今
「拓馬ちゃんから何か言ってや」
市子が風呂に入っているすきに、美波は兄の拓馬にすがった。
「何を?」
拓馬は片耳からイヤホンを外す。しかし、もう片方の耳にイヤホンはささったままだ。お願いの重要性を分かっていない。
「あんま勉強勉強言わんといてって、お母さんに拓馬ちゃんからいってや」
拓馬は、ははっと軽く笑う。耳は美波の方に向けられているが、目はさっきから点けられっぱなしのテレビに向けられていた。音楽を聞きたいのかテレビを見たいのかわからないし、美波の要求に笑ったのかテレビに笑ったのかもわからない。
「お母さんにも同じようなこと言われた。美波に塾行くように言ってって」
拓馬は美波の要求に笑っていた。器用な男だ。音楽を聴きながらテレビを見て、妹の相談に乗っている。学校でもよく悩みを相談されるらしい拓馬の一時期のあだ名が、聖徳太子だったことを思い出した。
「拓馬ちゃんはどっちの見方なん?」
「そんな子供みたいなこというなっ」
拓馬は美波の頭を小突いた。慰める時や励ます時の癖だ。
「……そうやな。もうすぐ高校生になるもんな」
「今は中学生やし。まだ高校生」
拓馬の言葉に耳を疑った。中2になってからは、もう高校生になるんだからと説教され続けている。3年も春の大会で負ければ引退。しっかりしろと先輩にはいつも言われる。特に尾崎には。
「高校生って大人に感じるけど、大学受験が来たら、あの時の若さを痛感するで」
さすが大学一年の拓馬。言うことに重みと説得力があった。他の大人たちより、すんなりと言葉を受け入れられた。兄だからだろうか。他の大人たちとは違うことを言っていて、新鮮に感じたからだろうか。
「今から将来のこと悩まんでもいいんちゃう?」
音楽とテレビを見ているせいか、真剣さが感じられない拓馬の答え。だが、なげやりな感じもない。
「でも、お母さんが…」
「親は子供に保証を求めるからねー。それが愛情かもしれへんけど…。子供には将来苦労してほしくないっていう……」
「今苦しかったら意味ないやん。うち、もう…何か……。家に帰るのが嫌になる時があるねん。今日も思ってた」
拓馬はイヤホンを外して、机の上に置いた。
「お父さんに相談してみ? お父さんは意外にいいで」
「お父さんに相談したことあんの?」
「お母さんは俺がパティシエになりたいって夢を理解してくれへんかったからな。…結局今も理解されてないけど。1人でも理解者がおったら気が楽やで。お父さんが嫌やったら、俺でもいいし」
「拓馬ちゃんは、お兄ちゃんやし…」
美波は、「相談はできない」という言葉を飲み込む。意を察した拓馬は、美波の頭を軽くたたき、「そっか」と呟いた。少しシスコン臭いが、美波は嫌ではなかった。
「何でお母さんとこんなに合わへんねやろ。お母さんやのに」
「まぁ、そういうこともあるやろ」
拓馬は後から、「友達には相談せーへんの?」と聞いてきた。
「……親は友達より信用できて、自分よりは信用できひん。先生とかは信用する以前の問題」
拓馬は美波の発言に何か言おうとしたが、脱衣所から物音がしたのを聞いて口をつぐんだ。本当に耳がいい。
「美波は、ホンマに自分がすきやなぁー」
「…悪い!?」




