黒い激闘
「なんだと……どういうことだ? 何が変なんだ?」
勇次はうんざりしながら尋ねる。一体、今度は何が来たというのだろう。もっとも、本来ならばうんざりしている場合ではないのだが。しかし、ここまで立て続けに奇怪すぎる事件が起きてしまうと、神経が麻痺してしまう。今の勇次なら日本が戦争を始めたと聞かされても、うんざりで終わりだろう。
「それがニャ……村人がみんな、普通に生活してるニャ! 人間じゃない奴らが、外で働いているニャ! あれは……入れ替わりだニャ! 村は奴らに乗っ取られたニャ!」
ミーコはひどく落ち着かない様子で、ピョンピョン跳び跳ねながら勇次に説明する。いや、説明というよりは一方的に叫んでいる、と言った方が正しいが。
「わかった。少し落ち着いてくれ。まずは、家で牛乳でも飲んで……俺は村の様子を探ってみる。みんなにそう言っといてくれ」
勇次は扉を開け、ミーコを中に入れる。しかし、ミーコがこれだけ慌てているのは珍しい。それだけ、とんでもない状況だということか。ミーコの話だけではよくわからないが、どうやら人ではない何かが村人として、普通に生活しているらしい。ならば、自分の目で確かめてみる。
家の中はミーコが帰って来たことにより、さらににぎやかになっている。ソーニャが笑い、ミーコが鳴き、カンタがフォローし、春樹と恵美が少しずつではあるが言葉を発している。見ていて、思わず笑みがこぼれそうになった。
だが、勇次はその光景に背を向けた。カンタとミーコは自分よりも強い。その二人がいてくれるなら安心だ。勇次は扉を閉め、村に向かう。
確かに村人がいた。田畑に出て、普段と同じように作業している者が二人。もっとも、いつもは何人で農作業をしているのか、正確な所は知らない。勇次はこの時間帯、寝るか店にいるかのどちらかである。
いずれにせよ、農作業をしているとなると、ここの村人に完全に同化したということだ。そうなると、この村は端から見る限り、何も変化がない。おとといの嵐の晩……その日を境に村は変わったが、村の外の人間にとって何も変わっていないということになる。奴らの目的は……この状態を作ることにあったのか。
早朝の日差しを浴びながら、勇次は人目を避けるように姿勢を低くして歩く。しばらく歩くと、畑で作業をしている二人の顔が確認できる距離まで来た。勇次は体を伏せ、腹這いになって進む。
近づくにつれ、二人の様子がはっきりしてきた。二人とも見覚えがある。両方とも、いつも敵意をむき出しにしていた若い男だ。確か、田川と夏目という名だったはず。一度、二人に因縁をつけられたことがあるから覚えている。何やら話をしながら、畑に大きな穴を掘っていた。何のために掘っているかは不明だが。不意に二人は作業の手を止め、しゃがみこんだ。どうやら、休憩するつもりらしい。
勇次は周りを見渡した。他に誰もいない。ならば……まず、この二人からだ。この二人のどちらかを痛めつけ、志賀と名乗った男の居場所を吐かせる。
勇次は立ち上がり、一気に間合いを詰めた。
まず、手近な田川に狙いを定める。しゃがんでいる田川の顔面を、サッカーボールのように蹴飛ばす。
血と歯の欠片を吹き出し、一瞬で倒れる田川。
しゃがんでいた夏目は慌てて立ち上がり、スコップを振り上げ襲いかかる。
しかし、勇次は振り上げられたスコップを両手で掴み――
同時に自分の額を、夏目の鼻に叩き込む。
勇次の頭突きをまともに喰らい、よろめく夏目。だが勇次は追撃する。もう一発の頭突きを叩き込み、スコップを奪う。
そして次の瞬間、スコップの一撃が夏目の意識を刈り取った。
勇次は意識の無い田川の体を担ぎ上げ、その場を速やかに離れる。夏目の方は既に止めを刺してある。
そして人目につきにくい林の中に入り込み、そこで田川を降ろした。
「おい起きろ!」
言いながら、勇次は田川の顔を平手で叩く。こいつらが何者かはわからない。しかし、血が吹き出たり脳震盪を起こしたりはしている。どうやら、体の構造は人間と一緒のようだ。
「う……うん」
田川は頭を振りながら、目を開ける。そして、勇次の顔を見た。次の瞬間、恐怖に目を見開き、必死でもがき立ち上がろうとする。しかし立ち上がれない。勇次は服を剥ぎ取り、田川の両手両足を縛り上げていたのだ。
