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白夜  作者: Maverick
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かなり文章が固いです…(汗)しかも、ちとやさぐれてた時に書いたものなので攻撃的(爆)

彼は父が次第に横暴な支配者になっていくのを見ていた。

白妙の大地に低く身を屈めていると、その傍を父の大柄な躯が通り過ぎていく。すると、頭が高いと言わんばかりに父の顎が彼を打った。さらに低く彼は自身を卑しめる。はいつくばる彼を鋭く一瞥し、父は鼻を鳴らしながら立ち去った。

父の剛健な顎は引き締まり、力に溢れている。獲物の喉輪の、最も弱く柔らかい箇所を一撃で噛み砕くにかけてはあの顎以上の適役はない。同時に仲間を粛清するのにも威力を発揮するから、仲間はいたたまれない。大顎の攻撃をくらえば大抵は反抗する気も失せて大人しくなる。

彼も例外ではなかった。とりたてて勇気あって、普段父に抑え込まれている凶暴な若気があるわけでもなかったけれど。


腹ばいになるとぐんと刺すような冷気が染み込み、打ち据えられたその身は重かった。毛皮を伝って髄へと及ぶ寒さが痛い。

痛みといえば、万力のような大顎に付随する選り抜かれた白牙も恐ろしい。牙は力あるものの象徴である。その一本一本がさながら銀影の剣に似て、全ての生物を貫くように備わっていた。

よく出来た被造物だと思う。彼のそれは奥に潜んだまま、父の刀剣のような牙の前に竦みあがっている。彼の正当な存在意義を主張できる場は彼より力弱いものたちとの肉の争いのみで、確かに命を巡る華々しくも酷薄な戦場であるが、父の牙はそれ以上の意味を持って彼と彼の仲間たちの頭上に君臨しているらしい。

重々しく輝く鈍色の体毛に映えて、牙は血の臭跡を濃くする。父の牙は血のためにある。力あるものの掟として、父は来るべき厳冬とその宿命に立ち向かう責務があるのだ。牙に負かされるか、牙自らの重みを背負うか、どちらが楽なのかなど量る術もない。


淡い月の照らす下、白雪はなお蒼蒼と醒めて細かな氷片を煙らせる。風に舞い風に巻かれる凍てつく冷厳な地が果てまで広がっている。

生きとし生けるものは血脈のように狂う熱をしばし忘れる。踊るような歓喜や歌うような安堵は風が遠くへと運び去ってしまった。残された唯一の温もりを己の深淵にしまい込み、今日を生きる。少しでも己の外へ秘められたものを出してはいけない。風が瞬く間に奪ってしまうだろうから、大切なものは隠しておかねばならぬ。今と未来を繋ぎとめておくために、彼らは耐えることを選んだ。

彼は十一頭の毛むくじゃらな仲間たちの内の一頭で、それもだいぶ下っ端だった。彼は灰白色と黒の斑模様を成した毛皮を纏った狼で、幼獣たちの痒くてたまらぬ牙の実験台に置かれた上、涎と甘噛みとは呼べぬ戯れとに事ある毎にさらされた。

順位の低い者は仔狼どものお守りもしなければならない。授乳と躾は母狼の重要な役割だが、仔狼の歯が生え揃ってくる頃には獲物を与える行為は自然と低位者へと引き継がれる。仔狼の胃袋は無限大だから、群れ全体で子育てを行わねば間に合わないのだ。苦心して狩った獲物の分け前や、野兎や山鳥の小さな肉片にありつこうとして横から仔狼に掠め取られても文句は言えない。逆に仔狼の分け前をくすねようとすると激しい唸り声でもって親狼の叱責に遭った。

親狼は彼の親でもあったのに、彼が長ずるにつれて慈しむ面差しは消えていった。それは冬の粛とした佇まいそのものであった。低位者の習いとして、彼の持ち物は仔狼のものと成り変わり、彼の自由は親狼に捧げられた。それが嫌なら群れから抜ければいい。親狼の感情のこもらぬ青ばんだ薄闇色の瞳は暗に告げており、彼や彼と同等の者たちは日夜その意を読み取りながら従った。何よりも生きることが先決だった。

