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1品目 無自覚霊感男と陽だまり兄妹

 電灯の少ない道を1人の青年が歩いていた。道の先は心許ない電灯の光とほのかな月明かりが照らしている。

 青年——皇(すめらぎ)零士(れいじ)は、背後をチラチラと確認する。


 ——ついてきてる。


 ◇


 昨日、バイト先の帰りに路地裏にいた水浸しの怪しげな女性が気になりつい声をかけてしまった。目が合った瞬間にニタァと笑った女性を見て、イカれたやつだとすぐに気付いた。

 しかし、声をかけた手前、逃げるのは零士のプライドが許さない。手先が冷たくなっているのを感じながらも零士は女性をまっすぐに見た。


 どうするか考えている零士の肩にポンッと誰かが手を置いた。飛び跳ねそうになるのを堪えて、背後を振り返る。

 バクバクと心臓が今にも飛び出しそうなほど騒ぎ立てる。


 背後にはスーツ姿の男性がいた。柔和な笑みを浮かべ、どこか花の甘い香りを漂わせた青年は女性と零士を交互に見た。

 観察されている様子に、零士は腕にプツプツと鳥肌が立つのを感じた。


『これは、これは胆力のある人ですね。彼女は僕が面倒を見ますよ?』


 男性はそう微笑むと自分が濡れることも厭わずに女性へと肩を貸す。


『貴女も駄目だよ? 引き返せなくなってしまう。僕達は最低限のルールを守って初めて存在を許されるのだから。……君もありがとね、でもいつかその優しさが仇になるかもしれないから気をつけて』


 男性は零士に忠告するように伝えると女性を連れて暗い路地裏へと消えていった。

 振り返った女性のギョロッと獲物を見つけたような瞳に背筋を凍らせながらも2人の姿が見えなくなるまで見送った。


 ◇


 そして今日、昨日と同じ時間にバイトが終わり零士はバイト仲間と別れて家路についていた。

 バイト先の居酒屋で賄いは出ていたが、まだ少し空腹を訴える体のために、コンビニで弁当を買う。


 運良く半額シールの貼られた弁当を手に入れた零士は鼻歌を奏でたい気分だった。

 弁当の入ったエコバッグ片手にコンビニから出る。生温かい風が零士を迎え入れた。

 すでに、日付は変わっている。空を見上げると月と星が夜空に輝いていた。酒も買えば良かったなと零士は少しだけ後悔する。


 コンビニを離れ、しばらく歩くと閑散とした道へと変わる。零士の足音と息遣いだけがアスファルトに反射していた。後もう少しで自宅のあるアパートに着くなと思ったその時、周りに零士しかいないはずの空間に音が響いた。


 ピチャッ、ピチャッ。


 そんな水が地面に滴り落ちるような音に、零士は身体が無意識に震えることに気付く。

 ホラー映画は嫌いではない。それでも夜道の怪音は怖いだろうと近くにあるミラーを覗き見る。


「——っ」


 ミラーには昨日声をかけた女性が映っていた。昨日と同じように水浸しの格好をした女性は零士につかず離れずでついてくる。

 このまま家に帰るのは不味いと零士は路地を曲がる。

 ただ、声をかけただけなのにストーカーになったのか? しかも自分が誰か分かるようにわざわざ水まで被って、重い女だなと内心で悪態をつく。


 零士は自分の容姿がそこそこ優れている自覚はあった。顔目当ての女性もよく寄ってはくるが、いつも「零士はおかしい!」と言われ、離れられる。

 離れない女性はみんな、どこかおかしい。また変な女に目をつけられたかと頭を掻く。


(せっかくいい気分だったのに台無しだ。とっとと撒いて、家に帰る。明日は1限から講義があんだよ)


 路地を適当に歩き回りながら女性が諦めるのを待つが、一向に諦める素振りを見せない。バイト終わりということもあり、零士の体力の方が尽きそうだ。


「あっれ? レイくん、こんなところでどしたの?」

「げっ、神守(かもり)」


 同じ大学の同級生である神守(かもり)萌(もえ)が「おーい」と前方から手を振っている。

 

 前方の萌に後方の女性。


 どっちもめんどくさいなと零士は思わず息を吐く。


「人の顔見てため息は酷いよ、レイくん。それよりこんな時間にどうしたの?」

「……はぁ、変な女に追いかけられてるんだよ」

「えっ? 何ストーカー? レイくんモテモテだぁ」


 小走りで近付いてきた萌はニコニコと零士の隣に立つ。お日様のような匂いに少しだけ安心しかけた零士はすぐにその考えを捨てる。


「んー? でもどこにいるのその変な女」

「は? 少し離れた背後にいるだろ」

「えっ、レイくんの背後……ん? んー?」


 萌は額に手を当てて零士の背後をジーと見ながら首を傾げている。

 

