結びの絆【終】
現実世界へと戻り、二週間が過ぎた頃――。
夏休みも終わり新学期を迎えた俺は、帰宅後すぐ自室にこもり、制服のままベッドの上に寝転んで鈴を見つめていた。
一階で母さんが夕飯の用意が出来たことを知らせてくる。
軽く返事をしつつも。
それでも俺はまだしばらくベッドの上で鈴を見つめていた。
急に。
チリリ、と。
静かだったはずの鈴が魔法にかかったように勝手に揺れて音を鳴らす。
その一度だけ。
振りは弱まっていき、そして止まる。
俺は少し間を置いて、答えるように鈴を振った。
すると鈴がもう一度チリリと鳴った。
そう、まるで嬉しそうに言葉を返してくるように。
頭の中でおっちゃんが声をかけてくる。
『遊んでいるところ悪いな』
遊んでねぇよ。
『巫女の所在がわかったから知らせておく。西のフェルマーレ帝国。彼女は無事だ。しかし……』
俺はそっけなく問い返す。
しかし、何?
『巫女は今までの記憶を全てなくしてしまっているようだ。綾原奈々のこともな』
そっか……。でも、元気なんだよな?
『あぁ。今は皇帝の養女として静かに暮らしている』
Xは? 巫女と一緒にいるのか?
『Xは行方不明だ。巫女をそこに置いてな。まぁあの帝国なら情勢も安定しているし、黒騎士や魔物に襲われる心配がないから大丈夫だろう』
わかった。ありがとう、おっちゃん。
『それよりお前、暇そうだな』
暇じゃねぇよ。これから夕飯だから。
『夕飯か。それならそんなに時間はかからないはずだな。今夜十時だ。十時にお前をこっちの世界へ飛ばす』
もう行かねぇよ。あれからどんだけ俺がこっちの世界で苦労したと思ってんだ。捜索願い出されていたんだぞ。警察に事情を説明しなければならなかったし、父さんも母さんも心配してくるし、学校では夏休みの神隠しだとか言われてUMA扱いされるしで大変だったんだからな。
『俺のせいだっていうのか?』
自業自得だってのはわかっている。だからもう行かないっつってんだよ。それに夏休み明けのテストが散々だったせいで、出された宿題が終わらないんだ。
おっちゃんは鼻で笑った。
『冗談だ。しばらくは誘わねぇよ。しばらくは、な』
その言葉を最後に、おっちゃんは俺との交信を切った。
しばらくは、か……。
内心でため息まじりに呟いて、俺は鈴を見つめた。
揺れる鈴から視線を、手首に巻かれたミサンガへと移す。
あの時のことを、思い出すかのように。
※
「綾原が転校するんだってよ」
「マジか?」
「どこに?」
「アメリカらしいぜ」
「うへぇ。さすが綾原だな」
あれは新学期が始まって、すぐのことだった。
その日はいつになく真面目な顔をして重く話を切り出す担任の言葉。
いつもと違うホームルームにクラス中がざわめいた。
本当に突然だった。
綾原は父親の赴任先であるアメリカへ留学する為、転校の挨拶をしてきたのだ。
何も知らなかった俺はただ呆然と綾原を見つめることしかできず……。
――そして次の日。
朝早くにかかってきた一本の電話。
休日だったせいもあって寝ぼけていた俺は、めんどくさい声で電話に出る。
はい、もしもし。
「やっほー、K。あたしだよん」
俺はため息を吐いて言った。
またお前か、結衣。
「ねぇK。ちょっとあたしに付き合ってよ」
なんでだよ。
「いいから早く。今すぐ家から出てきて」
ちょうど玄関先でチャイムが鳴る。
俺は再度ため息を吐いた。
来客、か。
なんでこんな朝早くから立て続けに面倒な──
「あ。鳴らしているの、あたしだから」
って、お前かよッ! いったい何しに来たんだ、こんな朝っぱらから!
受話器先で怒鳴る俺を、結衣は軽く受け流してくる。
「いいから出てきて。早く早く早く早くー!」
高速連打でチャイムが鳴り響く。
うるせーよ!
「だったらすぐに出てきて!」
わかったからチャイム鳴らすな!
そして五分後――。
俺は玄関のドアを開けて結衣を迎えた。
で? 何の用だ?
「はい、これ」
結衣から渡された一本のミサンガ。
ん? これ……
俺は自分の手首に巻かれた同じ色のミサンガを見つめた。
いやこれ、俺もらったんだけど。
「Kにはもうあげたでしょ。それは奈々ちゃんに。いきなりアメリカ行くって言うんだもん。今まで渡し損ねちゃってたのよね。
奈々ちゃん今日出発するって、さっき電話があったの。まだ家にいるんだって。走れば間に合うから、あんたがちょっと行って渡してきて」
なんで俺が──
急に結衣が真剣な顔で言ってくる。
「本当にこのままでいいの? 奈々ちゃん、本当にアメリカに行っちゃうんだよ? 奈々ちゃんのコードネームはもう無いから、向こうの世界では二度と会えないんだからね。わかっているの?」
……。
俺は何も言い返せことができずに口を閉じた。
「もう! いいから早く行って! 間に合わなくなるでしょ!」
結衣から背中を押されるようにして。
気付けば俺はミサンガを手に、綾原の家に向かって無言で駆け出していた。
綾原のマンションの前で。
タクシーに乗ろうとしていた綾原を見つけて、思わず俺は彼女の名を叫んでいた。
綾原が呆然と俺を見る。
俺は駆け寄り、息きれぎれになりながらも綾原の手を掴み、そしてその手にミサンガを握らせた。
頼まれたとかそんな話の前提も一切無しに、俺は綾原に告げる。
絶対帰って来いよ、日本に。アメリカなんて俺、助けに行かないからな。
すると綾原は泣きそうになりながらも静かに微笑んだ。受け取ったミサンガをそっと胸に抱いて、
「ありがとう」
綾原は告げる。
「三回もあなたに助けてもらったから。今度はちゃんと強くなって自分の足でここに戻ってくるね」
三回……?
たしか俺が綾原を助けたのは二回だったはず。
その問いかけには答えず、綾原は無言のままタクシーに乗り込み、そして行ってしまった。
遠く、アメリカへと向けて。
その後――。
俺は初めて綾原のコードネームを結衣に聞いて知った。
【あの時助けてくれたお礼。これで返せたかな?】
校門前で綾原に言われたあの言葉。
もしかしたら綾原は小学校の頃の礼ではなく、向こうの世界で助けた礼を俺に言っていたのかもしれない。




