姉と弟2
将也は驚いた。姉の趣味に。秘密に。上手さに。ケータイを見つめる真剣な目に。
「イラストとか漫画が好きやねん。部屋に漫画は100冊以上ある」
「何持っとん」
輝美が口にしたタイトルは少年漫画ばかりだった。そこは輝美らしかった。
「知らんかった…」
「言ってへんからな。知ってんのは、美術部の子の数人」
輝美の口ぶりからすると、友人には内緒にしているようだ。
「美術の人は友達やないんやろ?」
「でも、絵はめっちゃ上手い人ら。資料とかも貸してくれるし」
「何で友達に言わへんねん」
「…怖いから? 関わりが少ない人の方が言いやすかった。噂になることもない」
「俺に言ったんも、そやからか」
『関わりが少ない人』。姉に対して、弟好きなんて感情は求めていない。しかし、兄弟なのだから、関係ないと割り切られるのは嫌だった。輝美は困ったように笑う。
「そんなんやないで」
輝美はスプーンを軽く握り、何も入っていない皿をなぞった。金属音が鳴った。テレビのネタ番組が終わり、しんみりとしたニュースが流れだす。輝美はじっとテレビを見る。
「…先週あったやん。『家族』ってドラマの前編。今日、後編やってたやつ。あれ見てお母さんが言ったんや。親って、何も言われなくても子供のこと分かっちゃうのよねって」
スプーンの金属音が止んだ。部屋の電気がスプーンに反射し、輝美の目を照らしている。ぎらぎらと光る輝美の一重の目は、獲物を狙う猛獣のように鋭く獰猛だった。
「殺してやろうかと思ったわ……」
母親は何も知らない。自分がイラストを描いていること。本当は美大に行きたいが、普通の大学に行くために無理に勉強していること。自分のやりたいことを主張できないのは、自分の責任だと言ってしまえばそうだ。しかし、それをできなくさせるのは周りの環境でもある。美大を目指すなんて言えば、佳代は確実に顔を歪め怒鳴りちらすだろう。あぁ、泣いちゃうかな。それが現状だ。
「親に親面されると、殺したくなる…」
スプーンを握る手に力が入る。指先が熱い。目がしらも熱を帯びてきた。相手が弟だとしても、こんな思いを素直に言えたのは初めてだ。
「…見せたらいいやん」
「…はっ?」
将也は手を差し出して、ケータイを見せろと催促した。
「美術部でもこんな上手いやつおらんで? もっとちゃんとしたら…」
将也は輝美の視線を感じて口を閉じた。鋭い目つきに動けなくなる。チーターに狙われる草食動物になった気分だ。下手に動くと仕留められてしまう。
「…美大とかで、ちゃんと勉強したら……」
「行きたいけど、行けへん。お金かかるし。お母さんやで?」
「じゃあ、普通に大学いくん?」
「…将は、こんなんになったらあかんで」
「はっ!?」
話がそれた。将也は輝美を見る。笑っていた。
「うちはこうやけど、将はお母さんに気に入られとる」
「気に入られとるって何なん…? やめろや」
「ごめん。言い方間違えた。でも、ホンマのことや。将といると、お母さんの口数が増えるねんで。将が洗濯もん畳んだだけでお礼言うねんで。うちなんか毎日やってんのに」
輝美の瞳からは獰猛な光が消えていた。かわりに目に溜まりだした涙がゆらゆらと揺れ、淡く光っていた。
「やっぱり、娘と息子ではなんか違うんやで…」
「……むかつく」
佳代に対してではない。輝美に対してだ。
「母さんと一緒や。姉ちゃんは」
「どこがよ」
輝美は眉間にしわを寄せた。
「親に親面されたらむかつくで。ほんで、姉ちゃんに姉面されてもむかつく。私はいいから、あんただけでも幸せになり…みたいな。そういうのって、恩きせつける…みたいな」
「恩着せがましい」
輝美は真顔で訂正する。
「俺、助けろなんて頼んでないやん。やりたいようにやってる。母さんに遠慮とかもしてやらん。高校になったらバイトして、自分でやっていくんや」
将はとにかく、自分でできるということが言いたかった。しかし、うまく言葉がでてこない。同じ言葉を並べているだけだ。輝美は将也の真剣な顔に吹き出した。
「将は、まだまだガキやね」
「な、何やねん! 俺だって、早く大人になりたい!」
「そうやな。恩着せがましかった。ホンマに…。もうやめるわ」
「……」
将也は最後の一口を食べる。
「言ってみよっかな。お父さんに」
「好きにしいや」
「ははっ。どうも」
END