前編
本作は前作「夏の果て、少年期の終わりに」の続編にあたる物語です。
自分の身体の変化と家庭環境によって居場所を失いかけた祐樹は、祖父母や仲間、そして晶との出会いを通して少しずつ前を向き始めました。
続編では、その「居場所」ができた後の物語を描いています。
好きだからこそ不安になる気持ち、打ち明けられない秘密、すれ違い、そして成長。平穏に見える日常の中で、二人の関係は静かに変化していきます。
派手な事件よりも、心の揺れや人とのつながりを大切に書きました。
前作を読んでくださった方も、ここから初めての方も、祐樹たちの日常を一緒に見守っていただけたら嬉しいです。
序章:Introduction
その日、広い広い宇宙の片隅で一つの恋が実った。
残暑がようやく猛威を潜め、涼しさが勢いを取り戻し始めた、九月末。
八神祐樹、十二歳。O市立桜川中学校の一年生。夏休み直前、突然体が女の子に変わってしまい、それを恥とする両親によって家を追われ、今は祖父母のもとに身を寄せている。
串崎晶、十三歳。祐樹の同級生で母子家庭育ち。小学生の頃、男のような見た目と言動が原因でいじめを受けたが、母の愛に支えられ世界一カッコイイ女を目指して修行中。偶然出会った迷子の祐樹の不安げな姿に深い同情を示し、保護欲をそそられた。
その後祐樹の愛らしさ、更にはそのうちに潜む力強さに気付き、どんどん惹かれるようになった。
そしてO神社の例大祭の夜、告白は成功、そしてファーストキス。
祐樹のおじいちゃんの車の後部座席で揺られながら、祐樹と手を繋いで夢見心地の帰り道。女同士なんて気持ち悪いって、笑われるかもって怖かったけど、祐樹が全部吹き飛ばしてくれた。早く母ちゃんに話したい。
小さなアパートの二階、1LDKの家に着くと部屋に明かりが灯っている。弟・颯斗(二歳下)とお祭に出かけていたはずの母・睦美(三十二歳・トラックドライバー)も既に帰宅していた。母の笑顔が迎えてくれる。
「お帰り晶。祭りは楽しかったかい? なんかいい笑顔だな」
母ちゃんの声、でっかくてなんか安心する。
「姉ちゃん、遅え!」
テーブルに向かってゲームに夢中になっていた悠斗が、ゲーム機を放り出して立ち上がる。
晶は颯斗を座らせ、着替えもせずにその隣に座った。颯斗がゲームを再開した。
深呼吸して、気持ちを整理する。祐樹の笑顔が胸に勇気をくれる。言うぞ、母ちゃんに。
「母ちゃん。ちょっと、話したいことあるんだけど……」
睦美が缶ビールを置いて眉を上げた。
「ん? なんだ晶、なんかあったか?」
「え、姉ちゃん、なんかやらかした!?」
颯斗が茶々を入れる。晶はちょっと笑って続けた。
「あたし、祐樹って子と付き合うことになった。今日お祭で告白して、祐樹も……OKしてくれた」
正確には抱き着かれただけだけど、キスしたくらいだからOKなのだと思う。
リビングが静まり返った。睦美も颯斗も目を丸くしている。やばい、怒られる? 呆れられる? 女の子同士って、やっぱ変? 晶は身をすくめたが、睦美は笑い出した。
「晶、やるじゃん! 祐樹ちゃんてあのめっちゃ可愛い子だろ? 二丁目の八神さんとこの。いいじゃないか、お似合いだぞ!」
睦美がテーブルをバンバン叩いて更に笑った。母の乗りの良さ、理解の良さに晶の胸が熱くなる。母ちゃん、ほんと最高!
しかしそれで済まないのが颯斗だ。
「うそっ。祐ちゃんはオレの嫁だぞっ?」
ゲーム機を取り落とした。
「姉ちゃんずるい! 抜け駆けしやがって!」
唇を尖らせて悔しがる颯斗があまりにも可愛くて、晶は思わず弟を抱き寄せた。颯斗は抱っこを嫌がる猫のように抵抗を示す。
「ゆ゛う゛ち゛ゃ゛ー゛ん゛( ノД`)」
「妬くなよ颯斗。祐樹はあたしが守ってやらなきゃいけないんだ」
二人の交際には一つだけ約束があるのだ。
「できれば、僕らのことは内緒にして欲しい」
他人からあれこれ聞かれたり、興味を持たれたりするのは嫌なのだと祐樹は言う。今日の幸せを世界中に宣言したいと思っていた晶にはやや残念だったが、祐樹の気持ちを優先しようと思っている。
第一章:紙飛行機Like a paper airplane.
