奴隷と社会人 2-2
「──す、すすすす、すみませんえっと勝手に、聞く前にやるべきじゃなったですね、申し訳ありません!」
「…………ちげーって」
「以後気を付けます! 申し訳ありま!」
「────ちげーって」
モナの高速謝罪を遮って。
部屋に響いたゼフィルの声は、少し低く、驚きを宿し、モナの動きを止めた。
違う? 違うってなに、え?
なにすれば良かった?
──と、高速で「怒られないルート」を探すモナの前。
ゼフィルは”すぅ────”と、深く息を吸い込むと、ぼさぼさの髪を掻くのも忘れて言うのだ。
「すっげ。驚いた」
「…………え」
心底びっくりした声に、ぽかんと顔を上げた。
そんなに驚かれることをした覚えはない。
こんなの社会人としては当然だし、労働環境の整備は当たり前のことだ。むしろ、これぐらいできなきゃ嫌味なお局にちくちく言われるのが日常茶飯事だった気がするのに──
が、しかしゼフィルは、そのオリーブグリーンの瞳を丸めてモナを直視すると、
「モナちゃん、アンタ、掃除のプロ?」
「────へ」
「だってほら。〈床まで拭いた〉? マジプロじゃん。すげえ。天才?」
「いえいえいえいえそんなそんな! 全然全然ッ」
言われてモナはぶんぶん首と手を振った。
恐縮と謙遜の「いえいえ」モードだ。
しかしゼフィルは遠慮しない。
高速で揺れる赤髪と、ビビり散らかす青い瞳に、じっ…………と見つめ射ると、
「つか。何時から起きてたの?」
「エト、あの、」
「一時間前とかじゃねーだろ? だって、めっちゃ綺麗だし」
「ァ、と……太陽が眩しくなったころ……から? デスカネ……」
「ええええええ嘘だろ寝てていいのに~! マジ? ガチで? うわ~働きもんじゃん!」
聞かれて、言葉を探しながら。
頬をコリコリ掻きつつ、引きつり気味に返したモナに、ゼフィルは大げさに頭を抱えて首を振る。
そんな彼の声と仕草に──
モナは〈ぽか────ん〉と立ち尽くした。
あれ? そこまで求められてない?
あれ? あれ?
だって〈奴隷〉、あれ??
常識がぐるぐるする。
教科書で習ったこと。
動画で見た『奴隷の実態』。
テレビでやってた奴隷特集──
……奴隷って、朝から晩まで過酷な労働を強いられ、気に入らなければ殴られ虐げられ、女なら男のお世話もして使い捨てられるのが〈奴隷〉であり、いくらゼフィルさんがチャラくてもそこは変わらないんじゃ……?
──と、思考と常識が小宇宙で回る中。
オルマナ住まいのゼフィルは、うーん、こりこり。
〈参ったねこりゃ〉と言わんばかりの表情で後ろ頭を掻きつつ瞳を回すと、
「……ってかびっくりしたわ~。来て翌日にこんな動ける奴隷はじめてだし? 二日目なんて大体、死んだ目して動けねえか反抗的に睨んでくるかだっつーのに」
ぽりぽり。がりがり。
「疲れもやべえだろうからさ~? 二日目はぐったりして動けないヤツが多いんだぜ? なのに、モナちゃん。マジかよ、びびった」
「……イエあの……」
心底驚いた、と言わんばかりに目を丸めまくるゼフィルに、モナは、全力で喉を絞った。
まさか『ふつーに新人社会人』しただけでこんなこと言われるなんて。
どうしよう。
完全に新人の初出社の感覚だったなんて言えない。
どうしよう、え。どうしよう。
しかし、そんなモナの内情を知らないゼフィルは閃いたように指を弾くと、オリーブグリーンの瞳に真剣を乗せて言うのである。
「わかった。モナちゃん、奴隷経験者だ」
違う。
「なあ、どっから逃げて来た? 元のところは辛かったんだよな?」
違う、違う。
「い、いえ、あの……ッ!」
「悪い、二度も怖い思いさせたよな。だいじょぶだよ、ここではほら、気ぃ抜いてくれていーから」
可哀そうな人を見る目。
ちがう、ちがう。
「──イヤ、ェト、あの……ちが……ッ!」
「楽に行こうぜ。だいじょぶだいじょぶ、オレ、鞭とかもってねーし。女の子なぐる趣味ねえし。あ~、脱走は困るけど、マジあの~、こんな重労働しなくいーから」
「や。アノ、エトォ……!!」
──ち、ちがうううう……~!