「おい、バッカ、そんなに見るな! お前まで目をつけられるだろっ」

「えっ、レイくん優しい。心配してくれるの? 私、目が悪いみたいでその女の人見えないんだけど、レイくんがいるって言ってるんだから、いるんだよね! 逃げよう逃げよう」


 笑顔で萌はエコバッグを持っていない零士の左手を握ると走り出した。


「とりあえず、ウチにでも行きましょー!」

「いや、待って! ……くそっ、相変わらず人の話を聞かないな!」


 そのまま、有無を言わさずに零士は萌の家まで強制的に走ることになった。

 住宅街にある1つの家の前に到着すると萌は立ち止まった。


「ジャジャーン、ここが我が家でございます!」

「あっ、そう。俺は帰るから手を離せ」


 笑顔の萌に零士は頭が痛くなる。大学生にもなって同級生の異性を実家に連れてくるなんて何を考えているんだと頭を抱えながら、来た道を確認する。

 ゆっくりと歩きながら水浸しの女はついてきていた。


(マジかよ……)


 別の意味でも零士は頭を抱えたくなる。


「——なに? 変な気配すると思ったら、何連れてきてるの、キミたち」


 不意に男性の声が聞こえた。顔を上げるとそこには萌とそっくりな顔をした男性が立っていた。

 萌は男を見ると零士の手を握っている方の手を腕にあげた。


「うおっ」


 引っ張られるように零士の腕も上にあがる。


「レイくんが変質者に襲われそうになってたから連れてきた!」

「おい、誰も襲われそうになったって言ってないだろ! 勝手に決めつけるな」

「変質者? ……あー、うん。なるほどね」


 男は零士の背後を見ると納得したように頷いた。そして、玄関の扉を開ける。


「レイくん……だっけ? とりあえずキミは萌と一緒に中入っててね。僕はちょっと除霊(仕事)片付けてくるから」

「あれ? 紬(つむぎ)はなんか仕事してたっけ?」

「萌は気にせずに、レイくんについててあげて」

「なんかわかんないけど、合点承知! いくよ、レイくん」


 有無を言わさずにまた零士は萌に引っ張られるようにして玄関を跨ぐ。

 紬の隣を通った時に萌と同じお日様の香りがした。


 少し離れたところからは、ピチャッ、ピチャッと変わらずに水滴の音が聞こえてきていたが、萌が扉を閉めたことにより音は遮断された。

 音が聞こえなくなったことで、安堵の息が自然と溢れる。

 零士は自分が思っていた以上に緊張していたことを実感した。


 微かに震えそうになった手をギュッと握られて、ハッと視線を萌へと移す。

 萌は笑いながら零士の手を握りしめていた。


「手汗かいてる。変質者に追いかけられて、怖かったよね? もう大丈夫だよ。ツムくんは空手の黒帯持ちだからさっ」

「べっ、別に怖くねぇーよ! それよりもいい加減に手を離せ! いつまで握ってるんだよ」

「あははっ、レイくん学校での優しい王子様キャラ取れてるよっ。私は素が見えて嬉しいけどっ」

「誰が王子様キャラだ。そんなキャラ作った覚えはないぞ」


 楽しそうに笑いながら萌は零士の手を離した。温もりが消えた手が少しだけ寂しいと思ったのは気の迷いだと自分に言い聞かせる。


「とりあえず、ツムくんが戻ってくるまでリビングで待ってようか」


 笑いながら、萌は来客用と思われるスリッパを並べた。


「ささっ、レイくん。我が家へようこそ」

「……はぁ」


 まだ外に不審者がいるかもしれないこともあり、零士はため息をついて家に上がることにした。

 用意してもらったスリッパを履き、萌の案内でリビングへと通される。


「レイくん、良かったらソファに座ってて。飲み物お茶でいい?」


 萌は質問のように投げかけてきているが、すでにキッチンへと移動してコップに作り置きと思われる麦茶を注いでいた。

 聞いた意味とは? 零士はまた頭を抱えたくなった。

 大人しく3人掛けと思われる革張りのソファに座る。

 座った瞬間に沈み込む感覚が、バイト終わりに走った身体に沁みた。微かに緊張が解けたのか瞼が重くなってきたのを感じる。


「はい、レイくん」


 そんな零士の様子を気にすることもなく、萌がソファの前にあるローテーブルに麦茶の入ったコップを2つ置く。

 そして迷わずに零士の隣に座った。


「ありゃ? レイくん疲れてる? 寝ても大丈夫だよ?」

「疲れてはいるが、人ん家では流石に寝ないわ……」


 零士はそこで左手にエコバッグを持っていたことを思い出して机の上に置いた。

 萌が興味深そうに袋の中を覗き込む。


「あっ、コンビニの半額弁当だ! レイくんも買うんだ」

「なんだよ、似合わないっていうのか?」

「えっ? そんなこと言わないよ? レイくんと半額弁当って組み合わせが激レアで得した気分」

「本当に、意味わかんないよな、お前」


 普段通りのやり取りに零士の気はどんどん抜ける。隣から漂ってくるお日様の香りが心地よい。

 これで寝れたらどれだけ幸せかと思いかけて、我に返る。


(俺は今、何を考えた?)


