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〈想い、想われ〉物語集

昨日までの想いに、さよならを。

作者: 高戸優


 入院し始めて一日目。医者の診察を経て帰って来た僕の居場所に、一輪の花が置かれていた。


 赤い折り紙で折られた、小学生の時に誰もが作ったであろうチューリップだ。その裏側には、緑のストローがセロファンテープで張り付けられている。


 不可思議な置きみやげを見て、小首を傾げた。心当たりはあるっちゃあるが、僕自身が此処に居るとは伝えていないので内心で否定する。


 ――それ以前に、僕があそこから消えた事すら気にしていないだろうし。


 自嘲気味に想いながらベッドに近づき、それを拾い上げた。くるくると回し、じっくりと見つめる。綺麗に折られているとはお世辞でも言えないくらい、くしゃくしゃになったそれ。


 気になりはしたが、ベッドの脇に置いてある小さな棚の上に置いて、代わりにと横にある文庫本を手にとって読み始めた。





 入院し始めて二日目。昨日と同じ調子で帰って来たそこに、今度は二輪の花が置いてあった。


 紫色の折り紙で折られたアジサイ、鮮やかなピンク色の折り紙で折られた朝顔。


 アジサイの花は六つ程固まって、本物の様な形を取っていた。対照的に朝顔は一輪だけ、ご丁寧に緑色の折り紙で折った葉っぱまでくっつけられている。


 それらの花の裏側に、やはり緑色のストローがセロファンテープで張り付けてあった。


 ……アジサイも朝顔も、こんなにまっすぐな茎何てついてないのに。


 不格好かつ間違った知識のそれを、ため息を漏らしながら拾い上げる。昨日のチューリップの隣に置いた。






 入院し始めて三日目。隣のベッドで寝ているおじいさんは何を読んでるんだろうと考えながら検診から帰ると、やっぱりベッドに不思議な花が置いてあった。


 今日は桃色の薔薇。やはり後ろに緑色のストローが貼られている。


 花を拾い上げ、同じ所にそっと置く。ベッドに座りこみ、ぼんやりとそれらを眺めた。


 ……一体これは、何なんだろう。


 疑問に思いながら、せめて誰が届けているのか知りたいと思った。


 置いているのは透明人間でも幽霊でもない、実体のある人間のはずだ。隣のおじいさんは見ているのではと想い、顔を上げて問いかけようとする。


 白で構成された髪は短く刈り上げられており、皺が目立つ肌や顔でも勇ましさを感じさせる。狐の様な細い黒目が目立たない瞳、軽い顎鬚、浅黒い肌、血管や皺が浮かんだがっしりとした手。仕事は、筋力を使うものだったのだろうか。体格はかなりがっしりしている。


 病院着に身を包み、掛け布団を腹部までかけていた。大きな手とは不釣り合いの小さな文庫本があり、必死に読んでいる姿を見て口をつぐむ。


 ちらりと題名を盗み見した。……何と、僕の好きな小説家の小説じゃぁないか。


 その人の話、いいですよね。


 疑問をぶつける代わりに同意を求める言葉が口を突いてしまい、その後は内容談義が続いて行った。


 花の事など、話をしている間に頭からすり抜けてしまった。






 入院し始めて四日目。また同じ調子で帰って来た時に置いてあった花を、ベッドに座りこみながらくるくると回す。


 恐らくあやめであろう、オレンジ色の折り紙で折られたそれ。その裏にはやはり、緑色のストローが貼ってあった。


 思わずため息を漏らしてしまう。……本当に、正体不明のこれらは何なのだろう?