社会人として普通のことをしただけでぇぇ……!
ゼフィルの渾身の励ましと同情に、モナは、頭の中で泣きながらしゃがみ込んだ。
まさかである。
まさか、『社会人として普通のことしておけばとりあえず怒られはしないだろう』と考えての行動が、全力の同情と励ましを買うなんて思わない。
想定外に褒められて。
想定外に同情までされて。
真正日本人のモナは、小刻みに首を振り手を振り言い返す!
「ど、奴隷じゃなかったですからッ! えと、大丈夫です!」
「なにがだよ~……、朝からこんな完璧に掃除して〈奴隷の経験ない〉ってさあ」
「ふつうです!」
「いんや。どー見ても訓練受けたニンゲンのシゴ──……あ。」
ぴたっ。
ピーン。
──キリッ。
「──わかった。貴族の召使い?」
「ちちち、違いますッ!」
「じゃあ、城の女兵士!」
「いやいやいやいや、そんなかっこよくないです!」
「わかった! 執事だ! 王家の!」
「──ちがううううっ!」
自信たっぷり答えるゼフィルに、悲鳴混じりの全力謙遜で首を振った。
もはや涙目である。
誤解もいいところだ。
自分はただの現代社会人だ。
別に特別な訓練も受けてなければ、すげえスキルもない。チートもなければ女神の授けた能力もない。
なのになんだ、この扱いは。
想定外過ぎてバグる勢いである。
しかし、それを、おそらくゼフィルに話しても理解されないだろう。ここは現代の日本ではないし、社畜とかOLとか言ってもわからない。
だから彼が、彼の知る中で当てはめるのは、無理もないことだ──が。
それにしたって誤解が過ぎる。
しかし彼に適切な説明もできない。
〈実はわたし地球から来た異世界転生者で……〉なんて言えない。
どうなるかわからない。
──そんな、〈違うのに全部説明できない、つらい〉ループに陥るモナの視界の隅で、ゼフィルは不可解そうに鼻息ひとつ。
まるで〈何だこの子〉と言わんばかりの息遣い。
──まずい、引かれた……!?
一瞬で走り抜ける危険に、顔を上げた先。
あったのは──彼の、優しく受け入れるような微笑み。
一瞬みとれるモナに、くすりと笑って、彼はアッシュゴールドの前髪を流すと、
「……ん、まあ、いっか。言えない理由とかもあんだろーし? とりあえず……」
くるん・すぅっ、じっ……
向き合い、視線を合わせ、こちらの目を覗き込む。
両腕を膝につき覗き込む、彼のオリーブグリーンの瞳が優しく揺らめいて、
「あんがと、モナちゃん」
「…………ェ」
「助かった。マジで」
「え……あ、うん……いえ、あの、ど、どういたしまして……ッ」
にかっと明るくほほ笑まれ、モナはお礼も喉奥に、下を向いた。
──ドキッとした。
ありがとうだって。
そんな言葉もらえたの、いつぶりだろうって。
転生直前の記憶もないのにそう思う。
「じゃあ、メシにしよーぜ? 腹減っただろ?」
すれ違いざま、ぽん、と軽く叩かれた肩。
軽さが胸を撫でていく。
心の奥が、優しさでざわめいた。
痛みで世界が潤んだ気がした。
■■
──オルマナの一日。
それは、豆と干し肉から始まります。




