黒い乱戦
「おい勇次、やべえぞ! あれ見ろよ!」
カンタが慌てた表情で、遠くの一点を指差しながら勇次をつつく。先ほどの威厳ある口調が嘘のようだ。勇次がそちらを見ると、懐中電灯を持った集団が近づいて来ているのが見える。二十人はいるだろうか……顔はよく見えない。
「どういうことだよ……これは……」
勇次は小さく呟いた。志賀も狼も言っていたのだ……店に手は出さない、と。しかし、あの集団はどう見ても、駄菓子屋を目指している。どういうことだ?
「勇次……仕方ねえ。子供たち連れて逃げるか?」
カンタの声はわずかに震えている。だが無理もないだろう。あれだけの人数を相手にしては、いくらカンタでも苦戦は免れない。しかも、あの中の一人でも化け物になったら……いや、全員が化け物になる可能性もあるのだ。
勇次は草むらに隠したリボルバーを拾い上げ、チェックする。断言はできないが、安全装置らしき部分は外した。これで撃てるはずだ。しかし、弾丸は六発しかないらしい。三島が自分に託した拳銃もリボルバーだ。これも弾丸は六発のはず。計十二発。これでどこまでやれるかはわからないが。
「カンタ……仕方ねえ。俺が奴らを引き付けるよ。お前は子供たちと一緒に店にいてくれ。明日か明後日には、道路も通れるようになるはずだ。そうしたら、子供たちは――」
「カンタ、次はあたしが戦う番だニャ。お前は家で子守りでもしてればいいんだニャ」
言葉と同時に、ミーコが後ろに立っていた。ミーコの黒髪は逆立ち、口は耳元まで裂け、尻尾は普段の倍以上の太さになっていた……完全に臨戦態勢に入っている。
「お前、大丈夫か……」
カンタが心配そうに尋ねるが――
「大丈夫だニャ。陸の上なら、あたしの方がずっと強いニャ。お前は家で大人しくしてるニャ」
ミーコのつれない返事。いつになく真剣な表情だ。普段の気まぐれで面倒くさがりやな雰囲気は消え失せていた。そして懐中電灯を掲げて、こちらに向かい歩いてくる者たちを睨む。今にも飛びかかりそうな勢いだ。村人の姿を見て、捨てられた子猫たちのことでも思い出したのだろうか。カンタはミーコの顔をチラリと見るが、黙って家の中に入っていった。
「勇次……お前もだニャ。家に入るニャ」
「お前一人に任せられるかよ。俺にはコイツもある。足手まといにはならない」
そう言うと、勇次はポケットに入ったリボルバーを見せる。
「……道理で、嫌な匂いがすると思ったニャ。そんな物、どこで拾ったニャ」
ミーコは顔をしかめる。もしかすると、かつて猟銃で撃たれた経験があるのかもしれない。森の方角から、猟銃を撃つ音が聞こえてきたことがある。森をうろついていたミーコを、獲物と間違えて撃った者がいてもおかしくない。
「カラタロウにもらったんだよ。なあミーコ……いつかまた、奴と……カラタロウと会えるかな?」
「どうかニャ」
男たちは懐中電灯で辺りを照らしながら、こちらに向かい歩いてくる。近づいてきたおかげで、男たち一人一人の顔がよく見えた。全員、目が緑色に光っている。全部で二十と……数人か。二十人を超えているのは確かだ。後から参戦する者もいるかもしれないが。
勇次はリボルバーを両手で構え、村人が近づいて来るのを待つ。拳銃を撃ったことはない。しかし、これだけの人数が相手では撃たざるを得ないだろう。同時に、改めて自分の戦いの厳しさに気づかされる。これだけ……いや、これ以上の数の村人を相手にしないといけないのだ。いつ、化け物に変わるかもわからない者を相手に……。
村人たちは立ち止まる。勇次とミーコのいる位置から、十メートルほど離れた場所だ。勇次の構えているリボルバーを恐れている気配はない。だが警戒はしている。
勇次とミーコは村人たちを睨み付ける。周りには死体が多数転がっていた。まるで戦場だ。この襲撃をしのいだら、死体を子供たちの目の届かない場所に移さなくちゃ、などと勇次は考えたが、次の瞬間には苦笑する。この状況で、自分は何を考えているのだろう。
「なあ、あんたら……何しに来たんだ?」
そして、この言葉……我ながら本当にバカな質問だと思う。戦場で敵にこんなことを尋ねる兵士がいるだろうか……いるはずがないのだ。しかし、それでも聞きたかった。そして知りたかった。
なぜ、こんなことになったのかを。
一人の男が口を開く。確か村役場にいた、泉とかいう名の職員だ。
「お前はやり過ぎたんだよ……志賀さんは、お前と店には手を出すなと言ってたがな……俺たちはもう我慢できねえ。お前と妖怪のせいで、仲間が大勢死んだ。お前を殺す。妖怪も殺す。店もぶっ壊してやる。ガキどもは人間のまま、志賀さんに渡せば――」
「待て! どういうことだよ?! ガキを人間のまま引き渡す?! 何のことだよ?」
泉の今の言葉は聞き流せず、思わず声を出してしまった。ガキを人間のまま渡す? どういうことだ? そう言えば……竜は春樹に言っていたのだ、お前には種を植え付けないと。さらに、カンタの言葉が甦る。
(志賀は……変なんだけど人間みたいなんだよ)
変なんだけど……人間みたい……?
