焦げ臭い
悠が家に帰り、真っ先に出迎えに来たのが焦げ臭い臭いだった。鞄を持ったままキッチンに入る。中には臭いのほかに、煙が充満していた。煙の向こうには、目を潤ませた里美が立っていた。今にも消えてしまいそうにみえた。
「何してんの」
「だって、お母さんが勉強してて、それでご飯作れって言われたから」
「断れよ」
「そんなんしたら、怒られるやん」
里美は母親の言うことをよく聞く。それは里美が母親を好きだからとか、お利口だからとかではない。「怒られるから」だ。里美の行動原理は、母親の恐怖だった。絵里奈は友達の間でも優しいと評判の母親だ。それは素直に嬉しい事実だ。絵里奈の母親、つまり悠にあたる祖母も温厚な性格。そういう家庭環境で育ってきている。だから、絵里奈は子供に対する怒り方をしらない。いつも「むかつく」「腹がたつ」「大嫌い」と、子供のように怒鳴るのだ。
キッチンには焦げた臭い。里美は顔を赤くしてフライパンを洗っていた。茶色くなった水が音をたてて排水溝に吸い込まれていく。
「何作んの」
「ハンバーグ。でも、失敗して材料なくなった……」
悠は冷蔵庫の野菜室をあさる。
「カレーできるんちゃう?」
「ルーあるん?」
「スーパーで買ってくる」
「いやっ! 里美が行く」
里美は濡れた手で、悠の鞄を引っ張った。
「家に残さんといて」
小さな指先が真っ赤に染まっていた。
「じゃぁ、一緒に行くか」
「うん…」
一緒に買い物に行き、一緒にカレーを作った。絵里奈は「おいしい。ありがとう」と里美に笑顔を見せた。里美は「うん」と頷いたが、笑顔はなかった。
片付けも2人でやった。里美には休むように促し、父親と並んで食器を洗った。
「おいしかったで、カレー」
「ん」
悠は洗った皿を聡一に渡しながら返事をした。聡一はその大きな手で、丁寧に皿を拭く。
「…7月までのしんぼうやな」
「俺はいい。母さんの怒鳴りなんて受け流せるし」
「里美か…。今日は可哀想なことしたわ。食事中ずっと下むいとったやろ?」
聡一は意外に周りを見ていた。
「悠は母さんのこと好きか?」
悠は最後の一枚を洗い終える。蛇口を閉めると、妙な静けさが2人を襲った。
「里美にも聞いたんやけどな」
「…なんて言ってた?」
「好きやて。だからカレー作ったんやって、言いよったわ」
「俺は普通」
「そっか。父さんは好きなんや。だから結婚したんやけど」
「…今、何の話してんの」
聡一は笑い、恵比須顔を見せた。ふきんをつるしにかける。
「いや、何やろな。まぁ、悠が普通やったらええねや」
「おやじ」
悠はキッチンから出て行こうとする聡一を呼び止める。
「俺、どこの高校行けばいい?」
「…あとでビールもって部屋にきぃ」
聡一は扉を閉めた。




