十一 遺品 ③
リベラはその後、コノリー親子の住むマンションへ向かった。休養の命令が下されたばかりであり、教会が悪魔祓いを続行するか否かの判断を保留しているため出来ることは何もない。ただアスティまで来た以上、そのままトリノへ帰るわけにはいかなかった。せめて顔を出し、治療に失敗したことを詫びておく必要はあるだろうと考えたのである。だが敷地に足を踏みいれたあたりで、大きな声が聞こえた。
「ふざけんなよ。勝手に人の部屋に入って、荷物を運びだすたあどういうつもりだ」
「言ったはずだよ。あんたには出ていってもらうってね。言うこと聞かねえから、俺が金かけて手間はぶいてやったんじゃねえか」
「あんだと。家賃払ってやってるんだからいいだろ」
「うちの店子に下手なことしなきゃな。いろいろフカシこきやがって、ふざけてんのはどっちだ。まったく、新聞記者には屑しかいねえのか。この記事書きやがったのはてめえだな」
見れば痩せた若い男と、大男が言いあらそいをしていた。話からするに前者は新聞記者、後者はマンションの大家らしい。リベラは距離を置き、二人の口論に耳をそばだてる。
「仕事なんだから当たり前だ。働くなとは契約書のどこにも書かれちゃいねえ」
「ああ、書いてねえよ。一般人の秘密を暴いていいとは一言もな」
「おい、ファッションデザイナーのキアラ・コノリーが一般人だって。もう立派な有名人じゃねえか」
「たしかにコノリーさんはデザイナーをやってる。だが、それとこれとは別の話だ」
「俺は会社から、ここに引っ越すように言われたんだぞ。あした寝起きするとこも決まってねえんだ。野垂れ死にでもしたらどうするつもりだ」
「その点は心配いらねえ。今は夏だ。人をだまくらかして部屋にへばりついてるしつこい野郎は、そうそう死なねえだろうよ」
「よくもそこまで」
「いいからさっさと消えろ。てめえみたいな奴はうちに住まわせておけねえ」
大家の剣幕に押されたか、新聞記者はそこで口を噤んだ。部屋の前に放りだされた荷物をちらりと眺め、その場からしぶしぶ去っていく。リベラは頃合いを見計らい、素知らぬ風を装い大家の方へ近づいてみた。
「こんにちは」
愛想笑いを浮かべても、大家は相変わらず不愉快そうな顔で丸めた新聞を手に仁王立ちしている。挨拶をしても、さして表情を変えず低い声でぶっきらぼうに呟くのみ。
「どうも。どなたへご用で。その前に、どちら様で」
つい今しがたまで、メイヴの件で激しくやりあっていたのである。しかもコノリー親子とは懇意であるようだ。治療に失敗したエクソシストの印象など良くないだろう。リベラは機嫌を取りながら口を開く。
「コノリーさんから治療の依頼を受けました、神父のリベラと申します。様子を見にお伺いしました」
「ああ、あなたは。あのときコノリーさんの部屋にいらした方ですね」
大家は儀式を行った日、ロマーノが救急車で搬送されたのを目撃していたようだ。リベラは大家とは初対面のつもりだったが、大家の方はリベラの顔に見覚えがあるらしく一転して態度を変える。
「あの日は大変でした。本当にありがとうございます。しかしあんなことになって」
報道では実名こそ伏せられているものの、ロマーノの死はその場に居あわせた人間には知れわたっている。大家は犠牲者が出たことを悔やみ、また治療に携わっていたリベラを労い感謝の意を示した。
「先ほどは、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね。しかし私に嘘までついて空き部屋に入った挙げ句、あのときのことを書きたてたもんですから、つい許せなくてね。ほら、こんな記事を」
それから新聞を広げてみせる。そこにはあの日の出来事についての、詳細な記事が掲載されていた。しかも紙名は〈ストリラ・ディ・トルエ〉とある。本番の儀式を行う前に、ゴシップまがいの報道を撒きちらした新聞だった。察するに、バチカン関係者からもたらされた情報に飛びついて現場ちかくに潜入したのだろう。大家の怒りはもっともであり、リベラもつられて愚痴を零していた。
「こんなに詳しく書かれては、誰に何が起こったか特定されてしまいます。私たちにとってもまずいことなのです。いくら仕事とはいえ、ですよ」
「そうでしょう」
「そのコノリーさんは大丈夫でしょうか。私はそれでお伺いしたのですが」
「ああ、それなら今日のところは勘弁してあげてください。コノリーさんは、このところほとんど眠れてないそうです。ちょっと前に目の周りに隈のできた顔で、郵便とか新聞は預かってほしい、少し自分は休むからと言ってきたんです。憔悴しきっていました。可哀想に、娘さんがちっとも良くならないらしくて」
