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黒い傷痕

 カンタの言葉を聞き、勇次は絶句した。あんな真似をした奴らが人間だというのか? あり得ない話だ。少なくとも、あんな魔法みたいな真似ができる人間など聞いたことがない。

 カンタはそんな勇次の顔を黙って見ていたが、言葉を続ける。

「いや、変な人間なんだよな。違う感じもするんだが……でも人間みたいなんだよ」

「二人とも、何こそこそしてるニャ。あたしはお腹空いたニャ。ご飯食べようニャ」

 ミーコが二人の方を向いて言った。普段と違い、キツい目つきになっている。子供たちの前で、怖い話はするなと言いたいのだろうか。ソーニャに交尾を説明しようとしたミーコらしからぬ配慮ではある。そしてミーコのその配慮は正しかった。勇次とカンタは口を閉じ、ちゃぶ台をセットする。


 鶏肉とキノコの汁を食べる一同。ただしミーコは猫舌のためなのか、食べようとせずにテレビを見ながら、時おりソーニャにちょっかいを出していた。だが何を思ったのか、突然立ち上がる。そして裏口へと歩き出した。

「おいミーコ、どこに行くんだ?」

 勇次が尋ねると、

「散歩してくるニャ。夜までには帰るニャ。お前ら、おとなしく待ってるニャ」

 と、やる気のなさそうな返事。ミーコは扉を開けると、振り向きもせず出ていってしまった。ミーコの今の態度は、明らかにおかしい。そもそも、ミーコの方からお腹が空いたと言っていたのに、一口も食べていないのだ。勇次はお椀を置き、すぐさま後を追ったが……すでに消えている。表には影も形も見えない。

「ミーコの奴……何を考えているんだ……」

 勇次は一人、呟いた。


 部屋に戻ると、子供三人はほっとした顔をしている。さっきまでミーコにこき使われていたためだろう。だが、ミーコにしても別に子供たちが憎くて、こき使っていたわけではないのだろうが。

 しかし、このままではマズイだろう。自分は子供たちのために、何をすればいいのだろうか……とりあえずは、子供たちに駄菓子の整理でもさせよう。この村での生活も、もうじき終わるかもしれない。

 そうなのだ。このまま何もせず、黙ったまま事の成り行きを見守っていたとしても……確実に、この村では暮らせない。そもそも、奴らはこの後始末をどうつけるつもりなのか。すでに弓子は死んでいる。その上、種を植え付けられた村人は他にも大勢いるはずだ。そいつらが一斉に化け物に変わり、死亡したとしたら……恐らくは新聞の一面、テレビで丸一日中継されるほどの大騒ぎになるのは確実だろう。

 そんな場所になってしまったら……カンタにもミーコにも、もう会えなくなってしまうだろう。自分はこの店を出て、どこかの街の片隅で、ひっそりと生きていくのだ。たった一人で……。

 そして、あの時のように……。




 この村に越してくる前。勇次は警察に目を付けられ、あちこち泊まり歩いていた。住所不定無職という、犯罪者の見本のような生活スタイルだったのだ。


 その日、勇次は既に潰れて廃墟と化した病院に侵入し、そこを今夜のねぐらにしようとしていた。不気味な雰囲気である。普通の人間なら、好んで近寄るような場所ではない。しかし、そんな場所だからこそ勇次のような人間にとっては好都合だったのだ。

 不意に声がする。

「ふふふ……人間……心が寂しい人間がいる……ふふふ……」

 勇次はうんざりした。また妖怪である。どこに行っても妖怪が付いて回る。そう、どこに行っても……自分の人生は何なのだろう。どうやらこの場所で過ごすのは、今夜一晩が限界のようだ。

 勇次は立ち上がり、声のする方向に行く。そこには女がいた。死人のような青い顔と黒髪の女である。白い着物姿。何者なのか、何という名の妖怪かは知らない。興味もないが。

「てめえ何なんだよ……失せろ。暇だったら日焼けサロンでも行って、その顔色何とかしやがれ」

 勇次は罵りながら、大型ナイフを握った。元より、話し合いでどうにかなるとは思っていない。以前にも弱い妖怪をナイフで刺して追い払ったことがある。いい加減、妖怪に付きまとわれるのはうんざりだった。うっとおしい妖怪は殺す、そう決めていたのだ。

