声
「由香子ー。今日先帰っててー!」
SHRが終わると、将也のクラス教室に小さな女子が入ってきた。西川に両手を合わせている。
隣のクラスの女子だ。名前は、中尾。将也は、男子が中尾のことをウザイと噂をしていたので、名前と顔を知っていた。中1の時は良い感じのグループにいたらしいが、今はそうではないようだ。
西川由香子。将也は心の中でフルネームを呟いてみた。
「委員会があってさー。もう最悪。由香子と帰りたかったのにー」
中尾はいちいち語尾を伸ばす。その上、無駄に声が大きい。まるで自分の存在を周りに認識させたがっているようだ。
「私、図書室で時間つぶして待っとこか?」
「まじ!? 由香子大好き! 1人で帰るの怖いねんなー。うちの帰り道街灯ないやん。春は変質者多いっていうしさー」
「…ふっ。そうやね」
図書室は思ったほど混雑していなかった。夕方の穏やかな風がカーテンを揺らしている。日差しを受けている本は、なんとなく趣があった。将也は入口で止まり、中の様子を覗いた。西川を探してみる。西川は、一番奥の丸テーブルの椅子に座っていた。そこは窓から入る光が当たらず、湿っぽい感じがする。 西川は文庫本を読んでいた。図書室のものではない。
「何か探してるの?」
ずっと突っ立っている将也に声をかけたのは、管理のおばさんだった。図書室管理のくせに、よくとおる声をしていた。目元のしわが優しさを彷彿している。
「いや、いいです…」
将也は足早に入り口から中に入った。奥の丸テーブルに向かう。西川の斜め前に座った。西川はこちらを見る様子もなく、本を読んでいる。『白い球』という題名だ。将也はつい「野球?」と呟いてしまった。
「……野球。今のって質問?」
西川と目が合う。顔をはっきり見たのは初めてだった。やはり、きれいな唇をしている。
「いや、西川…さん、が野球の本読むなんて、何か…」
「似合わん? ふっ…。私、スポーツ結構好き。あと、西川でいい」
西川の話し方は少し変わっていた。単語を繋いだだけの発言だ。人間関係の薄さを感じた。
「どんな話なん?」
「普通の。高校生が野球を頑張る話」
「…おもしろいん?」
「ふっ。おもしろいよ」
西川は人をあざけるように笑う。将也にはそれが癇にさわった。
「俺、ショーセツなんて読めないわ」
「小説には普通のことが当たり前みたいに書いてあるから」
「西川って普通が好きなん?」
「…うん」
まるで自分が普通ではないかのような言い方だ。将也はこういう人間が嫌いだった。「私にはできないけど、あなたにはできるでしょ」とか、「私って、そういうのできないじゃん」とか、自分を下げてるやつが嫌いだった。そういって同情を求めるやつを、可哀想だとも哀れだとも思わない。むしろ、腹立たしい。
「…じゃあ、大人とキスするのって、西川にとって普通なことなんや」
別に西川をいじめたいと思ったわけではない。込み上げてきた怒りとともに口に出してしまった。将也はあっと口を開ける。西川の顔が見れない。
「…見てたんや」
6限目と同じ。すんだ滑舌の良い声がした。違うのは声の落ち着き。なぜか落ち着きがあった。