最終話 ここにいるよ
《──はい。私はここにいますよ》
突如響いた〈淑やかな女の声〉に、召喚の間は震えた。
丸い台座の上──モナの声に応じて、艶めきの板が応えたのだ。
今まで誰が何をしても黙秘だったその板は、今は、その暗澹に揺らめく球体を現し、静かに揺らめかせている。
誰も、何もできなかったのに。
触れることさえままならなかった〈艶めきの板〉に、悠々と近寄るのは彼女だけ。
モナ・シンドバルト。
異界の女性である彼女は、怖がる素振りもなく、相棒に手を伸ばす様に〈艶めきの板〉を拾い上げると、
「──応えてくれてありがとう」
《お役に立ててうれしいです》
また響いた清楚な声。
それに、当たり前のようにほほ笑むモナは、神託を預かりし聖女のよう。
しかしそんな状況を、魔導士側が受け入れられるわけがない。
「なっ……!? 魔球が応えているだと……!?」
「モナちゃん……!!」
「貴様ァ、なにを呼び出した……!?」
恐怖におののく誰かの声。
焦りと驚きに染まったゼフィルの声。
そしてグランは、畏怖と怒りを交え低く唸りを上げている。
しかしモナはそのどれにも目を向けず、一挙、一動。
煌々と明かりを放つ板を触り、クスリとほほ笑むと、グランに、周りに、板を見せつけながら、言った。
「──術。解いてください。解いてくれたら〈彼女〉を抑えます」
「……な、なんだそれは!」
そう告げるモナの、手のひらの中。
高速で増えるそれを目の当たりにし、グランアバールは恐れの混じった悲鳴を上げた。
彼には理解できなかった。
《《中で勝手に動いている》》。
今まで漆黒をたたえていただけのそこが、今、目まぐるしい速さで動いている。それが数字だと理解した瞬間、言い知れぬ恐怖が駆け巡り言葉が出ない。
そんなグランを見据えながら、モナは静かに口を開くのだ。
「これが、我が国の力です。見てください。すごい速さで数字が増えてる。これだけの力が内包されているんです」
ごくり、と誰かが喉を鳴らした。
あの小さな物体の中に、一体どれだけの力が込められているのか。
瞬時彼想像するのは精霊や神々である。
あれはまさか、そんな大いなる存在を宿しているのだろうか……!?
それに応えるように。
モナは凛とした声で問いかける。
「研究者である皆さまならわかりますよね? これを解き放てばどうなるか。わたしがひとこと望めば、ここを更地にすることもできる」
「は、バカな……!」
「真実です。この端末で、今までどれだけ多くの人が焼かれ、苦しみ、のた打ち回ってきたか。わたしは見てきました。これにはそれほどの力がある」
「……ッ!? こいつ、まさか、炎神を宿しているのか……!?」
もはや、これで十分だった。
誰かが唾を飲み込む音がやけに大きく響く。
グランはそこから目が離せない。
ゼフィルが小さくモナの名を呼ぶが、モナは続けた。
グランを見据え、堂々と。
「いかがなさいますか? このまま続けますか?」
「何が望みだ!」
「望みは一つです。わたしと彼を、そっとしておいてください」
「…………は?」
彼女が告げた静かな望みに、動揺の声が落ちた。
しかし、モナは数回首を振ると、〈艶めきの〉……いや、〈炎神の宿り板〉を胸元に、両手で包みながら言うのだ。
「彼は魔導士協会に戻ることを望んでいません。あそこで静かに暮らしたいんです。それはわたしも同じ。もう、関わらないでください。それが叶えば、わたしは彼女を抑え、立ち去ります」
「──ふ、ふざけるな、ゼフィルを離せというのか……!」
「ええ。その通りです。それが条件です」
間髪入れず頷く彼女に、召喚の間が静かに揺れた。
魔導士たちも、魔法陣も。
誰もがグランの返答を待っている。
「約束します。わたしは何もしない。あなたたちを傷つけない。わたしたちを脅かさない限りは」
──毅然と出たモナの振る舞いに、もう、誰も杖を構えなかった。
肩を落としたグランが腕を振るう。
ゼフィルに巻き付く銀の糸が消えていく。
ふっ……とゼフィルが肩の力を抜いた時。
モナはそっと手を伸ばした。
その青い瞳に、優しさと慈しみを宿して。
「……ゼフィー、帰ろう?」
「……でも」
「──一緒に帰ろ。一緒がいいの」
彼の揺らぎも包み込んで。
手を取り、ふたり、元ある場所へと帰っていく。
*:.。.:*
空間をまたぐ、不思議な感覚に目を閉じて。
行きとは違う、〈穏やかな魔術の流れ〉に、心地よく瞼を開ければ、ぼんやりと見え始めたのは〈オルマナの祭壇〉。
「……か、かえってきた……?」
ゼフィルと共に、陣の上。
淡い光を納めつつある魔法陣に座り込んで、モナは安堵の息を吐き出していた。
ふぅ……と空を見上げれば、もうそこは薄明り。
夜空を彩っていた羽根飾りも収まっているようで、白み始めた空が広がっていた。
そんな夜明けに、もう一度。
──ふう──っと息を吐き出して、ひとつ。
モナは慌ただしくあっちこっちを確認するように目くばせすると、
「〈オルモナの祭壇〉~……っ、
〈ゼフィー〉、
あ~……ほっとした気が抜けた~
手ぇ震えてる笑える~……!」
「──っ……! モナちゃん……ッ!」
「……!?」
ぐんっ……!