告白が成功して以来、晶はさくらや集会よりも祐樹の部屋で遊ぶことが多くなった。八神家は学校帰りに立ち寄るにはちょうど良い位置関係にある。たいていは二人きりだが、颯斗が加わることもある。
今日はさくらやで颯斗と偶然合流し(晶は残念がったが)三人で遊ぶことになった。
八神家には正樹の所有になる古いボードゲームが大量にあるが、それらは今祐樹の部屋に置かれていた。晶や颯斗の目にはこれが珍しく、また面白く映った。祐樹は帰省のたびに祖父に付き合わされているので少し飽きていたのだが、この二人と遊ぶとまた面白いと思うのだった。
古い文机と祖母・信子お手製のクッション、ビニールカバーが掛かったハンガーラックと小さな本棚が置かれたシンプルな四畳半。これが祐樹の部屋だ。
颯斗がさくらやで買いこんだお菓子を床に広げる。
「おまたせ! アイスティーしかなかったんだけどいいかな?」
無作法にも足で襖を開け、飲み物を持って祐樹が入って来る。晶の恋人として、女の子として生きる決意を固めたはずの祐樹だが、時折こういう粗雑さが出てしまう。晶はそれほど気にしていないようだけれど。
今日部屋の中央に設置されているのは人生ゲームだ。祐樹がルールを説明し、駒を並べる。ルーレットを回す。
「やったー!」
結婚のマスに止まった颯斗が大声を上げた。ピンクのピンを自動車に挿し「これ祐ちゃん」と悦に入っている。
「勝手に言ってろ」
晶は呆れて突っ込む気にもなれない。祐樹はくすっと笑った。
「弟って可愛いよねえ」
「そお? 生意気なだけだよ(笑)」
「颯斗くんは素直だし明るいし、一緒に居たら楽しそう」
祐樹の言葉に晶が失笑する。
「僕も弟が欲しかったなあ」
ぽつりと漏らした祐樹の言葉は少しトーンが下がっている。晶は祐樹の家族構成に興味を持った。
「祐樹は一人っ子? 兄弟はいないの?」
「うん。妹はいるけど……」
「へえ。どんな子?」
訊いてから晶は失敗したと思った。またあの闇のような瞳。これ以上この話題に触れてはいけない。なんとか話題を変えないと。
「颯斗で良ければタダであげるよー(笑)」
「マジで? オレ祐ちゃんの弟になれるの? やったぜ、祐樹お姉ちゃんだあ!」
「(。´・ω・)ん? 彼氏は諦めたのか?」
「ん-。彼氏より弟の方が楽しそう。祐樹お姉ちゃん優しいし。誰かと違って」
「誰かって誰よ?」
「ああ? 決まってんだろ鏡見ろよ」
「てめー頃す! 颯斗頃す!」
「お姉ちゃ~ん(泣)助けて~(泣)」
「こら離れろ。そこはあたしの場所だ」
「あ~お姉ちゃんいい匂いがする~(クンカクンカ)」
「やめろエロガキ! 祐樹も! そんな嬉しそうにしないで!(泣)」
空気が和み、三人は人生ゲームを終えて折り紙に挑戦した。こういう古典的な遊びとなると、小さいころから祖母に鍛えられた祐樹の独擅場だ。
「祐樹上手いな! あたし折り紙はダメだわ」
晶が折りかけの鶴を投げ出した。
「祐樹お姉ちゃん凄い!」
颯斗も尊敬の眼差しを送ってくる。
お姉ちゃんだって……。僕、男なのに。でも嬉しいのはなんでだろう。
「あ。祐樹、今の表情とっても良かったよ。写真撮っときゃ良かった」
「もう! 恥ずかしいこと言わないでよ」
「祐樹お姉ちゃん、次飛行機! 飛行機折って!」
「いいよー。ちょっと待ってねー」
照れ隠しに紙に手を伸ばす祐樹。
「あ、祐樹お姉ちゃん顔真っ赤www」
「颯斗くん、からかわないの。ほら、一緒に折ってみよう」
三人は折り上げた紙飛行機を庭で飛ばすことにした。縁側からすぐに広い空間がある。
「えいっ!」
颯斗が投げた飛行機は急角度で墜落した。
「あれれ~?」
「颯斗くん。力いっぱい投げるんじゃなくてね、こう、風に乗せるようにそっと優しくね」
上手に風を捉えた祐樹の飛行機は青空に向かってふわりと上昇する。屋根を越え梢を越えて、風にもてあそばれた翼が右へ左へ緩やかに旋回しながら高度を落とし、やがて滑るように花壇の中に着地した。
「祐樹、ほんと凄いね。こんな才能もあったんだ」
「いや才能ってほどじゃないけど」
サンダルを履いて庭に降りる三人。花壇には敷石で遊歩道が設置されている。そこを並んで歩く。遊歩道の両脇には秋の花が咲き誇っている。颯斗がしゃがみ込んで右側のコスモスを指差した。
「コスモスってさ、祐樹お姉ちゃんに似てるよね」
「どういう意味だよ(笑)」
晶が笑う。
「細くてゆらゆらしてるとことか」
「えっ? 僕ってそんな風に思われてるの?」
「きれいって意味だよ」
「あーでも儚げな感じは合ってるかも」
晶が調子を合わせる。颯斗が先ほど折った折り紙の花を差し出した。紅色の花は秋桜に似ていなくもない。
「はい、祐樹お姉ちゃん。大好きだよ」
「ありがと。僕も大好き」
晶はこの光景をにこやかに見守っていた。不思議と嫉妬の気持ちは湧かなかった。
祐樹が反対側の花壇を指した。そちら側には竜胆が咲いている。
「晶のイメージはこっちだよね」
「え? そお?」
「うん。なんかこう、色が濃くてがっしりして強そうなところとか」
「よく分かんないけど、誉め言葉なんだよね?」
「調子乗んなよ姉ちゃん」
「うるせえ(笑)」
第二章:しゃぼん玉The soap bubbles flew.