 そう想いながら、今まで届いた花々を手中に収めて眺めていると


「――おいさん」


 隣のベッドで本を読んでいた筈のおじいさんが顔を上げ、僕に問うてくる。突然の行動に目を丸くしながらも、笑顔を浮かべ


「なんでしょう?」


 外向きの声音で問いかける。おじいさんは文庫本をパタンと閉じると脇にどけ


「仕事は、何をしているかい?」


「一応、教師を」


「教師か。どの過程の?」


「小学校ですねー」


「そりゃまた大変そうな」


「えぇ……入院理由も、ストレスから来たものですしね」


 ……もっとも、そのストレスの原因は生徒の親や上司からくるものなのだが。


 その部分を伏せたからか、おじいさんはふむ、と顎に手を当てた。少しだけ浮かんでいる髭を人差し指と親指でなぞりながら


「そんな酷い生徒達だけではないんだべ?」


「生徒が酷い訳じゃあないですよ。周りの環境が少々精神的に来ただけです」


 言うと、おじいさんは妙に安堵した調子でそうか、と答えた。子ども好きなのかもしれない。そんな事を考えていると、おじいさんは急に身体を伸ばして自身が利用している棚に置いてあったものを取ると


「やる」


 ぐい、と押し付ける様に渡してきた。渡されたそれは意外と重くて、丈夫だった。驚きながらも、しげしげと眺める。金魚鉢を連想させる形状で、半透明状の花瓶だ。ひらひらとした上部に、細長い壺の様なフォルム。上部は淡い水色で、徐々に綺麗なグラデーションによって青く変わっていた。


 安そうな見た目だが、底を見ると僕でさえ知っている職人の名前がハンコの様に彫られている。驚いて、思わず裏返った声音のまま


「こっ、こんな高価そうなもの頂けませんよ!!」


 今度は僕からおじいさんに押しつけ返した。が、彼は丸太の様な腕を突き出して制し


「貰ってくれよ。俺が持ってた所で、どうにもならないっしょ」


 何処かの方弁が混じった声で言い、笑顔を零す。


「ほれ、丁度花もある。飾ってみないか?」


「は、はぁ……」


 恐る恐る、花瓶をベッドの脇に置いた。棚を占領していた花々を一輪ずつ摘まみ、脇に抱えて花瓶を設置する。ゆっくりと、慎重に花を一輪ずつ挿していく。


 薔薇、アジサイ、朝顔、チューリップ、そして今朝届いたあやめ。花が途中でつっかえてしまい底までストローは届かない。青い瓶の中、緑と青が融け合った混合色の茎が揺れた。


「……そういえば。この花、誰が届けているか御存じではないですか?」


 思い出して問いかける。するとおじいさんはさぁなぁ、と言って文庫本に手を掛けた。話は中断だと言わんばかりにそれを開きにかかる。


 瓶を見ている振りをしておじいさんの横顔を盗み見た。その口元が緩んでいる意味は、全く持って分からなかった。






 入院し始めて五日目。


「……うわぉう」


 最早日常と化した診断を受けた後に帰還すると、五つもの花がベッドに無造作に置かれている。


 赤いカーネーション、薄い桃色の桜が三つ、青い椿。


 全て緑色のストローが貼り付けられていて、やはりベッドに散乱していた。


 ゆっくりと拾い上げて、昨日なし崩し的に貰った花瓶に挿していく。と、そのタイミングを見計らったかのように、先ほどまで本を読んでいたおじいさんが顔を上げ


「学校の教師をしてて、どう思う?」


「……どうしたんですか? 藪から棒に」


「何となく、気になった。ほれ、読んでる本が教師モノだから」


 苦笑して聞き返した僕に、表紙を見せてくる。……成程、確かについ最近ドラマ化し教師モノの小説だ。


 そういうものも読むんだな、と純粋な感想を抱きつつ


「そうですねぇ……。親との関係性、上下関係は難しいですが基本的に楽しいですよ。僕は子どもが好きで、この仕事についた訳ですし。毎日子どもの笑顔に触れられるのは純粋に嬉しいものです」