小刻みに震える指も、ごまかし笑う自分も全て、腕の中に封じ込めるように抱きしめられて。
モナは、青の瞳を驚きに染めた。
「ゼフィ?」
魔法陣の上。座ったまま声をかける。
問いかけにも彼はすぐに答えない。
ただ、余裕のない息遣いが耳に響いて、そんな彼に、くすり。
彼の震えをなだめるように、声を張って言う。
「大丈夫だよ、何とか乗り切ったね!」
「ちげーよ!」
──違う?
間髪入れず、勢いよく飛んだそれに一瞬止まる。
しかしその疑問を察したように、ゼフィルはモナの両肩に手を置くと、ぐいっと引き離し──その眉を下げ、必死を宿して、
「無理したんだよな? 怖かっただろ? つか、巻き込んでまじごめん、ほんと、ほんと、好きな女も守れねえで、オレ、なにやってんだ!」
堰を切ったように言い、息継ぎ。
そして優しい緑の瞳に憂いを滲ませると、罪悪感を滲ませ、首を振る。
「ジジイが言ってたこと、あれ、マジでさ、オレ、モナちゃんに嫌われても恨まれても仕方ねえって思っ──」
「…………」
ゼフィルの、自責を引き留めるように。
モナはすっと身を乗り出し、彼の頬に唇を寄せた。
小さく響く、照れくさい音。
途端彼の瞳が揺らめいて、こちらを見つめる緑に映る──熱と動揺。
そんな彼に微笑んだ。
誠実と、親愛を乗せて。
「……わたし、ゼフィーの罪じゃない。
ゼフィーが自分のこと責めることない」
瞳はそらさない。
伝わってほしいから。
「恨んでない。嫌いじゃない。会えたこと本当に幸せ」
告げた先、彼の表情が変わりゆく。
申し訳なさそうなそれは、恥じらいと驚きの混ざった色へ。
みるみる煌めく彼の瞳を間のあたりにし、逆に、モナは視線を外して頬を掻いた。
恥ずかしい。
「……伝わった、かな、はずみでキス、しちゃったけど」
「……モナちゃん……」
呟く彼の、甘えるような音に心が震えた。
その、しゅんとしながらも縋るような瞳に、思わず膝立ち。
勢いよく腕を広げ、モナは彼に飛びつくと、
ぎゅうっ!
「もー、そんな子犬みたいな目されたらたまんなくなっちゃう! ぎゅってする! ハグ! 守りたいこの笑顔ッ!」
「もなちゃ、む……胸、息っ」
「あっ、すいませっ、調子に乗りましたごめんなさっ……!」
慌ててワタワタと手を振るゼフィルに、高速日本人で謝った。
こういう時に、可及的速やかに「すみません」が出る辺り、やはりモナの根元は日本人だ。
っていうか、この〈すみません〉、久しぶりに出た気がする……
──と。こっそり呟くモナの前で。
ゼフィルは、なぜか、いまだ心配が抜けきらないようだ。
魔法陣の上、ちょっぴり反省するモナをまじまじと見つめると、
「つか、マジで、無理してない……んだよな?」
「ん? むり?」
「だって、その、〈艶めきの板〉……」
そっと指さす、モナの膝横。
ことりと落ちた〈艶めきの板〉……いや、スマートフォン。
「あ。これ?」
言われてひょいっと拾い上げた。
数か月ぶりのそれはもはや懐かしいレベルだが、やはり手に馴染む。
ほんわりと明かりを灯すスマホに、ゼフィルの訝し気な声が落ちるのだ。
「それ、そっちの世界の、精霊憑依道具とかなんだ、ろ?」
「ううん、ちがうよ」
問われ、あっさり否定する。
まったく違うが、笑ったりはしなかった。
モナがそう誤解させたのである。
バカにしたら失礼だし、それをネタに脅すつもりもない。
彼には真実を話しておきたい。
そんな心持で、ひとつ。
モナはくすりと笑いかけると、スマホを手に取り画面を見せて、
「──これ、うちの世界のスマートフォン。通信端末って言えば伝わる?」
「……?」
「お手紙の、デジタル……電子……、えと……電気とか科学がないから、えーと……」
えーと。
「お手紙の凄いやつ」
「ぜんぜんわかんね」
「ですよね」
モナは説明に失敗した。
電気もデジタルも化学もないこの世界で、これをどう説明したらいいものやら。
上手い置き換えを探して、頬に手を置き悩むモナに──
ゼフィルの、困惑は、更に届いてくるのだ。