昼休みは一緒にお弁当を食べるのが祐樹と晶の習慣だ。最近は晶の分もおばあちゃんが用意してくれるようになった。晶の昼食が店で買ったパンばかりなのを祐樹が心配した結果だった。
さてその日、食事中に晶の携帯にメールの着信があった。晶は携帯をチラ見すると顔をしかめた。そして祐樹の視線に気づく。
「ああ、大したことじゃないよ。母ちゃんが今夜帰れないってさ」
トラック運転手である晶の母の仕事は市内および近郊の定期配送(企業相手の納品)がメインだ。母子家庭であるが故に会社が配慮してくれている。しかし母は大型と牽引免許を保有しているため、晶が中学生になってからは(あくまでも人繰りがつかない時の緊急措置としてだが)拠点間の長距離便を走ることがある。こうなると帰りは翌日の昼過ぎになるのだ……と晶は説明した。
「こっちも慣れてるからね。大丈夫だ、問題ない」
放課後。いつもなら手を繋いで帰る二人だが、今日は別々だと晶が言った。
「夕飯の買い物して行かなきゃ。ごめんね」
「あ、あのっ!」
祐樹は全身全霊、ありったけの勇気を振り絞って言った。
「こ……今夜、ウチに泊まりに来てよ。おばあちゃんにはもう言ってあるから」
声を震わせ、涙までにじませての、精一杯のお誘い。これが晶のハートをストレートに撃ち抜いた。
今夜は祐樹と二人っきり! 新婚さんか! 晶はガッツポーズで跳び上がった。
夕刻、指定の時間通りに、お泊りセットを携えて晶はやって来た。黒のTシャツにフード付きのパーカーにジーンズ。晶はやっぱりカッコいい。セーラー服の可愛い晶も好きだけど、やっぱり僕は私服の晶が好き……と祐樹は思う。
ただ、その晶の表情は冴えない。お通夜のような陰気さ。原因は隣にいる大はしゃぎの颯斗だ。
「二人きりの夜が……。新婚初夜が……」
「颯斗くんを一人きりにはできないでしょ。賑やかでいいんじゃない?」
祐樹が慰めるが、晶は「初夜が初夜が」を繰り返すばかり。
「せっかく二人きりになれると思ったのに~」
「おじいちゃんたちがいるから、どのみち二人きりにはなれないよ?」
未練たらたらの晶に、祐樹が容赦なくとどめを刺した。颯斗は早速祐樹と腕を組み「新婚さんだー」と言って晶に頭を叩かれた。
居間に入って正樹、信子に挨拶。おばあちゃんとは何度も会っているけど、おじいちゃんとは(モリヤさんで一度会ってはいるが)ほぼ初対面だ。
「晶ちゃん、颯斗くん、ようこそ」
信子が笑顔で迎える。
「やあ、君が祐樹の恋人の晶ちゃんか。かっこいいなあ! うちの祐樹をよろしく頼みますよ」
正樹が頭を下げる。
「え? あ、う、こ、恋人って、まあ、はい。」
晶も祐樹も、顔が真っ赤。颯斗が無言で晶の背中に北斗百裂拳を打ち込んでいる。
夕食の準備である。こういう時の定番は何と言ってもカレーライスだろう。ただしおばあちゃんのカレーは小麦粉を炒めてルウを作る本格派だ。
祐樹と晶も手伝いに駆り出されたが、祐樹は料理なんて家庭科の授業以外ほぼ未経験。晶も材料を一つか二つ追加して加熱するだけの半既製品しか作ったことがない。串崎家ではカレーと言えばレトルトだ。
玉ねぎを刻んで炒めるのが祐樹、ジャガイモ・人参・肉が晶の担当となった。後ろのテーブルではおばあちゃんがサラダの準備を始めた。
不器用に包丁を使う祐樹を、晶はハラハラドキドキで見守っている。
「大丈夫? 指切らないでね? あたしがやろうか?」
「う、うん。大丈bあ~目が、目があ!」
「あらまあ、仲良しさんね」
総指揮を執る信子も楽しそうだ。
台所で大騒ぎの一方、居間では正樹と颯斗がレトロゲーム(○○堂のファ○○ン)で遊んでいた。これもまた颯斗の年齢ではカルチャーショックを引き起こす代物だ。なぜこんなものがあるかと言えば、正樹が「そういう人」だからである。
五人での夕食は楽しいの一言に尽きた。特に祐樹にとっては、自分を愛してくれる人しかいない食卓と言うのはここへ来て初めて得られたもので、今日はさらにその豪華版だ。
晶と颯斗にとっても同じだ。無論二人にも祖父母はいるが、住んでいる場所が離れているしどちらも忙しいので滅多に会えない。
母は帰宅が遅いので、串崎家の食卓は基本的には姉と弟のみ。そして手料理。これは串崎家ではほとんど味わえないものだ。(この件で晶の母を責めないで欲しい。仕事が忙し過ぎてどうにもならないのだ)
「「美味しい!」」
晶と颯斗が口を揃える。
「おかわりください!」
