急雲暗雷 2
──それは、言ってはいけない言葉だったのだろう。
元の日本か、それともこっちか。
どこで失くしたのかもわからなかった、モナの荷物一式。
その中のひとつ〈普通自動車運転免許証〉を目にして思わず飛び出た言葉は、召喚の間をざわめきで埋めた。
闇に溶けていた魔導士が一斉に姿を現す。
そして戦犯を見つけたかのように、口々に言いだすのだ。
「あいつだ……! 特徴がそのものじゃないか!」
「召喚体0066! 逃げやがって!」
「貴様ぁ! 〈艶めきの板〉、あれはなんだ! とんだ術を仕込んでくれたな!」
「面妖なものを! 恐ろしい女だ!」
「──ちょ!? 待って、なに、何の話……!?」
畳みかけるような罵声と詰問に、モナは悲鳴交じりに退いた。
何を言われているのかわからない。
艶めきの板ってなに? そんなの持ってない。
術を仕込んだ? なに言ってるのこの人たち……!
ずっ。と、床を擦って足が逃げる。
怖気づいた自分を護るように、肩を掴むゼフィルの力が一層強まる中、魔導士たちの非難は続くのである。
「我々を滅ぼすつもりか!?」
「毎夜同刻、けたたましく騒ぎ立ておって!」
「召喚体の癖に我々魔導士を滅ぼそうと!」
「だからなんの話ですかわかりません……!」
「問答無用! 総員! 用意ッ!」
「──────止めろ!」
息もつかせぬ勢いで杖を向けられ、モナの表層が絶望に染まりかけた時。ゼフィルの怒声が、空気を裂いた。
彼は殺気を放ちながら一歩前に出、モナを庇うように胸を張ると、取り囲む全員に聞こえるように叫びをあげる!
「手ぇおろせ! 術向けんな! てめえらが勝手に召喚して、勝手にビビってるだけじゃねえかよッ! ふざけんなよ!」
「──ふざけてるのはおまえのほうだろう、ゼフィル。我が孫よ」
「「グランアバールさま!!」」
悲痛なゼフィルを、遮るように。
低く、しかしはっきりと響いた威厳ある声に、無数の魔導士たちが声を上げた。
魔法陣の奥、階段の上。
黒衣の老人がゆるやかに降りてくる。
緑の瞳はゼフィルと同じ色だが、冷えた光をたたえており──
ぎらついて底が見えない。
そんな、ゼフィルの祖父にごくんと息を呑むモナを、全く視界に入れず。グランアバールは言う。ゼフィルと同じ緑の瞳を冷淡で満たし、低く、低く、裁きを与えるように。
「ゼフィル。お前は己の研究に溺れ、暴走し、我らに牙を剥いた。そして今また、禁忌を外部に持ち出している。まるで懲りておらんな……」
「──は、逃がしたのはどこの間抜けだよ、じじい」
軽口で煽り、ゼフィルがモナの前に出る。
ぴくんと動くグランの眉。
それは、如実に不快を表しており、さらに、一層、ヤツの気迫を研いでいく。
「口の悪さは親譲りか。不肖の息子・愚かなる孫を持ち苦労が絶えぬ。お前がそれらを償い頭を垂れ、我がもとへ戻ると言うのならば──、すべて水に流し赦してやらんこともない」
「ほざけ」
「──そうか。では、やむを得えん」
言うなり、グランの指が動いた。
刹那光り輝く足元の魔法陣。
紋様が鮮やかに浮かび上がり、淡い銀光が糸のように伸びたと察したその瞬間!
──どん!
視界がよろめき数歩、たたら踏んだ。
ゼフィルに肩を押されたのだ。
覚束ない脚が魔法陣を外れ、どん! とモナが床にシリモチをついた時。
銀の糸が稲妻のように絡みつき、ゼフィルの全身を締めあげる!
「……く、そッ……!」
途端、かくんと膝が抜けたように膝を着くゼフィル。
「ゼフィー!?」
「──寄るな! 致命傷じゃねえ!」
焦りに満ちた声賭けに返ってきたのは、怒り交じりの牽制。
「ジジイ!! てめえ!! 何考えてやがる! 循環魔封なんて、一般人に使ったらどうなるかわかってんだろ!」
声をかすれさせながら、ゼフィルは叫んだ。
彼が怒るのは当然だ。
『循環魔封』。
正式な呼称を『魔道循環封術』といい、対魔導士相手の拘束術だ。魔力を持たないものに使えば、全ての循環に乱れを引きおこし、最悪命を奪ってしまう。
つまり今、グランはモナをも巻き込み命を奪おうとしたのである。
しかし、それを悪びれることもなく。
グランアバールはモナに一瞥を向けることもなく、ぬたりと口を開くと、
「奴隷に何を言う? また、気が触れたか。孫よ」
「……ざっけんじゃねえ!!」
──《家畜》。
顎を触りながら、不快ななにかを味わうように述べるグランのその台詞に、モナの眉がぴくんと動いた。
しかし、彼女に動く術などないのだ。
膝をつくゼフィルに寄ることもできず、震え出した足に力を込めて、ただ堪えるモナの前。
グランは、すぅ──と音すら立てずにゼフィルに距離をつめると、まるで、虫けらの悪戯を見るような、無をたたえた顔で首を傾げ、
「のう、ゼフィル。何故それほど守る?
