姉と弟1
輝美が帰ってきたのは午後8時。下で、カバンのドスッという重い音が聞こえた。将也はゲームの音量を少し下げる。しばらくしてから、輝美が部屋のドアをノックした。
「カレー温めたけど食べる? 将、まだ食べてへんやろ」
輝美は返事も聞かずに階段を下りていった。将也が人の問いかけに、素直に返事をしないのは把握済みだ。むかつくことはない。将也に返事を執拗に求めるのは、佳代だけだった。
将也はゲーム機の電源を切り、リビングに向かった。ドアを開けた瞬間、カレーの匂いが鼻を刺激する。食欲をそそられた。
机にはお皿が2つ並べてあるだけで、とても質素に見える。佳代なら、サラダくらい付けるだろうと心の中で思う。輝美は難しい顔をして、テレビのリモコンをいじっていた。クイズ番組、街中ロケ、ニュース、『家族』という見え透いたタイトルのドラマスペシャル。
「何もないわ」
輝美はあきらめ、リモコンを将也に渡した。将也は番組表を見る。輝美の言葉を信じていなかったわけではないが、本当になにもやっていなかった。妥協して、つまらなそうなネタ番組を選ぶ。何組かの芸人のネタが紹介されたが、2人はクスリともしなかった。観客の笑いも少ない感じがする。ふと、お笑い好きの友人の言葉を思い出した。観客の声はマイクを通されてないから、実際よりも小さく聞こえる。実際にライブに行くと、みんな爆笑してる。と、熱弁していた。
「お母さんら、今頃おいしいもんたべてるんやろーな」
あまりのつまらなさに輝美が呟く。スプーンで皿にこびりついたルーをまとめていた。
「お母さんのこと、どう思う?」
輝美は将也に尋ねた。驚きだ。今まで家族の仲裁にも入らなかった輝美が、家族のことについて答えを求めている。将也は口にスプーンをくわえたまま止まった。テレビから観客の笑いが小さく聞こえてくる。
「お母さんに言われたんちゃうで。うちが聞いてみたくなっただけ」
「それ言うほど、嘘くさくなるで」
「ははっ。そうか…」
輝美は苦笑いすると、カレーを口に運んだ。将也も口に含んでいた人参を飲み込む。喉にひっかかりながらゆっくりと下っていく。
「姉ちゃんは、どう思っとん?」
「うち? うちは…趣味が合わないと思っとる」
「何やそれ」
「将は知らんと思うけど、うち、お母さんに恋バナとか強要されるねん。お母さんは娘と恋バナとかおしゃれとか楽しみたいみたいやけど、うち、こんなんやからさぁ」
輝美はスプーンを置いた。もう皿にカレーはない。
「お父さんと話す方が楽。父親嫌いの友達の方が多いけど」
小さく呟いていく。
「親に興味ないもんばっかり話されんのは退屈」
「姉ちゃんに趣味なんてあるん? サッカー?」
輝美は将也にケータイの画面を見せた。画像フォルダだ。色鮮やかなイラストが広がっていた。キャラクターを描いたものもある。
「……何?」
すごいともきれいとも思ったが、口には出さなかった。輝美はスッとケータイをひっこめる。自分に向け、スクロールをした。
「これ、うちが描いた」
「……はっ!?」