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黒い猫と鴉と緑の河童

 周囲を山に囲まれた魔歩呂マボロ市の外れに位置する三日月村……その村のさらに外れには、一軒の駄菓子屋がある。ヘビー級ボクサーのパンチで崩れてしまうのではないかと思われるくらい、古くガタのきた建物であり、しかも、その店を営んでいるのは、二十歳の恐ろしく人相の悪い若者であった。


 その人相の悪い若者、市松勇次イチマツ ユウジの一日は、基本的に退屈なものだ。何せ、日がな一日、来るかどうかもわからない客を待つ駄菓子屋である。昼間は当然、誰も来ない。夕方になると、下校中の少年少女たちが顔を出すこともあるが……彼らの小遣いはたかが知れている。しかも、ここにいる少年少女たちの数は、全部で十人ほどである。

 そう、勇次の住んでいる三日月村は人口が千人に満たない。道を歩く時、気を付けないと蛇や蛙を踏んづけそうになるような場所である。たまに通行中の牛および飼い主さんと道ですれ違うこともある、そんな場所である。さらに、野生の鹿や狸などに出くわすこともある。

 さて、そんな場所で駄菓子屋を営んでいる勇次の懐具合は……当然ながら良いとは言えない。少なくとも、駄菓子屋の経営は大赤字のはずなのだ。しかし、彼は生活には不自由していなかった。なぜなら、彼にはスポンサーがいるからだ。それも、極めて特殊なスポンサーが……頭に皿を乗せた緑色な奴や、尻尾が長く二又に分かれている奴、さらには翼の生えた空飛ぶ奴などが、彼の生活を支えていたのだ。


 その日も、勇次はいつものように客の来ない店内に居て、売れる見込みのほとんど無い商品を並べ、使う機会の無いレジの前でパイプ椅子に座り、テレビを見ていた。

「おーい勇次、来たんだけど……」

 店内でボーっとしていた勇次の耳に入ってきたのは、幼い少女の声だ。

 この特徴ある語尾、そして生意気なしゃべり方は顔を見なくてもわかる。村でただ一人、今年小学生になったばかりの中島ソーニャだ。ロシア人の父と日本人の母との間に生まれたハーフである。もっとも父は今ロシアにいるらしいが。流行りのアニメか漫画の影響なのか知らないが、語尾に「〜だけど」を付ける癖がある。また、同じ歳の友達が村におらず、周りに年長者しかいない環境で育ったせいか、妙に大人びている。

 この娘、目付きが悪く無愛想な勇次のことをなぜか気に入っているらしく、毎日のように下校途中にやって来ては、何やら一方的にベラベラ喋り、気が済むと帰って行くのだ。

 そのソーニャが、今日もまた現れたらしい。


 ソーニャは店の中に入って来ると、勇次の顔をじっと見つめた。

 ややあって、口を開く。

「勇次、今日も暇?」

「……ああ、暇だよ。恐ろしく暇だ。店の中の菓子一つ一つに、名前を付けられるかもしれないくらい暇だな」

「勇次……このままだと店潰れそうで不安なんだけど……もっと頑張った方がいいと思うけど」

「頑張っても無駄だろ。そもそも、この村には子供がいない。駄菓子を買う奴がいないんじゃあ仕方ない。俺は何を頑張ればいいと言うんだよ、ソーニャ」

「……じゃあ、あたしがお菓子買うんだけど」

 ソーニャはそう言って、店の中を物色し始めた。ややあって『いちご味』と表示されている、飴ともガムともつかない得体のしれない菓子を選び取ると、勇次に見せる。

「いくら?」

 勇次はチラリと菓子を見ると、一言。

「二十万円だ」

「……勇次、そのネタもう聞き飽きたんだけど。そろそろ次のネタ考えた方がいいんだけど」

 言いながら、二十円を渡すソーニャ。勇次はそれを受け取ると、そのままポケットに突っ込んだ。

 その様子を見て、眉をひそめるソーニャ。

「ねえねえ勇次、これガチャンガチャンしなくていいの?」

 ソーニャはレジを指差す。レジは古く、昭和の時代から使われていたのだろうと思わせる形をしていた。所々に様々な種類の汚れがこびりつき、今ではちゃんと作動するのかどうか、それすら不安である。