「市松勇次……お前が知る必要はないんだよ。お前はさっさと死ね、この村八分野郎が……」
泉は低い声で言う。
同時に村人たちが、一斉に動き――
だが次の瞬間、動きを止めた。そして視線を左右や後ろに動かし始める。まるで、見えない何かに怯えているかのようだ。
勇次もつられて、村人たちの周りを見る。
いつの間にか、村人たちは光る小さな目に囲まれていた。何十もの光る小さな瞳。そして唸り声……。村人たちは懐中電灯で、瞳の持ち主を照らし出す。
村人を取り囲んでいたもの、それは猫だった……数十匹の猫の群れが村人たちを睨みつけ、背中の毛を逆立てている。威嚇の唸り声を上げながら、今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。
「勇次……あたしが何のためにあちこち行っていたと思ってるニャ……遊んでたワケじゃないニャ。こいつらに話をつけ、手伝わせるためだニャ。三百年生きてきた化け猫を……甘く見てもらって困るニャ」
ミーコは不敵な笑みを浮かべる。勇次は改めて、ミーコの事を何もわかっていなかったことを思い知らされる。ただ暇潰しのため、外に遊びに行っていたわけではなかった。みんなを助けるために、自分のできる事をしていたのだ。
「ミーコ、お前……二百年じゃなかったか?」
「話は後だニャ。まずは……奴らを片付けるニャ。おい、変な奴ら……ここは人間だけの場所じゃないニャ……ここには妖怪も猫も住んでる場所だニャ! お前らの好き勝手にはさせないニャ!」
その言葉の直後に発せられる、ミーコの凄まじい獣の咆哮。それと同時に、猫の群れが一斉に襲いかかる――
言うまでもないことだが、猫の体は人間よりもはるかに小さい。だが、その鋭い爪と敏捷性、さらに生まれ持った肉食獣としての本能と後天的に身につけた狩猟のテクニック……野生の猫の殺傷能力は、並の人間を上回る。ましてや、ここにいる猫たちはミーコの命令により、完全なる殺意を持って村人を襲っているのだ。猫たちの攻撃は凄まじかった。野生の本能を剥き出しにして、村人たちを次々と血祭りに上げていく……。
その残虐な光景に、勇次はただただ圧倒されるばかりであった。だが同時に、この猫たちはミーコの命令だけで、こんな事をしているのだろうかという疑問が頭をかすめる。彼らは村人に……いや、人間に虐待されて生きてきたのかもしれない。だからこそ、あそこまでの残虐さを発揮できるのかも……猫たちは、人間に対する復讐のつもりで戦っているのではないだろうか……。
しかし次の瞬間、状況は一変する。
血まみれで倒れていた男の一人が、突然もがき始めた。凄まじい声、たちこめる悪臭。猫たちは、その周辺から一斉に飛び退く。男は……いや、男だったものは突然、動きを止めた。
そして立ち上がる。
剥がれ落ちていく、髪の毛や皮膚……かつて人間だった時に体を構成していたはずのものが液状化して流れ落ち、地面に水溜まりを作る。そして……巨大なカマキリのような姿の者が、そこに立っていた。巨大な複眼、細長くも強靭な体、ノコギリをぶら下げたような両手の鎌……その鎌を振りかざし――
仲間であるはずの、村人を襲い始めた。両手の鎌で村人をすくい上げて捕らえる。そしてバリバリと、胸が悪くなる音をたてて食べ始める……。
「何だよ……仲間を襲うのかよ……」
勇次は呆然とした顔で呟いた。周りの村人たちは、遠巻きにして見ている。もはや自分たちへの戦意は消え失せてしまったようだ。猫たちも、突如出現したカマキリを遠巻きにして見ている。さすがに、こんな得体の知れない生き物を前に怯んでいるようだ。
だが、勇次はリボルバーを構え突進する。この戦いは自分の戦いだ。これ以上、他の者には戦わせられない。
勇次はカマキリに接近する。カマキリは食べるのに夢中で、勇次の存在には気づいていない。勇次は背後に廻り、リボルバーで狙いをつけるが……。
カマキリの複眼が、勇次の姿を捉える。
