表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/22

黒い遺書

 三島が近づいて来る。壊れたマリオネットのような歩き方。弓子と同じく、崩れかけた顔。離れていても微かに匂ってくる悪臭。そして、手には警棒と拳銃……だが、その二つを片手でひとまとめにして持っている。武器として使うつもりはないらしい。武器を使うだけの知能も残っていないのか。

「おい止まれ……殺す前に一つだけ聞きたい。何しに来たんだ?」

 リボルバーを構え、勇次は尋ねた。もとより、そんなことはどうでもいい。どうせ殺すのだ。しかし妙だった。なぜ三島はここに来たのか。

 だが次の瞬間、勇次は凍りついた。

「ゆう……じ……やつ……を……ころ……せ……むら……の……みん……な……の……かた……き……を……たの……む……おれ……ころ……して……」

 三島は弓子と同じく、声を振り絞り訴える。

 そして拳銃と警棒を地面に落とし、こちらに蹴飛ばした。

 勇次はやっと悟った。三島も弓子と同じく、自分にあとの事を託すために、そして自分に武器を渡すために、ここまで来たのだ。最後に残った理性を振り絞り、全身を貫く苦痛に耐えて……。

「お巡りさんよ……俺はあんたが大嫌いだ。でも……あんたはカッコいいよ。だから……一思いに殺してやる」

 勇次は警棒を拾い、握りしめる。同時に拳銃を草むらに隠す。実のところ、なるべくなら拳銃は使いたくなかった。弾丸の無駄遣いを避けるため……そして子供たちに銃声を聞かせないためでもある。相手が銃を使わないなら、こちらも使わない。

 そして、三島に向かい歩き出した時――

 突如、三島の顔が崩れ出した。眼球、鼻、唇、歯……そういった顔の各部分がぼろぼろと剥がれ落ちる。さらに、顔の表面の皮膚が溶けだし、地面に滴り落ちていった。

 そして、崩れた顔に出現したものは虫のような皮膚、そして複眼……そこには虫と人間の混じり合った、奇妙な生物が立っている。虫人間としか表現しようがないそれは、奇怪な唸り声を上げると、凄まじい勢いで跳躍し――

 空から、勇次に襲いかかった。


 だが、勇次は冷静に対処する。上から落ちてくる虫人間を簡単にかわし、着地したところに、警棒の一撃――

 だが、人間の頭蓋骨なら確実に陥没させるであろう一撃が、この虫人間には効いていない……そして次の瞬間、虫人間がその奇怪な形状の腕を振る。

 強烈な一撃。勇次はまともに喰らい、仰向けに倒れた。その弾みで、警棒が手から離れる。

 その時、倒れた勇次の体めがけ、虫人間の口から粘液が吐き出され……。

 だが、勇次は何かを感じ……いや、感じる前に体が反応していた。体を横方向に回転させ、素早い動きで粘液をかわす。間一髪でかわした粘液は地面に垂れ、土や草を腐蝕させていく……。

 その胸が悪くなるような光景を横目に、勇次はシャツを脱ぎ、右手に持つ。

 睨み合う、人と人外。

 勇次が動く。シャツをぶん投げつつ、前転し一気に間合いを詰める。投げられたシャツに虫人間は反応し、腕を振って払いのける。だが、勇次はその時、既に足元にいた。虫人間の左足を掴み、素早くすくい上げる。

 同時に、虫人間の右足に薙ぎ払うような蹴り――

 虫人間はバランスを崩し、うつ伏せに倒れる。

 勇次は虫人間の左足首をひねり上げ、そして両手で足首の関節を極め――アングルホールドという関節技である――一瞬にして足首を破壊する。と同時に立ち上がった。

 そのまま、首の後ろを思い切り踏みつける。

 生物には到底出せないような、気味の悪い悲鳴……そして動きが止まる。



 勇次は立ったまま、かつて三島だった虫人間を見下ろす。今や三島の面影はどこにもない。強いて言うなら、体に未だへばりついている警官の制服の切れはしくらいか。

「くたばる前に、志賀のこと教えてくれよ……お巡りさんよ」

 そう言いながらも、勇次の心中は複雑だった。三島は結局、根っからの警察官だったのだ。罪を犯した者に対する罰を自分に託すために……弓子とはまた違う形の遺書を置いて逝った三島。

 勇次は悪臭を放つ死体を引きずり、林の中に隠す。子供たちの目に付くかもしれない場所に、放置しておきたくなかった。


 だが、勇次は更なる異変に気付いた。人の気配を感じる。そして……人の話す声が聞こえてきた。数人の男――少なくとも五人以上――の声。そして動き、歩く音。勇次はとっさに身を伏せた。二十メートル以上離れている上、林の中にいる。どうやら気づかなかったらしい。集団は勇次の見ている前を、何やら喋りながら通り過ぎて行った。しかし、奴らが向かっているのは? このまま真っ直ぐ行けば……。