「いいんだよ、どうせ客来ないんだから。こんなもん、使う必要ない」

 勇次は、やる気など欠片も感じさせない表情で答えた。

 その時、店の前を一匹の黒猫が通りかかった。こんな田舎の猫にしては珍しく、とても美しい色の毛並みをしている。尻尾は長く、ちょっとした汚れなどはついているものの、全体的には痩せすぎておらず太りすぎておらず、歩く姿からは優雅ささえ感じさせる。だが、その黒猫には他の猫と決定的に違う奇妙な点があった。長くふさふさした尻尾は二本生えていたのだ。

 その奇妙な黒猫は店の前で止まり、チラリと勇次を見る。次いでソーニャを見る。そして何を思ったか、その場に腰を落として毛づくろいを始めた。

 そんな黒猫を、じっと見つめるソーニャ。

「勇次……お願いがあるんだけど……捕まえて欲しいんだけど」

 そう言って、勇次をつついた。

「ん? 捕まえてどうするんだ?」

「ウチに連れて帰って……ウチで飼いたいんだけど。凄く可愛い……」

 黒猫を見つめるソーニャの目は輝いている。いつもの子供らしくない落ち着きっぷりが嘘のようだ。尻尾が二本あるという点については、全く気にしていないようである。あるいは、気づいていないだけなのかもしれないが。

「あのな……いいか、猫ってのは警戒心が強いんだ。そう簡単に捕まえられるもんじゃないぞ。第一、お前があいつを気に入っても、あいつはお前を気に入らないかもしれない。まずは、仲良くなれるかどうか試してみろよ」

「試す?」

「そうだ。試すんだ」

「うん、試してみるんだけど……仲良くなる」

 ソーニャはそう言うと、背負っていたランドセルを外し、その場に置く。そして身軽になった状態で、黒猫にゆっくり近づいていった。

「おいで……おいで……餌あげるよ……お菓子もあげるよ……テレビも見られるよ……こたつもあるよ……家においで……」

 文字通りの猫なで声を出しながら、ソーニャはゆっくり近づいていく。黒猫は知らん顔で毛づくろいをしていたが――

「ウチの子になってー!」

 叫ぶと同時に、ソーニャは蛙のような格好で飛び上がり、黒猫に飛び付こうとした。だが、黒猫は素早く反応する。パッと飛び退いてソーニャのフライングボディーアタックをかわした。そして、勇次に何か言いたげな視線を向けると、すぐに走り去って行く。

 一方、ソーニャは地面にうつ伏せになったまま固まっている。よほど痛かったのか、あるいは精神的なショックのためか、全く動こうとしない。

「ソーニャ……大丈夫か……」

 勇次が声をかけると、ソーニャは立ち上がる。

「痛いけど……大丈夫」




「そろそろ暗くなるな。送ってやる。行くぞ」

 勇次はそう言うと立ち上がり、パイプ椅子に座っているソーニャを促す。

「あーい」

 返事と同時に、ソーニャはランドセルを背負う。そして外に出ると、空を見上げる。すでに夕方の五時を過ぎており、空には夕焼けが広がっている。鴉の鳴き声も聞こえる。さらには、河童の鳴き声も……。

 河童だと?!

 勇次は慌てて外に出る。そして辺りを見回すが、いるのはランドセルを背負い、訝しげな表情でこちらを見ているソーニャだけだ。どこか物悲しさが漂う夕暮れ時、目に付くものは大自然が造り出した風景だけである。

「どうしたの?」

 尋常でない雰囲気で飛び出してきた勇次を見て、不思議そうに尋ねるソーニャ。

「い、いや、何でもないんだ……さ、帰ろうぜ」

 そう言うと、勇次は店のガラス戸を閉め、ソーニャの手を引いて歩き始めた。


 道中、ソーニャはあれやこれやの話をした。学校の事、家の事、好きなアニメや漫画の事などなど……ソーニャは一方的に喋り続け、勇次が相づちを打つ形である。

 勇次は時おり、不思議になる。目の前の娘はなぜ、こうまで自分になついているのか……学校には他の生徒がいる。自分などよりも、ずっと年齢の近い少女たちがいる。別にいじめに遭っているとか、仲が悪いとか、そういったことはなさそうだ。にも関わらず、店に足しげく通ってくる。そして一方的に喋り、気が済むと帰っていくのだ。




 勇次の素性は良いとは言えない。行方不明の父、そしてこの村を飛び出し、都会に出てきた母……都会にいた頃に母は父と知り合い、そして勇次が産まれた。だが、父はすぐに蒸発。母は女手一つで勇次を育てた。だが、その母も、勇次が十八歳の時に亡くなってしまう。天涯孤独になってしまったかに思えた時、どこからともなく届いた手紙。