かといって不満のやり場はなかった。何といってもキアラが休んでいるのである。あちらに無理をさせても互いに疲れるだけだ。現在の状態を確かめる方法は他にもある。リベラは一礼をし、踵を返した。
「そうでしたか。では、日を改めてお伺いしましょう」
メイヴの容態を把握すべく、リベラはトリノに戻るなり県立の総合病院へ向かった。仮にまたアスティへ赴いたとしても、キアラと話をできるとは限らない。ならば継続して接触のある人物に訊いてみればよい。仮病と偽って受付時間ぎりぎりに窓口へ飛びこんでみると、さほど待たずして診察室に通された。部屋の奥に座っていたのは、内科医のシモーナである。見るからに目つきが険しく、口調には愛想のかけらもない。
「どこかお悪いの」
不機嫌なのは当たり前だった。さまざま立てこんでいたこともあって、リベラは事前に状況を説明しそびれていたのである。そればかりか今も夫妻ともどもバチカンから協力を求められ、引きつづきメイヴの体調維持と経過観察に携わっている。いわば大事な情報を伏せたまま、なし崩し的に大事に巻きこむ形になってしまったのだ。
「シモーナ先生」
「症状を手短に仰ってください」
自然と受け答えは厳しいものとなる。椅子に座って向かいあっていても実に素っ気ない。リベラもシモーネ夫妻が不信を抱いているのを承知で、こうでもしないと会ってはもらえないだろうとやむなく仮病を使った。それが裏目に出たようだが、リベラも引きさがるわけにはいかない。
「そうではなく、聞いてください」
「診察時間は過ぎておりますので。早く」
「では、このところ疲れやすくて」
「栄養剤を処方します。以上」
「先生、このたびのことは謝罪いたします。ですから、どうかお話をお聞かせねがえませんか。娘さんの様子を見にお伺いしようとしたのですが、コノリーさんはお疲れのようでお会いできなかったのです」
しばらく何も言わずにいたシモーナも、程なくして表情を和らげる。夫のシモーネほどではないにせよ、多少の面識があったおかげでリベラの立場を理解してくれたらしい。諦めたように溜め息をついた。
「まあ、リベラ神父の一存で事情は明かせませんものね。仕方ないわ」
「ありがとうございます。では娘さんの容態はどうです。変化はありますか」
ひとまず怒りを納めてくれたのであれば心強い。リベラはほっと息を入れて頭を下げたものの、シモーナは再び顔を曇らせる。
「今のところ変わっていないわ。儀式の前に変化はあったけど、そのまま」
「体重も、脈拍もですか」
「そうよ。体温、心拍数、どれをとっても健康そのものよ。数値だけならね。だけどどう見ても健康とは程遠いわ。何せ見た目はあのときと同じで、意識も戻らないし。ただし部屋から出さなければという条件つきだけどね」
「どういうことですか」
「部屋から出そうとすると、体温が上がって呼吸も荒くなるの。それだけじゃなく、ものすごい力で抵抗して、誰それ構わず傷つけようと暴れるのよ。原因は私たちでは特定できないわ。以前から入院させる考えはあったけど、もう手遅れよ。今は部屋に医療器具を持ちこんで非常時に備えてる」
「私たちの力が及ばず申し訳ありません」
「謝らないで。私たちではどうしようもない状態なんだから。部屋から動かさなければ身体だけは平常なのが、救いといえば救いかしらね。ただ日数が経過してる分、楽観視もできないわ。嫌味じゃなく、お疲れのところ悪いけど」
シモーナも、かなり疲労が溜まっているように見うけられた。たしかに、本来なら入院が妥当な判断だ。その方が負担は軽減され、医療関係者も十分な体制で治療に当たることができる。それが医学では解明のできない理由で頓挫したのだ。思わぬ形で重責を負わされたせいもあろう。
「先生、娘さんはお一人で看ていらっしゃるのですか」
「まさか。バチカンからいろいろ言われたけど、身体が持たないから四人交代で看てるわ。それよりも気になるのはそのバチカンの人たちね。いったい何をしているの」
メイヴの処遇については検邪聖省に一任されていると聞いた。だが具体的な動きは知らされていない。事が起こった直後は教皇庁の方に考えを向ける気力が残っておらず、多少は力が戻っている今もまだそちらに頭が回るほどには心身が回復していなかった。
「治療はしていないのですか」