 そこは駄菓子屋だ。


 勇次はあとを付ける。一体、何をしようというのだろう。店に居れば安全だと志賀は言ったはず。狼もそう言っていた。では、奴らは何をしに行くのか……たまたま、こちらに何か用があるだけなのか。

 しかし、勇次は自分のもくろみが甘かったことを思い知る。男たちは真っ直ぐに進んでいき、店にかなり近い位置で立ち止まった。恐らく、二十メートルほどしか離れていないだろう。テレビの音がかすかに洩れ聞こえてくる。カンタやミーコは既に、男たちの存在に気づいているはずだ。しかし、何をしに来たのだろう。店に手は出さないのではなかったのか。

 勇次がそんなことを考えている間に、一人の男が進み出る。

 そして、店に向かい呼びかけた。

「おい春樹……お父さんだぞ。出て来なさい」


 勇次は混乱した。どうすればいいのかわからない。ここで騒ぎは起こしたくはなかった。だが、このまま放っていては、子供たちに深刻な影響が……。

 その時、扉が開いた。

 中から出て来たのはカンタと……春樹。春樹は今にも泣きそうな顔で、ゆっくりと歩き出す。カンタがその横に、ぴったりと付き添っていた。

「カンタ! てめえ何する気だ!」

 勇次は今の状況も忘れ、隠れていた場所から飛び出す。男たちのすぐ横をすり抜けて一気に走り、二人の前に立ちふさがった。

 しかし……。

「勇次……こいつも知らなきゃならないよ。もう十二歳だろ。何があったのか……そして何が起こるのか……自分の目で見るんだ。そして……覚えておくんだ。ただし戦いになったら、すぐに戻るんだぞ」

 カンタの言葉は、今までに聞いたことがない威厳と重みを持っていた。その迫力に圧倒され、勇次は思わず脇に避ける。二人の歩みは自分には止められない。

 カンタに付き添われ、春樹は父親に近付く。

 春樹の父親――村田竜ムラタ リュウ――は笑顔を見せる。そして口を開いた。

「春樹……来るんだ。志賀さんと約束した。お前には種を植えないと言ってくれた――」

「父ちゃん……何だよ……何なんだよ……種って……訳わかんねえよ……何なんだよ……」

 春樹は泣き出していた。泣きながら声を振り絞り、竜に訴える。その姿はあまりにも痛々しく、勇次は目を背けた。

「春樹……こんな不良や妖怪なんかの言うことを聞いちゃダメだ。父ちゃんと一緒に来い。母ちゃんも心配してる。村のみんなもいるから大丈夫だ。それに……全てが終わったら、こんな村より、ずっといい所に行けるんだぞ……さあ、来るんだ」

 竜は両手を広げる。顔には優しい微笑み。春樹は泣きながら、父の顔とカンタの顔を交互に見た。混乱し、どうすればいいのかわからないのだ。

「春樹……お前が決めろ。父さんと一緒に行くか、俺たちと一緒に行くか……お前が自分で決めるんだ」

 カンタの声には、暖かさと同時に厳しさがあった。勇次には何も言えない。十二歳の少年に、人生を左右するであろう選択をさせるのだ。それも、こんな異常な状況下で……。

「カンタ……お前――」

「勇次……春樹に選ばせよう。こんな時は、どっちを選んでも後悔する。どうせ後悔するなら、自分で選ばせてやろう」


 春樹は父を見た。父の笑顔は普段と違い、とても優しい……林業に就いていた父は厳しかった。大自然に囲まれた村で、父は自分にいろんなことを教えてくれたのだ。

 その一つが、簡単に笑う奴は信用できない……という言葉だった。しかし、今の父は満面の笑みを浮かべている。そう、父はどこか古くさい所のある人間だった。人前で簡単に笑う人間ではなかったはずだ。笑うのは、家族の前だけだったはず……父はそんな男だった。


「父ちゃん……何で笑ってるんだ? そんなに楽しいのか?」

 春樹は涙を流しながら、震える声で尋ねる。

「な、何を言ってるんだ……早く来い。そんな奴らといちゃダメだ……」

 竜の顔には焦りが見え始めた。同時に声色も変わっている。さっきまでの優しい雰囲気が変わり、脅迫者のそれに変わりつつある。春樹はその変化を敏感に察したようだ。少しずつ下がり始める。