その奴隷の何が良いのだ。
顔か? 声か? 躰か?
過去の女に重ねているのか?
愚かな孫よ」
「──アンタにはわからねえだろうよ……!」
「わからぬ。なぜ同じ過ちを繰り返す」
「──おなじ、あやまち……?」
モナが小さく呟いた。
そのつぶやきは、思いのほかその場に響き、静寂の闇をツンと張る。
ゼフィルが揺れる。
「言うな」
短く、叫ぶような声。
間髪入れずにグランの問いが響いた。
「ゼフィル。お前がかまけ、情をかけたあの奴隷女はどうなった? 〈才あるお前と無価値の女〉。釣り合わぬ女は《どうなった》?」
「──今ッ! それ言うなつってんだろッ!」
「身の丈に合わんものに惹かれた愚かモノは、あっけなく消えた。才あるものを求めたからだ」
「オレは……もう協会の人間じゃねえ!」
「──お前の才は変わらぬ。いくら逃げようと」
悲鳴に近いゼフィルの訴え。
それを、無残に切り捨てるグランアバールの冷淡な声。
モナの中、かつてのゼフィルが蘇る。
『人には立場や階級がある』
『それを無視して感情に食われるといいことがない』
あれは、こういう背景があったのだと、胸の痛みと共に堪えるモナに、次の瞬間。
ぬるりとグランの目が向いた。
ごくん! と喉を鳴らすモナに、しわがれた問いが降る。
「──女。お前はこいつを好いているのか?」
「……答える義務はありません」
短く返した。
精一杯の虚勢だ。
それを見透かしたのだろう。
グランの口角が愉悦に上がる。
「ほう。気は強い。しかし、嘘が下手だ」
こつ。かつ。
グランの硬い靴音が二人を追い詰める。
ゼフィルは、体中をほとばしる白銀の茨で動けない。
モナはとっさに地を蹴った。
庇うようにゼフィルの前に躍り出るが──グランの一振り。
圧縮された風のようなものに押し出され、唸り声をあげることもできずに地に伏せた。
「──モナちゃ!」
悲痛な声が響く。
そして、それに追い打ちをかけるように、グランは悠々と問いかけるのだ。
「なあゼフィル。仮にお前の気持ちが本物だったとしよう。真にこやつを愛し、真実の愛を紡ぐ相手だと仮定したうえで、聞こうじゃないか」
「……!」
「お前の所業を知ってなお、傍に居られるのか、と」
「──ッ……!」
「……ゼフィー……?」
不穏な単語に、声が震えた。
ゼフィルの背中がかすかに強張る。
こんな音、出すべきじゃなかったのに、こぼれたそれが彼を追い詰めた今に愕然とする。
そんな揺らぎを、更に突くように。
グランが続ける。
厭らしく。
「女。貴様はこいつが、異界研究に精を出し禁忌をおこしたことは知っているのか」
「……やめろ」
「好奇心に抗えず、異界より数多のものを呼び寄せたのは知っているか」
「やめろ!」
「幾多の召喚物を犠牲にしたことは?」
「それはッ、それはしてない!」
「違う!
お前の研究がもたらした成果だ!
お前の罪だ!
お前が編み出したのだ!」
「──やめてくれッ!!」
ゼフィルの怒声が石壁に響いた。
しかしその必死さすら、グランには愉悦の種だ。
「……ふ、はははははは。ほら見ろゼフィル!
女はお前を怖がっている!
お前の罪を知り、恐れ慄いている!
当たり前だ、お前のせいで世界をまたいだのだから!
お前を恨んでいる!」
「…………」
「これでわかっただろう!? 才は人を遠ざけ恐れとなり、力あるものに降り注ぐのだ! 畏怖・侮蔑・憐憫・憎しみとなって降りかかる! それが真理だ!!」
──真理? へえ。
愉快に語るグランアバールを、《画角を引いた脳で捉えながら》。
腹の奥、静かに怒りをたぎらせる女が一人。
モナの拳が静かに憤怒を握りしめ、瞳がソレを探していることに、気が付かず。
グランは両腕を広げると、
「……そんなものに心を許してはならない。
お前はここに居なければならない。
我々は恐れない。
いいか、お前が輝けるのはここなのだよゼフィル。
お前を誑かしておきながら、真のお前を知るや否や拒絶する存在など捨て置け。お前がこちらに戻れば、あの女の命までは取らん」
まるで、仕込んだ罠の上を歩かせるかのような毒。
甘く囁く悪魔の言葉。
──だが。
「さあ、おいで、ゼフィル。我が愛しい孫よ!」
「……行くことない」
悦に騙るグランのそれを断ち切るかのように。
はっきりと、強く発したモナの声は、魔導士協会奥底に響いた。