「私たちが言えた立場じゃないけど、治療してるような素振りはほとんどないわ。色んな人が入れかわり立ちかわり様子を見て、写真とかを撮って帰るだけよ。その繰り返し。祈祷書みたいのを詠みあげてくれる人はほんの少しよ。それだっておざなりだわ。何のためか分かる」
リベラは彼らが治療のために必要な情報を集めている、と弁護しようとしてすぐにやめた。すでに一度、シモーネ夫妻を騙している。これ以上、不義理な真似はできない。
「娘さんがいわゆる〝本物〟かどうか、再確認しているのです。これまで我々が治療の対象としてきたのは、全てキリスト教徒でしたから。それを大前提に儀式を行ってきたわけです。ところがあの娘さんはそうではありません。教会が遭遇した初めての例外なのです」
「まるで検体を扱うみたいね」
「先生のご職業で喩えれば、まさにそうです。治療よりもむしろそちらを主眼に置いているのかも知れません。お恥ずかしいことに、私もその片棒を担いているわけですが」
「あなたが恥じる必要はないわ。それに科学者としては正しい姿勢よ」
自嘲したリベラに、シモーナはこの日はじめて笑った。いつもの快活な、さばさばとした物言いである。検邪聖省とぐるになっていたのではないかという疑いも晴れた。しかしメイヴの容態を確かめるため、シモーネではなくシモーナのもとを訪れたのには理由がある。
「それともうひとつ、よろしいですか」
機嫌が直ったところで、リベラは床から鞄を持ちあげた。取り出したのはロマーノの部屋を片付けた際、出てきた小箱である。隠すように引き出しの奥にしまわれていた状況から、無闇に親しい者に見せて回るよりは情報を外部に漏らさず、なおかつ学識のある専門家に訊いた方がよいと判断したのだ。その点、シモーナはロマーノとの接点はあの日の儀式の一度きり。箱の中身が生物の身体の一部らしいことから、内科医の知識に照らしあわせて何かが分かるのではとも思ったのである。
「これが何だか、お分かりになりますでしょうか。私では見当もつかないものですから」
箱を開け、机の上に差しだす。
「触ってもよろしいかしら」
「どうぞ。でも何だか脆そうです」
箱を開けると、シモーナは無造作に手に取っては顔を近づけ覗きこむ。心配そうにその様子を見つめるリベラは、仮に正体が分かるとしても時間がかかると踏んでいた。だが、意外にもすぐさま答えが返ってくる。
「多分、いえ間違いなく羊膜ね」
「あの生まれたての馬や牛が被っている、あの羊膜ですか」
「そうね。私も何度か見たわ。病気の治療に使うのよ」
「動物のものをですか」
「違うわ。人のをよ。他の動物のを何度も見たわけじゃないけど、これはたぶん人の羊膜ね。普通は出産のときに排出されたら捨てちゃうわ。ちなみにどこから出てきたの」
「亡くなったロマーノ神父の引き出しです。名前はどうしたわけか消されているのですが、このとおり蓋の裏に姓が書かれています。遺品を整理していて、どなたかご親族がいればお渡しようと思いまして。名前からすると、誰か別の方のもののようですが」
「そうね。珍しい苗字だわ。この消されてる文字が名前が読めれば、持ち主も特定できそうだけど」
「ええ。でもありがとうございます。箱の中身の正体だけでも判明しましたから」
人のものにせよそうでないにせよ、羊膜を取っておくことはあまりない。他に手がかりがあれば記されている苗字と併せて、縁者を探すのに役立つかも知れないとの希望を持てただけで十分だった。ロマーノの身元を辿るのは後回しにするとして、ひとまずものを手元に置いておけばよい。それよりもメイヴの一件を決着させなければと考えていると、シモーナがペンを取ってカルテを開く。
「それよりリベラ神父、栄養剤はいいの。ここに来たのはまったくの仮病なの」
もちろんそんな筈はない。休養中とはいえ、疲労は抜けきってはいなかった。
「いえいえ、まさか。疲れているのは本当ですよ。処方をお願いします」
リベラは慌てて頭を下げ、小さく笑った。正しくはこれから著しく体力を消耗する。おそらくこの先、過労や病気で倒れでもしない限り病院を訪れる暇はないだろう。処方箋を受けとりながら、シモーナに感謝した。動機は違えど夫妻も医師の立場からメイヴの回復を願い、力を尽くしてくれている。いっぽう検邪聖省にはそうした意思があるようには思えない。まだ大司教なり教皇庁なりから新たな命令は下されていないが、リベラは近いうちに必ずや力を求められる機会が生まれると信じ、エクソシストとしての任務を外されてもいち神父なりの努力をしようと決意していた。
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