 あまりの衝撃に、零士の眠気は吹き飛んだ。

 そんな零士の気持ちも知らない萌はニコニコと微笑みながら自分が持ってきたお茶を飲んでる。


「レイくんも走って疲れたでしょ? 水分補給はしたほうがいいよ?」

「あっ、ああ……」


 確かに喉がカラカラだということに気付いた零士は言葉に甘えてコップを持つ。ガラスと中身の麦茶のヒンヤリとした感触にホッと息が漏れる。

 一口、口に含み喉を潤す。生き返った心地がした。


 ゆっくりと飲んでいるとジーっと隣から視線を感じた。思わず横を見ると萌が零士を真剣な表情で見つめていた。


「なっ、なんだよ」

「いやぁ、麦茶飲む時に動くレイくんの喉が少し官能的だなーって」


 軽く頬を染めて両手を頬に当てながら「きゃっ」という萌に零士はドン引きした。思わずコップを置き、ソファから立ち上がって距離を取る。


「冗談だって! 冗談! そんなに引かないでよぉ」


 萌もソファから立ち上がって零士に近付こうとする。詰められた距離だけ、離れる。

 萌から距離をとりながらどうするか考えていると、リビングの扉が開いた。


「……何やってるの?」


 呆れたような様子で2人を見る紬に零士はなんと返せば良いかわからなかった。


 ◇


「で、レイくんだっけ?」


 キッチンの横にあるテーブル席に萌と紬の2人と向き合うように座らされた零士に紬は迷わずに切り出した。


「どこであの霊を引っ掛けてきたの? 結構タチが悪かったけど」

「はい? 霊? 何言ってるんですか、あれは不審者……」

「そうだよ、ツムくん! レイくんが不審者って言ったら不審者なんだから!」


 突然の質問に零士の頭は混乱した。

 霊とは幽霊のことだよな? と幽霊なんて生まれてから20年一度も見たことがない。何故そんな存在について尋ねられているんだ? と不思議で仕方がない。

 それに紬の隣で何かを言っている萌も霊の存在は信じてないように感じた。


 2人の様子を見て、紬は盛大に息を吐いた。


「嘘でしょ……? 今までよく無事でいたね」

「レイくんはすごいからね!」

「萌、一回黙ろうか」


 何故か、零士の代わりに胸を張る萌を紬は有無を言わさずに笑顔で黙らせる。

 そして、零士をジロジロと上から下まで探るように観察した。

 どこか落ち着かないその視線に零士は無意識にたじろいだ。


「うーん、自覚ない感じかな? それなら下手に自覚させちゃうのもよくないしな……」


 紬はブツブツと小さく呟いている。しばらく下を向き考え込んでから、紬は顔を上げた。


「ねぇ、レイくん」


 優しい笑顔を浮かべながらも、どこか有無を言わさない雰囲気を感じ、零士は無意識に唾を飲み込む。

 ゴクリと、零士の喉が鳴った。微かに萌の視線を感じたが、無視をする。


「キミ、しばらく家《うち》で過ごそうか」

「はぁ!?」


 紬の言葉に思わず叫んでしまう。紬は変わらない笑顔を浮かべながら続けた。


「キミ、変な人によく絡まれるんじゃない? 僕ならなんとかしてあげれるよ?」

「どういうことだよ」

「うーん、それはまあ、おいおいかな? とりあえず改善できると思うからとりあえずお試しってことで1週間、我が家に泊まろうか」


 紬は話は終わりだというように立ち上がる。


「萌、客間は空いてるよね? レイくんを案内してあげて」

「おお! 一つ屋根の下にレイくんと一緒とはなかなかのシチュエーションだね! わかったよ、ツムくん!」

「いや、何一つわかってないからな!? 俺のことなのに俺の意見を無視するな!」


 神守家に零士の叫び声がこだました。しかし、紬は気にする様子もなくリビングを出ていき、萌に手を引かれるようにして零士もリビングを後にすることとなった。

 そして、神守兄妹との不思議な共同生活はお互いの名を名乗ることもなく始まったのだった。

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