 その内容は……母方の親戚が三日月村で駄菓子屋を営んでいたが、急死してしまった。遺された駄菓子屋の相続人の名前が、よりによって市松勇次であるとのことだ。どうするか、できるだけ早く決めて欲しい、とも書いてあった。

 寂れた田舎の村で駄菓子屋をやる……若者にとって魅力的な仕事とは言い難いだろう。だが、勇次はこれを承諾。電車に乗り、二時間に一本のバスに揺られ、この三日月村にやって来たのだ。




「おばば、ただいまなんだけどー」

 ソーニャは声を出しながらドアを開け、玄関に入る。

 勇次はソーニャが家に入るのを見届けると、向きを変え、そのまま帰ろうとした。しかし――

「待ちなよ勇次ちゃん……いつも孫と遊んでくれて、ありがとうね。これ、持ってきな」

 そう言いながら出てきたのは、ソーニャの祖母にあたる弓子である。何やら煮物のような物が入ったタッパーを持ち、いそいそと出てきた。


 この村での勇次の評判は……はっきり言って良くない。村でも五本の指に入る嫌われ者である。勇次が村に越して来たと同時に……どうやって調べたのか、彼が札付きの不良だったことを村人のほとんどが知っていた。村の男たちはあからさまな敵意を見せ、女たちは遠巻きにして見ている……そんな状態のまま、二年が経過していた。

 しかし中島ソーニャ、そして弓子の二人は、勇次に平気で話しかけてくる。恐らくは、ソーニャの母の京子もまた嫌われ者であるがゆえのことなのだろう。

「勇次ちゃん、頑張るんだよ……あ、これもいるんじゃないかい? ちょっと待ってな」

 弓子は一旦は家に引っ込んだが、しかし数本の胡瓜を手にして、すぐに出て来た。そして、勇次の手に握らせる。

「あんた……胡瓜好きなんだろ」

「あ……ええ、まあ……」

「じゃあ持ってきな。あんたも一人でいろいろ大変だろうけど、頑張るんだよ……」


 煮物の入ったタッパーと数本の胡瓜を持ち、帰り道を歩く勇次。途中で何人かの村人とすれ違ったが、話しかけてくるものは皆無である。一応、勇次は会釈しているものの、会釈を返す者は三人に一人くらいだ。残りの連中は無視するか、敵意のこもった目で睨みつけるかのいずれかである。

 初めの頃は不快だったのだが、今ではそんな視線にも慣れてしまった。

 そして店に帰り、シャッターを閉める。結局、今日の客は一人。売り上げは二十円なり。普通なら、とっくに潰れているだろう。

 しかし、店を閉めた後も客はやって来る。というより、店を閉めた後に来る者たちこそが、今の勇次にとってメインの客層なのである。


 辺りはすっかり暗くなっていた。

 店のシャッターを閉めた後、勇次は居間でテレビを見ていた。しばらくすると、裏口を叩く音がする。

「おい、俺だよ俺。開けてくれ勇次。遊ぼうぜ」

 聞き覚えのある、妙にユーモラスな、そしてどこか奇妙な発音の声。勇次は苦笑しながら裏口の扉を開ける。

 外には、おかっぱ頭のてっぺんに皿のような物の付いた、緑色の奇妙な生き物が立っている。平べったく丸みを帯びた黄色いクチバシが、人間で言うところの唇に当たる部分を覆っていた。緑色の皮膚はぬるぬるしており、体の所々に水草や水ごけが付いており、嫌な匂いを出している。背中には甲羅。どう見ても人間ではない。河童と呼ばれている妖怪以外の何者でもない。

「勇次ー、遊ぼうぜ! 相撲とろうぜ相撲!」

 河童はびしょびしょに濡れた体で、ずかずか入り込む。そして、いきなり勇次に組み付いてくるが、勇次はその体当たりをあっさりとさばく。

「相撲の前に……体を拭けよ、バカ野郎!」

 勇次はそう言うと、バスタオルを投げつける。

「うう、何だよ……細かい奴だな」

 ブツブツ言いながら、河童は体を拭いている。その様は異様であるが、同時にコミカルでもある。

「おいカンタ、胡瓜ほしいか?」

 勇次がそう言うと、河童は動きを止めた。

「勇次……くれるのか……胡瓜」

「体を拭き終わったら、食わしてやる」


 この河童はカンタという名で、勇次の数少ない友人の一人である。店に毎晩やって来ては、勇次と相撲をとりたがるのだ。しかし、カンタは体こそ小さいが、力は異常に強い。腕力には自信がある勇次だが、毎晩まともに相手をしていたら身が持たないので、胡瓜をあげることでごまかしている。


