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結局エリスは再びフォトアに手紙を出した。再度謝り、そして直接会いたいという内容の手紙だった。
その手紙を出すには勇気が少し必要だった。罪悪感があったからだ。
「酷いことをしたのに」
エリスは俯きながら呟いた。手には手紙。
泣きそうになる。ここは自室だ。泣いても誰にも見られない。
申し訳ない。そう思う。
私は変になってしまったのだろうか?
優しさは人間に必要なものなのだろうか?
何故こんな風に私は変わった?変わる意味はあるのか?
その答えをフォトア・ブリッジが教えてくれるだろうか?
答えを。意味を。人としてどうあるべきなのかを。
エリスはフォトアに向けて再び手紙を送った。内容は二人で会いたい、というものだ。二人で会うために調整が必要だった。
フォトアはエリスが手紙を送ると毎回丁寧に返事をしてきた。律儀なことだとエリスは思った。
そして数回の手紙のやり取りの後、エリスとフォトアは二人で会う日程が決まった。ツヴァイ・ローレンは同席しない予定だ。
エリスにはフォトアに聞きたいことがたくさんあった。謝りたいこともあった。
ひどい態度をしてしまったこと。
優しさの意味のこと。
フォトアのこと。
人間のこと。
エリスはフォトアに会う日が来ることを待ち望んていた。
エリス・クラーレが小さい頃の話。
エリスは両親から期待をかけられていた。本当は武力あるものとして男の子が生まれるのを期待されていたがエリスは女だった。
両親はとても厳しい人間だった。エリスに期待をかけ、命ずることがエリスに出来なければ叱責ばかりした。その結果エリスは結果を出さなければ意味がないのだと悟った。
エリスは両親に愛されなかった。一度だけエリスは幼い頃に両親に料理を作ったことがある。エリスは両親に愛されていないことに気づいており、なんとか愛されようと料理を作ったのだ。
その結果は酷いものだった。両親はエリスを叱った。使用人のような真似をするなと。そんな卑しいことをするなと。エリスの料理は捨てられてしまった。自分は使用人とは違うのだ。私は貴族なんだ。その出来事でエリスは思想を変えた。いや、変えられた。
幼い頃に植え付けられた歪んだ性格。
エリスは両親の期待に応え、また自分が優秀な人間であると思い始めた。
優秀な根拠など無かったのに。
エリスの歪んだ性格を咎める者はいなかった。心からの友達もいなかった。
友達がいなかったのだ。エリス自身は友達などいらないと思っていたし寂しくもなかった。
しかしそれは彼女の強がりだった。本当は友達がほしかった。その心の奥底の本当の声をエリスは無視し続けた。寂しさを無視した。
エリスは今ブリッジ家へと向かう馬車に乗っていた。
短い銀髪に黒のワンピース。風は心地よかった。この綺麗な緑の広がる土地の向こうにブリッジ家がある。フォトアがいる。
自然を眺めるエリス。目が落ち着くようだった。
若干の緊張。酷いことをした相手に会う。心が落ち着かない。
落ち着かないエリスの心境と同調するように、馬車はがたがたと揺れた。
そしていよいよ馬車はブリッジ家に到着した。周りに緑が多いし畑も見えた。エリスが普段目にしない光景である。
御者にお礼を言いエリスは馬車から降りた。そのままブリッジ家の屋敷の前で立ち止まる。
綺麗な屋敷だ。年季が入っているが自然さを感じさせる良い屋敷だった。
エリスはしばらく屋敷をぼんやりと見ていた。
フォトアに何を言われても自分は文句を言えないだろう。復讐されるかもしれない。
だが心の底でそう思いつつも、フォトアはそんなことはしないだろうという予測があった。
文通でわかる。フォトアは私を恨んではいないようだ。
エリスが屋敷を見上げていると、緑色の服を着た金髪の女がエリスの視界に映った。
フォトアだ。フォトア・ブリッジ。将来フォトア・ローレンという名に変わるフォトア。
エリスはフォトアに目を向けると軽く頭を下げた。それは罪の意識からかもしれない。
フォトアの方はエリスを見つけるとエリスに駆け寄った。
「こんにちはエリスさん。よくお越しいただきました」
フォトアは意外にも笑顔だった。
「……こんにちは」
エリスが俯く。その様子をフォトアは見ていた。心配そうに見ていた。
「エリスさん、先に言っておきたい事があります」
「先に?」
「私はもうあなたを恨んだりしていません。だから顔を上げてください。文通でわかります。文章は人の心を映し出します。あなたは罪の意識に囚われているのかもしれません。でも、私はもう大丈夫です。だから顔を上げてください」
フォトアはエリスの右手を、両手で握った。強く握った。
「……なんで?」
「え?」
「なんで恨まないの?恨んで当然。復讐したっておかしくない。なんで人を許せるの?私は酷いことをしたのよ!私なんて、絶交して関わり合いにならなければいい!どうしたらそんなに人を許せるの?わかんない!全然わかんないよ」
エリスは泣き始めてしまった。
フォトアはその様子を見てとても心配そうな表情を浮かべていた。そしてエリスを抱きしめた。
「大丈夫」
フォトアがエリスにいった。
「大丈夫です。落ち着いてください。時間はたくさんあります。屋敷の中に入りましょう?エリスさん、本当に恨んではいません。来てくれてありがとうございます」
お礼を言うフォトア。
エリスにはわからなかった。どうしてこの女性はここまで優しいのかと。
エリスはフォトアに連れられてブリッジ家の屋敷へと入った。どうやらフォトアは食堂に案内してくれるようだ。
「お茶をお出しします」
フォトアがエリスを振り返りいった。微笑んでいる。
エリスはその微笑を俯瞰するように見ていた。
内心はどう思っているのだろうか?自分のことを責めているのではないだろうか?