 その直後――

「おい竜さん、あんたの息子は……聞き分けがない」

 村人たちの一人から発せられた言葉。

 同時に、村人たちがこちらに歩き出す。

「カンタ……すまねえが、子供たちを頼むわ」

 勇次はそう言うと、前に進み出る。だが、カンタも一緒に歩き出した。カンタの顔には、不退転の決意が浮かんでいる。今の光景を見て、怒りを感じたのだろう。

「春樹……家の中にいるんだ。そして、耳をふさいで大人しくしていろ」

 勇次の言葉を聞き、春樹は扉を開ける。

 そして扉の前で立ち止まり、父の顔を見た。

 父の目は、緑色に光っている。そして、もはや自分のことを見ていなかった。残忍な表情で、勇次とカンタを睨んでいる。まるで猛獣のような顔つきだ。父は乱暴な男ではあったが、あんな残忍な表情はしなかったはずだ……。

 その時、

「春樹、早く入るニャ」

 言葉と同時にミーコの腕が伸び、春樹を家の中に引きずりこむ。

 そして扉が閉められた。


 勇次とカンタは二人並んで立ち止まり、相手の様子をうかがう。全部で八人。全員、目が緑色だ。武器らしき物は持っていない。

 先に仕掛けたのはカンタだった。手近な男めがけ、凄まじいスピードでの体当たり……カンタの硬い頭が体重を乗せて男の腹に炸裂した。男は一瞬にして崩れ落ちる。

 しかし、カンタの動きは止まらない。即座に飛び上がり、もう一人の顔面に頭突きを叩き込み、素早く着地する。

 そして、男たちを睨みつけた。

「てめえら……やっちゃいけねえことを……やったな……」


 勇次は竜と対峙する。

「竜さん、あんたは息子を奴らに渡す気なのかよ……あんたは身も心も化け物になっちまったのか……」

 勇次は静かな口調で言いながら、竜に殺意ある視線を向ける。聞いたところで何の意味もないのはわかっていたが、それでも聞かざるを得なかった。

「てめえに何がわかる……てめえなんかに――」

 竜は言い返そうとしたが……言葉を止める。

 そして勇次の目の前で突然、苦しみ始めた……体をくの字に曲げ、もがき、何やらわめき出したのだ。

「勇次! 何やってる! さっさと殺せ!」

 横で戦っているカンタの罵声が聞こえたが、勇次は動くことができなかった。むしろ、化け物の姿に変化して欲しかったのだ……化け物の姿になれば、春樹の父であることを意識せずに済むだろうから……。

 そして次の瞬間――

 顔が崩れ始めた。そして、体が膨れ上がる……二メートルを超える、巨大な何かに変化していく。衣服はちぎれ、体の横幅はさらに大きくなり……皮膚は緑色に変わっていく。

 やがて竜だったものは立ち上がり、人とは思えぬ声で吠えた。今までの奴らと違い、形状は人間らしい……髪が一本もなく、耳と鼻が長く、口が耳まで裂けている点をのぞけば。

 勇次は、かつて竜だったものを見つめた。

「息子は……俺が守る。安心してあの世に行け」

 次の瞬間、警棒を抜いて襲いかかった。

 竜の頭を襲う、警棒の一撃……だが、竜はそれを腕で受け止める。

 そして次の瞬間、勇次の顔を襲う強烈なパンチ……勇次は横殴りの一撃をまともに喰らい、吹っ飛ばされる。

 仰向けに倒れた勇次にのしかかり、上から拳を降り下ろしていく竜。だが、勇次は降り下ろしてきた右腕を両手で掴み、同時に両足を跳ね上げる。

 そして肘を両足で挟み、ロックすると同時に……全身の力を集中させ、肘関節を逆方向に極め――腕ひしぎ十字固めである――、一瞬で肘関節を破壊した。

 竜は苦痛のあまり、右腕を振り回して吠える。野獣のような咆哮……だが、それでも竜は戦意を失っていなかった。右腕が使えなくなったにもかかわらず、残る左拳を降り下ろしてきたのだ。

 しかし次の瞬間、カンタが竜の背中に飛び付いた。カンタの腕が竜の喉に巻きつき、凄まじい力で絞め上げる。

 竜はそれでも、しばらくはもがいていたが――

 やがて、動きを止める。


 勇次はかつて竜だった――そして春樹の父だった――者の屍を見下ろす。前に仕留めた奴らよりはまだ人間に近いが、それでも化け物であることに代わりはない。

 そして周囲で倒れている、カンタが片付けた者たち……。

「この村は、いつから戦場になった……それとも、俺は知らん間に死んでて、地獄に居るのかよ……」

 勇次はうつろな表情で呟いた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