黒い警告
「おい勇次、これからどうするよ?」
カンタに話しかけられ、勇次ははっとする。そうだった。これからどうするか……まず、ここではっきりさせなくてはならないことがある。
「カンタ……頼みがある。ソーニャたちのそばにいてやってくれ。ミーコと一緒に、店でソーニャたちを守ってやってくれ。もう、俺のことは助けなくていい。俺は……一人で動く」
「お前、何を――」
「実は……狼の奴に言われたんだよ。お前の勝手な行動が、妖怪を巻き込んでいる、店でおとなしくしていろとな。さらに、連中の標的は人間だけだ、とも言ってた。つまり、子供たちは店にいれば安全だ。お前たちもそう。店でおとなしくしていてくれ」
そう、これ以上妖怪を……いや、カンタとミーコを巻き込めないのだ。これはあくまで勇次のケンカ……いや戦争である。勇次は奴らのせいで弓子だったものを殺した。だからこそ、奴らを殺す。だが、カンタとミーコには無関係な話だ。正直、さっきのトカゲ人間は本当に恐ろしい奴だった……あんな奴がこの先何匹も出てきたら、カンタでも殺されるかもしれない。自分が奴らとの戦いで死ぬのは構わない。いやむしろ、奴らに殺されれば弓子を殺した罪の意識からは逃れられるのだ。だがカンタとミーコは無関係だ。
しかし――
「あのな……前にも言ったが、河童は人間と違って義理堅いんだ。俺はお前に借りがある。そいつを返すまでは、お前に死なれちゃ困るんだよ。だから……俺も手伝う」
カンタの目からは、暖かさと決意が感じられた。
「何言ってる……お前に貸しなんてない……」
「あるさ……俺は久しぶりに人間と遊べた。ソーニャとも友だちになれた。胡瓜もたくさんもらった。テレビも見せてもらえた。ゲームもやらせてもらった。麻雀も将棋も教えてくれた。全部、お前のお陰だ。お前がいなかったら……俺は今でも、川の中の河童の世界だけしか知らなかっただろうよ」
カンタの言葉は、勇次の心に深く響いた。こんな状況であるにも関わらず涙が出そうになり、慌てて目を逸らす。借りがあるのは自分の方である。カンタがいなかったら、ミーコともカラタロウとも出会えなかったのだ。カンタがいたおかげで、この陰湿な村社会の中での生活が、どれだけ楽しいものになったことか……。
そんなカンタだからこそ、なおのこと……。
「カンタ……だから――」
「静かにしろ。誰か近づいてきてる」
男が近づいて来る。
志賀と名乗った男だ。志賀はひょろっとした体を安物のスーツに包み、気だるそうな表情で歩いて来ているのが、廃屋の中からでもはっきり見える。
身を潜め、息を殺し様子をうかがう勇次とカンタ。
志賀は廃屋の前で立ち止まった。
そして口を開く。
「お二人さん、今から入らせてもらうが……構わないかな」
そして返事も聞かずに入って来た。
廃屋の中、勇次とカンタは志賀と対峙する。志賀は相変わらず気だるそうな表情である。河童のカンタを見ても、特に怯えた様子はない。一方、勇次は今にも襲いかかりそうな形相である。そしてカンタが間に入っている状態だ。
「君たち二人は凄いな。妖怪という生物は実に興味深い……おっと、勇次くんは人間だったか。まあいい。ところで……君は何がしたいんだ?」
志賀は淡々とした口調で話す。怯えた様子も侮る様子もない。ごく普通に、近所に買い物に来たとでも言いたげな雰囲気すら醸し出している。落ち着いた態度から察するに、さっきのトカゲ人間よりは上位なのかもしれない。上位だからといって殺し合いに強いとは限らないが。
そんな志賀を勇次は睨みつけ、口を開いた。
「簡単だよ。てめえら全員を殺す。なあ、昨日も聞いたが……何で婆ちゃんをあんな目に遭わせた? 何でだよ? 答えなかったら……今すぐ殺す」
「では……答えたら見逃してくれるのか?」
「遺言くらいは聞いてやるよ。その後殺す」
「おいおい……勇次くん、それじゃあ、取り引きとは言えないな。どちらにしても、私は死ぬじゃないか。取り引きというものは、相手にもメリットが――」
「知らねえよ、そんなことは……さっさと言えよ。てめえは何のために婆ちゃんをあんな……化け物にしたのか……」
「前にも言ったはずだ。私たちは客人だ。そして、もてなしを受けている。ただそれだけだよ。なあ、いい加減おとなしくしていたらどうだ? 君が騒げば騒ぐほど、面倒な立場になるんだよ……君自身が」