母はそれでもいくらかは寛容であり続けた。彼を産んで、切れぬ絆で結ばれている。叱りつけた後も軽くたしなめるようにまだ傍にいて、つついたり舐めてくれさえした。元来、母は気は優しい方だった。それでも勢力争いを勝ち抜くために非情にもなった。彼女は地位を得て父の愛を受けるに相応しい、群れで最も強い雌として今に至る。


彼は前の冬に生まれた若狼三頭の中間で、今年は四頭が新たに加わった。脈々と受け継がれる父母の血は、しかし彼にはやや薄いとみえて、出来損ないというわけではなかったが特別優れたところもなかった。気性はすぐ下の妹の方が、というより彼女が最も激しく、狡猾で小心な兄は自分の有利に事が進められるように計るに、仔狼の頃から遺憾なくその本領を発揮していた。

個性はそのものの生きる武器にも、また厄介な枷にもなる。四頭の弟妹たちがすでに各々の才分を顕しはじめている手前、彼は手を焼かされながらも注意深く彼らの様子を見守った。よく顔を見る奴だと言われていた。彼が仲間の顔をじつと見つめる時、黄褐色の瞳は丸みを帯びて微細な光彩が散り、面長な鼻づらにおいて目の占める割合が常より多いように思えた。

どちらかというと扁平で目の間隔が離れ気味の顔は、それだけでもぼんやりと遠くを見ているようである。飽きもせず相手の顔を眺めてばかりいるので、気の短い妹はすぐに切れて歯を鳴らし、ずる賢く陰気な兄はこそこそと目を逸らしつつ彼がどういった料簡でどんな算段があるのかをしきりと巡らせていた。

彼は何も考えていなかった。問われれば首を傾げるばかりである。そしてそんな態度は父を苛立たせた。私の目を超えるつもりなのかと捲れあがった上唇の間から不機嫌な息を漏らした。

彼は何も思っていなかった。ただ風に溶けて変容していく景色を傍観するのと同じで、蠢き集う群れを、忙しなく動き回る仲間たちを見ていたに過ぎない。その一つ一つの描写は驚くほど鮮明で、刻まれていく仲間たちの躍動を、心の臓の鼓動を聞くように間近に感じ且つ俯瞰もしていた。

つまりは相手をよく観察することにかけて彼を上回るものはいなかったのである。




冬の降雪が次第に惨を極め出した頃、父は今一度大きな狩りを行うと告げた。吹雪によって全てが閉ざされる前に、少しでも多くの肉を獲る必要があった。

白い闇が幾日も続くことになるこの極北の地は、生き残れると考えるはまず困難で、死から生を拾い集めていくと捉える方が正しい。白が息づく世界はまるで悪魔の見る夢のようで、そんな世界の底を点のような命がかつかつと進む。生に向かってか、死に向かってか。

周囲を睨みすえる父の姿は冬毛に厚く覆われ、怒りのために膨れ上がっていた。その横で母もまた厳しい眼差しを向けている。群れは仔狼たちを抱えている。小型獣の肉片などではとても群れの生命を維持していくことはできない。

耳を低く垂れた褐色の狼がこのリーダー夫妻の脇にいる。尾を引きずるような姿勢でおずおずと父を仰ぎ見る。が、父は容赦なくその恭順を拒否し、突き飛ばされた狼は不様に腹を出したまま転がった。仔狼たちは依然腹をすかせたままなのである。

倒れた彼に父はゆっくりと跨ると、唸りにまかせて噛みついた。鼻面に牙を突きたてられた彼は泣き叫び、許しを請い続ける。悲鳴と激しく吐き出される呼気とが空気に混じり、震えるような響きを周囲のものたちに与える。鋼に近い牙と顎の力からは容易には逃げられない。

裂けた鼻の皮を見届けるとようやく父は戒めを解き、すすり泣きを平然と背に受け流す。牙には血が付いていた。

鬼気迫る命の駆け引きはすでに始まっている。

筋肉が固く盛り上がった肩を前へ大きく出し、軽く跳ねるように進んでいく。遅くもなく早くもなく氷の大地を確実に踏みしめるよどみのない歩みで、後ろの五頭を率いる。制裁を受けた狼は仔狼たちの許に居残ることになった。それは一種の不名誉を意味した。腹をすかせてもまだ自力で狩れない仔狼たちと一緒に、仲間らが持ってくるのを待たなくてはならない。