「こら颯斗、ちょっとは遠慮しろってば!」
「いいのよいいのよ。嬉しいわあ、いっぱい食べてね」
信子にとっては孫が増えたようなものだろうか。祐樹でさえ初めて見る笑顔だ。
「やっぱり弟っていいなあ」
祐樹が繰り返す。
「おばあちゃん、後であたしにお料理教えてください!」
「いいわよ~。祐樹も一緒にね」
「え? 僕も?」
「そうよ。男の子でも料理くらい覚えなky」
瞬間、空気が凍った。祐樹が真っ青になり、正樹の顔が強張り、信子の額に玉の汗が浮かぶ。晶と颯斗はきょとんとしている。
「……あ、あらあら。私ったら、晶ちゃんがカッコいいものだから、間違えちゃったわ」
信子の手が震えていた。
「あ、気にしないでください。あたしなら慣れてますんで(笑)」
晶はとりあえず笑ったが、この妙な空気の理由は解らなかった。何か自分には知り得ない、複雑な事情があるらしいことだけは解ったが。
食後のお茶を頂いた後、正樹が風呂の準備ができたと言った。
八神家の風呂は大きい。普段使うユニットバスのほか、親戚一同が泊まりに来た時用に別棟の湯殿がある。浴槽だけで三畳分、洗い場はその二倍の面積があり、蛇口とシャワーが6セット、脱衣場込みで建坪が六坪以上もある。ひと家族が一度に入浴できる。男女の別は無いが、ちょっとした銭湯並みだ。
今夜はこちらに湯が張られたわけだ。お金は掛かるが、大事な孫の恋人のため、おじいちゃんも大奮発している。
ユニットバスから入浴セットを持って来た祐樹が颯斗の手を引いた。
「颯斗くん、一緒に入ろう」
「わ~い!」
「待って待って待って。ここはあたしを誘う場面でしょ?」
「え? だって、晶のハダカ見るのは恥ずかしいし……」
「あたしは気にしないよ!」
「僕が気にするの!」
「颯斗のは? 恥ずかしくないの?」
「うん」
「なんでやねん!?」
男同士だから……とは言えない。そりゃまあ祐樹だって本音は晶の裸を見たいけど、どうしても恥ずかしさの方が先に立ってしまう。
「颯斗くんなら弟みたいだから平気かなって」
「やだあ~(泣)あたしも祐樹と一緒がいい~(泣)」
「ええっと、晶は先に入ってもらって……」
「お姉ちゃんとお風呂♬ お姉ちゃんとお風呂♫」
「お前なに喜んでんだよ。男として認められてないってことだからな!」
「ああもう。三人いっぺんに入りなさいよ」
おじいちゃんが場を収めた。それはそうだ、そのためにわざわざこちらを用意したのだ。
渡り廊下で繋がれた大浴場に、晶も颯斗も目を見張った。脱衣場も銭湯や温泉と同じく、棚に籠が入っている。
プールの時とは違い、ここでは祐樹も大胆に服を脱いだ。
「わっ、祐ちゃんスタイルいいね!」
「ありがと。でもそんなに見られると恥ずかしいな」
視線を逸らせなくなっている颯斗に、晶が警告する。
「お前分かってんだろうな。おっ立てやがったら、捥ぐぞ」
ヒュンッ!と音を立てて颯斗くんの颯斗くんが縮こまった。
「それにしても祐樹、羨ましいな」
晶は自分と見比べている。プールの時から判っていたことではあるが、こうして如実に非情な現実を突きつけられると流石に傷付く気がする。
「なにしてるの? 先に行くよー?」
祐樹を見送った颯斗が晶の耳に口を寄せる。
「姉ちゃん姉ちゃん、祐ちゃんて……」
「それ以上言うんじゃない。下品だぞ」
「先ず体を洗おうねー」
祐樹がボディーソープを泡立て、颯斗の体を洗う。
「はい立って。前も洗うよー」
「ひゃあ? ちょ、お姉ちゃん、そこは……」
「ほら、おとなしくするの!」
「らめえ~///」
実を言うと祐樹は八神家の孫十人の中では上から二番目、男では一番上なのである。下の子の世話を焼くのは慣れていると言える。
だが髪を洗いながら様子を窺う晶は気が気ではない。背中を流すだけだと思っていたのに、ああ……そんなとこまで!
「決めた。あたしも祐樹と全身洗洗いっこする!」
「えっ? 晶はお姉さんなんだから、自分で出来るでしょ?」
「できる出来ないじゃなくて! 洗いっこしたいの! 恋人でしょ、あたしたち!」
「恥ずかしいからご勘弁願いたく」
「祐樹! ちゃんとこっち見て!」
「……」
「あたしは! 恋人同士の! イチャイチャを要求する! まずは! 洗いっこ!」
「……せ、背中を流すだけなら……それ以上は今後の検討課題とさせて頂きます」
「しゃーねえ、今日はこれくらいで勘弁しといたるわ」