私は……。
エリスは俯いた。その様子をフォトアが見ている。
二人はブリッジ家の食堂に移った。エリスの美しい姿は食堂にいる者の目に付き注目を浴びていた。
近づいてきた者もいた。それにはフォトアが客人だと説明した。
長い食堂机を挟んで二人は向かい合って座った。エリスはまだフォトアと視線を合わせられない。
「エリスさん、なにかあったのですか?」
フォトアが先にきいた。フォトアは本心からエリスのことを心配していた。
「……挫折を……いや、でも言えない……」
「話してください。一人で抱え込まないでください」
「……苦しみを味わった。そしたら見える世界が変わって、本当にあなたには申し訳ないことを」
涙ぐむエリス。いつもの演技の涙ではない。本当の涙だった。
「苦しむ人の気持ちがわかった。私にだって、育った環境とか言い訳はある。でもそんなの関係ない。人を傷つけていいことにはならない。ずっと、人ばっかり傷つけて調子に乗っていた。いくら謝っても、もう……」
エリスの独白を真剣にフォトアは聞いていた。
苦しんでいる。
目の前の女性は苦しんでいる。
どうしたらいいだろう。どうしたら……。
「エリスさん」
「はい」
「育った環境があると言いましたよね?聞かせてください。少しでもいいから聞かせてください。私、どうしてかあなたが苦しんでいる姿を見るのが嫌です。あなたに苦しんでほしくないと、今思います」
フォトアの言葉にエリスはようやく視線をフォトアと交えた。
フォトアの瞳は微かに潤み綺麗に輝いていた。
「……長話になるけど、それでも?」
「はい」
フォトアは力強く頷いた。
それを見てエリスは思った。
今からやり直せば。
この女性のようになれるのか。
「貴女みたいになりたい」
「え?」
「貴女みたいになりたい。貴女のお話も聞かせてほしい」
「え、ええ……でも、エリスさんのお話が先です」
「交換条件ね」
エリスは可笑しくなって笑ってしまった。
フォトアも笑ったエリスを見て笑顔になった。
「そういうわけでね」
エリスはフォトアと向かい合い机の上に出されたお茶を飲んだ。相変わらず食堂には人気が多い。
エリスは自分の暮らしてきた環境をフォトアに告げた。厳しい両親。褒められなかった。必死に自分を磨くしかなかった。そうすれば周りの者の態度も変わった。
フォトアは頷きを入れながらエリスの話を聞いていた。そしてエリスに対する愛情が沸いてきていた。
必死だったんだろうな。周りはエリスさんの結果だけを求めたのだなと。
淡々と過去を語るエリスの姿に少し痛ましさも覚えた。話の内容が淡々と話すようなことではないのだ。きっととても辛かったはずだ。
「よく頑張りましたね」
フォトアがそういうとエリスは目を瞬かせた。
「頑張った?」
「そうですよ」
「人ばかり傷つけてきたのに?」
「それはそうかもしれません。しかし貴女自身も辛かったはずです。厳しい環境で暮らしてきたのですから」
「貴族だから生活に不便はなかったよ」
「あなたの心は辛かったはずです」
フォトアは言い切った。
その言葉を聞いてエリスは、ああ、これなんだと思った。
変化した自分が一番望んでいるもの。それがフォトアの心のなかにはある。
それに気づきエリスは少し望みが湧いてきた。一つの望みが。
「あの、フォトア……さん?」
「フォトアでいいです。エリスさん」
「そう……私のことも、エリスでいいよ。お互い様」
「わかりました。エリス、なんですか?」
「私……」
エリスは言葉を飲み込んだ。なかなか言い出せないものだ。こういう事は。
「言いづらいことですか?」
「言いづらい。私フォトアと友達になりたい。断ってもらっても構わない。あなたと話していると救われる気がする」
それを聞いたフォトアは戸惑い、そしてはにかんだ。
「わかりました、エリス。私達、今日から友達ですね」
「そんなにすぐに決めちゃっていいの?」
「エリスが望んだのでは?」
「そうだけど。結構鋭いね」
「ありがとうございます。私、今とても嬉しいです」
笑顔で語るフォトア。エリスはそれを見ながらお人好しだなと思った。
しかしそれも悪くない。