父のやや後ろでは、母が夕陽色の毛をなびかせている。二頭は時々鳴き交わし、また後続の狼たちにも合図を送る。足場の悪い所で間隔が空いたりすると、はぐれないように注意する必要があった。そして狩る対象に近づいていくと、短く吼えて知らせると共に闘争本能を再び奮い立たせた。


獲物が視界に混ざり出すかなり前から、狼たちは風下を追い始めていた。そしてわざと迂回するように大きく距離を取りながら近寄った。小高い丘から獲物を見下ろせる絶好の位置に着いた時、狼たちの目はこれ以上なく光った。狩りの成功を予感させる何かを感じ取ったのである。

追跡すること五時間ほど、休みなく進み続けた彼らは飢えと興奮の境からでもカリブーたちの中に幼獣と老いた個体の姿を、たとい一塊に群れていたにしろ瞬時に見抜いたところは、風景を切り取る写真のようで迷いはなかった。気づかれないようしばらくの間は遠巻きに円を描き、群れの脆い所を探る。移動しながら徐々に分かれていく。襲撃して群れをかく乱させる役と追い詰める役、そして狙いを過たず確実に仕留める役とに分担が決まっていく。各々成すべきことを確認しつつ、狼たちは距離を詰めていった。何頭かは途中で立ち止まり、事が始まるのを待っている。

一頭のカリブーが鼻面を高々と上げた。首を何度も巡らせ、黒々とした瞳が大きく見張られたのが合図だったかのように、群れはざわめき始め、右往左往し出した。それでも一つに固まっていたのだが、それを崩すべく赤金(あかがね)色の小柄な体が転がるように突っ込んでくる。泡を飛ばして吼えまくり牙をがちがちと噛み合わせて走る彼女は、目の前の誘惑にすぐ血が上って自分の役割を忘れてしまうことが多々あった。顎を興奮に震わせて手当たり次第に襲い掛かろうとするその気性の荒さは諭されても直りがたく、むしろ欲求のままに走りまわって獲物を四散させるこの役がはまっていることは何よりも今が証明している。

狂喜に目を輝かせ獲物の首を狙う勢いのまま、おかげでカリブーたちは完全に混乱し、恐怖に浮き足立った。だが幼獣は母の傍らにいる。老体のカリブーはまだまだ健脚とみえて、逃げまどう群れからはそう遅れを取っていないようだ。

綺麗なアーモンドの形の瞳が素早くその様子を一瞥した瞬間、それまでの無目的に似せた動きは不意に直角に折れ曲がったりカリブーの前面に廻り込んだりといった明確な意図を帯び始め、そのときにはすでに第二陣が出撃している。狼たちの目はただ一点を憑かれたように見すえ出し、片時も逸らされることはない。カリブーの蹄や角に押し潰されそうになっても瞬きすることはない。

カリブーたちが突然火花となって散り散りとなった。今まで連なっていた黒々とした尻がぱっと離れていき、見通しが利いた先に母と子が逃げている。横合いから狼が一頭割り込みとうとう母親も引き離された。くぐもった声を上げて雪を巻きながら、だが瞬く間に追い立てられて母は子の許へ戻れない。子にはすでに三頭の狼がぴたりと寄り添い、足が鈍るのを待ち構えている。もう一度母親は鳴いたが、吼えられ脅されそして安全な群れの中に飛び込んでいった。カリブーの一頭が逃走しながらも前へ出ようとしたが、すぐに狼が唸りを込めて襲いかかる。元より狙っているわけではない。今や群れは再び一塊となって、狼たちに監視されたまま遠くへと駆け去っていく。

とり残されたカリブーの仔は哀切の叫びを上げるでもなく、足がある限り地を蹴り続ける。雪と氷に覆われた大地だ、氷片は細かく砕け散って蹄に踏み潰される前に束の間の夢を結ぶ。冬の色に染まった毛皮に纏いつき、その瞬間壮絶な雄叫びが聞こえた。すぐ後ろを影のように張り付いていた狼が前足を仔の尻にかけつつある。やや体勢を崩しかけたところを、脇から凶暴な大顎が煮えたぎる赤い舌を見せたままやってきた。巨大な体躯の父とカリブーの仔は勢いよくもんどり打ち、もがく前からすでに仔の首に輝く牙が埋め込まれている。大顎は貫くだけでは飽き足らず、か細い骨をもへし折ってしまっていた。


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