妥協の産物である。祐樹は颯斗の体の泡を洗い流し、浴槽へ送り出した。プールだプールだとはしゃいで颯斗が泳ぎ始める。
「じゃあ晶、あっち向いて」
「どうも祐樹はあたしから目を逸らすよね。なんで?」
「恥ずかしいからだよ! ほら早く」
祐樹の手に握られたタオルが肩甲骨の縁や背骨を擦る。背中を流してもらうなんていつ振りだろうと晶は思う。小さい頃母ちゃんと銭湯に行ったけど、あれ以来か? あの時はこんなに気持ちいいとは感じなかったなあ。
シャワーが浴びせられる。実にすっきりした気分だ。
「ハイ交代。今度はあたしの番」
向きを変えると祐樹の背中。晶はソープを手に取り十分に泡立てた。タオルを使わず直接手で背中を擦る。お肌スベスベだなあ。羨ましい。
なで肩ではないが華奢な肩。少年のような背中から腰へのライン。祐樹、ちょっとやせ過ぎじゃない? 強くしたら壊れちゃいそう。でも胸はあたしよりある。羨ましい。
「晶、胸は洗わなくていいよ。自分で出来るから」
「こりゃまた失礼いたしました」
「なんでタオル使わないの?」
「この方が恋人っぽいから」
「手つきがいやらしいんだけど」
「気のせいでしょ?」
「腰をつかむ必要ある?」
「いやあ、細いなあと思って」
「お腹も洗わなくていいよ。くすぐったい」
本当はさ、このまま背後から抱きしめたいんだよ……と晶は思っている。颯斗がいなければ襲っちゃうんだけどなあ。
「隅々まで洗わないとダメでしょ? ほら、脚広げて!」
「らめえ~///」
三人で湯船に浸かり、お湯を掛け合って大騒ぎ。浴槽の縁に腰掛ける。晶と颯斗は両側から祐樹に寄り添い、湯気の中で笑い声が響き合った。
お風呂から上がったら居間でアイスクリームを食べた。一つ気付いたのだけれど、祐樹は何度もおばあちゃんから脚を閉じろと叱られていた。
祐樹の部屋に移り、ゲームの続きをする。しかし明日は平日だから夜更かしは出来ない。早く寝なさいとおじいちゃんに言われ、三人はゲームをやめて祐樹の四畳半から六畳の客間に移った。流石に三人が寝るには四畳半は狭すぎる。客間に入り、押入れから布団を出す。
「あたしは祐樹と一緒でいいよー」
「オレもー」
「またお馬鹿なこと言ってる……」
三組の布団を並べて敷く。寝具と言えばベッドが基本の姉と弟にはこれもまた娯楽らしい。
場所決めでまたひと悶着。二人とも祐樹の隣(同時に真ん中。祐樹の隣を独占するため)を主張し、結局祐樹を真ん中にすることで妥協した。
「こうやって三人並んで寝るのを川の字っていうんだよ。本当は子供が真ん中で親が両側なんだけどね」
祐樹が豆知識を披露した。
照明を消して豆電球の明かりだけになる。
「祐樹お姉ちゃん。オレさあ……」
颯斗が何か言いかけて黙り込んだ。
「あれ? もう寝てる……」
「今日ははしゃいでたからなあ。あたしも楽しかったよ、祐樹」
「僕も……」
一瞬心臓が止まるかと思ったけどね。もし僕の秘密がバレたら、きっと嫌われちゃう。
「祐樹、大好き」
「うん」
僕だって晶が大好き。でもこんな秘密を抱えたままで愛されるのは後ろめたい。だから僕は、晶に「好き」って言えない。僕は卑怯者だ。
「そっち行っていい?」
言うが早いか、晶が祐樹の布団に潜り込んできた。
「わっ、ちょっと!」
祐樹の拒否などお構いなし、腕枕をして祐樹を抱き寄せる。
「もう、強引なんだから。颯斗くんが起きちゃうじゃない」
「大丈夫。あいつは叩いたって起きないよ」
晶が覆い被さって来た。主体性の無い祐樹は、こんな風に強引に来られるのは嫌いではない。何も考えず相手に身を任せてしまえるからだ。それでもほんの少し、申し訳程度には抵抗する。
「ダメだってば。おじいちゃんたちだってまだ起きt」
唇をふさがれる。祐樹の体から力が抜けた。もうどうなってもいいや。祐樹は眼を閉じ、考えるのをやめた。
(以下三十ページ分、データ発見できず)
携帯電話のアラームが鳴るより早く、颯斗が目を覚ました。寝つきも良いし寝覚めも良い、実にうらやましい奴だ。さてその颯斗だが、祐樹お姉ちゃんの寝顔を見ようとしてとんでもないものを発見してしまった。姉ちゃんと祐樹お姉ちゃんが一つ布団の中で抱き合って寝ているではないか!
「姉ちゃん何やってんだー!」
思わず蹴りを入れる。
「痛てえ!」
晶が飛び起き、祐樹も寝ぼけまなこをこすりながら起き上がった。二人ともパジャマの前がはだけて、しかも祐樹お姉ちゃんの胸元にはキスマークがいっぱい付いている!
