怒り
「いっぱいの『い』を、『お』にして言ってみ」
「え~無理~。金子君いや~」
教室の中。机の最後列の後ろの空いたスペースに女子が1人と男子が2人。周りの目も気にせずにじゃれあっている。男子は2人とも別にかっこよくない。調子乗りのやつらが集まるグループに属している男子だ。女子も顔は普通。だが、男子の下ネタに笑顔でこたえられる女子だった。それが素か演技なのかはわからないが、女子には嫌われていた。
「うざ…。よくやるわ」
美波の隣で喜多山という男子が呟く。廊下から教室の中の様子をしかめながらも見ていた。
「でも、男子はああいう女子、好きやろ?」
美波もその様子を眺めながら言う。
「うざいって言ったやん。女子ってなんか無理」
「…うちも女子なんやけど……」
「じゃあ、いっぱいの『い』を『お』にしてみ」
「おっぱい」
「そういうところが楽だわ。橋本は。ちなみに、おっぱお、な」
「……」
美波は呆れて、喜多山のドヤ顔から目をそらす。廊下の奥に目をやる。玄関から東野が入ってくるのが見えた。今日も相変わらずの寝癖だなと、心の中で笑う。ちょっとからかってやろうかと思った。でも、口からでたのはとても普通の言葉だった。
「おはよ。将ちゃん」
「おぉーす」
東野は美波を見てから、後ろの喜多山を見た。首の後ろを掻く。
「おおはよう。将ちゃんっ」
口元を抑えながら喜多山が笑う。
「うぜぇ…」
東野は喜多山の肩に拳をいれると、教室の後ろのドアから入っていった。
「喜多山って、ああいう冗談も言えるんや?」
「あぁー…。人によって違うけど。このクラスなら、東野と橋本にしか素を見せてへんかも」
「何それ」
美波は再び廊下の奥に目をやる。西川が廊下を歩いてきた。スリッパの音が静かで、暗い廊下から姿を現す西川は少し不気味だった。
「おはよう」
美波は笑顔で手を振る。喜多山は完全にスルーだ。体制を変え、窓から外の景色を眺めだした。窓の外には桜の花が散った木が並んでいるだけで、とても殺風景だった。
「おはよう」
西川はくったくのない顔で答えた。にべもない返事だったが、不愉快さは感じられない。美波は西川の後ろ姿を目で追った。もしかしたら睨んでいたかもしれない。眉間に力が入っているのが分かる。
西川は東野の隣に座り、挨拶を交わしていた。東野は首の後ろを掻いている。表情を見なくても、美波は東野の顔が紅潮しているのが分かった。
何年幼馴染してると思ってんの。幼稚園を入学してからよ。親同士も仲良いんやから。将ちゃんの部屋が汚いのも知ってる。エロ本の隠し場所も知ってる。と心の中で繰り返す。目線を西川に定めたまま繰り返す。西川が美波に、何か嫌なことをしたわけではない。性格の悪い女子でも、人に対して態度を変える女子でもない。しかし、美波は行き場のない怒りを西川に向けることしかできなかった。
「…由香子ちゃんって、どう思う?」
隣の喜多山に尋ねる。女々しい行為だと思ったが、西川を否定してくれるような返答がほしかった。
「由香子ちゃん?」
「西川由香子」
「あぁ、西川さん。えっ? 橋本って仲良かったっけ?」
話の路線がそれたことに美波はいらつく。喜多山が開けた窓の隙間から風が入り、自分の髪をなでる。
「別に、何で」
まとわりつくくせっ毛を邪魔そうに手でよける。
「だって、由香子ちゃんとかって名前で呼んでるから」
「女子はみんな名前で呼び合ってる。中尾さんのこともみんな瞳ちゃんって、言ってるやん」
違う。今は中尾のことを話したいのではない。だいたい、自分は他の女子みたいにネチネチしたキャラではない。こんなことを言ってはダメだ。美波は必死で言葉を飲み込んでいく。
「変なの」
喜多山は不思議そうにしていた。
廊下に予冷が鳴る。
「で、どう思う?」
教室に入ろうとする喜多山に、美波は尋ねる。この質問だけは譲れなかった。
「…どうって、何も思ってへんけど。女子のくせにいっつも一人でおるんやなーって、思ったことはあるけど。ハブってわけやないんやろ?」
「何でうちに聞くん」
「いや、橋本ってクラスのリーダーっぽいやん」
「はっ…。やめてや。ボスみたいな言い方……」
「……何か怒っとる?」
「怒ってません」
「やっぱ、怒ってるやん」
「…喜多山には怒ってへん」
「そう? なら良いけど。……チョコいる?」
「……いただく」