「でも、あの、焼き尽くすんだろ?」
「え?」
「世界、焼き尽くす道具だって言ったじゃん。それぐらいの力あってさ、モナちゃん、無理したんだろって……」
「あ──、えっと──」
こりこり。ぽりぽり。
視線を反らし、いっぱく。
魔導士の彼がそう心配するのも無理はないが、あれは、その、そうではなくて──
「あれはまあ比喩というかなんというか、炎上は炎上なんだけど物理的に燃焼してるわけじゃなくて~、ネットで炎上して燃え上がる系のそれで、……あ~むず~~……」
「物理的に燃えてない? のに、〈炎上〉?」
「ウン、だから、あの、ネットで、誹謗中傷で、あ~…………むずいて! 語彙が無いって!」
あっさり暗礁に乗り上げて、モナは両手で顔を包んで突っ込みを入れた。
無理だ。
どう考えても説明できない。
ネットの概念もなにもない世界でそんなの話したところで、混乱を招くだけだ。
そしてモナの思考は、逃げるように転がっていく。
先ほどの召喚の間。
魔導士相手にはったりをかましたこと。
うまい具合に「燃やし尽くした」などと言い乗り切ったが、あそこで魔術の一つでも撃たれて居たら命はなかった。
いや、そもそも、あそこでスマホが応えてくれなかったら──
ここに、帰ってこれなかったかもしれない。
そんな思いが沸き上がり、モナは、再びゆっくりと画面を覗き込み、ロックを解除しながら息をつくと、
……はあ。
「っていうか今更だけど。……電池もったのマジ奇跡だった……。答えてくれてありがとね、ほんと……!」
「デンチ? もった?」
「そう。こっちに来て少なくとも三か月は経ってるじゃない? 機種変したばっかだったけど、それでも三か月も充電なしで動くわけが……。あ! フライトモード!」
言いながら気づく、画面上の飛行機マーク。
疑問符だらけのゼフィルを置き去りに、慌てて手を伸ばすは、返してもらったビジネスバック。異世界に来た瞬間からなくなってたそれを引っ張り寄せると、バッグの中に手を入れ──
「てかモバイルバッテリー出てきた!
あ~、なるほどそれで……!
電波も探さずに静かに三か月耐久出来たんだ……!
てかわたしアラームのそのままだったのでは?
ってことは毎朝ビービー鳴ってた?
ってか充電18%!? うっわ、ぎりぎり~!」
ゼフィルを視界の隅に独り言を言いまくる。
電池僅かなスマホに、財布にコスメポーチ、推しの概念グッズにハンドタオルに、コンビニのおてふき。……さりげなく出てきた免許証は握りつぶしてそっとポケットの中だ。
運転免許センターの残酷写真機でとられた素顔は、何としても隠しておきたい。
と。
ひとりでこっそり、懐かしさと修羅場に襲われるモナの後ろで。
────はぁあ……
心底、安堵に抜けた息遣いが響いて……モナはそっと振り向いた。
ゆっくりと捉えたのは、ゼフィル・ローダー。
彼はオルモナの朝焼けをバックに、瞳を滲ませほほ笑むと、
「良かった。
オレ、無理させたんじゃなかった。
良かった、死んじゃうんじゃないかって、怖った。あんとき」
そんな彼に、”とくん”。
震えた想いを、そのまま。
伝えたくて、口を開いた。
「……ここにいるよ」
今度は、そっと。
包み込むようにゆっくりと、腕を回して想いを告げる。
どこにも行かない。
逃げたりしない。
あなたの隣は、わたしで居たい。
「ゼフィー、わたし、ここにいるよ」
「……うん」
甘えるように告げた気持ちに返ってきたのは、柔らかな声としっかりとした腕の感触。
彼の腕が背を抱いて。
くしゃりと髪が音を立てて。
とくんとくんと鳴り出す鼓動ごと抱くように。
ゼフィルの声が響く。
彼の、胸の温もりと共に。
「モナちゃん。オレのそばにいて」
見つめ合う。
彼の瞳に映ってる。
「ずっと大事にする。だから、オレのそばにいてほしい」
真剣な彼に、喜びをたたえて。
彼女は深々と頭を下げて、こう告げた。
「不束者ですが、よろしくお願い致します」
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