「勇次! ゲームしようぜゲーム!」

 体を拭き、そして胡瓜を一本食べ終わり、カンタは上機嫌である。早速勇次と遊ぼうとする。

「ゲーム……ああ、じゃあ鉄――」

 言いかけた時、またしても扉を叩く音がする。

「次は誰だ」

 勇次が扉を開けると――

「勇次……あのチビ娘はなんだニャ」

 言いながら入って来たのは若い娘……ただし頭に猫のような耳と、腰に長くふさふさの尻尾が生えているが。一応、本人はTシャツとジーパン姿で人間に化けているつもりなのだろうが、その長く立派すぎる尻尾は自身が妖怪であることを隠しきれていない。

「ミーコ、今日は魚は無いぞ。たまには店に来る子供と遊んでやれ」


 ミーコは化け猫である。普段は尻尾が二本ある黒猫の姿でうろついているが、夜になり、勇次の家に遊びに来る時には人間のような姿になる。どちらが本当の姿なのかは不明だ。勇次は一度、どちらが本当の姿なのか聞いたところ、どちらも本当の姿だニャ、という答えが返ってきた。妖怪というものは人間よりはるかに長く生きる。そして変化を繰り返すうち、本当の姿などというものは些細な問題となるらしい。


 ミーコもまた、ずかずか入ってきたが、カンタの姿を見て顔をしかめる。

「カンタ……お前、いつ来てもいるニャ。暇な奴だニャ」

「お前だって昨日も来てたじゃねえかよ。今日は魚ないんだぞ」

「お前、河童だったら川に潜って魚採って来いニャ」

「だったら、お前は畑から胡瓜を――」

「止めないか……お前らに村をうろつかれると大騒ぎになるだろうが」

 勇次は二人の言い合い――これはいつもの光景であって、基本的に二人は仲良しなのだが――を仲裁しつつ、ため息をついた。

 俺は昔から、人間には好かれないが妖怪には好かれるんだよな、と。


 そんな勇次の気持ちをよそに、またしても扉を叩く音。

「お、カラタロウも来たみたいだな。四人揃ったなら……麻雀しようぜ麻雀!」

 カンタが立ち上がり、ちゃぶ台をセットする。その横では、ミーコがあちこちに鼻を突っ込み、クンクン匂いを嗅ぎながら麻雀牌を取り出していた。

 そんな、人の家の物を好き勝手に持ち出す妖怪たちを横目に、勇次は扉を開ける。

 立っていたのは、鴉と人間を力ずくで合成させたような生き物だった。短く広いクチバシと妙に大きな瞳のついた顔。体は黒い羽毛のようなものに覆われ、毛皮のベストのような物を着て、ジーパンを履いていた。

「勇次……遊びに来てやったぞ」

 そう言うと、鴉人間もまた勝手に入り込んで来た。だが入る時、勇次に山菜やキノコの入った袋を渡す。手土産のつもりなのだろう。もっとも、収入のほとんど無い勇次にとっては、大助かりなのだが。


 カラタロウは鴉天狗である。普段は山に潜んでおり、人前に姿を現さない……はずなのだが、なぜか勇次のことを気に入っているらしく、ほぼ毎晩のように空を飛び、勇次の家に遊びに来る。やたら偉そうな口調のカラタロウに、初めはイラッとしていたが、今では慣れてしまった。何より、カラタロウは妙に義理堅く、キノコや栗などといった手土産を必ず持参する。

 いや、カラタロウだけではない。カンタは川で見つけた値打ちのありそうな物や魚をちょくちょく持ってくるし、ミーコは捕まえたキジや鶏、時には道に落ちていた財布などを持ってくる。文字通り猫ババするのだが。


 楽しそうに麻雀牌をかき混ぜるカンタ。

 麻雀牌をかき混ぜる……はずが、猫の本能で麻雀牌にジャレつくミーコ。

 偉そうな口調で、皆をたしなめるカラタロウ。

 こんな妖怪たちと共に、勇次の夜は更けていく。





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