「てめえなあ……さっきから何ワケわかんねえこと言ってんだよ……もういい……てめえをボコボコにして吐かせりゃいいだけだ」
勇次は低くうなり、前に出ようとする。しかし、カンタが割って入った。
「どけよカンタ!」
「勇次! 落ち着け!」
カンタは勇次に組み付き、懸命に押し止める。勇次はカンタを振り払おうとしたが、ふと手を止めた。冷静さを失っている自分に気づいたのだ。同時に、今優先すべきことも……。
何よりもまず、今は知らないことが多すぎる。情報が必要だ。そして子供たちを町まで送り届けなくてはならない。その役目は、人間である自分にしかできないことだ。
「カンタ……もう大丈夫。志賀さんよお……あんたは何しにきた? 話し合いって何だよ?」
「話し合いと言うより……警告だ。私たちは、君には手を出さないように言われている。店にも手を出すな、と。だが、これ以上君が余計な事をするなら……こちらもそれなりの手段を取らざるを得ない」
「んだと……」
勇次の表情に凶暴さが戻る。だが次の瞬間、その言葉の不可解な点に気づく。自分に手を出さないように言われている、だと? どういうことだ? 勇次の表情はさらに変化する。困惑の表情だ。
志賀はそんなものにはお構い無しで話を続ける。
「言いたいことはそれだけだ。では失礼する。私も忙しいのでね。これから、やらなくてはならないことが山積みだよ」
志賀はそう言うと、大げさな身振りで一礼する。そして背を向け、歩き去って行った。自分は絶対に安全である、と確信しているかのような態度で、彼は消えて行った。
その様子を呆然と眺める勇次。意味がわからない。自分と店を襲わないように言われている、と志賀は言っていた。狼もそう言っていた。一体、自分と店の存在にどんな意味があると言うのだ?
しかも、村人たちは勇次に対し、明確な殺意を持って襲いかかってきたのだ。トカゲ人間もそうだった。かつて弓子だった草人間もだ。勇次には手を出すなと言われている、と志賀は言ったのだが……どういうことなのだろう?
「勇次、これからどうするよ」
カンタの声で、はっと我に返る。カンタは心配そうな様子で、自分の顔を見上げていた。考えてみれば、カンタと出会った当初は喜怒哀楽の感情がもたらす表情の変化に気づかなかったのだ。しかし、今ならばわかる。カンタの感情の変化に伴う表情の変化が。
そこまで長い付き合いになったカンタを、これ以上危険な目に遭わせていいのだろうか?
自分一人が引けば済むであろう問題に……。
「おい勇次、どうしたんだよ」
「え……ああ。とりあえず、子供たちが心配だ。一旦戻るか」
だが、勇次の本音は違っていた。この先どうするのか、そして志賀の言葉について、じっくり考えてみたかったのだ。志賀の言ったことも、今一つ信用できない部分はある。村人たちは勇次に襲いかかって来たのだ。だが、店が安全だ、という部分だけは信用していいのだろう。少なくとも、ここにいるよりは落ち着いて考えることができる。
そう……考えなくてはならないことが他にもあるのだ。
勇次とカンタは慎重に歩く。道中、村人とは出会わなかった。しかし、遠くの方では煙が立ち上っているのが見える。恐らく、学校の焼却炉で何かを燃やしているのだろう。あるいは別の場所で、焚き火でもしているのか。いずれにせよ、村は今まで通りに動いているということなのだろう。
もっとも、その中身はまるで違うものになってしまっているが。
道中、二人は一言も発することなく歩いた。重苦しい空気に支配されている気がする。先ほどのトカゲ人間との戦い、そして志賀とのやり取り……あのトカゲ人間は何だったのだ? 知性の欠片も感じられない奴だった。そして、ためらうことなく自分に襲いかかって来たのだ。カンタが来なければ、確実に殺されていただろう。しかし、そうなると志賀の言っていた、自分には手を出すなと言われている、という言葉の意味がわからない。さっきから、その言葉が頭を離れず、何度も考えてしまう。
そんなことを考えている間に、店に到着した。
しかし……。
「ガキ……お前は風呂の支度をするニャ。娘……お前は食事の支度をするニャ。小娘……お前はリモコンを操作するニャ」