 ベッドに腰掛けた。おじいさんに身体を向けながら、指先で掛け布団のシーツを弄び、少々愚痴っぽいものを零し始めてしまう。


 ――ごめんなさい、おじいさん。少しだけ、僕の愚痴に付き合って下さい。


 内心で謝り、口をゆっくりと動かし始めた。


「僕、今年初めて担任を持たせてもらったんです。まだ小さい、低学年で元気で活発な可愛い生徒達」


 生徒一人一人の顔を思い出しながら、苦笑を浮かべる。


「……元気すぎてたまに困りますけれどね。ほら、こんな調子でのんきに喋るものだから軽くなめられているようで。静かになって話を聞いてくれる、っていう場面がそんなにないんです」


 確か、賑やかしの安藤さんは僕が喋り始めて静かになった事は無いはずだ。


「遊んでいる時も容赦がないので床に何度倒された事か。鬼ごっこをやろう、と提案されていざやってみると、本気で逃げないとすぐに捕まるだとか」


 井口君は体格がいいから、体育館などでタックルをかまされると情けない事だがすぐに倒れてしまう。宇住さんは男子に負けないくらい足が早いから、彼女に狙われたら全速力で逃げなければならない。しかも僕だけ集中的に狙ってくるから大変だ。


「喧嘩するほど仲がいいのはいいですけれどね、喧嘩し過ぎも困ると言いますか」


 葛西君と菊池君は仲良しなものの、たまに取っ組み合いのけんかを始めるから大変だ。


 思い返せば止まらない愚痴を無理矢理封じ込め、苦笑でごまかす。


「ですが、皆可愛くていい子ですよ? 少々大変ですが、関わり甲斐があります」


 締めくくると、おじいさんはそうか、と言って一つ頷き


「良い生徒達を持ったな」


「ですねー。……まぁ、僕は完全になめられてると思いますが」


 苦笑交じりに同意し、本心を軽く口にする。


 だって、だって、そうにきまっているだろう?


 何時も頼り無い笑みを浮かべ、声も張らず生きている僕なんだ。


 だから、きっとなめられているのだろう。


 だから、きっと、きっと。


「――僕が入院していない数日間にだって、あの子達は気付いてないでしょうね」


 他の先生が僕がお休みです、と告げる。そしたら皆、きっとへー、で終わるんだ。一瞬誰かが心配してくれたとしても、休み時間が来たらすぐに僕の事なんて空の彼方へ飛ばしてしまう。


