エスピオナージ【34】
俺は結局、彼女の馬車に乗せてもらうことにした。
聞きたいことは言えていない。
馬車がマイペースに走り出す。
追う者がいないからだ。
俺と彼女の間に会話はなかった。
彼女の隣に腰を下ろしたまま、まだ何も聞けずにいる。
しばらくすると、彼女の方から話を振ってきた。
「なんであたいが声をかけてきたか、不思議でたまらないんだろ?」
……え?
呆然と問い返す俺。
まるで心の中を見透かされたようで図星になる。
彼女は被っていたフードをかき上げる仕草で首元に落とした。
短くカットした朱色の髪。少し褐色めいた肌と彼女の目はとてもきれいな金色だった。耳につけた銀色の輪のピアスがすごく印象的だ。
彼女が俺の目を真っ直ぐに見つめて言ってくる。
「答えは簡単さ。あんたもあたいも同じ、この国で素性を隠した異国人だから。いざ街に予想外の事態が発生すると必ず街の外へと避難したがるのが異国人。神殿に逃げこむのが本物の現地人ってこと。だから声をかけたのさ」
あーなるほど。
俺はようやくそこで納得した。
この人も俺と同じ異国人だったってわけか。
いや、だがなぜにこの人、あんな街にわざわざ素性を隠して──
おっちゃんが俺の頭の中で言ってくる。
『エスピオナージってとこか』
えすぴ……? なんだって?
『死を覚悟でこの国に入りたがる異国人は知れたものだ。おそらくどこかの王命で情報の探りを入れている諜報機関の人間だろう』
なんかカッコイイな、それ。女性諜報員か。
『ちなみにお前の敵でもある』
え? なんでだよ。
『黒騎士という大きな支配がある中で、その支配を覆す絶対的要素を今、世界中の王たちが探している。その可能性がもっとも高いのがこの国だと云われている。この国に居るエスピオナージはおそらく彼女一人ではないはずだ。そのせいか、どうやら彼女もお前のことを同じどこかのエスピオナージと思っているようだ。こちらの素性が知られれば厄介な敵になるが、知らぬ間は強力な味方になる』
彼女を利用しろっていうのか?
『利用しろとは言ってない。ただ素性を聞かれない間だけ彼女と一緒に居ろと言っているんだ』
……なんか嫌だな、それ。まるで利用しているみたいじゃないか。
俺は負い目を感じるようにして彼女へと目を向けた。
彼女がクスと笑って、俺に手を差し出してくる。
「あたいはイナ。あんた名前は?」
『相手もおそらく偽名だ。偽れよ』
わかっている。けど……。
俺の目にはどうしても彼女が嘘を言っているように見えない。
散々迷ったあげく、今思いついた名を口にすることにした。
……ケイ。
そうだよ。俺の名前なんてこの世界に来た時からずっと偽り続けてきたじゃないか。俺が元の世界で呼ばれている本当の名はKじゃない。
俺は彼女と握手を交わした。
「なんかお互い似たような名だね。短い道中かもしれないけどよろしく、ケイ」