「交尾したんだ! こいつら交尾したんだ!」
「ちょ、おまっ、変なこと言うな!」
「寒くて温め合ってただけだから! ほんとにそれだけだから!」
晶は普段朝食を摂らない。母ちゃんは仕事に行く前にそれなりに準備をしてくれているけど、ぎりぎりまで寝ているので時間もないし、何より食欲がない。せいぜい牛乳を飲んで終わり。気が向いたらトーストを食べる程度。颯斗もだいたい同じだ。
しかし今朝はどうだ。食卓には炊き立てのご飯とお味噌汁、焼き鮭に目玉焼き、サラダが並んでいるではないか。
初めは断ろうと思っていたのだ。だがこれを目にしたら急に食欲が湧いてきた。お腹がぐうぐう鳴る。
「すげえ。姉ちゃん、こんな豪華な朝ごはん、旅館みたいだな!」
颯斗の感想に信子が失笑した。
「たんとお上がんなさい。おかわりもあるからね」
朝ご飯をきちんと食べるのって、やっぱりいいことなんだな。明日からはあたしたちもそうしよう。
「行ってきまーす!」
三人そろって玄関を出る。
「行ってらっしゃい。また来てね」
おばあちゃんが手を振る。
「晶ちゃん、祐樹を頼みます」
おじいちゃんが頭を下げた。
「もちろんです」
晶が白い歯を見せる。
「颯斗くんも、車に気を付けてね」
「はーい!」
元気な声が秋晴れの青空に響いた。
その日の放課後、さくらや集会でのこと。当然のことながら、終業時間の早い小学生が先に集まる。颯斗は姉がいないことを何度も確認してから仲間に打ち明けた。
「昨日、祐樹ちゃんの家に泊まった」
ΩΩΩ<「「「ナ、ナンダッテー!」」」
一同がどよめく。
「祐樹ちゃんて、アレだろ? 夏休みに越してきた……」
「めっちゃきれいなヒト!」
「そう! それ!」
「お前、どういう関係?」
「姉ちゃん繋がりだよ。姉ちゃん、祐樹ちゃんと付き合ってるからな」
「マジかよォ……」
「でな、でな! 昨日はなんとな!」
「なんだよ、早く言えよ」
「一緒に風呂に入った」
「「「え?」」」
「一緒に」「風呂に」「入った」
「……」
「……」
「……」
ΩΩΩ<「「「ナ、ナンダッテー!」」」(←二回目)
さくらや店頭が騒然とする。
「ほ、ほんとか? 一緒にお湯に浸かったのか?」
「おうよ。それどころじゃねえ、体も洗ってもらったぞ」
「まさか……TNTNもか?」
「あったりめえよ(笑)気持ち良かったぜ(笑)」
「ああああああああ! 羨ましいいいいいいいい!」
少年たちが悶絶し、転げまわる。
「ちょっとあんたら! うるさいよ!」
店のおばちゃんが出てきて叱られた。
「で、見たんだろ?」
「何を?」
「とぼけんな! 祐樹ちゃんのハダカだよ!」
「ふっふっふっ。……見た」
再び悶絶し、転げまわる少年たち。そしておばちゃんに叱られる。天丼である。
「で? で? で?」
「どんなだった? おっぱい大きかった?」
「ふっふっふっ。……肌がスベスベでな、スレンd」
不意に颯斗の言葉が途切れ、その場に崩れ落ちた。背後には握り拳を固めた晶が立っていた。更に後ろには顔を真っ赤にした祐樹が立っている。
「「「うわーっ!!!」」」
蜘蛛の子を散らすように少年たちが逃げ出した。しょう、みつきのグループがそこへ合流した。
「あら祐ちゃん、こっちは久しぶりじゃん」
「最近付き合い悪いよね~(笑)」
「ねーねーねー、あんたら付き合ってるってマジ?」
「えー? いったい誰がそんなこと言ってるんですかねー?(汗)」
「とぼけちゃってぇ」
「そうだよ(便乗)昨日だって体育館のとこでチューしてたじゃん(笑)」
「「うわーっ!!!」」
バレてた。まさか見られていたとは。色々軽率だったと後悔する祐樹。ちょっとだけ晶を恨めしく思う。否定したいが、到底誤魔化せる雰囲気じゃない。でもこうなったらいっそ開き直ってしまおうか。どうしたらいいんだろう。
「付き合ってるんでしょ?」
みつきに問い詰められ、二人はついに頷いた。しっかりと手を繋いで。
グループがわっと盛り上がる。
「おめでとー!」
「あ~あ、オレ祐樹ちゃん好きだったのになー」
「でも最初っからいい雰囲気だったし」
「納得と言えば納得だよねー」
「おれ応援するよ」
「なんにしても仲良くな。こっちにも顔出せよ」
第三章:紅葉の舞The falling leaves drift by the autumn wind.
祐樹に対する、男子たちの視線が熱い。
単に転校生だからとか、可愛いからだとかではない。今学期初めのお着換えハプニングもそうだが、あまりにも無防備なのだ。普通に眺めていれば一日に一回か二回はパンチラを拝めるし、見られてもあまり恥ずかしがらないところも良い。
思春期の少年たちには眼福と言うか目の毒と言うべきか。
「ねえくっしー」
レイム(仮名)が晶に相談を持ち掛けた。
「祐ちゃん、なんとかしてあげなよ」
「なんとかって?」
「無防備すぎるって。そのうち男子も抑えきれなくなるかもよ?」
「あー……」
晶としては、自分自身が祐樹のパンチラを楽しみにしているとは言えなかった。しかし男子にも見られるのは癪な気がする。
「わざと見せてるって思われたらどうする?」
「わかった、言っとくわ」
「教育(笑)任せたよ」
晶の分析によれば、ずり落ちたソックスを椅子に座ったままで引き上げる際がパンチラ率が最も高い。次の休み時間、祐樹が膝を立てたタイミングを狙って祐樹のスカートを抑えつけた。
キョトンとする祐樹の耳元で「あんたのパンツ見ていいのはあたしだけだから」とささやく。まだ解っていないようなので、そうやって大股拡げて膝を立てたら丸見えになるのだと説明してやった。これで少しは治まるだろうか?