 苦笑混じりに言うと、おじいさんはそういう事はないだろうがなぁ、と呟いた。


 そういう事もあるんですよ、と返しながら花を見つめる。


 だから、きっとこのプレゼントが彼等からだ何て、ありえないんだ。






 それからと言うものの、僕が入院している間。診断が始まり終わる時刻の間に、必ず花々が置かれていた。


 ある時は一輪、ある時は二輪、ある時は三輪、多い時で一〇輪。


 色合いはまちまちで、オーソドックスな色もあればありえない色合いの花もある。


 もしかしたら僕が聞いた事がないだけで、最近の科学か何かで生まれてくる事が出来るのかもしれないけれど。とにかく、見たことのない色と花の組み合わせもあった。


 全部ストローが付いていて、不格好な形で折られていて。


 それを、流れ作業の様に花瓶に毎日毎日挿し続けていた。






 ようやく後少しで退院だ、という日。もうそろそろこの病院とも離れるんだな、と感慨深く帰って来た僕を迎え入れたのは、花ではなかった。


 笑顔を湛えた、優しげな女性。僕より一つ後輩に当たる、同じ学校に勤めている教師。


「……あれ、佐納先生?」


 漆黒の髪を団子に纏めており、サイドに頬までの長さの髪を下ろしている。綺麗に揃えられた前髪の下に覗く、くりっとした大きい黒目。


 小学校教師らしい、機能性と動きやすさを重視した格好の上から茶色いダッフルコートを羽織った佐納実沙は更に笑うと


「お久しぶりですねー」


 ひらひらー、と片手を振って来た。子犬を連想させる人懐っこい笑みを見ながら、流れで振り返し


「本当、入院中はご迷惑かけて申し訳ありませんでした……」


 深々とお辞儀をする。と、佐納先生は慌てた口調で


「いえいえ、迷惑だなんて思ってないです! むしろ小西先生のクラスの子達、可愛いので楽しかったですよ?」


「ならいいんですが……皆、佐納先生の言う事聞いてくれました?」


「はいっ、聞き訳がいい子達で凄いやりやすかったです!」


 ぱっと顔を明るくして、返答してくる。それを聞いて安堵すると同時に、何となく考えてしまった。


 何となく、想ってしまった。


 頼り無い足取りで、ベッドに向かって行く。ドスッと座り込むと、佐納先生が少々心配そうに見下げてくるのが分かった。


 明るく、はきはきして、優しいと評判の佐納先生。


 ――あぁ、きっとこの人の方が。


「……僕より、佐納先生の方がいいのかもしれませんねぇ」


 思った事が、いつの間にか空中に霧散されていた。自分でも驚きながらも、口は止まる事を知らない。


「もしかしたら、僕よりも、佐納先生の方があのクラスに向いてるのかもしれませんね」


 賑やかしの安藤さん。体格が良い井口君。ちょっぴりわがままな石野さん。足が早い宇住さん。仲良しだけど喧嘩を良くする葛西君と菊池君。ピアノが上手な小泉君。休み時間に本を読む事が多い小坂君。口数少ない佐藤さん。仲良し三人組の須藤さん、瀬戸君、相馬君。


「僕の言う事、余り聞きませんし、なめられてますし」


 教室を何時までも走り回る高埜君に照川さん。一番背が高い時宮君。大声で喋っている中川さんに西森さん。何かあるとすぐに涙目になってしまう新倉さん。僕がしている話を無理矢理脱線させる野口君。


「それ以前の問題として先生に向いてないのかも、ですねぇ」


 算数が苦手な牧原さん。クラスで一番背が低いけれどけんかっ早い本宮さん。リーダー格の矢口君。何時でもおしゃれで少々口の悪い横山さん。運動神経がいい和崎君。


「だって、きっと。僕が居なくたって――」


 



