリオは何事もなかったかのようにテレビを見ている。カンタとミーコは笑い、カラタロウは相変わらず厳めしい顔で腕を組んでいた。三人とも緊張感がない。しかし、そんなことより三人が揃った姿を見られたのが嬉しい。だが同時に、どうしてもこのままにはしておけない問題がある。全てが終わった時、果たして自分が生きているかわからないのだ。生きているうちに、言わなくてはならないことが。

「カラタロウ……」

「何だ」

 目線をテレビに向けたまま、カラタロウは返事をする。相変わらずクールな奴だ。何のために戻って来たのか……それは考えるまでもない、自分たちを助けるためだ。一族を追放されるということが何を意味するのか、人間である自分にはわからない。ただ……想像はつく。恐らくは、自分など経験したことのない本当の孤独なのではないか。少なくとも、額に傷を付けられたということは……人間にとっての前科に相当するものであることは容易に理解できる。

 自分はカラタロウを、そんな境遇に追い込んでしまったのだ。

「あの……カラタロウ、お前――」

「余計な事は言わなくていい……どうせ、そこの河童に黙っていろと言っても無駄な話だろうからな。わかっていた。だが、お前が気に病む事はない。俺が自分で考え、そして決めたのだからな」

「ええ! バレてたのかよ……」

 言いながら、頭の皿を両手で覆うカンタ。いつものようなコミカルな仕草ではある。しかし、今の勇次は笑える気分ではなかった。

「カラタロウ……来てくれて、ありがとう」

 勇次は深々と頭を下げる。今の自分には、これくらいしかできない。だが、ふと思った。頭を下げる……自分は何をやっているのだろう。こんな行為は人間の間でしか通じない。妖怪のカラタロウには何の意味も持たないのだ。自分はカラタロウをこんな境遇に追い込んだ。ならば、自分のこれからの人生での行動で償う。それこそが……自分のするべき事、そしてとるべき態度だ。

 そしてそれは、カンタとミーコに対しても言えることだった。


「勇次、気にすることないニャ。カラタロウは不良天狗だニャ。みんなで遊んでいたいから来たんだニャ」

 茶化すような口調で、ミーコが横から口を出す。

「ば、馬鹿な事を言うな! 俺はお前らの頭領だ! 頭領である俺がいなければ、お前らは――」

「いつからお前が頭領になったんだよ……全くめんどくさい奴だな。素直に言えないのかよ。まあ、いいけどさ」

 カンタは相変わらず、呑気な口調だ。考えてみれば……この河童が家に来なければ、自分はミーコともカラタロウとも会えなかったのだ。そして……この村を襲った災厄にも抵抗できなかったはずた。さらに言うなら、隣の部屋で寝ているソーニャと春樹……この二人も助からなかったはず。



「ところで勇次……今後はどう戦うのだ?」

 カラタロウが腕を組んだまま尋ねる。頭領などと言っておきながら、作戦は人任せなのがカラタロウという男である。もっとも、勇次が立てた作戦には文句を言わす従ってくれるのも、カラタロウという男の特徴なのだが。

「そうだな……カラタロウ、お前は奴らについてどこまで知ってるんだ?」

「正直言うと、ほとんどわからない……ただ、奴らはいろんな種類がいるらしいのだ。大天狗様はかつて、奴らと交渉したことがあると言っていた。その時は……人間そっくりな者が交渉したと言っていたな」

「人間そっくりな者?」

 真っ先に勇次の頭に思い浮かんだのは志賀だ。では、奴は人間ではなくエイリアンなのか。確かに、あのタフさは人間では考えられない。となると……。

「そこまでにするニャ。考えるのは後だニャ。今は……食べるニャ」

 いつの間にか、ミーコがご飯の盛られたお椀と鶏肉のスープが入った皿を持ってきた。それをちゃぶ台に並べる。

「ミーコ、今はいい――」

「食べなきゃダメだニャ! 食べなきゃ戦えないし、戦っても勝てないニャ!」

 ミーコは恐ろしい顔で、勇次を睨みつける。勇次は仕方なく座り、食べ始めたが……その時になってようやく、自分が空腹であったことに気づいた。





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