風献祭 1
風献祭。
風の精霊ヴァルシェールを讃え、日々の感謝と祈りを捧げる、オルマナ最大の祭りだ。
ヴァルシェールの風は穢れを払い、病や呪いを遠ざけると信じられてきた。清らかな暮らしを運び、祈りを遠くまで届ける──それが人々に与えられた加護だ。
祭りが始まるのは、夜が深くなってから。
冷えた宵風には精霊の力が満ち、淡い光を帯びて街を撫でる。
吊るされたランタンが揺らぎ、通りは夢のような幻想に包まれる。
この夜だけは、誰もが特別になる。
婚約を誓い合う恋人たち、未来を語り合う若者、笑い声と酒に酔う大人たち、広場いっぱいに踊る人の輪。
そして今夜は、祝福の声が一際大きく上がった。
ネリーの婚約が発表されたのである。
花嫁となった彼女は、新しい伴侶の手をしっかりと握り、清々しい笑みを浮かべていた。
そんな今夜を、緊張の面持ちで迎えたのはモナである。
当初〈祭り〉と聞いた瞬間、脳裏に浮かんだのは
『婦人会の総力戦。
掃除! 食事! 子供対応!
羽飾り並べて夜に踊る!
いやこれ絶対体力勝負……!』
と、勝手に腹を括ったのだが、現実は配慮の行き届いたもので──
ゼフィルにあっさり「だめだめ、モナちゃん。夜に備えて昼は全力でダラすんの」と言われ、肩の力が抜けた。
ゼフィルの、昨日の様子については気がかりだったが──
彼はあの後「ちょっと散歩」と言ってしばらく家を空けた。
なにか、言えないものを抱えている様子の彼に、モナは無理やり踏み込むことは出来なかった。
──そうして、後を引く疑念と非日常が混ざり合う〈当日〉。
日が完全に落ちた頃、ドアを叩く音に出てみれば、近くのお屋敷の人。聞けば、女性たちは大きな屋敷に集められ、民族衣装を身に纏うらしい。
それを伝えられてなかったモナは驚き、ゼフィルは軽く叱られていたが、それも笑い話。
連れられた屋敷で、モナは非日常のおしゃれを体験した。
訪れた屋敷の中の、なんと華やかなことだろう。
花の香りと女の子たちの弾む声。
長い机の上には、羽飾りがずらりと並び、ランプの光を受けてゆらゆらと輝いている。
モナの前に差し出されたのは、淡いブルーの民族衣装。
〈セラーン〉というらしい。
胸元から裾へと流れる銀糸の刺繍は、まるで夜空を閉じ込めたよう。
腰には細い飾り紐を結び、背中には羽のような布を重ねる。
髪を高く結い上げ、ビーズとアメルナを揺らせば、星の粒が舞うようにきらりと光る。
「……わあ……きれい……」
鏡に映る自分を見て、思わず呟いていた。
まるで精霊の国の住人みたいで、胸がくすぐったくなる。
こんな自分を──誰かに、見てほしい。
「……ゼフィー、会いたいな……見てほしいなあ、これ……」
呟いて彼女は自称気味に笑った。
自分はもう27歳、何を学生みたいに。
とも思うのだが、だけど、いくつになっても『好きな人にとびきりを見せたい』と思うのは罪じゃない。
しかしネックなのは、彼が忙しいことだ。
ゼフィルは今日、『風のおくりびと』として祭壇に立つ。
その前もなにやら、やることがあるらしい。
まあ、祭りやイベントなんてものは、動かす人間がいないと成り立たないことは解っているし、そういうものなのも理解できるが、だけど。
「一瞬だけでも会えたらなあ……」
……なんて。
淡い願いをそっと呟いた時、家の人に呼ばれ部屋を出た。
玄関口で待っていた彼と目が合った瞬間、モナの心は跳ねあがったのである。
「……モナちゃん。祭り、誰かに誘われてる?
まだだったら付き合ってくんね? アメルナが舞うとこ、マジ綺麗だからさ」
誘ってくれたのは、ゼフィル・ローダー。
男性物の司祭の衣装をまとい、真剣なまなざしを向ける男である。