しかし、田川の目が緑色に変わる。そして奇怪な叫び声を上げるが――
「黙れ」
田川の顔面に、降り降ろすパンチを見舞う勇次。だが、田川は叫び続ける。勇次も殴り続ける。田川は鼻血を吹き出し、前歯をへし折られ、ようやく口を閉じた。
「いいか……もう一度、こんな声を出しやがったら殺す。いいな。で……お前に聞きたい。お前らは何者なんだ?」
「……」
田川は黙ったまま、勇次を睨んでいる。
「てめえ……俺はな、やたらと気が短いんだ。さっさと吐け。でないと、てめえの歯を全部へし折るぞ」
勇次は続けて拳を降り降ろす。だが田川は、痛みを感じているはずなのに声を出さない。口を閉じたまま、こちらを睨みつけているだけだ。
「そうか……吐かないなら……死ね」
勇次がそう言った次の瞬間、田川の目が恐怖に歪んだ。何やらわめきながら、縛られた状態でもがき始めた。
「おいバカ! てめえ今すぐ殺すぞ!」
勇次は田川の髪の毛を掴み、頭を引き寄せる。そして首を脇に挟み、一気に絞め上げる。
田川は意識を失った。
だが、その頃になって、勇次はようやく田川を怯えさせたものの正体に気づいた。何かが接近しているのだ。木をかき分けて、こちらに接近してくる何か。木の揺れ具合や地面から伝わる足音から察するに、相当な大きさだ。
次の瞬間、その者が姿を現した。爬虫人類……としか表現しようのない姿をした生物だ。二足歩行の大トカゲとでも言おうか。ただ、体型は人間に近く、手足は長い。長い尻尾と鱗に覆われた皮膚、二メートルをはるかに超す長身……全てがまがまがしい生き物が、勇次を見つめている。
「てめえが……ここの親玉か?」
勇次は尋ねる。
だが答えはなかった。答える代わりに、トカゲ人間は襲いかかってきたのだ。二メートルをはるかに超す巨体を踊らせ、勇次に突進してきた。
トカゲ人間は両手を伸ばし、勇次に掴みかかる。しかし、勇次の反応も早かった。すかさず横に回り込み、トカゲ人間の突進をさばく。
だが、巨大な尻尾がムチのようにしなり、勇次の体を打つ――
その瞬間、勇次は吹っ飛ばされた。尻尾の一撃の衝撃力……軽く数トンは超えていただろう。勇次は痛みのあまり、うずくまってしまう。息が苦しい……動きが止まる。
その背中を、尻尾の一撃が襲い――
鈍い音、そして凄まじい痛み……勇次は腹這いになったまま、完全に動きが止まった。まるで潰された蛙のように、地面にへばりついている……。
トカゲ人間は倒れている勇次に近づき、手を伸ばした。
その時――
どこからともなく、凄まじい速度で飛んできた緑色の弾丸。トカゲ人間はその弾丸をまともに喰らい、巨体を曲げる。一瞬ではあるが動きが止まった。
その飛んできた緑色の弾丸は……カンタである。カンタは突進の勢いを殺さず、そのままトカゲ人間に組み付くと、一気に押し出そうとする。
だが、トカゲ人間はカンタの突進を受け止め――
片手を大きく振る。
技とは到底呼べない、力ずくで振り回した腕……だが、カンタはその薙ぎ払うような一撃をまともに喰らい、軽々と飛ばされる。カンタの体は宙を舞い――
しかし空中で体をくねらせ、綺麗に着地した。
「この野郎……やるじゃねえか……」
睨み合うカンタとトカゲ人間。
次の瞬間、トカゲ人間は突進していくが――
動きが止まる。
トカゲ人間が振り向くと……勇次が後ろから尻尾を脇に挟み、あたかも綱引きをするかのような格好で体を反らし――
「てめえ! この尻尾ちぎってやるぜ!」
わめきながら、渾身の力を込めて引く勇次。彼の人間離れした力を確認し、さすがのトカゲ人間も驚いたようだ。だが、勇次の勢いは止まらない。力ずくで尻尾を引きずる。
そして前からは、カンタの突進――
トカゲ人間の腹に、頭をぶち当てる。凄まじい衝撃……のはずだったが、トカゲ人間は怯まない。腕を振り上げ、カンタを文字通り叩き潰さんと降り降ろす。だが、カンタは降り降ろされた腕を自らの両手で掴み止めた。そして叫ぶ。
「勇次! 尻尾離せ!」
同時に背中を向け、一気に投げる――
