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少し黙っててくれないか?【37】


「Kがいつの間にか結婚しているデシ」


 してねぇよ。


 さきほどまで幌の中で寝ていたはずのデシデシが、いきなり俺とイナさんの間に割って入り、そして俺を見つめて驚愕な顔で言ってきた。

 ゴトゴトと揺れる馬車内。

 馬車はマイペースに次なる町──【アネル】へと向けて走っていた。


 俺の隣で手綱を握っていたイナさんが噴き出すように笑う。


「あたいがそんなに若く見えるってのかい?」


 その言葉に俺の方が愕然とした。

 え? イナさんって歳いくつ?


「女に歳を言わせるんじゃないよ」


 ごめんなさい。


「冗談。少なくともあんたの母ちゃんと同じ歳ではないってことは確か。それ以上は言わない」


 え? じゃぁもしかして、にじゅう……はち?


 俺の言葉にイナさんが拳を掲げる。

「殴るよ?」


 すみませんでした。もう言いません。


 俺はすぐにその場で土下座した。

 その横からデシデシが同情めいた眼差しで言ってくる。

「Kはこういう気の強い女がタイプだったんデシか? 意外とご指導を受けたいマゾ気質だったんデシか?」


 お前はさっきから何を寝ぼけているんだ?


「たしかにボクも彼女の胸の中でゴロニャンと甘えてみたいデシ。頭なでなでされて、よしよし良い子と誉めてくれるそんな母性的魅力のオーラをびんびんに感じるデシ。でもボクは──ボクはそんな煩悩には騙されないデシ!」


「ケイ。この猫少し黙らせろ」


 同感。


 俺は幌馬車の中にあった一冊の本をデシデシの口に思いっきり突っ込んで黙らせた。

 そして何事なく俺はイナさんとの会話を再開する。


 なぁイナさん。俺に見せたい面白いものってなんだ?


「ちょっと荷台うしろに行って、そこに置いてある本をいくつか見てみな」


 そういや【アタン】の町でも何冊も本を集めていたよな。こんなに買い込んでどうする気だ?


「まぁいいから見てみなって」


 そう言われて俺は、御者台から荷台へと移動してその場に座り込んだ。何冊か置いてある本の一冊を手に取り、パラパラとめくってみる。


 ……。


 何と書かれているのか、異世界人の俺にはさっぱり読めなかった。


「わかったかい?」


 わかりませんでした、なんて言えない。


 俺の肩にいたモップが気難しい唸り声をあげながら裸手を組む。

 同時におっちゃんが頭の中で言ってくる。

『やられちまった感がハンパないな』


 どうした? 急に。


 もう一つの肩でも小猿が同じく腕を組んで気難しく唸る。


「こりゃ一本とられたな。利用するつもりが逆に相手もこちらを利用する気でおるようじゃ」


 え? え?


『密輸入の記録書だ。なんとまぁ面倒で厄介なことに巻き込んでくれたもんだ』


 ……え? 密輸……って、えェーッ!!


 俺は思わず本をパラパラと二度見してしまった。


 いったいいつ!? どこでそんな秘密裏な本を!?


『すぐにあの町を移動したのはその為だったのか。日付も持ち主の名も全てバラバラだ』


 こんなもので何がわかるっていうんだ?


『おっと待て。そのページで止めろ』


 え? ここか?


『そう、そこだ』

「む? これは……」


 な、なんだよ。


 おっちゃんとディーマンには何か気付くものがあったらしい。

 身を乗り出すようにしてそのページに食い入っている。


「こんな大量の生物を一体何に?」

『購入者はセディスと書かれてある。何に使ったのか、あのことを考えれば容易に想像できるな』


 もしかして俺たちがセディスの地下で見つけたあの卵の……。


 イナさんが俺に声をかけてくる。


「気付いたかい? セディスって奴があちこちから大量に生物を買い込んでいる。それが何の目的で使われているのか、どこかの国が調べればすぐに判明するはずさ。もしかしたらそれが黒騎士に対抗できる手がかりなのかもしれない。

 ──あたいと手を組まないかい? ケイ。あたい一人が奴らに捕まったらその本はもう二度と陽を見ることはなくなる。けど、あたいとケイ。……いや、どちらじゃなくてもいい、一人でも多くの人間がこの本を持ち出して世界中に広めてそれを調べてさえしてくれれば、世界中の誰もがもう闇に怯えなくて済むようになるんだ」


 イナさんの正義感がすごく俺の胸を突いた。


『まぁなんつーか。涙が出るような話だが、裏を返せばお前が犠牲になる可能性もあるわけだ』


 そうかもしれない。けど、イナさんは


『お前の場合は本だけで済む問題じゃないはずだろ。クトゥルクの力がバレてみろ。この世を混沌の闇へと落とす気か? セディスがクトゥルクの力を手に入れたらそれこそ世界の終わり──』


 ……。

 俺は無言で肩にいたモップを掴むと、それをピッチャーのようにして振りかぶり、そして勢いよく正面に向かって投げつけた。


 投げられたモップは馬車を抜けて木々を駆け、そして。


 パカーンと木造バットでボールを打った時のような爽快な音を立てて、遠く向こうで何かが砕けた音がした。


 その瞬間、俺は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。



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