閑話休題。
祐樹は臆病で人見知りが激しい。二学期が始まってひと月以上が過ぎたのに、会話したことのある同級生は何人もいない。女子とはそこそこ会話できるのだが、男子とは挨拶を除けばほぼ会話ゼロ、さくらや集会でさえ緊張せずに会話ができるのは(晶と颯斗以外では)あやかとしょうだけだ。
ぐいぐい距離を詰めて来るタイプは本来苦手なはずなのに、なぜ晶の場合は平気なのだろう、と祐樹自身が不思議に思っている。
そんな祐樹にラブレターが来た。ベタな展開で申し訳ないが、放課後に靴ロッカーを開けたらそこにあった。こんな時に祐樹の胸に湧く最初の感情は「恐怖」だ。見知らぬ誰かが自分と接触を図っている、その事実が堪らなく恐ろしい。できれば誰とも関わらずに居たいのに。
晶は一緒にいたがロッカーの場所が離れているため見られずに済んだようだ。祐樹は素早く封筒をスポーツバッグの外ポケットに突っ込み、何食わぬ顔をしようとした。だが晶の目は誤魔化せなかった。
「祐樹どうしたの? 顔色悪いよ」
「……ちょっと具合悪くなっちゃって。今日は遊べないかも。ごめんね」
「いいよ。無理しないでね」
心配だから家まで送ると晶は言ったが、正直なところ祐樹は早く独りになりたかった。晶の手を振り解いてでも駆け出したかった。でもそれで逃げ切れるわけではない。祐樹はただ黙って歩くしかなかった。
何があったか詮索されずに済んだのは助かったが、八神家の前で別れる時、晶の目はとても寂しそうだった。
おじいちゃんもおばあちゃんも顔色が悪いと言って心配してくれたが、事情は言えなかった。こんな時に全てを打ち明けられる性格ならもっと楽に生きられるのだろうか。
着替え終わり、震える手で封筒を開ける。文面は取り立てて特別な内容ではない。差出人の名は書かれていなかったが、詩の朗読云々とあるから恐らくは同級生だろう。今日の午後四時に中庭の某所へ来て欲しいと書かれているが、既に刻限は過ぎている。手遅れだ。
祐樹は深いため息を吐き、手紙を封筒に戻してゴミ箱に放り込んだ。だがそれだけでは安心できず、深夜祖父母の目を盗んで手紙を封筒ごと焼いてしまった。全てを無かったことにしようと思った。
「おはよう祐樹。今朝は顔色良さそうだね、安心した」
「うん。昨日はごめんね」
「気にしてないよ」
忘れよう。差出人には悪いけど僕には晶がいるんだし、それが全てだよね。自分の中で、祐樹は決着をつけたつもりだった。
そしてその日の二時間目の終わり。理科室からA組の教室へ戻る途中の祐樹を呼び止める者がいた。
「おい八神」
如何にも不機嫌そうな声に驚いて振り返ると、そこに立っているのは別班の男子だった。教室では一番後ろの扉側の席に座っていたはずだ。顔は分かったが名前が出てこない。(そういちろうと言う)
「ちょっと来てくれるか」
体の大きな男子が近づいてくるのは声も出せないほど怖かった。晶は先生の荷物運びを手伝わされてここにはいない。全身が震える。
「五分でいいから」
拒否も出来ず、無理やり(←祐樹主観)連れて行かれる。行先は西側の非常階段室。ここはほぼ人が通らないので生徒の密談に向いているとされる。
「おれ、昨日手紙出したんだけどさ。なんで来てくれなかったの?」
祐樹は返事もせずにその場を逃げ出した。腕を掴まれかかったが辛うじて振り切ることができた。
息も絶え絶えに教室に入ってきた祐樹を見て、その場の全員がざわついた。崩れるように席に着き、突っ伏す祐樹に、晶は椅子を蹴倒して駆け寄った。
「祐樹! どうしたの!?」
真っ青な顔で過呼吸を起こしかけている祐樹。
「保健室! 保健室に連れて行って!」
保健委員のエイリン(仮名)が叫ぶ。晶と二人がかりで肩を支え、保健室へ搬送した。
晶は祐樹に付き添っていたかったが、養護教諭に授業に戻れと追い出された。
ただの体調不良? そんなわけあるか! 誰かが何かをしたに違いないんだ。突き止めて締め上げてやる。教室へ向かう間中、晶はそんなことをつぶやいていた。
三時間目が終わり、晶は大急ぎで保健室に行ったが、祐樹は早退した後だと知らされた。お見舞いに行きたいが迷惑だろうか?
帰り道、八神家に寄ってみたが呼び鈴への応答はなかった。メールにも返信はなく、病院に行っているのかも知れなかった。
翌朝。祈るような気持ちで迎えに行く。祐樹が出てきた。一度は安心するが、たった一晩でやつれた顔に却って不安が膨らんだ。
その日、祐樹は一日中例の昏い眼で俯いていた。事情を聴いても「ごめんね」しか言わない。謝って欲しいんじゃないよ、何があったのか話して欲しいんだよ!と叫びたい気持ちを抑えて晶は祐樹を見守っていた。
昼休み。晶がトイレから教室に戻る途中、そういちろうが話しかけて来た。晶とそういちろうは二人ともバスケットボールが好きで、その繋がりからクラスの中ではそれなりに交流が多い。内密に話したいというので非常階段へ移動する。
「なあ。串崎って八神と仲良かったよなあ?」
「それは……まあ」
祐樹との約束の手前、詳細は言えず言葉を濁す。こいついったい何を言いたいのかと思っていたら、そういちろうはとんでもないことを言い出した。
「おれ、昨日八神に告白したんだけどさあ……」
晶はいま自分がどんな顔をしているのだろうと思った。目からビームでも出ているんじゃなかろうか。そんな晶の変化に気付かず、そういちろうが言葉を続ける。