柔道の一本背負いの形である。トカゲ人間の巨体が綺麗に宙を舞い、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。と同時にトカゲ人間の口から洩れる、得体の知れない声。
だがカンタは手を緩めない。飛び上がり、喉の部分に全体重をかけて踏みつける。
トカゲ人間の口から、胸が悪くなるような声。カンタは容赦せず、さらに踏み続けた。
トカゲ人間の動きが、完全に止まる。
「カンタ……助かったぜ……」
勇次はその場にへたりこむ。不思議と体に痛みは感じない。恐らくは、興奮のあまり脳内麻薬が分泌され麻痺してしまっているのであろう。しかし息は荒い。心臓は破裂しそうだ。
「いや……間に合って良かったぜ。しかし……」
カンタは不思議そうな顔で、勇次に近づく。
「お前、大丈夫なのか? あんな奴にひっぱたかれてよ……並の人間なら、一発で死んでもおかしくないぜ……」
「あ、ああ……尻尾で叩かれたからな。だけど……大丈夫だ」
勇次は曖昧なことを言って立ち上がる。確かに、体はあちこち痛い。トカゲ人間の尻尾で叩かれた直後、あまりの痛みに気を失いそうになった。しかし、その寸前にカンタが現れた。カンタの戦う姿を見たのだ。その姿が、勇次に意識を失わさせることを拒絶させた気がする。
しかし、カンタはなおも心配そうな顔で、勇次を見ていた。
「勇次、お前――」
「大丈夫だって。それより、取っ捕まえた奴が……おい! 奴はどこに行ったんだ!」
田川の姿が消えていた。勇次は慌てて、周りを見渡す。田川は縛られ、意識を失っていたはずだ。だが、動けないほどではなかった。無理をすれば、移動するくらいのことは可能だ。トカゲ人間と戦っている間に意識を取り戻し、逃げてしまったというのか。そんなバカなことがあるだろうか……。
「クソ! あの野郎どこ行きやがった! まだ遠くには行ってないはずだ! 探せ――」
「いいから落ち着けよ。ここを離れるのが先だ」
カンタの口調はいつもと同じく、のんびりしたものだった。しかし、表情には有無を言わせぬ何かが感じられる。カンタのこんな表情は初めて見た。まあ、それを言うなら、カンタが本気で戦う姿も初めて見たのだが。
「あ、ああ……わかった」
勇次とカンタはひとまず、その場を離れる。確か近くに廃屋があったはず。かつて家畜小屋として使われていた場所だ。だが、その持ち主は三日月村に見切りをつけ、魔歩呂町で商売を始めるため引っ越したらしい。その後は買い手も無く、ほったらかしになっている。実のところ、勇次も入るのは初めてだったが。
予想通り、廃屋の中は汚かった。雑草があちこちに生え、得体の知れない虫が蠢いている。何年もほったらかしにされていたのであろう、建物のあちこちに腐食が進んでいる。
「おい勇次……勝手な事すんなよ。みんな心配してたんだからな」
廃屋の中で一息ついている勇次の頭を、カンタが小突く。
「仕方ないだろ。ところでカンタ、言い忘れたんだが……実は昨日、白くてデカイ狼に殺されかけたんだよ……」
「ああ……昨日、狼の匂いがプンプンしてたからな。何かあったんじゃないか、って思ってたんだ」
「なあカンタ、昨日も言ったが……あいつ、店の中に入れば安全だって言ってたんだ。何で店にいれば安心なんだ? お前、何か知らないか?」
そう、確かに狼はそんなことを言っていた。考えてみれば妙な話だ。駄菓子屋の建物自体はムエタイ選手の蹴りで壊れてしまいそうな物である。村人たちが集団で襲ってきたら、ひとたまりもないのだ。にも関わらず、昨日から一度も襲撃を受けていない。
これは一体、どういうことだ?
「いや、俺はわからないな……ただ、昔聞いたことがある。あの駄菓子屋には勝手に入るなって、父ちゃんに言われたよ」
「父ちゃん?」
「ああ。で、父ちゃんは森を守る狼に言われたらしいんだよ……考えてみれば不思議だよな。何で狼が駄菓子屋を……」
カンタは腕を組み、下を向く。どうやらカンタにしては珍しく、考えこんでいるらしい。そして勇次も、そんな話を聞かされたせいで、ますます混乱した。すると、あの狼が他の妖怪たちに対し、駄菓子屋への立ち入りを禁止したというのか……。
一体、どういうことだ?