 しかし、女はそのナイフを見ても怯まない。それどころか、ニヤリと笑ってみせる。

「そんなこと言わないでよ人間……お話しよう……少しでいいから……」

 勇次には、話す気などさらさら無い。ただただ、うっとおしいだけだ。一体何がしたいというのだろう、目の前の妖怪は。妖怪はそもそも、何のために存在しているというのだ。自分に嫌がらせをするためだけに存在しているのか。

「こっちは話すことなんかねえんだよ。失せろと言ったら失せろ」

 言うと同時に、勇次はナイフを振り上げた。だが次の瞬間、女妖怪は消える。そして……声だけが聞こえてきた。

「何と哀れな人間なのだろう……たった一人……何のために生きる……何のために……お前には生きる理由などない……生きる意味もない……お前を必要としている者もない……お前が死んで泣く者もない……ただただ……死ぬのが怖いから生きているだけの……哀れで……寂しい男……」

「黙れ!」

 勇次は吠える。吠えながら壁を蹴飛ばし、周りにある物を持ち上げて投げつける。しかし声は止まない。それどころか、声には嘲笑すら混じる。

「フフフ……何と哀れな男なのか……たった一人で、こんな場所にいるなんて……お前には友だちがいない……愛する人もいない……愛してくれる人など、いるはずもない……将来も……居場所も……何一つ無い……なぜ生きるの……」

「うるせえ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!」

 勇次は狂ったように暴れた。壁を蹴飛ばし、物を投げつけ、わめきちらした。廃墟と化した病院に響き渡る、凄まじい声……通行人がいたら確実に通報されるだろう。だが、そういったことすら思いつかなかったのだ。

 やがて勇次は疲れ果て、その場に崩れ落ちる。

 女妖怪の言ったことは正しい。自分には何もないのだ。将来もなく、友だちもなく、居場所もない。自分を必要とする者もなく、自分が死んで泣く者もいないのだ。

 一人ぼっちだ……。

 勇次は右手に握ったナイフを見た。そして、左手首を見る。

 死ぬのは怖い……。

 だが、生きるのも嫌だ……これ以上、何の望みもない人生を続けるのは……。

 もう、嫌だ。


 勇次はナイフの刃を手首に当て――




「勇次! 聞いてるの! 勇次ってぶぁ!」

 ソーニャの声を聞き、勇次は我に返る。なぜ、あの時のことを思い出したのか……もう、この村には居られなくなるのだろう。そうしたら、また孤独な生活に逆戻りである。いや、前よりも悲惨だ。なまじ、ここでの幸せな生活を知ってしまった。昔よりも、さらに惨めな気持ちで暮らさなければならないだろう。


「勇次! 聞いてるの! 教えて欲しいんだけど!」

 言葉の直後、不意に腕に感じた痛み。ふと見ると、ソーニャが腕に噛みついている……勇次は苦笑して引き離した。一体どこの誰に、噛みつきなどという闘法を習ったのか。まあ、十中八九ミーコだろうが。

「ソーニャ……女の子が噛みついたりしたらダメだろうが。どうした?」

「これから……どうするの……」

 これからどうするのかって? それはこっちが聞きたいよ、ソーニャ……。

「ソーニャ……とりあえず今は店にいろ。あと二日もすれば、道は通れるようになる。そうすれば……みんな助かる。お前はお母さんと一緒に暮らせばいい」

「ねえ勇次……おばば……何であんなんなっちゃったのかな……何か悪いことしたのかな……」

 さっきまでとは、うって変わって暗い表情で呟くソーニャ。

「ソーニャ……俺にはわからねえ。奴らが何を、何のためにしようとしたか……それを推理するのは、どこかの悪趣味な名探偵にでもやらせておけばいい。俺はただ、自分にできることをするだけだ」

「できることって……何なの?」

「奴らの犯した罪に対する罰……そう、罰を与える」


 居間では、カンタと春樹と恵美が話している。二人はカンタの存在にも慣れたらしい。おずおずとではあるが、話しかけている。一方のカンタは二人を相手に、テレビを見ながらいろいろ質問していた。ソーニャほどではないが、カンタも好奇心は旺盛だ。二人に向かい、テレビに映る様々なものについて尋ねている。楽しそうな雰囲気だ。ソーニャは勇次のそばを離れ、その輪の中に加わる。ソーニャが加わることにより、団らんの輪はさらに活気づく。

