春の木漏れ日
「高校生になったら、キスなんてしてもらえなくなる。中学生の今やないとあかんの…」
西川は、口を結んでいる。
「おじさんだけだよ。私を、女の子として見てくれるのは」
「…高校に入ってからでいいやん。そういうのって……」
「私はこのまま、何も知らないまま生きるんが怖い。未来に保証なんてないやん。だから、今優しくされたいんや…」
西川の声は、終始よく聞こえた。将也の心に重く響く。
「俺は、早く大人になりたい」
ボソッと呟く。その小さな言葉は春風に流され、西川に届いたかはわからない。現に、西川は将也に返事をする素振りを見せなかった。
将也は早く大人になりたかった。親に自分の将来についてせかされるのが嫌だ。早く自分だけの力で生きてみたい。誰にも心配されることなく、過ごしてみたい。
しかし、西川が求めていたものは周りからの慈悲だった。子供のままでいたい。誰かからの優しさを求めていた。普段、学校では1人でも平気な顔をしていた西川の素顔は、こんなにも弱い人間だった。
「これって、いけないことなんかな。そうだよね。いけないこと…。だから、おじさんも誰にも言えないし。…それでいい」
西川は人に質問しておきながら、自分に言い聞かせるように呟いていた。
将也は、女子の怖さを知っているつもりだった。さっきまで仲良く話していると思ったら、その子が抜けた瞬間悪口を言い始めたり、男子の前では声色を変えたりする。それを分かっていても、可愛いと思ってしまう時がある。それが怖い。
だが、女子のこういった本能的な怖さを見たのは初めてだ。自分を女として見てくれる相手を見つけ、「寂しい」と語りかけて利用する。将也は自分の鼓動が高鳴るのが分かった。一昨日の行為を思い出す。もし、自分が西川をおかずにオナニーをしたことを暴露したら、どうなるだろうか。あらぬ好奇心がわいてきた。指先がピリピリと刺激される。
少なくとも、将也は一度西川を女として見た。それを伝えてみたいと思った。西川はどんな反応をするだろうか。そんなのエロ本と同じでしょう、とあの笑みを見せるだろうか。普通の女子なら、絶対に引くだろう。しかし、将也には西川が自分を軽蔑するというような想定はなかった。
「西川って、他の女子と違うな」
「それって、褒めとんの?」
「分からん」
「何それ」
西川は笑った。人をあざける笑いではなかった。無邪気に笑う少女の顔がそこにはあった。春の木漏れ日を浴び、ぼやける輪郭が余計にあどけなさを演出していた。小さく細い指先が、公園の入り口を指さす。
「私、あっち」
「あっ…。そっか」
ここは、将也がキスを見た現場。急に息の詰まる思いがした。
「東野君は、男子やね」
「何やねん。それ」
「嬉しいんや。普通に男子と話せて。男子って嫌いな女子の前だと、露骨に顔に出すから」
「俺、西川のこと嫌ってないし…」
「私も。じゃあ」
「また、明日」
将也はすぐに西川の後ろ姿から目をはなし、家へと向かった。