まるで女王様のような態度で、子供たちに指図しているミーコ。ミーコはもともと、人間に飼われていた猫だったらしい。それが二百年以上生き、そして変化の法を知ったという。人間の生活に関してはカンタよりも詳しい。
子供たちは不満そうな様子だ。しかし、言われた通りに動いている。何と言っても、ミーコは化け猫である。カンタほどではないが、ミーコの腕力の強さは勇次も知っていた。さらに、ミーコは怒ると口が耳元まで裂け、指から鉤爪が伸び、凄まじいスピードで跳ね回るのだ。その動きは変幻自在である。純粋な殺傷能力ならば、カンタに勝るとも劣らない。そんな化け猫に命令されては、子供たちに逆らえるはずがないのである。
いや、一人だけ違う者がいた。
「ミーコ……リモコンくらい自分で操作した方がいいと思うけど……」
ただ一人、ソーニャだけは不満を洩らしている。ミーコのそばでリモコンを持ち、ぶつくさ言いながらチャンネルを変えていた。だが、勇次とカンタが帰って来たのを見て、リモコンを投げ捨てて走って来る。
「お帰り!」
ソーニャは本当に嬉しそうに、はずむ声と笑顔で出迎える。この娘は本当に明るい。この笑顔を見ると癒される。こんな奇怪な状況の中でも明るく朗らかでいられるのは一つの才能だろう。ミーコがいてくれるおかげかもしれないが。
しかし、自分が弓子に止めを刺したと知ったら……その事実を知ってもまだ、こんな笑顔を自分に見せてくれるのだろうか……それとも……。
「勇次……何ボーッとしてるの?」
ソーニャの声で、はっと我に返る。そうだ。悩むのは後でいい。今するべきことは……考えるか、あるいは動くか。まずは考える。何も思いつかないなら動いてみる。悩むのは……全てが終わってからでいい。
「ああ……何でもない」
そう答えた勇次の鼻に、美味しそうな匂いが飛び込んできた。料理の匂いだ。誰が作っているというのだろう。勇次が台所に行ってみると、恵美が鍋に入った何かをかき混ぜている。
「お、おい……何を作ってるんだ?」
勇次は尋ねると同時に鍋を覗いた。中にはミーコが捕まえてきた鶏の肉と、カラタロウが持ってきてくれたキノコや山菜が入っている。恐らくは、ミーコが鶏の羽をむしり解体し、内臓を取り除いて子供たちにも食べやすくしてくれたのであろう。それならば、家の中での女王様のごとき態度も許せる。ミーコは家政婦もできそうだ。ミーコにメイド服を着せて、メイドをやらせたら儲かるかもしれない、などというバカな考えが頭をかすめた。
「あ、あの……市松さん……あたし、最近越してきたばかりで、何もわからないんですけど……どうなるんですか?」
鍋をかき混ぜていた恵美がこちらを向き、恐る恐る聞いてきた。
「大丈夫だ。まずは、お前たちを魔歩呂町まで連れていくから」
「変なんです……さっきからずっと、スマホが圏外で……親戚の人にも連絡取れなくて……」
恵美は鍋をかき混ぜる手を止め、勇次にスマホを見せた。確かに圏外だ。ずっと圏外になっているというのも、妙な話だ。人為的な何かが働いていると考えるのが妥当だろう。しかし、テレビは映っている。スマホの電波だけを妨害するような、そんな物があるのだろうか。勇次がそんなことを考えていると、ミーコが顔を出す。
「娘……できたかニャ?」
「ええ、たぶん……食べられると思います」
「だったら……娘、お前は小娘と一緒に部屋の掃除をするニャ」
そう言って、ミーコは部屋を指差す。
「おいミーコ……」
勇次は言いかけたが、次の瞬間、あることに気づいた。ミーコは掃除などの作業をさせることにより、子供たちの気持ちを不安から逸らせようとしているのではないか。何もしていないと、いらぬことばかり考えてしまい、その結果として不安で気持ちが押し潰されてしまうかもしれない。だからこそ、こんな作業をさせているのではないだろうか……ミーコにも、母性本能があるはずだ。その母性本能が、子供たちを目の前にして目覚めたのかもしれない。
「もお……ミーコは人使い荒いんだけど」
ぶつくさ言いながら掃除をする、ソーニャと恵美。それを見ているミーコの目は、優しいものに満ちていた。
「勇次……ちょっといいか……」
不意にカンタがそばに来る。彼は背伸びをすると、勇次にそっと耳打ちする。
「よくわからんが、あの志賀って奴……人間だったみたいだぞ」