 ――あのクラスは、器用にうまく回ってる。





 言いきると、思わずため息が漏れた。言ってしまった、という想いがこみ上げる。


 どうしよう、どうしよう、言ってしまった。


 言ってから、どうしようもない後悔に襲われてぎゅっと両手の指を祈る様に絡めた。顔を上げる事は出来ない。


 目の前にあるベッドに寝ているはずのおじいさんを、横で僕が入院している間に頑張ってくれていた佐納先生を見る資格なんて、僕には無い。


 ある訳が、ないのだから。


 そう思っていると、眼前に誰かが座り込んだ気配があった。手を見つめ続けていた視界の中、色とりどりの折り紙の花々が一斉に咲き誇る。


 勢いよく現れたそれに驚いて思わずのけ反った。開けた視界に、花瓶ごとそれを持ち目の前に座りこんだ佐納先生の表情が映る。


 その顔は、怒りでもなく、苦笑でもなく、悲しみでもなく、泣き顔でもなく。


 ――喜色満面の笑顔だった。


 想像とは正反対の表情に驚いていると、佐納先生はくすくすと笑いながら


「そんな心配してたんですね、小西先生。それこそ、いらない心配ですよ」


 無責任にそんな事を言ってくる。思わずむっと来て、僕が悪い筈なのに言い返そうとしてしまった。が、それに気付いていない佐納先生は話し続ける。


「小西先生が暫く学校にこれないので、代わりに私がこのクラスにやって来ます。そう言った、初日の朝のホームルームにですね」


 ぽつりぽつりと、僕のクラスの状況を。


「プリントを取りに職員室へ向かったんですよ。そしたら、後ろから誰かが叫んで来ましてね。足を止めて振り返ったら、佐藤さんが息を切らして追いかけてきていたんです」


 そこまで聞いて、驚いてしまう。佐藤さんと言えば、口数が少なくて担任である僕も余り喋った事がない生徒だ。そんな彼女が、走って、叫んだ。


「で、大人しそうな子だったからびっくりしましてね。どうしたの、って聞いたら、何て言ったと思います?」


 一拍置き、すぅっと短く息を吸い込むと、花瓶に挿された一輪の桜を指し


「――『せんせい、小西せんせいは、いつくるんですか?』」


 にっと笑顔を作りだした。茫然として言葉を失った僕宛てに、佐納先生の報告はまだまだ続く。


「その時はすぐに来るよ、って返して職員室行って。教室戻ったら……そりゃぁビックリしましたよ。何時も元気な皆がどんより落ち込んでて……」


 花を順繰りに指していく。


「で、どうしたのーみんな元気がないぞーって一応聞くじゃないですか。そしたら皆口々に、『小西せんせいは、いつくるの?』って」


 青い椿を、アジサイを、赤い薔薇を。


「すぐ来るよ、って言ってもすぐっていつなのってなって。暫く授業にならなかったですよ、あれは」


 オレンジ色のあやめを、桜を、黄色いヒマワリを。


「で、授業終わっても皆しょんぼりしちゃって。お昼休みも、放課後も、皆全然遊ばないで帰っちゃって」


 紫色のあやめを、緑色のアジサイを、茶色の朝顔を。


「それから毎日、朝のホームルームに行くとですね、皆一斉に静かになってこっちを見るんですよ。で、私だと知るとあからさまにガッカリするんです」


 全ての花を指し終えると、最後に僕を指してくる。小首を傾げ、にっこりと笑うと




「で、『小西せんせいじゃない』って皆、がっかりするんですよ」




 折り紙の花に、目を注ぐ。


「何かできないかってなって、確か……須藤さんかな。須藤さんが折り紙をたくさん持ってきて、折り紙の本もたくさん抱えて、呼びかけたんですよ。『せんせいに、花を折ろう』って」