 勇次は一歩離れ、人間と妖怪が仲むつまじく話している光景を見ていた。この光景を忘れたくない。できれば、この輪の中に自分も加わりたかった。

 だが……自分のような人間が加わることは許されないのだ。勇次はその団らんを無視し、一人暗い店の中に入る。パイプ椅子に座ると、まず周りを見渡した。この店にどんな秘密があるというのだろう。前の持ち主は……手続きの際、いろいろと書類を見せられたが、ほとんど読んでいなかった。覚えていることといえば、その人物は母の兄……つまり勇次の叔父にあたる人物だったこと。その叔父が、勇次を相続人にしたこと。

 となると……その叔父が狼と関係があったのか。しかし、狼とどんな関係があったというのだろう。ただの人間が……狼はカンタですら怯ませる力の持ち主だというのに。

 その時、誰かが近づく気配。

「ねえ勇次……こんなとこで何やってんの?」

 ソーニャがやって来て、勇次の背中をつついた。

「何でもない。お前ら、菓子食うか?」

「え、本当! 本当にいいの?!」

「ああ……この際、商売なんかどうでもいい。好きなの食べとけ」

 勇次は手近な菓子を掴みとり、居間へ向かった。子供たちを不安がらせてはいけない。だが、自分が一人で考え込んでいたりすると余計な心配をさせる可能性がある。


 居間に戻ると、カンタは春樹に四股を踏ませている。もしや、ここで相撲を取るつもりなのだろうか。だとしたら全力で止めなくてはならない。恵美はそんな二人の様子を、顔をひきつらせて見ている。そう言えば……この娘は越して来たばかりだと言っていた。

「恵美……お前はいつ来たんだ?」

「え?」

 恵美はきょとんとしている。質問の意味がわかっていないのか。だが、すぐに理解したらしく、

「あ、先月です」

 と、気弱そうな笑みを浮かべて答えた。田舎の子供らしい活発さがない。恐らくは都会で育ってきたのではないか。目の前の娘にはどこか、人の顔色をうかがうような……あるいは空気を読みすぎるような雰囲気がある。もっとも勇次の偏見かもしれないのだが。

「そうか……災難だな。お父さ……いや何でもない。とにかく、俺が守るから安心してくれ。魔歩呂町に知り合いはいるか?」

「はあ……い、いません」

「そうか……いないのか……参ったな。でもまあ、魔歩呂町まで行けば何とかなるだろう」

 勇次は会話を切り上げることにした。さっきは、何の気なしに父親のことを聞きそうになってしまったのだ。しかし、父親はもうすでに……そのことを思い出させてはマズい。こういった状況でもっとも怖いのは、ヤケになられたりパニックを起こされたりすることだ。

 勇次のそんな気持ちをよそに、カンタは春樹に相撲の四股踏みや摺り足を指導している。放っておいたら確実に相撲を取り始めるだろう。そしたら、この居間はめちゃくちゃになる。それだけは、止めて欲しいものだ。

「おいカンタ、頼むから……ここで相撲は取らないでくれよ」

「え……じゃあ、外ならいいだろ」

「外……ま、まあ、すぐそこならな」

「わかった! 春樹! 相撲取ろうぜ!」

 カンタはとても嬉しそうに、春樹の手を引っ張り、外に出て行った。何だかんだ言っても、カンタの神経は図太い。先ほどはトカゲ人間と戦っていたというのに……今は子供と楽しそうに相撲を取っている。やはり、これも妖怪であるがゆえか。勇次のように悩んだり考えたりする素振りが見られない。そう言えば、カンタはカラタロウによく言われていた気がする。お前は考えなさすぎだ、もう少し考えろと……どうやら、カンタは妖怪の中でも適当な性格であると認識されているようだ。

 そのカラタロウは今頃、何をやっているのだろう。

 勇次はカラタロウの姿を思い出した。常に冷静で尊大な喋り方をする奴だったが、手土産だけは忘れたことがなかった……一度カラタロウが、山に落ちていた高級ハンドバッグを持って来たことがある。中には数百万の現金が入っていた。駐在所の警官に届けたら何を言われるのかわからないし、そもそも使える金なのかもわからないので、店の中に隠したままになっているが。

 そして最後には、リボルバーを預けて飛び去って行った。最後に見た、カラタロウの涙……もしカラタロウとこれきり会えないのだとしたら、それは間違いなく、奴らの責任だ。






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