次の瞬間、鎌の一撃――
勇次はからくも避けるが、カマキリの攻撃は止まらない。村人を左の鎌で捕らえたまま、右の鎌を振り回す。他の村人には目もくれない。どうやら、勇次のことを優先して排除すべき敵だという認識は残っているらしい。
しかし――
轟く銃声。勇次は至近距離からトリガーを弾く。立て続けに三発。全弾、頭部に炸裂する……。
カマキリの動きが鈍る。それでも戦意は失っていない。勇次に向かい、鎌を振り上げようとするが―――
今度はミーコが頭に飛び付き、鉤爪で首への一撃。さらに両足を胴体に巻きつけ、喉を鉤爪で切り続ける……強靭な鉤爪に喉を切り裂かれ、カマキリはそれでも動き続けるが……。
やがて、動きが止まる。
しかし、そこで終わりではなかった。
二人の村人が、立て続けに変化する。今度は爬虫類と人間を合成させたような何か。巨大なカメレオンのような生物と大蛇……ただし、腕の付いた大蛇だが。
「クソがぁ! 次から次へと出てきやがって!」
勇次はわめきながら、カメレオンめがけてリボルバーを構え、トリガーを弾いた。だが、さっきと比べると間合いが遠すぎる。素人の勇次では当てることができず、わずかにかすめた程度だ。
次の瞬間、カメレオンは口を開けた。凄まじいスピードで伸びる舌――
ミーコは大蛇と向かい合った。
舌をチロチロ出しながら様子をうかがう大蛇。舌の先は二股に分かれている。シューシューという不気味な声。全身を覆う鱗。生えている二本の腕が、なおさら怪物らしさを強調している。
だがミーコは恐れる様子もなく、むしろ楽しそうな表情で大蛇を見ている。
そして――
両者は、ほぼ同時に動いた。不気味な動きでミーコに巻きつこうとする大蛇……しかし、ミーコは変幻自在の素早い動きでかわす。大蛇はなおも追いすがるが、ミーコの動きには付いて行けない。
一方、ミーコは素早い動きで爪の一撃を入れるが、異常に硬い鱗で弾かれる……その瞬間、大蛇の牙が迫る――
しかし、ミーコはその瞬間に自分から仰向けに倒れる。間一髪で噛みつきをかいくぐった。そして下から喉――鱗のない部分――めがけ、鉤爪で切り裂く……苦痛のあまり、体をくねらせる大蛇。
しかしミーコは攻撃を止めない。今度は喉に食らいつき、凄まじいパワーで振り回す。巨大な体が、軽々と回される……。
今やミーコは、猫の本能のままに大蛇をいたぶり始めていた。
勇次の首に巻きつく、カメレオンの舌。勇次はリボルバーのトリガーを弾くが……既に弾丸切れだ。とっさにリボルバーを投げつけるが、カメレオンは素手で払いのける。
巻きついた舌が絞まっていく。さすがの勇次も外すことができない。薄れゆく意識。ぼやけていく視界……だが突然、首への圧力が緩む。
そして勇次の目に映ったものは……カメレオンに組み付いていくカンタの姿。いつの間に飛び出して来たのか、カンタはカメレオンと取っ組み合いを始めている。凄まじいパワーで、カメレオンを押し続けるカンタ。カメレオンも抵抗するが、カンタのパワーの前には何もできない。ずるずると下がる。
そして次の瞬間、カメレオンの両足を掴み、一気に担ぎ上げるカンタ。そのまま空中に飛び上がり、頭から地面に叩きつける――
何かが潰れるような音……そして、地面に広がる緑の体液らしきもの。決して通常の生物からは流れないであろう、不気味な色の何か……。
「カンタ……またお前に助けられたな……」
勇次はどうにか立ち上がり、周りを見渡す。どうやら、他の村人は逃げてしまったらしい。大量に転がっている死体……しかも、人間のものだけではない。巨大なカマキリと蛇とカメレオン……悪夢のような光景だ。
だが、悪夢はまだ終わっていなかったのだ。
「みんな! 大変だ! ソーニャと恵美がいなくなった!」
店の中から聞こえる、春樹の叫び声……同時に扉が開き、誰かが出てこようとしている。恐らく春樹であろう。しかし――
「春樹! 開けてはいけないニャ!」
ミーコの声。叫ぶと同時に店に入り、素早く扉を閉めた。