あてつけ
火曜日が来た。今日はLHRのある日だ。担任が言う。前に書いた進路希望調査書について問題がある生徒を呼び出すと。最初に呼ばれたのは、出席番号が12番の悠だった。つまり、前11人の生徒は進路をしっかりと考えているお利口さんということだ。悠は席を立ち、後ろの扉から教室を出た。担任は眉を少し上げ、前の扉から教室を出る。隣の選択教室に入る。担任がいなくなった教室からは笑い声が漏れてきたいた。
机が向かい合わせにセットされていた。担任が先に座り、机に未記入のままの調査書を出した。それを見てから悠も座った。丈の短い椅子。曲がって突き出した膝が、これえまた低い机にぶつかった。机に置かれていた担任の手が少しビクついた。
「未記入……っていうのは、ちょっとね。うん…。決めてくれないと。ご両親には相談してる?」
「してません。親はそんな口うるさくないんで。俺の好きなようにって感じですけど」
別にはぐらかしたわけではない。本当のことを言った。
「まぁ、でも志望校くらいね。3年になると推薦とかもあるし。今決めておかないと、勉強のしようもないでしょ?」
英語の授業とは違い、歯切れの悪い口調。担任が生徒に対しこんなに下手に出てくるなんて思わなかった。英語教師だけにオブラートに包んでいる。後ろ髪と一緒に縛った前髪でむき出しになったおでこ。生え際からうっすらと汗がにじんでいた。悠はカーテンのない窓際を見る。西日が差しこんでいた。
「お母さんは専業主婦よね。相談する時間あるでしょ?」
「母親は勉強で忙しいんで」
「勉強?」
絵里奈は最近フラワーアレンジメントの教室に通いだした。時間の使い方が分からず何気なく通ったのだが、はまってしまい検定までしたいと言い出す始末。7月に試験があるらしく、5月下旬の今から猛勉強しているというわけだ。
「どう思います?」
悠はやや嘲笑ぎみに尋ねた。担任は「いいことよね。趣味をもつって」と言葉をよこした。悠は尋ね方を変える。
「俺は、将来何になるかもわからないし、何のために勉強するのかもわかりません。そんな息子とは違って、40後半のくせに夢を見つけて勉強する母親の姿を見せつけられて…。どう思います?」
「…励みに」
「うざいんですよね。毎日眠そうにして、『でも頑張らなきゃ』が口癖になって。前まで『暇だわ、出かけたい』だったのに。それでよかったんですけどねー…」
母親の頑張りが励み? ふざけるなと思った。あてつけにしか思えない。
「うざいだなんて。そんな……」
生え際から垂れた汗が担任のはっきりとした骨格をたどり、調査書に落ちた。灰色のシミができる。悠は下にやった目線を上に戻した。担任はうつむいていた。
「ちょっと、ひどくない…? 母親っていうのはいつも子供のことを考えて、私にも子供がいるけど、毎日…」
「だから何なんですか」
悠は鼻で笑う。足を組み替えようとして、また机にぶつけた。音に促されたかのように、担任が顔を上げる。
「だから…!」
「先生が子どものこと考えてるからって何なんですか。俺の母親のことをはなしてるんですよ」
「…そうね。そうだわ。でもね……」
「橋本の言った通りだ」
悠は背もたれに背中を預け、大きな伸びをした。
「橋本さん?」
「親は友達より信用できて、自分よりは信用できない」
悠は伸ばした手をストンっと下に落とす。
「教師は信用以前の問題だって」
「……えっ」
「まぁ、親が友達より信用できるって点は、どうかと思うけど」
「そんな価値観で人をみるなんて、いけないわ……」
担任はなぜいけないかまでは口にしなかった。おそらくできないのだろう。当たり前だ。人を信用しないといけない理由なんて説明のしようがない。目の前の女は教師だから、そんな言葉を吐いたにすぎない。
「とりあえず、志望校は決めますよ。で、いいですか」
悠は返事を待たずに調査書をとり、選択教室を出ていった。




