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無限考

主人公と友人のラエリアンとの会話を、ユーモラスに紹介していきたいと思います。

ラエリアンとは、「地球上の生命は高度に進歩した異星人エロヒムによって、純粋に科学的に創造された」という、エロヒムから全人類に宛てられたメッセージを肯定する人たちのことです。

”エロヒム”とは古代ヘブライ語で”天空から飛来した人々を指す複数形の名詞(単数形はエロハ)”で、聖書原典にはエロヒム・エロハともにしばしば登場する単語ですが、他国語に翻訳された際に、エロヒム・エロハともに、単数の神(God)と誤訳され今日に至っています。

友人のラエリアンによれば、「宇宙空間はフラクタル構造をしている」のだという。

たとえば私たちの体を構成する原子は、さらに小さな“別の次元”の宇宙空間でできており、その構造が“無限”に連続しているらしい。


さらに、最新の科学が示すところでは——

・原子は中心の原子核と、その周囲の電子の雲で構成されており、電子の存在領域が非常に広いため、原子の大部分は“空間”である

・人体の質量のほとんどは、陽子・中性子内部の結合エネルギーによって生じている

・原子核同士を“密着”させることは、通常の物理法則では不可能

・もし核物質レベルまで圧縮すれば、中性子星のような密度(水の数兆倍)になる

・その密度を人体に当てはめると、70kgの人間は直径数ミリの球になる


ということらしい。

さらには、「そもそも物質は存在せず、存在するのは”振動するエネルギー”ではないか」という説まである。


考えてみれば、我々の科学は“より小さなもの”を発見することで進歩してきた。

“原子=アトム”とは「これ以上分割できないもの」という意味だったが、20世紀に入り中性子が発見され、さらにクオークが見つかり……と、より小さな世界が次々と開かれてきた。

将来も、もっと小さなものへと探求が続くことは容易に想像できる。

むしろ、どこかで「これ以上小さくできない」という限界があると考える方が、不自然なのかもしれない。


その時の会話を思い出してみる。


友人は言った。

「この世界の物質を構成している“微粒子”は、さらに小さな宇宙でできていて、それが無限に繰り返されている。逆に、僕らの宇宙も、もっと巨大な生物の体を構成する微粒子の一部であり、それもまた無限に繰り返されているんだ」


さらに続けて、

「時間というのは、質量や生命形態のレベルに反比例している。たとえば“1000年”という時間も、太陽が一個の原子にすぎないような巨大な存在にとっては、たった一歩を踏み出す程度の時間でしかない」

と言う。


そこで私は尋ねてみた。

「じゃあ、エロヒムはどうやってそれを発見したんだい?」


友人はメッセージの一節を引用した。

「“実際私たちは、無限小の中に知性を持つ生物を発見しました。彼らにとっては惑星であり恒星である粒子の上で生活し、私たちと同じような疑問を抱いているのです”

“無限に小さな世界にも、有機的な身体を持つ知的生命が存在することを発見しました。彼らが私たちと同程度に進歩した生物であることは、まず間違いありません”」


そこで私はもう一度聞いた。

「でも、どうやって発見したんだ?」


友人は少し考えてから言った。

「そこは詳しく書かれていない。ただ、これは僕の個人的な推測だけど……人類が今発展させている“ナノテクノロジー”を使って、“ナノマシンを作るナノマシン”を作り、さらにそのナノマシンを作るナノマシンを作り……と繰り返していけば、時間のズレで意思疎通はできなくても、“存在を知る”ことは可能なんじゃないかと思うんだ」


そして彼は得意げに言った。

「無限に小さい世界を理解したなら、無限に大きい世界を理解するのも容易だろ?宇宙は無限だから“中心は存在しない”ってわけさ」


確かに筋が通っているようにも思えるが、疑問が残らないわけでもない。


「それなら、人体のような有機体だけじゃなく、金属などの無機物の中にも無限の構造があるってことかい?」

と聞くと、

「そこは詳しく書かれていないからわからない。でも、それは”重要じゃない”ってことなんじゃないかな?」

と、どうも歯切れが悪い。


さらに話をそらすように、

「宇宙だってそうさ。人類はもっと遠くへ探索を続けるだろうけど、どこかに分厚い壁があって“行き止まり”なんて書かれていると思うかい?宇宙も無限なんだよ」

と言う。


「でも“空間そのものが曲がっていて、最終的には出発点に戻る”って説もあるじゃないか」

と返すと、

「そんなおとぎ話もあるけど、それは平面での幼稚な理論だよ。もし本当なら、どの方向に行っても同じ場所に戻るような空間の曲がりって、いったいどんな形なんだい?」

と逆に切り返された。


私が言葉に詰まると、友人は話題を変えた。

「君は古代ギリシャの哲学者”ゼノン”の“二分法”を知っているかい?ゼノンによれば、A点からB点まで線を引くことはできないんだ」


「でも実際には引けるじゃないか。どういう理屈なんだ?」

と聞くと、

「AとBの間には“1/2”の地点があるだろ?その1/2の間には1/4があり、さらにその間には1/8がある。中間地点は無限に続くから、そこを通過するには“無限の時間”が必要になる。つまり不可能ってわけさ。でも現実には線を引ける。これが“無限の正体”じゃないかと僕は思うんだ」

と説明した。


さらに友人は笑いながら言った。

「マイトレーヤ・ラエルは“無限について考えないでください。無限は考えて理解するものではなく、感じるものです。無限について考え始めると精神病院行きですよ”なんて冗談を言っていたよ。メッセージにも“有限な頭脳で無限を知るのは非常に困難”と書かれている」


どうやら、私のような凡人には“無限を感じる”境地はまだ遠いらしい。

ラエル氏の助言に従って、“精神病院送り”にならないよう、無限について考えるのはこの辺にしておくとしよう。

私の体も無限の宇宙でできているのだろうか——そんなことを思いながら掌を見つめた。

けれど、そこに広がっていたのは“無限”ではなく、細かな“しわ”の風景だった。

お読みくださり、ありがとうございます。

文中に引用されている”メッセージ”は、ラエリアン公式サイトから転載させていただきました。

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