「返事貰えてないんだわ。昨日直接聞こうとしたら逃げられるし。上手く聞き出してくんねえ?」
「……」
しばらくの間、晶は黙っていた。色々な思いが渦を巻いている。
そうか、こいつのせいで祐樹は……。そうだよね。祐樹は可愛いんだから、普通に男子にもモテるよね。祐樹もあたしより男の子の方が良いのかな。そういちろうにはなんと返せば良いのだろう。祐樹、どうしてあたしには何も言ってくれなかったのかな。ショックだな。
「なあ、頼むよ。おれ本気だからさあ。せめてイエスかノーかだけでも聞いて欲しいんだよね」
そういちろうの無神経な(←晶主観)物言いが神経を逆なでした。
「返事をもらえないのが返事だろう? そんなことも解んない? そんなんだから嫌われるんだよ!」
呆気にとられるそういちろうと、返答も待たず立ち去る晶。つい言葉が辛辣になってしまった。そういちろうには申し訳ないことしたかなあ。これはあたしの嫉妬であって、別にそういちろうが悪いわけじゃないんだよなあ。
教室に戻ると祐樹が自分の席でぼんやりと座っている。一言相談してくれれば良かったのに、と晶は心の中で恨み言を言った。何よりも、打ち明けてもらえなかったことがショックだよ。あたし、信頼されてない? 本当は愛されてないのかなあ……。
串崎家のリビングは狭いながらも笑いに満ちている。笑うのも笑わせるのも大好きな睦美の性格がよく反映されている。
だがその夜、晶は帰宅以来ずっと不機嫌だった。膝を抱え、ムスッと黙りこくっている。睦美がコーヒーを淹れ、マグカップを晶の前に差し出した。颯斗には宿題でもやってろと言って部屋に引っ込ませた。
「青春の悩みかい? 母ちゃんで良ければ聞くけど?」
カップを受け取り、晶はそういちろうとの一件を話し始めた。こんな話をしても良いものかと案じながら。
「でも母ちゃん、それだけじゃないんだ。祐樹はさ、なんか大きな……秘密?みたいなこと抱えてるっぽいんだ。親元離れておじいちゃんたちと住んでるって、もうそれだけであんま普通じゃないだろ? でもあたしには何も話してくれない」
晶の声が微かに震えた。
「あたし祐樹の力になりたいのに。なんで何も言ってくれないんだろ……」
晶の心の、小学校時代のいじめの記憶、女の子らしくない、気持ち悪いと囁かれた傷が疼く。祐樹はあたしと同じ傷を持っている気がする。
睦美が自分のマグカップに口をつける。
「祐樹ちゃんってさ、とってもいい子だよな。あたしゃ二三回しか会ったことないけど、すごく優しい子だろ?」
晶は無言で肯いた。
「で、お前は祐樹ちゃんをめっちゃ大事にしてるよな」
そりゃあ恋人だからね。晶はもう一度頷き、拳を握り締めて言葉を絞り出した。
「祐樹はさ。いつも何かに怯えているような……そんな目をしてるんだ。あたしと遊んでる時だって、たぶん本当にはあたしを信じてくれてない気がする」
晶は両膝を抱え、顔を埋めて泣き出した。
「あたし、祐樹のこと守りたい。力になりたいのに、祐樹はあたしに心を開いてくれてない。あたしのことも本当は好きじゃないのかも知れない」
晶が落ち着くまで、睦美は黙ってコーヒーを飲んでいた。晶は本当に祐樹ちゃんが大好きなんだなと思いながら。女同士の恋愛ってのは自分には理解できないけれど、人を好きになる気持ちにそう大した違いはあるまい。
「なあ晶。祐樹ちゃんもきっと悩んでるんだろうな。昔のお前みたくさ」
また無言で肯く晶。
「よく言うよな。悩みは人に話せば楽になるって」「でもさ、本当に辛い悩みって、人には言えないと思うんだよね。どんなに親しい仲でもさ」
晶がハッとして顔を上げた。
「いや、逆に親しいからこそ言えないこともあるんじゃないかな」
晶は不満そうに目を逸らす。睦美がカップをテーブルに置き、若い頃を思い出すような目で続けた。
「母ちゃんにだって晶に言えないことの一つや二つ、あるんだよ。例えば、なんでウチが母子家庭なのか、とかさ」「あまりに辛過ぎてな、今はただ時間が過ぎるのを待ってる。祐樹ちゃんだって同じさ。今はまだ話せないってだけさ。いつかきっと話してくれるよ」
晶が再び膝に顔を埋める。
「でも……」
晶は声を小さくする。
「あたし、祐樹のこと守りたいのに、当てにしてもらえないなんて……」
睦美は笑みを深めた。
「ばか! お前が祐樹ちゃんを信じてやらないでどうする。そんなウジウジくよくよしてるお前じゃ祐樹ちゃんから信じてもらえないぞ」
晶が顔を上げた。あれれ? あたし、もしかして今、すごくカッコ悪い? 祐樹のこと信じてないのはあたしの方か? 正座して姿勢を正す晶。
「あたしが間違ってた。母ちゃん……あたし、祐樹のこと、ちゃんと信じる。待つよ。祐樹が話してくれるまで、いつまでも待つ!」
「お、いい顔になったな。それでこそあたしの自慢の娘だ。祐樹ちゃんだってさ、いつかきっと分かってくれるだろうさ。お前はほんといい子だ」
「からかうなよ、もう!」
窓の外から虫の声が聞こえて来る。風がススキを揺らし、夜が深まる。祐樹、あたし、ちゃんと強くなるからね。祐樹の秘密を受け止められるくらいに強くなったら、きっと聞かせてね。
晶の心は、祐樹への思いと成長への決意とで輝いていた。
(後半へ続く)
長過ぎるかと思い、前半と後半に分けて投稿します。