 ゆっくりと視界を閉じて、ゆっくりと開いた。


「そしたら、安藤さんが緑のストローを人数分買ってきて。花の後ろに貼って、飾れるようにしよう、ってなったんです」


 眼前に咲き誇る、折り紙の花の山。


「皆思い思いの折り紙を取って、花の中で折りたい物を折ろうってなりました。アジサイは折った子達のを繋げ合わせたんです」


 意味が分からないと突っぱねていた花の山。


「で、折るだけなのかなーって思ったんですね。けれど、皆、誰が言うでもなく」


 けれどそれは、今や。


「白い部分に、小西先生へのメッセージを書き始めたんですよ」




 ――とんでもなく大切な、宝物の山だ。




 震える手で、一輪の桜を取る。花を崩していいかどうかためらっていると、崩すべきですよ、と佐納先生の声が届く。


 恐る恐る、丁寧にセロファンをはがしてストローと花を分離した。複雑に折られたそれを元の正方形に解いていく。


 桃色の面の裏側、白い面に踊る黒い大きな字。


『はやくよくなってね』


 大きくて細かく震えている字。書きなれていない事が一目で分かる、ひらがなだけの文面。


 この字は、きっと横山さん。


 次いで、同じ要領で朝顔を開いた。開いた折り紙の中、やはり字が躍っている。


『せんせいがいないと、さびしいです』


 これは、きっと時宮君。


 青い椿。


『げんきになって、ピアノおしえてください』


 これは、内容的に小泉君。


 黄色いヒマワリ。


『はやくよくなって、かけっこしよーね』


 癖のある『よ』の字は、きっと宇住さん。


 赤い薔薇。


『みんなみーんな、せんせいのことだいすきだよ』


 これはきっと―――安藤さんで。


 そこで、思わず手が止まった。震える手の上、生徒達のメッセージが踊っている薔薇の花弁に。




 ――雨がぽろりと降り注ぐ。




 佐納先生の驚いた表情が視界の隅にあったが、それもすぐに歪んでしまう。


 もう無理だった。堪える事など叶わなかった。


 薔薇を濡らしたくなくて、脇にどけた。代わりにと顔を両手で覆って、必死に嗚咽を押さえつける。


 目から溢れだした涙はとめどなく零れ落ち、指の隙間から、または手首を伝って服の袖やズボンを濡らしていった。


 ――何で。


 嗚咽が手の隙間から零れ落ちた。


 ――何で、悲観していたんだろう。


 ぽろぽろと、涙はとどまる事を知らない。


 ――何で、気付けなかったんだろう。


 小西先生、という優しい声音が耳朶を打つ。


 ――あぁ、僕は本当に大馬鹿野郎だ。


 遠慮がちに背中に添えられた手が、温かい。


 ――こんなに近くに、毎日毎日居た場所に。






 ――悩んでいた事と正反対の答えが、待っていたというのに。





「きっ、づくのっ……」


 しゃくり上げながら、必死に言葉を紡ぐ。佐納先生はゆっくりと背中に当ててくれた手を動かしながらはい、と相槌を打ってくれた。


「……おそ、く。なっ、た……です、ねぇ……」


 最早日本語でさえ上手く言えない。それを聞いた佐納先生はにっこりと笑うと、遅くないですよと言ってくれた。


 気付けただけ上々ですよ、と言って笑ってくれた。






 佐納先生が帰った後、全部の花を開き中に書いてある文面を読んで更に泣いた。


 夕飯が喉を通らないくらい、声を殺して咽び泣く。


 ありがとう、ありがとう、と口の中で必死に発音しようとした。


 が、上手く言葉にはできないで終わる。代わりに漏れるのは小さな嗚咽だけ。


 そんな最中に投げかけられるおじいさんの言葉があった。


「それ、毎日毎日。子どもたちが通って置いて行ったんだべ。自分達が置いてった事はだまっとくれ、って皆口そろえて言ってな。驚かせたかったんじゃないのかの」


 聞いて、更に涙がこぼれた。拭いながら泣かせないでくださいよ、と必死に声を振り絞って抗議する。


 それを聞いたおじいさんは、豪快に笑いながら


「もうすでに泣いてたじゃないか」


 ごもっともな事を言い放った。






 あれから数日後。僕は久しぶりに黒いジャージに身を包んで、見慣れた廊下を歩いている。


 左手には出席簿、右手にはおじいさんから貰った花瓶とそこにいけた折り紙の花々。


 自分で購入した折り紙の本を開いて、元の花の形に戻した花々。


 そこに刻まれていた不格好なメッセージは、何度も何度も読み返して頭の中に叩きこんだ。


 忘れまいと意地になって、一語一句覚え込んだ。


 文面を思い出しながら歩き、はて、今日は何を皆と一緒にしていこうだなんて明るい未来を想像してみる。


 小泉君にピアノを教えようか。宇住さんが鬼ごっこに誘ってきたら、応じるのもいいかもしれない。いやその前に、佐藤さんに心配してくれてありがとうと言うべきだろう。


 終わる事のない明るい想像をしていたらいつの間にか教室にたどり着いていた。見慣れた白塗りのドア、中で起こっている甲高い声々。


 すぅっ、と小さく息を吸った。今までは少しだけ憂鬱だったこのドアの先も、想いが一新した今から幸福な地に見えて仕方がないだろう。


 舌ったらずな声、小さな体躯が待っている世界が、きっと宝物に見えて仕方がないだろう。


 ガラリ、とドアを思いっきりスライドさせる。その瞬間喧騒は止み、幾つもの大きく丸い目が僕を射抜いた。


 誰かの声であ、と発音される。次いで誰かが小西せんせい、と言ってくれた。


 それを合図に、口元に笑みを浮かべた。にっと快活に笑んで言う。






「――ただいま」





17歳初めての小説、久しぶりの想いシリーズ、どうだったでしょうか?


色々試行錯誤した結果の作品なので、満足はしていますが、自己満足で終わっている気もします……


それでも、楽しんでいただけたのであれば幸いです!


主人公の小西先生はいい先生になれると思いますねー、というかなれるといいなぁ……!


ここまで読んでいただきありがとうございました、またお会いできます事を!

高戸優でしたーっ!

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